私には昔から欠落しているものがあった。
それは──感動。
心が震える体験。激しい喜びも、深い悲しみも知らない。
周囲の人たちが当たり前に感じている心情の変化。
私にはそれがない。
知識として知っているのに、実感できないというなら、
小さな頃は、皆が演技をしているのだと本気で思っていた。
自分と同じように平坦な感情を持っていて、コミュニケーションの一つとして、大袈裟な身振りや表情で現すことがある、と、そう信じていた。
私が異端だと気付いたのは、小学校に上がってからだろう。
自分以外の存在、“他者”と接する時間が増えて、ようやく理解できた。
いや、理解しなければならなくなった、という方が正しい。
中学、高校と進学するに
『まさらちゃんは冷たい』
『加賀見さんは酷い』
自分としては当たり前の意見や返事をしたつもりでも、相手を傷付けて非難されることもしばしばあった。
世界の色が違うのだと私は結論付けた。
言うなれば、見ている景色が違うのだと。
私の目には無色透明に見える世界が、きっと私以外には色鮮やかに映っているのだと。
魔法少女になっても、こころと友達になっても、まだ私の世界には色がない。
未だ、ほんの僅かにその片鱗が出てきた程度。
それも慣れて、変わることない世界にもうこのままでもいいかと思い始めた頃……。
私は出会った。
私の感情を揺り動かす存在に。
それが──逆沢。
鏡の魔女の使い魔。かつて、銀羽根と戦った少年のコピー。
些細な好奇心から私は彼に挑み、いとも容易く敗北した。
だけど、それだけなら、私は何も感じなかっただろう。
敗北し、命を奪われると思った時でさえ、私の心は平時と何ら変わらなかった。
私が彼に興味を持ったのは、直前まで私への殺意は揺るがなかったにも関わらず、私がこころとの待ち合わせをしていると知ってからはあっさりとそれを
あまつさえ、私が待ち合わせに遅れないよう担いで送り届けた。
決して同情や優しさなどではなく、独特の感性によるポリシーから来る行動。
それは私が今までに見てきた何よりも斬新に映った。
彼の連れである佐鳥かごめの救助を手伝った時もそうだ。
逆沢は途中から私の助力を打ち切らせた挙句、敵に加勢してリベンジをしてきていいとさえ言い放った。
自由
常に私の想像を超え、予測不能の行動を見せつけてくる。
彼との交流は私の世界に色を与えてくれた。
だから、私は力を求めた。
彼と、もっと激しく戦うために。
彼と、もっと長く交流するために。
彼と、もっと深く繋がっているために。
そのために私は、瀬奈みことの甘言に乗った。
それなのに……。
「不思議ね。今はあなたと戦うことより、魔法少女を解放してあげたいという想いで私は満たされている」
逆沢と相対して
「べらぼーに自我侵食されてんじゃねーか。オメー、まともな状態じゃねぇぞ?」
黒いトンファーを構えて応戦する逆沢は、言葉と共にジャブのような細かい連撃を放ってくる。
私はそれに対し、短剣でいなしながら答えた。
「私は正気よ。むしろ、今まで欠落していたものがようやく埋まったの。今の私には魔法少女
「……酔っ払いの酔ってない宣言並みに信用できねー台詞だな。目を
それまでのコンパクトな突きとは違う、腰の入った重い一撃が振り抜かれた。
狙いを付けられたのは、顔の左側面。仮面に覆われた部分。
先程の身体を狙った打突は、顔を狙っていることを悟らせないためだった。
仮面のせいで左半面は視界が狭まっている──そう考えたのだろう。
浅はかな戦術に思わず、笑みが
「台詞も狙いも大はずれ。むしろ、左半面は仮面そのものが“眼”の役割を果たしている。よく見えているわ」
仮面に触れる直前に『腐敗の魔法』を発動させて、今度こそ腕ごと腐り落としてみせる。
「だろうな。
「……は?」
彼の言葉の意味を考えるよりも早く、私の左半面を狙って振るわれたトンファーは無数のコインに変わり、宙で分散する。
散弾のように散った金色のコインは淡く発光し、弾けた。
──
左側面に意識を集中させていたからこそ、余計に魔力の光を受けてしまう。
どこ? どこから攻撃してくる!?
そうだ。逆沢……いや、『顔なし手品師』には魔力で構成された空間内を転移することができたはず……。
それなら……──。
「後ろっ!」
背後の死角へ転移したと予想を付けて、振り返りざまに球状の『腐敗の魔法』をばら撒いた。
「大はずれ、だぜ?」
その声は、
「しまっ……」
反射的に振り向こうとした私の左側から、黒いトンファーが回避不能の距離に迫っていた。
視界が明滅し、意識が揺れる。
バックハンドブローのように、遠心力を付けたトンファーの側面で打たれたのだと理解するまで一瞬遅れた。
右肩甲骨の辺りから生えた黒い片翼に『腐敗の魔法』を纏わせて、周囲を
半径三メートルの地面が融けて、腐り果てる。
しかし、既にその範囲には逆沢は居なかった。
更に一メートル程離れた場所で悠々と
「仮面、割れてんぞ。ニグレドさんよぉ」
こちらを小馬鹿にした笑みに私は怒りを感じた。
やはりこの男は始末しなければいけない。『顔なし手品師』の魔法を継承しているこの男は、魔法少女殲滅の障害となる。
今度こそ、早急に始末しなければ。
「まあ、そうカッカすんな。ちょいと聞きてーことがある」
すぐにでも攻撃を再開したいが、こちらとしても今し方受けた一撃を回復するためには時間は必要だ。
仮面の砕けた部分を魔力で補いつつ、会話に応じる。
「何が聞きたいの?」
「オメーの頭の中には、みことが居るはずだ。ヤツは今どうしてる?」
瀬奈みことの安否が知りたいのか。
そう言えば、私がこの力を得てから彼女の声を聞いていない。
「ここに来る方法を教えてくれたのは彼女だけど、もう声は聞こえない。途中で別の誰かに乗り換えたのかもしれないし、私が力を得た際に融けて消滅したのかもしれないわ。でも、どうだっていいことだわ」
「どうだっていいだと? アイツもオメーの救済対象じゃねーのかよ」
「何を言っているの? 彼女は魔女の一部。私が救済するのは魔法少女。あれはもう私にとって興味のない存在よ」
そう答えると、逆沢の顔から笑みが消えた。
二つの瞳からは楽しげな色は消え、静かな怒気の炎が灯る。
「……オメー、やっぱ『銀羽根』じゃねーわ。アイツはな、魔女だって助けてやりてぇって思ってたぜ。どうにかしてやりてぇって悩んで悩んで、悩み抜いて神サマ一歩手前になっちまうような、そんな優しいヤツだった」
「神様一歩手前? 何の話をしているの? 『銀羽根』の理念は、“魔法少女の解放”。それ以外のものは何もないわ」
「もう、喋んなくていいぜ。充分、分かったからよ。……オメーはアイツの表面だけしか知らねぇミーハー魔法少女が妄想したウワサの亡霊の、更に残りカスだ。誰でもねぇし、誰にもなれねぇよ」
怒りの理由が分からない。
今の会話のどの辺りが、そこまでの怒気を燃やす要素だったのか検討も付かない。
何より……。
「コピーのあなたがそれを言うの?」
「ああ。そうだな。俺サマが言えた義理じゃねーかもな。だがよ、ニグレド。オメーの使命感ってのは単なる刷り込みだろ。どうして、そうしてぇのか、何でそんなことすんのか。ちゃんとそこんとこ、理解してねぇんだろ?」
下らない。
理由なんて一つだけだ。
「そんなもの、魔法少女が憐れで救いようがない存在だからに決まってる。殺してあげないと苦しむだけだもの。だから、私が救済するの。魔法少女という地獄から解放してあげるために」
そう、それこそが私の理念の柱。
私を私たらしめる核。
それが『哀憐のニグレド』。
それが加賀見まさ……──。
「まさらは、そんなこと絶対言わないよ」
私の思考を切り裂くように、誰かの声が響いた。
逆沢の後ろへ視線を向けると、一人の少女が駆けてくる姿が見えた。
黄色と黒の危険色を思わせるカラーリングの魔法少女。
粟根こころ。
私の◼️◼️──いや。
私の救済対象。
「こころ……。まだ生きていたの? 可哀想なあなたを楽にしてあげたかったのに」
「まさらの振りをするのはやめて! 可哀想なんて言い方、まさらは絶対しなかった。私の家庭のことを知った誰もが同情する中、まさらだけが淡々と評価してくれたの!」
こころはそう言って、魔力で武器を生成する。
けれど、彼と比べると無骨で肥大したそれは、重機のパイルドライバーを想起させる。
「だから、あなたはまさらじゃない! 私の友達を返して!!」
強い眼差しが私にぶつけられる。
私は……。
こころ、私は…………。
「違う。私は──私は『哀憐のニグレド』。魔法少女に解放と救済をもたらす者!」
全身から湧き上がる魔力が肉体を包み込む。
濁り切った黒色が私を塗り潰すように
『粟根こころ。まずはあなたに死の救済を!』
肉体を完全に魔力の装甲で格納し、形状をより強大で強固なものへと変質させる。
「嘘……あれは、ドッペル? でも、もうこの街でドッペル化はできないはずでしょ!?」
驚愕するこころとは対照的に、静かに観察する逆沢が言う。
「いや、コイツは……肉体を完全に魔力で覆い隠してやがる。普通のドッペルじゃねぇな。むしろ、ファントムワールドの中で魔法少女がなってた『
逆沢はトンファーを構えて、こころへ指示を出す。
「気張れよ、こころ。あれが『D・ドッペル』と同じ性質を持ってんなら普通の攻撃は効かねーぞ」
こころはそれに黙って頷き、こちらを見上げる。
やはりその瞳には強い意志の光があった。
「まさらを悪い夢から救ってみせる。待ってて、まさら。すぐ迎えに行くから」