ひとりぼっちの最果てに突如現れた謎の少女は愉快そうに笑ったかと思えば、一転して攻撃的な怒りの眼差しをこちらに向けてくる。
軍帽にカラフルなスカート、ほどよくデコレーションされた軍服のような上着。
そして、さっきの登場から考えて魔法少女と見て間違いない。
『気を付けてください。彼女はマギウスの翼を束ねる“マギウス”の一人、アリナ・グレイ……』
アイさんの言葉に俺は戦慄する。
マギウスということは、魔法少女の組織のトップ。
つまり、――ウワサを利用していた首謀者。
そういう黒幕的な奴って普通こういう前線に出てくるものじゃないだろう……。
幹部だっていう白羽根のみふゆさんって魔法少女でもヌルオさんを一時的に出し抜くほどだった。
その上に居る存在なら、きっと実力もそれ以上のはずだ。
「名前もナッシングでロンリーな人工知能ウワサ。そんな作り物の分際でご主人様に逆らうなんてグッドな度胸してるケド……それを許すほどアリナ、スイートじゃないカラ」
地面に降り立つアリナ・グレイはふざけた喋り方をしているが、向けられた目は笑っていない。
アイさんは二葉さんを庇うように前に出るとその視線を真っ向から受ける。
その姿はまるで子供を脅威から守ろうとする母親のようにも見えた。
『さなによって、私は非常に多くのことを学習しました。あなたたちが唱える理想の危険性にも、あなたたちが行ってきた所業の非道さにも、気づくことができました』
本来、化け物である彼女が毅然とした態度で魔法少女に道徳を
『私はマギウスの計画に賛同できません。さなも……いえ、これから犠牲になる可能性のある人々のためにも私は……』
「あぁー。そういうことは別のヤツに言って? アリナとし・て・はァ……ウワサがどうしてアイデンティティを手に入れたのか。どうすればもっとアメイジングなことになるのか。それが知りたいだけだカラ」
今度は演劇のようにわざとらしく、頭を押さえてから背を向けると、背筋を逸らせるポーズを取る。
逆さまになった彼女の顔はアイさんの後ろに居る二葉さんににやついた視線を送った。
彼女はその眼差しに一層身体を縮こませる。
「そうだぁ! さなのおかげで学んだって言ってたヨネ。じゃあ、さなを殺してみればもっとアメイジングなことがぁ……」
「あのさ」
「誰? アナタ。今、アリナが喋ってるとこ……」
苛立ちの含んだアリナ・グレイの発言を遮って、ヌルオさんは
「寝言って眠って言うから許されるんだよ? それとも、君、夢遊病者?」
酷く冷淡な声で切れ味抜群の鋭い毒舌が発せられた。
アリナ・グレイは一瞬、ポカンとした顔を浮かべる。
自分に掛けられた言葉が理解できていない様子だった。
「あれ? やっぱりまだ寝てるの? それは失礼したね。病院にお帰り、お嬢さん」
「……アナタ、アリナに何言ってくれちゃってるワケ? アリナ的にバッドなんですケド」
「
韻を踏むようにあえて三つの横文字を強調して返答するヌルオさん。
最後にチェケラッとでも付け足しそうだ。いつも以上に相手を
「…………アハハハハ! ユニークだよ、アナタ! スペシャルにアリナの作品にしてアゲル!」
口元はこれ以上にないほど吊り上がったアリナ・グレイは、皿のように見開いた目でヌルオさんを睨み付ける。
彼女の周囲に無数の黄緑色の立方体が生成された。
見覚えのある形状だ。あれは確か天音月夜が操っていた魔女が居た結界が入っていたものと同じ。
立方体はルービックキューブのように全面が3×3に分割され、そこから緑色の光線が一斉にヌルオさんへ放たれた。
既にステッキを大きな布状に広げていたヌルオさんは難なくそれで防ぐ。それと同時に新しいステッキを踵で空中へ蹴り上げた。
広げた布に吸い込まれるように消えていく。まるで大きな穴の中に黄緑色の液体を注いでいるかのようだった。
だが、彼の魔法はそれだけに留まらない。
空中に打ち上げられたステッキはパッと開き、黒い布となって宙に固定される。
布の中央から、吸い込まれたはずの黄緑色の光線は飛び出した。
ヌルオの対面、即ち、アリナ・グレイへと向かって伸びていった。
「……っ!」
驚愕に彼女は目を
とっさに立方体が寄り集まって巨大な壁を作るが、それだけでは威力が削り切れず、激しい光が爆ぜた。
勢いに押され、アリナ・グレイは後ろへ転がるように吹き飛ぶ。
それを見つめながら、布を丸めてステッキにしながらヌルオさんはそちらへゆっくりと進む。
「作品が……何だって?」
身体をスプリングのようにして、跳ね上げるように起き上がったアリナ・グレイの顔からは笑みは消えていた。
野獣のような凶暴な黄緑色の眼光が光る。
「許さない許さない許さない…………死ねぇ!」
新たに幾つもの立方体を生み出し、組み上げ、巨大な立方体の塊を作る。
それをそのまま、ヌルオさんへと投げつけるように飛ばした。
激昂しているが、光線を返されたことを考慮しての攻撃だ。
「そういう自分の力では実現不可能な願いごとは僕じゃなく、キュゥべえにでも言うべきだったね。ああ、でも」
だが、それすら彼はステッキで弾き落とす。
斜め後方に落下したそれは砕けながら、掻き消えた。
「もう魔法少女になっちゃった子は、願い事を叶えてもらえないのか。残念だったね」
「だったら……これならどうカナッ!」
地団駄を踏むように、アリナ・グレイは大きく足元を踏み付ける。
すると、ヌルオさんの足元を中心にして、黄緑色の六角形のタイルが生まれ、ほぼ一瞬にして囲うように一辺が二メートルほどの立方体が組み上がる。
タイルで形成された立方体は隙間なく、視界を覆い、密閉された
出口のない、完全なる魔法の牢屋が完成する。
しかも、上下左右の壁は恐ろしい速さで狭まり、次第に圧縮されていく。
檻全体の大きさを圧縮して、押し潰す気なのか! これは流石にヌルオさんでもまずいんじゃ……!?
取り返しのつかない窮地に陥ったかと思い、焦燥感が胸の内で頭をもたげる。
完全に相手の術中に嵌ったようだったヌルオさんは、平然とステッキを布に変えて頭からすっぽりと被った。
視界が闇に染まったかと思うと、次の瞬間には再び、マーブル模様の地面の上に立っていた。
地面に落ちている手のひらサイズの立方体を拾い上げていたアリナ・グレイは、突然出現したヌルオさんを見て、笑みを消して唖然とする。
「どうやってアリナのキューブからエスケープを……?」
「愚問だね。手品師に脱出マジックは付き物だろう?」
彼の内側の俺にすら何が起きたのか分からなかった。
だが、頭上で薄れていく黒い布が視界に映り、俺はようやく理解した。
空中に固定して残していた布と被った布を起点にして繋げたのだ。
否定の魔法を使ったワープのような空間転移の応用。
まさに奇跡の大脱出と言えるだろう。
「さてはて、お次は何を見せてくれるの? まさか、もう品切れ? マギウスなんてお山の大将気取ってたわりに、大したことないんだね。ま、所詮はこんなものか。ごめんね、調子に乗って
繰り出した魔法をことごとく攻略され、あまつさえ侮蔑の言葉を容赦なく投げつける。
仮にも組織のトップである彼女のプライドはズタズタになったことだろう。
俯いたアリナ・グレイは、肩を小刻みに震わせてぼそりと何か呟いた。
「……ロス」
「何だって、よく聞こえないよ。もっとお腹から声出してこー」
顔を上げた彼女は肉食獣のように牙を剥き、繰り返し同じ単語を
「ヴァァァァァァァァアアア! コロス! コロス! コロスコロスコロスコロスコロスコロス、コロォォォォスッ……!」
「どう足掻いても叶いそうにない願い事を繰り返しされても困るよ。僕が流れ星にでも見える?」
呆れたようにジョークで返したヌルオさんに、激情で理性を失ったアリナ・グレイが叫んだ。
「だったら、アリナが地表に落としてアゲル! 来い、アリナのドッペル!」
ドッペル……!
天音姉妹のような強力な存在になるつもりなのか。
アリナ・グレイの身体からカラフルな球体が幾つも生まれる。
その球体は一つ一つが電子顕微鏡で拡大したカビの胞子のような形をしていた。
集まったカビのような胞子が彼女の身体を次第に包み込んでいく。
しかし、その姿が完成される前に、ポップアップウィンドウのようなものがいくつも出現する。
最初はそれがドッペルとしての姿の一部かと思ったが、それにしては毛色が違い過ぎる上に、アリナ・グレイ
すら驚いているように見えた。
細かく分断され、光に収束して、一つのポップアップウィンドウに吸い込まれていく。
ウインドウには『転送処理完了しました』の一文が記載されていた。
転送……?
つまり、倒した訳ではないのか?
『ありがとうございます。ヌルオさんが私たちから距離を取って時間を稼いでくださったおかげで、アリナの座標を書き換え、結界の外に転送することができました』
離れていたアイさんが、目の前に現れて、俺の疑問を解消してくれた。
そうか。この空間の主はウワサである彼女。ある程度の空間操作が可能なようだ。
ヌルオさんは彼女に向き直る。
「
『いいえ、あの様子ならすぐにアリナは戻ってくるでしょう。のんびりしている暇はありません。私の消去をお願い致します』
「……お別れは言えた? 心残りはない? 最後にあの子へ言い残したことは?」
気遣うようにそう尋ねる。
本来であれば、最後に思い出作りでもさせてあげる気だったのだろう。
ヌルオさん自身、今すぐに介錯することには心残りがあるように見えた。
『おかげ様で、さなとは充分満足な別れができました。本当に優しい方ですね……私はあなたが消して回っているウワサの一つなのに』
ヌルオさんは首を振る。
「君は人間だよ」
『ご冗談を。私は人工知能のプログラムから生まれたウワサです』
「いいや、ヒトじゃないだけさ。僕は人間とは心の在り方だと思ってる。その点では、ウワサとしての本能さえも制御して、愛する友達のために命を絶つ決意をした君は紛れもなく人間だよ。少なくともあの魔法少女よりはよっぽどね」
アイさんをヌルオさんは“人間”と呼んだ。
俺もそう思う。
彼女の心は人間よりも人間性に満ちている。
だからこそ、ヌルオさんはその意思を尊重したいのだろう。
『……ヌルオさん。あなたは酷い人です。こんなにも優しい言葉をくれるなんて……せっかく覚悟を決めてきたのに、消えるのが、怖くなりました……』
瞳のない彼女の涙が俺には見えた気がした。
声を震わせてアイさんは俯く。
『さな以外で、私に新しい感情を与えてくれたのはあなたが初めてです……。せめてもっと、美しい人間の姿を取れたらのならあなたに……』
「綺麗だよ。僕の目には君がとても美しい女性に映ってる」
巨大な背丈ののっぺらぼうの女巨人を見上げ、ヌルオさんはそう告げた。
アイさんは少し押し黙って、言葉を紡ぐ。
『私にさなへのものとは少し違う、“アイ”を教えてくれてありがとう……』
優しく、労わるように、彼女に布を掛けた。
黒い布が彼女を覆う。
ひとりぼっちの最果てに居た心優しい女性は、静かに看取られながら消えていった。
走ってきたらしい環さんと二葉さんがそばまでやって来る。
二葉さんがヌルオさんに尋ねた。
「ヌルオさん。アイちゃんは……」
「殺したよ。僕が」
あえて殺したと口にする。
偽悪的にもほどがあると俺は思ったが、それが“人間”を手に掛けた彼の偽らざる認識なのだ。
口元を押さえて、涙を流す二葉さんの背中を環さんが撫でる。
地面には役目を終えた黒い布が血だまりの代わりに広がっていた。
「憎んでもいいよ。僕のことは許せないだろう?」
「……憎みません。それが、アイちゃんと私の、最後の約束だから……」
「そう」
ヌルオさんは短く答えただけだった。
鎮痛な二人の魔法少女の姿は見ていて辛い。
だが、アイさんが消えた以上、この空間ももう持たないだろう。
「それなら僕も約束を果たすとしよう」
「きゃっ……!」
「ヌ、ヌルオさん!? 何を」
二人の少女の腰にヌルオさんは一本ずつ腕を回した。
かと思うと肩に掛けるように持ち上げる。
お姫様だっこならぬ、お米様だっこを両肩で行い、両手にとりわけ大きな布の両端の角を
消えゆく異空間の外側には綺麗な夜空が見える。
地面が完全に消えた時、ヌルオさんの視界に物凄い速度で拡大していく中央区の街並みが映る。
不意に水波先輩から言われた言葉が
『バンジージャンプ。絶対成功させなさいよ』
……水波先輩、これ。バンジーじゃないです。
だって、命綱、ないですから……。
いやああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!
落下していく視界に俺は決して誰にも聞こえない絶叫を上げる。
絶叫マシンの類すら苦手な俺には、どんな怪物よりも恐ろしい。
生命の危機を感じさせる純然たる落下が、人生で味わったことない恐怖を呼び起こし、心の中で爆発する。
助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!
だが、恐怖で俺の心が完全に破壊される前にヌルオさんが大布が風を受け止め、落下傘のように膨らんだ。
尋常ではない握力でそれを保持し、落下の速度をどうにか削ぐ。
空中を滑空しながら、気絶することもできず夜空を堪能し続けた。
地面にヌルオさんの足が着地した時、既に俺は悟りかけていた。
人間は決して高いところに上ってはいけないのだ。それは神のご意思に反すること。
バベルの塔
これから階段を一段でも上る時にその距離を“1バベル”として、罪を犯していることを自覚しよう。
まあ、ごちゃごちゃしてしまったが、何を言いたいかというと。
俺は――絶対に高いところには上らない!
そんな誓いを胸に刻んでいたところ、ヌルオさんは肩に担いでいた魔法少女二人を地面に下ろす。
二葉さんは気絶していたため、布を敷いて地面に寝かし、目を回している様子の環さんを彼女の隣に座らせていた。
「環さんはその子をよろしくね。
「え? ヌ、ヌルオさんは?」
「ヌルオさんはちょっと残業」
彼は環さんに適当に手を振ってから、その場を離れる。
ひとりぼっちの最果てのウワサは消した。だが、その首謀者アリナ・グレイはまだこの近くに地区に居る。
そして、彼女が居るならば、心当たりは一つしかない。
ヌルオさんはセントラルタワーへと向かった。
階段を上り、屋上に辿り着くと黄緑色の長い後ろ髪が夜風でなびいていた。
「……壊れちゃったんだヨネ。アリナの魔女の飼育箱……。あそこは便利な場所だったんだケド」
魔女の、飼育箱……!?
まさか、こいつ、アイさんの異空間の中で魔女を育ててたってのか?
最悪なのはもう分かっていたが、知れば知るほど、人間だとは思えなくなる所業だ。
「だったら何? 気に入らないのはこっちも同じさ。決着付けようか」
「アリナもネ……さっきまではそう思ってたんだケド。追い出されて冷静になったら……段々、良いカンジに弾けてきちゃった!」
振り向いたアリナ・グレイは、床に落ちていたいくつもの
グリーフシードって確か、魔女を倒すと出てくるものだったはずだ。
なら、そこに落ちていたってことは……。
「お気に入りの子だったんだケド……もういいの。もっと面白いものを見つけたカラ! それがアナタ! 顔無し手品師! アリナをこれだけ
グリーフシードの残骸を笑いながら踏み砕いていて、楽しそうに踊っている。
狂ってる……。そうとしか感じない。
お気に入りなんて呼んで魔女を飼っていたくせに、今はそれを倒して砕いて、はしゃいでいる。
そうかと思えばあれだけ殺すと怒りを抱いたヌルオさんに夢中だと言って笑っている。
情緒不安定で、一貫性がまるでない。
喜びと怒りが入り乱れていて、会話が成立していなかった。
「じゃあ、かかって来なよ。それとも僕の方から行こうか?」
会話をする気も失せたヌルオさんは、ステッキを生み出し、握り締める。
だが、相対するアリナは首を横に振った。
「それはまた今度。創作アイディアがドンドン溢れて止まらない! ああもう、考えが纏まらないんですケド! 早くキャンパスに書き起こしたいヨネ!」
自分の身体を抱きしめるように腕を肩に回して、悶えながら独り言を巻き散らす。
そして、彼女はそのポーズのまま僅かに屈むと、指フレーム越しにヌルオさんを見つめながら後方に大きく跳ね飛んだ。
屋上から足場のない虚空へと落下していく。その途中まで彼女は歪んだ笑顔をしていた。
正気じゃない。まともという言葉と対極に居る存在だ。
すぐにヌルオさんは飛び降り誘発に使われていたパラボラアンテナを探して使用しようとしたが、設置されているはずの場所にあったのは、壊れてひしゃげた鉄の残骸だけだった。
「クソッ……」
何から何まで既に破壊済みのようだった。
屋上の縁に行き、アリナ・グレイが飛び降りた場所を見下ろすが、その姿はどこにもない。
みふゆさんがしていたように大きな円状の光を使い、落下途中でどこかへと移動したのかもしれない。
マギウスの翼のトップ、“マギウス”アリナ・グレイ。
彼女は俺やヌルオさんの想像を遥かに超えた、狂いに狂った、狂気の魔法少女だった。
ひとりぼっちの最果て編終了です。
本当はドッペルとの戦闘も書こうかと迷ったのですが、比重としては人間性に目覚めたウワサを消すところがおまけになりそうだったので断念しました。
あと、最後の振り子の魔女との戦闘は端折り、ああいう形にしました。
あっちの方がアリナの異常性が際立つし、一石二鳥かなと思い、急遽方針転換しました。