鏡の中から現れた自分そっくりの顔。
あの人から受け継いだ衣装と、魔法。
だが、表情だけは俺と正反対のアイツは言った。
『何でだよ……何でオメーはあの人からこんなに強い力を受け継いで、何でそんなに弱ぇんだよ!』
否定の魔法で負けた。
トンファーでの打突戦でも負けた。
戦意で──。
覚悟で──。
気迫で──。
……負けた。
負けた。負けた。負けた。負けた。負けた。負けた。負けた。負けた。負けた。負けた。負けた。負けた。
俺は敗北した。
自分のコピーに。自分の偽物に。
俺は存在を……否定された。
冷え切った殺意で覆われた自分と同じ顔が、俺の首を締め上げる。
『本当に殺すんだからな』
喉を力の限り、握り潰され、俺は
怖い。やめてくれ。殺さないでくれよ。
許してください。ごめんなさい。ごめんなさい。
冷酷なコピーの俺が吐き捨てるように言う。
『死ねよ、
ゴリッと鈍く、何かが砕ける音が俺の耳の奥からして、全身の力が抜け落ちる。
ぼやける視界で“俺じゃない俺“が口の端を吊り上げた。
「ひぃぃぃいやだぁぁぁーー!」
裏返った叫び声を上げ、俺はベッドから逃げるように跳び起きた。
頭から床に転がり落ちたが、恐怖と不安で脳みそはパンク寸前は痛みなんて感じる余裕はなかった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
……弱い癖に思い上がってしまい、申し訳ありません。
……ヌルオさんから貰った魔法を、自分の力のように使ってすみません。
だから、許してください。殺さないでください。
傷付けないでください。苦しめないでください。
お願いです。お願いですから、俺を……否定しないでください……。
数える気も起きないほど、許しを
「ねぇ、あんた、もう起きてる?」
「……学校なら今日も行かないから」
3日前から学校へは登校していなかった。
鏡屋敷へ行った日、環さんたちと別れて家に戻ってから、俺はずっと自室に引きこもっている。
初日は強引にでも俺を登校させようとして、母さんたちも俺の様子がおかしいことを理解して、無理強いしなくなっていた。
「……そう。何があったのかもまだ話したくない?」
困惑混じりで聞いてくる母さんに、俺は話せないと答えた。
話せる訳がない。
魔法の力を手に入れて調子に乗っていたら、自分の偽物に殺されかけたなんて、まともに言えば頭がおかしくなったと思われるに決まっている。
いつもなら、朝食のパンとバナナと紙パックの牛乳を載せたトレーを扉の前からとっとと離れて行ってくれるのだが、今日はどうしてか動く気配がなかった。
「…………?」
「あのね、アキラ。お友達が来てるんだけど……会ってい──」
「会わないっ! 俺は誰とも会わない! 会いたくない! ……お願いだから帰ってもらってよ」
会いたくない。誰であっても今の惨めな俺の姿を見れば、失望されるのは目に見えていた。
ただでさえ、自己嫌悪で死にそうなのに、これ以上誰かに嫌われたくない。
嫌なんだ。
もう俺は誰とも関わり合いたくない。
どうせ、環さんたちが気を利かせて、慰めに来てくれたんだろう。
そんなことされても、俺は一層自分の弱さを恥ずかしく感じるだけだ。
お願いだからこれ以上、俺に惨めな思いをさせないでよ……。
「……せっかく来てもらったんだけど、こんな調子でね。とりあえず、今日のところは出直してくれるかな?」
「……はい。今、話すのは難しそうですね。また来ます」
環さんの沈んだ声が聞こえてきた。
俺が塞ぎ込んだせいで、俺をマギアユニオンに引き入れたことへ負い目を感じているのかもしれない。
「何だよ、それ。ここまで来ておいて、中沢に会ってかないつもりなのかよ!」
深月ちゃんの怒ったような声。
「フェリシア。……彼にはまだ一人傷を
そう
皆、俺を心配して、家まで訪ねて来てくれたのか。
部屋の前から離れて行く足音を聞きながら、俺はただ
でも、俺には無理なんだよ……。
俺はもう戦えない。
カーテンの隙間から差し込む日光が、薄暗く部屋の中を照らした。
光が反射する材質のものは、家具も床板まで
俺は鏡どころか、窓ガラスに映った自分の顔さえまともに見ることができないのだ。
心は完全に折れていた。
立ち直る以前に、まともな日常生活すらままならないのが現状だ。
「……どうすればいいんだよ」
誰かに助けてほしいと思う反面、誰にもこの情けない自分を見て欲しくなかった。
ただ怖くて、不安で、惨めで、明日が来ないでほしいと願いながら、どう過ごせばいいのか分からない長い一日の前に立ち尽くす。
「俺は……どうしたらよかったんだよ……」
分からない。頭がうまく動かない。
今の俺は『“中途半端”の中沢』ですらない。『“ 五里霧中”の中沢』だ。
くだらない言葉遊びをしていると、窓の外側から小さな音がした。
何か小さな昆虫でも窓ガラスにぶつかったんだろうか。
だけど、カーテンを開ければ、嫌でも窓ガラスに反射する俺の姿を見るはめになる。
無視して、ベッドの中に潜ろうかとも考えたが、悪夢の続きを見せられる予感がして、二度寝をする気にもならなかった。
悩んでいる内に窓ガラスに当たる音が増えてくる。大量のカナブンでも飛んで来たのか? やだな、それは。
どうしようか散々悩んだ挙句、俺は窓を見ないように横を向いてカーテンを開けることにした。
視線を散らかった床に落としてから、締め切っていたカーテンをそっと開いた。
なんか居た。
白と赤で縁取られた人型の平面。
似ている物を挙げるとするなら、少し前に見た教育番組に出てきたトルコの絨毯、『キリム』の模様だろうか。
奇抜な色合いと角ばったデザインは人型に切り取られた絨毯のように見えた。人型絨毯は窓の外側に浮かんでいて、人間でいう頭部に当たる部分で窓ガラスを一定の間隔で叩いている。
……何だ、これ。魔女? 使い魔? いや、それとも別の存在……?
思考が疑問符で覆われていた俺だったが、人型絨毯の下の方から赤い紐状のものが垂れ下がっていることに気付いた。
下に目をやると、見知った少女と目が合った。
ピンク色の髪、環さんを一回り小さくしたような十歳くらいの女の子が吊り上げられる形で宙に浮いている。
思わず、俺は窓を開けて、彼女の名前を呟いた。
「環、ういちゃん……!?」
「あ。やっと起きて来てくれましたね。おはようございます。中沢さん」
俺に朗らかな笑顔を見せてくれるういちゃんだったが、状況が色々とおかしい。
「う、うん。おはよう……えっと、その、この繋がってるの……何?」
聞きたいことがあり過ぎて反応に困ったものの、俺は一番気になることを尋ねた。
「ああ、この子は『ツバメさん』です。これが私の魔法なんです」
「あ、それ、『ツバメ』なんだ……」
絶対に違うだろ……。ツバメっていうか、どうあがいても鳥類には見えない。
むしろ、イトマキエイとかマンタとか平べったい魚類に近い見た目だ。
……いや、今はそんなことはどうでもいいんだ。
「何で、ここに居るんだ? 君も環さん……お姉さんたちと一緒に来たのか?」
「いえ、お姉ちゃんには内緒で来ました。まだ私は、普通の身体に戻ったばかりだからって」
そこで改めて、俺は思い出す。
ういちゃんの肉体が数週間前までは『エンブリオ・イブ』と呼ばれる不完全な魔女だったことを。
ヌルオさんが託してくれた否定の魔法で穢れを『リジェクト』して、そこにモキュゥべえに入っていたういちゃんの魂と一つになって、再び、ういちゃんは魔法少女に戻れた。
鏡屋敷への調査からも、それが理由でメンバーから外れていたはずだ。
なのに、どうして彼女は俺のベランダの外で浮かんでいるのか、さっぱり意図が掴めない。
訳が分からな過ぎて、頭の中の疑問符のハテナマークがそろそろ声に出てきそうになった頃、ういちゃんが浮かんでいる『ツバメさん(断じてツバメには見えない)』の背中辺りまでよじ登る。
「でも、お姉ちゃんたちなら、きっと中沢さんを気遣って、無理やり会うことはないんじゃないかって思ってました。中沢さんの家の扉から出て行ったお姉ちゃんたちの表情を空から見て、実際、その予想が合ってたって分かりましたし」
「あ、うん……そうだな。環さんたちは合わずに帰ってくれたよ。だから、君もそろそろ……」
『ツバメさん』をそれこそ魔法の絨毯のように器用なバランスで乗りこなす、ういちゃんを見ながら暗に帰ってほしい気持ちをそれとなく伝える。
しかし……。
「でも、中沢さんは一人では立ち直れない人なのは知ってるので、私が来ました! さあ、乗ってください」
ういちゃんは人懐っこそうな笑みを浮かべたまま、俺の発言を横へ投げ捨てて、窓の外から手を伸ばしてくる。
……え。確かにそうかもしれないけど、乗るって、その『ツバメさん』へ……? 俺が? 何で?
「……ういちゃん。俺はさ、思い知ったんだ。俺は全然凄い奴なんかじゃないって」
「はい。知ってます」
「…………否定の魔法をヌルオさんから受け継いで、銀羽根が残した銀の塔も解決して、気が大きくなってた。魔法少女のために何かできるんじゃないかって、思い上がってた。でも、違うんだよ。俺は今みたいに簡単に折れて、潰れて、立ち上がれなくなるような凡人なんだ」
「それも知ってます」
にこやかに俺の弱音を受け止めるういちゃんに、俺はとうとうカッとなって声を荒げた。
「いい加減にしてくれよ! 俺は人に期待されるような人間じゃないって何で分かってくれないんだよ! 俺は弱虫で、自分の意思だってすぐに曲げる、ダメダメな奴なんだよ!」
拒絶する意思をぶつけても彼女は幻滅することも、落乱する素振りも見せず微笑む。
「知ってます。ずっと、すぐ
その言葉にハッと思い出す。
そうだ……。この子は知っている。
俺がどれだけ、弱くて、諦めたがり、逃げ腰だって……。
モキュゥべえとして、俺を近くで見てきたのなら今一番俺の弱さを知っている人間だ。
「じゃあ、何でだよ。何で知ってるのに……」
「中沢さんはすぐに折れます。高い壁にぶつかったら、自分じゃどうにもならないって必ず投げ出すんです。諦めて、嫌なことから遠ざかって立ち向かうことを諦めちゃうんです」
その通りだ……。
俺はそういう人間だ。乗り越えられない障害を前にすると、必ず俺は逃げ出して、諦める。
「──でも」
ういちゃんは続ける。
情けない俺の話を、聞かせようとする。
耳に痛い言葉を掛けられ、俺は
「でも、中沢さんは折れても立ち上がって来てくれました。諦めた後、思い直してもう一度挑戦してくれました。絶望した後で、もう一度希望を見つけるために動き出してくれました」
「……そんな、ことは……」
一転して、褒められ、俺は反射的に否定する。
でも、ういちゃんはその否定をやんわりと振り解く。
「ありますよ。だって、今、私がここに居るのは、中沢さんは助けてくれたからじゃないですか」
「……っ」
その台詞に俺は思わず、彼女の顔を見上げた。
朗らかな笑みの中に確かな芯を感じさせる眼差しがあった。
「お姉ちゃんややちよさんのヒーローはヌルオさんなのかもしれない。でも、私のヒーローは、──格好悪くて、すぐに折れちゃって、逃げ出しそうなるような中沢さんなんです!」
……そうな風に思ってくれてたのか。
俺はずっと、自分をヌルオさんの付属品だと思っていた。あの人にくっ付いて、ただがむしゃらに手伝いをしてただけだって。
窓の外から差し伸べられた彼女の手を、俺は取ろうと腕を上げる。
嬉しそうにういちゃんが俺の名前を呼んだ。
「中沢さん!」
だが、俺の手は彼女の手のひらを掴む前に、自然と下がって、届く前に落ちていた。
「……ごめん。ういちゃん。その言葉は本当に嬉しかった。でも、駄目なんだ。今回ばかりは立ち上がれない……」
「どうして、ですか!?」
中指に嵌った黒い宝石の付いた指輪。
ヌルオさんから受け継いだ否定の魔法が収まっている魔力の塊。
どれだけ意思を込めても、その宝石は輝かない。
「コピーの俺にボロ負けしたからかな。もう、俺、魔法を使うことができないんだ。魔法の使い方も分からなくなって、本当にもう何にもできないんだよ」
魔法を使おうする度に自分の姿が、俺を叩きのめしたコピーの俺が脳裏にちらついて、変身することができなくなっていた。
「今の俺は、本当に何もできない凡人なんだよ。だから、ごめん……」
俺はういちゃんの顔から視線を落とすように頭を下げた。
失望する彼女の表情は見たくなかったから。
俺をヒーローと呼んでくれたことは素直に嬉しかった。半面、俺がどうしても無力で弱虫なことが申し訳なかった。
軽蔑される?
怒りを向けられる?
嫌悪されるかもしれない。
だけど、これが俺なんだ。
どこまでも人の期待に寄り添えない、情けない凡人。
それが中沢アキラの本当の姿だ。
「……も……」
「も?」
小さな呟きに反応して俺は僅かに顔を上げた。
その瞬間、視界にはピンク色が広がる。
「モッッッキューーーーー!!」
額に重たい衝撃を受け、目の中で火花が散った。
けど、なぜだか懐かしさを感じる痛みが、俺の脳を揺らす。
あ、知ってる。これ……モキュゥべえの頭突きだ。
当然、大きさも質量もモキュゥべえ時代とは比べ物にならない。
部屋の中で仰向けにひっくり返った俺の上に、頭突きで勢いで窓から突っ込んでしまったういちゃんが
グエっと潰れた変えるような音が喉から漏れた。
痛くて転がりそうだったが、上に居るういちゃんが重しになって動くこともままならない。
「う、ういちゃん……」
「だったら……だったら、『助けてくれ』って言ってください! 『力を貸してくれ』って相談してください! 中沢さんが凡人だって言うんだったら、誰でもいいから頼ってください!」
ういちゃんは、怒っていた。
あの優し気で怒り方すら知らなそうな、環さんの妹は、今この時、俺のために怒ってくれていた。
「でも……」
「でも、じゃないですよ。昔のお姉ちゃんと同じです。誰かに助けてもらえるなんて思ってなくて、自分は誰かが助けてくれるような人間じゃないって勝手に判断して……そういうのが一番駄目なんです」
「俺……俺は……失望されたくなくて……がっかりだって言われたくなくて……」
気が付けば、俺の目尻からはボロボロと涙が
今まではヌルオさんが俺の傍に居てくれて、助言してくれて、導いてくれて、前に進んで来れた。
だけど、今の俺はヌルオさんの代わりとして、マギアユニオンに参加している。そんな俺がこんなに駄目な奴だって思われたら……。
「ヌ、ヌルオさんまで駄目な奴だって、おもっ……思われそうで……」
「ユニオンは、神浜市の魔法少女たち皆が力を合わせるための組織だって、お姉ちゃんは言ってました。中沢さんに助けてもらうだけの場所じゃないです……」
「だけど、ひっく……き、期待、されてるのは感じてて……だから、頑張って……」
しゃくり上げながら、
自分よりも四歳も年下の彼女は、口を挟むことなく、黙って聞いてくれた。
「か、格好良く……なりたかった。ヌルオさんみたいに……上条みたいに……でも、全然ダメで……上手くできなくて、失敗したのも、見られて……
「じゃあ、格好付けなくていいじゃないですか。見っともなくても、格好悪くても、憧れの人みたいに上手にできなくても、まずはできることから始めてみませんか? 私も、ユニオンの人たちに頼んでみますから」
「ひっく……み、見捨てないで、もらえるか自信……ないんだよ」
「見捨てませんよ。私も、お姉ちゃんも……。だから──中沢さん」
俺の上から降りたういちゃんは再び、俺に手を差し伸べる。
「また立ち上がってみませんか? 今度は魔法の使い方から思い出しましょう」
涙が溜まった目で見る彼女は、金魚鉢越しのように朧気で、だからこそ、俺には酷く遠くにあるように思えた。
恐る恐る俺はういちゃんの手を取ると、小さな手はすぐ近くにあった。
「ういちゃん……俺、今、何もできない……」
「はい」
「だから、助けてくれ。俺に、手を貸してください」
「はい!」
力強く、ヒマワリのような笑顔でういちゃんは頷いてくれた。
かつて俺に救われたという魔法少女は、今度は逆に俺を救ってくれた。
張り詰めていた緊張の糸が弛み、グーっとお腹の音が鳴る。
「まずは朝ご飯、食べないとですね」
「……うん」
俺は恥ずかしさのあまりにまた顔を横へ背けた。
本当に、どこまでも格好悪いヒーローも居たものだ。
だけど、格好悪いのはもう受け入れよう。
折れて、曲がって、逃げ出して。
泣いて、喚いて、他人に
地べたの味を飽きるほどに味わい尽くしたのなら、もう後は立ち上がる以外にすることがない。
ゼロから……、いや、マイナスから始めよう。
ここからが俺のスタート地点だ。
よくやく回ってきた中沢君の話。
しかし、彼視点の話はしばらく予定はありません。
あくまでも第二部の主人公はかごめなので、中沢君はスポットが当たることのあるサブキャラの一人です。