「なるほど……。どうやら、事態は厄介な方向へと向かっているらしい」
スマートフォンの画面に表示された文面に目を通して、最初に出た感想がそれだった。
喫茶店のテーブルに同席していた彼女が、自分の漏らした呟きに反応した。
「まーた、面倒事ですか? 十七夜さんも大変ですね。マギアユニオン、でしたっけ? 元・黒羽根チャンたちの窓口、十七夜さんがやってるんでしたよね」
「まあ、そうだな。マギウスの翼に屈して、あの時、白羽根をやっていたことがよもや巡り巡って役に立つとは夢にも思わなかったよ。……頼りにされるのは嫌いではない。君だってそうだろう? 観鳥君」
同席者である同じくかつて白羽根だった少女、観鳥令はストローでグラスに入ったジュースを
「否定はしませんよ。知り合いにも面倒見が良い方だって言われますしね。それにしても十七夜さん、随分と丸くなりましたよね。少し前までは……」
「融通の効かない独善的な魔法少女、だったか?」
「いやっ、そこまでは……」
慌てて観鳥君が否定しようとするが、私はそれを押し留めた。
「いいんだ。自覚はある。……いいや、思い知らされたというべきだな。自分は正しい、だから従え。当たり前のようにそれを押し付けて来た。自分よりも弱い者にな」
恥ずべき行いだったと今なら思える。
絶対的な力に敗北と服従を経験した今の私だからこそ分かる。
自分の掲げていた正義は、強さを背景にした
「大東区の魔法少女が離れて行くのも無理からぬ話だったな。知らない間に自分の目は
「いやいや、普通はそんな風に弱さを認められませんって。そう言える時点で十七夜さんは充分強いですよ。ひょっとして、元黒羽根チャンたちの受け皿として積極的に動いてるのも……」
やはり彼女は鋭い少女だと思う。
真意を見抜かれ、自嘲気味に口の端を歪めた。
「罪滅ぼしの気持ちはあるのは確かだ。マギウスの翼に入ってようやく、分かったよ。弱き者が求めるのは正義などではなく、安寧なのだと。多少、彼の影響を受けていることは否めないがな」
くすんだ銀髪の少年。
かつて『銀羽根』を名乗り、マギウスの翼の強さの
上条恭介。
自分に恐怖と自覚を与えてくれた無二の存在。
あれほどまでに魔法少女に人生を翻弄され、あれほどまでに魔法少女たちの幸福を願った人間を他に知らない。
「彼……ああ、恭チャン様ですか。良い男でしたよね、ホント。何気ない仕草でも品があって、まだ中学生だっていうのに男の色気が漂ってて……」
「今、会話の流れがおかしくなかったか?」
恐らくは自分が柄にもなく自虐的な発言をしているから、話題を強引に変えようとしてくれているのだろう。
容姿が整った少年であることは認めるが、恭介君はまだ中学生。同じ中学生の弟が居る自分からすれば、四つも下の男子に色気がどうのという話に乗る気は──……。
「ほら、この写真なんてワイシャツから覗く胸元がなかなか……」
テーブルの上に一枚の写真が置かれた。
そこには流し目でシャツの第二ボタンまでを開け、はだけた姿の恭介君が写っていた。
椅子に座って片膝を抱くような姿勢をしていることから、隠し撮りではなく、わざわざ頼んで彼にポーズをとってもらったものようだ。
表情は憂いを帯びていて、見る者の心を揺らしにくる。
思わず、ごくりと生唾を飲み込んだ。
いかん! これは……
「…………この、写真は?」
上擦りそうになる声を抑え、
「羽根たち向けのメルマガの表紙用に撮らせてもらった写真ですよ。色々あったせいで編集どころじゃなくなって、結局お蔵入りになりましたけど。他にも何枚か撮らせてもらってまして。良かったら、十七夜さん一枚入ります?」
「自分はもう十八だ。中学生男子の写真など……」
「ですよね。冗談が過ぎました。じゃあ、これはしまってと」
写真を回収しようと伸びる観鳥君の手より先に、自分の手が写真を引き寄せる。
戸惑った観鳥君の声が自分の名前を呼んだ。
「……十七夜さん?」
「別に要らないとは誰も言っていない。これは君の労いの気持ちとして受け取っておこう」
決して不埒な感情からではない。
初心を忘れないために恭介君の写真を肌身離さず持っておくのは意義がある。
そう。これはあくまでもかつての己への戒めとして所持するのだ。
だが、目の前に居る少女はそんな自分へ白い目を向ける。
「…………」
「何だ? その疑いの眼差しは。よもや、自分が恭介君の写真にいかがわしい感情を懐くとでも思っているのか?」
自分が恭介君に対して向けている感情は敬意だ。
自らの心を殺し、何の利益もなく、魔法少女たちの幸福を純粋に祈った彼へ尊敬の念。
キレーションランド崩壊の際に魔法少女解放という大願成就の機会を逃してでも、負傷していた自分を救ってくれた恩義の意。
そういった想いこそあれど、異性への情欲など皆無だ。
存在しない。
ないったらないのだ!
「いや、別に責めている訳じゃないですよ。白羽根の中にも恭チャン様と付き合いたいって子は大勢居ましたから」
「何でも色恋沙汰に当て
「あー、うん……なんかさっきとは別の意味で十七夜さんに親近感湧きました。……そうだ! 何かトラブル発生したんでしたよね。誰からだったんですか?」
露骨な話題転換が少々気になったが、自分はそれに乗った。
「七海からだ。昨日、マギアユニオンの活動として、環君を筆頭にミラーズの探索に行ったそうだが、そこで不測の事態が起きたという内容だ」
「不測の事態って、一体何が起きたんですか?」
「中沢君……否定の手品師の
否定の魔法を使う彼の映し身となれば、当然その魔法も複写している。
それは、恭介君を一度は追い詰めたあの力が丸ごと鏡の魔女の手に落ちたことを意味する。
予定が合わず、不参加だった自分がいうのも何だが、余計なことをしてくれたものだ。
環君が指導者であることをマギアユニオン内に知らしめるため、手っ取り早くミラーズ踏破という功績を付けたかったのは分かる。
未だ、ユニオン内には環君をお飾りの盟主と侮る見方があることは、東を纏める自分から見ても明らかだった。
しかし、内部分裂を恐れ、環いろはという魔法少女に
中沢君も中沢君だ。環君の力になるどころか、見事に足を引っ張ってしまった。
「死傷者は出ていないが、ミラーズの探索難易度は大幅に上昇した。これがユニオン内に知れれば、環君は信頼を落としてしまうだろう。組織としての結束も弱まりかねない。幸い、ミラーズ内に侵入しなければ危険はないだろうが、厄介な事態には違いないな」
額を指で押さえた自分へ、観鳥君が言いづらそうに口を開く。
「……あの、十七夜さん」
「何だ? 観鳥君」
「実は観鳥さん、昨日、大東区でこんな写真を撮ってまして」
彼女はまた三枚ほどの写真をテーブルの上に並べた。
どれも通りに面したファミレスを上から遠巻きに映したものだが、入り口から飛び出す人々の表情はどれも酷く怯えていた。
事件性が感じられるものだ。
「店内で何か起きたのか?」
「この後、少しして警察が来たんですが、店内に居た従業員は事故だったって証言したらしいんです。客の誰かが気が動転して、間違えて警察を呼んだんじゃないかって話で終わったそうなんです。テーブルや防犯カメラも事故で壊れたとか何とかって話で」
「妙な話だな」
「で、警察が来る前に入り口から出た人物が……この二人」
新たに彼女がテーブルに写真を一枚置いた。
そこには一組の男女。
女の方は明るい茶髪で前下がりのボブカット。背格好と緑の学生服を着ていることから中高生だろう。
問題は男の方。
黒髪の中分け。顔立ちは地味だが、目付きが鋭く粗暴な印象を受ける。
「中沢君……? いや、もしや
「もう、一枚あります……もっと顔を撮ろうとして望遠レンズを使ったんですが」
更に増えた写真の中の映し身は、視線をまっすぐに見ていた。
間違いなく、自身を撮影する者を知覚した目線。
快活な観鳥君の声が僅かに震えていた。
「望遠レンズ使って、結構離れたビルから撮ってたんですよ、これ……」
中沢君の映し身は笑っていた。
獲物を前にした獣のように、凶暴に、荒々しく笑って見つめていた。
「恥ずかしながら、この時は本気でビビりましてね。あ、ヤバいって思ったんですが、すぐに向こうさんは立ち去ってくれました……蛇に睨まれたカエルの気分でしたよ。生きた心地がしなかったです」
そう言いつつも、その後すぐにファミレスへ行って警察官と従業員の会話を盗み聞きしたというのだから、彼女のジャーナリスト魂も見上げたものだ。
命知らずとも言うべきかもしれないが。
「魔力の反応から近くに魔法少女も何人か居たみたいなんですけど、こっちが近づく前に魔力の反応が離れて、見失っちゃいました」
「その魔法少女たちは中沢君の映し身と交戦した可能性があるな。そして、生き延びた以上はある程度の実力者と考えていい。腕の立つ知り合いの魔法少女に当たってみよう。それにしても、ミラーズの外に映し身が出てくるとは……事態は最悪と言っていい」
だが、その写し身と共に居たこの少女は……一体何者だ?
ボブカットの少女を眺め、観鳥君に一つ頼み事をした。
「さっき言っていた羽根向けへのメルマガ、まだアドレスが使用できるなら、この少女について知ってる者は居ないか情報を飛ばしてくれないか?」
「分かりました。中分けの彼のコピーについては?」
「それも周知の必要がある。だが、あくまで中沢君個人の失態という形で発信してくれ。環君や七海に不信が向くのはまずい」
「りょーかいです」
指導者の失態を
清廉潔白な人間だとまでは名乗るつもりはないが、隠し事ばかりの連中と同じことをするはめになろうとは思わなんだ。
だが、自分には守るべき者たちが居る。
彼女たちを火の粉から守れるのであれば、泥などいくらでも浴びよう。
もしも、まだこの街に君が残っていたなら同じようにするだろう。
なあ、恭介君……。
写真の中の彼を見つめた。
……やはり、この写真はまじまじと見るには扇情的過ぎるな。
顔の部分だけ切り抜き、ロケットペンダントにでも入れて持ち歩いた方がいいだろうか。
いや、それはそれで妙な質感が出てしまうような……。
前より少しだけ柔軟になった自分は、前より少しだけ思い悩む。