生物の死を象徴するような空間の内部。
そこでまさらさん、いや、『哀憐のニグレド』は巨大な異形へと変貌した。
巨大化させた
頭部に当たる部分には黒い太陽のように見える濁り切った大きな球体が浮いていた。
まるで死んだ鳥の骨で作った悪趣味な芸術品のように見える。
『こころ。あなたはここで私が
歪に反響する声は果たして、どの部位から発生しているのか。もしかしたら全身から放たれているのかもしれない。
黒い太陽の表面が揺れて、濁った色の炎の球体を生み出してはこころさんへ飛ばす。
「お
飛び散った炎は地面を腐食させ、広がっていく。
腐敗の炎と呼ぶべき黒ずんだ火炎が足元を舐めるように侵食する。
けど、それを黒い大布が巻き取るように消滅させる。
同じ黒だけど、澄んだ清涼さを感じさせる“黒”。
逆沢さんの『否定の魔法』。
「はっ。振られてんぜ? ニグレドさんよぉ。オメーの口説き文句じゃ、堕ちねぇとさ!」
あえてトンファーではなく、布状のままヒラヒラと動かすことで挑発しつつ、広範囲に『腐敗の魔法』が拡大するのを未然に防いでいる。
『どこまで邪魔をする気なの? “顔無し手品師”』
「もう俺サマのことも碌に認識できなくなったか? 自我の浸食速度が増してやがんな……だが、『否定の魔法』に耐性を付けやがった
逆沢さんが囮になって注意を引きつつ、こころさんが杭打機のような
「私の攻撃じゃあ、やっぱり傷一つ付かない……」
「しゃーねぇな。あの方法っきゃねぇか。……オイ、こころ!」
後頭部をガリガリと掻き
「何ですかっ!?」
逆沢さんに
その肋骨状の胴体部へ一心不乱にトンファーを打ち込んでいたこころさんは振り返る余裕もなく、切迫した声音で返事をした。
「オメーとまさら、二人とも『コネクト』は使えっか?」
「えっ……はい。私もまさらも以前調整を受けたことがあるから、使えますけど……」
予想外の質問だったらしく、こころさんは戸惑いながら返答する。
それだけ聞くと、逆沢さんは何かを決めたように小さく頷き、黒い布を空中へ放り投げた。
ひらりと宙を舞った布は、瞬時に無数の金色のコインになって、四方八方へ散らばり、降り注ぐ。
『また目眩しでもするつもり!?』
『哀憐のニグレド』の意識が空中に撒かれたコインに向いたようで、腐敗の火の玉はコインを狙って放たれる。
その隙に逆沢さんは新たな布を魔力で生み出し、空間跳躍でこころさんのすぐ後ろへ移動した。
「そんなら、オメーがまさらに『コネクト』して呼びかけろ。後は俺サマがケツを持ってやる」
「けつ!? あ、何とかしてくれるって意味ですね? ……分かりました。やってみます!」
一瞬、逆沢さんの言い回しに混乱しかけた様子だったけど、すぐにこころさんは頷いた。
『何を企んでいるのか知らないけれど、もう何もさせないわ。こころ、逆沢共々死になさい!』
コインをすべて腐敗の炎で呑み込んだ『哀憐のニグレド』は、接近していた逆沢さんたちの存在に再度意識を向ける。
どす黒い濁った太陽の頭部から滝のように腐敗の火の玉を吐き出した。
それは真下に居る二人どころか自分の胴体を巻き込んでいたが、火の玉が触れた肋骨は腐り落ちる気配はなく、
多分、あの腐敗の魔法は『哀憐のニグレド』自体には効かないんだろう。
攻撃と同時に接触させないために、腐敗の炎だけを身体に
むしろ、防御策として使ったことが本命だろう。
なぜなら既に逆沢さんとこころさんは……。
「何もさせねぇ、だと?」
『哀憐のニグレド』の頭上の空中へと転移していたからだ。
「させんだよ! これからなぁ!」
片腕でこころさんを抱え、もう片方の手にはシルクハットを握っていた。
逆沢さんは口の中から一枚のコインを作り出し、
「俺サマからのプレゼントだ! どうせ、見るなら良い夢見ろよ!」
乱暴にシルクハットを『哀憐のニグレド』目掛け、投げ捨てる。
放り投げたシルクハットは回転しながら、膨張し──。
「『
破裂するように大量のコインを吐き出した。
渦を描き、金色の竜巻と化したコインの奔流がどす黒い太陽へと流れ落ちる。
あれはこのはさんたちとの戦いで使った技。だけど、あの時とは比べ物にならないほどのコインの量。
威力が増した? いや、違う。きっとこれが本来の威力なんだ。あの時はまだ逆沢さんは加減していたんだ……!
黒い太陽の表面を覆う炎がコインの嵐によって
そうか。さっき、『哀憐のニグレド』は自分の身体を覆う防護膜にするために、頭部の太陽から大量の炎を使っていた。
つまり、今は頭部の太陽は一時的に炎が減っている状態。
逆沢さんはそれを踏まえて、あえて最も危険な場所に狙いを付けたんだ。
『っ……それでも私には否定の魔法への耐性がある。致命打には
「だろうな。だが、繋がるにはこれで充分。だろ? こころ」
落下していく逆沢さんの胸板を蹴って、こころさんが炎が削れた黒い太陽へと突撃する。
さながら、それは切り離されたロケットのように見えた。
澱んだ炎が鎮火された太陽は一回り小振りで青白く、まるで月のようだった。
「まさら。私があなたを連れ戻してみせる。だから、私と
無骨なトンファーを投げ捨てたこころさんは、その手で『哀憐のニグレド』の頭部に触れる。
『や、やめろぉぉ!!』
コインの旋風によって一時的に鎮火していた澱んだ炎が再び、頭部を覆っていく。
腐敗の魔法がこころさんの触れている場所まで到達しようとしたその瞬間……『哀憐のニグレド』の頭部が割れた。
肋骨の上部までが崩れた時、目を閉じたまさらさんの姿が現れた。
「まさらっ!」
落下していくこころさんが彼女に触れようと手を伸ばす。
その時だった。
『まだよ! 私は……っ! 私は魔法少女を救えていないっ!』
皿のように目を見開いたまさらさんは未だ『哀憐のニグレド』に支配されていた。
彼女の手に握られていた短剣に、黒く濁った炎が灯る。
「……っ、そんな!」
武器を捨てていたこころさんは、空中で避けることも、受けることもできない。
こころさんを狙って黒刃が突き立てられる、その寸前。
まさらさんが埋まっている場所のすぐ脇に逆さまになった逆沢さんが現れる。
空間跳躍と同時にトンファーを握った拳は、まさらさんの左の
トンファーが触れているのは、太腿に付いた露草色の宝石。恐らくは、それがまさらさんのソウルジェム。
「……『リジェクト』!」
その叫びと共にソウルジェムから、黒く濁った光が押し出されるように放出された。
妄執の意思を帯びていたまさらさんは、短剣を手放し、だらりと腕を弛緩させる。
見開かれた瞳は虚空へ向けられ、意識があるのかも分からない。
亀裂だらけになっていた
「まさらぁ!」
こころさんがまさらさんの身体を抱き締めるように引き寄せた。
崩壊し、光の粒子になって消えていく
かなりの高さだったけど、こころさんは起き上がり、まさらさんを肩を貸すようにして、立ち上がらせていた。
逆沢さんの方は、逆さまの姿勢から空中で無理やり、捻って足から着地する。
相変わらずの凄まじい身体能力だ。だけど、様子がおかしい。
その場で膝を突くと口元を押さえると、
「ごほっ……がっ……」
「逆沢さん!?」
ある程度離れて一連の状況を見ていた私は、それを見て走り出していた。
こころさんも逆沢さんの様子を見て、慌てて近付いて来る。
数度、咳き込んだ後、逆沢さんは口元から黒い墨汁の液体を吐き出していた。
「だ、大丈夫ですか? まさか、攻撃が当たってたとかじゃ……」
「バカヤロー。俺サマがあんな雑魚の攻撃喰らうかよ。これは、アレだ……こっそり戦闘中に食ってたイカ墨パスタを戻しただけのことよ」
「いや、ずっと見てましたけど、そんなもの食べてなかったですよ」
どれだけ聞いても、うるせーの一点張りでまともに答えようとしない。
腐敗の魔法を受けた訳でもないようなので、私は一旦この質問を諦めた。
代わりに別のことを尋ねる。
「『哀憐のニグレド』は倒せたんですか?」
「あたぼうよ。俺サマを誰だと思ってやがる」
「逆沢さんです」
「うむ。よろしい」
他愛のない話をしていると、こころさんに肩を貸してもらい、もたれかかっていたまさらさんが口を開く。
「逆沢」
「おう。目は覚めたかよ」
「迷惑かけたみたいね。
申し訳なさそうに目を伏せるまさらさんだったが、こころさんはブンブンと首を横に振り、否定する。
「あれはまさらがやったことじゃないよ。それに、迷惑だなんて思ってない。だって、まさらと私は友達だから」
「こころ……」
二人はそれ以上言葉を重ねることなく、視線を合わせる。
もう彼女たちには余計な謝罪は必要ないようだった。
「! ……悪りぃな。組んず解れつのゆる百合タイムは後にしとけ。まだ、魔力の反応が消えてねぇ……!」
「!?」
私は初めて聞いた緊迫した逆沢さんの声に驚きつつ、彼が向いている方へ視線を向けた。
視線の先には、先ほどまさらさんのソウルジェムから切り離されたように流れ出た黒い光が残っていた。
「しぶといヤツだ。『リジェクト』で消し切れなかったか?」
「ううん。あの余計な自我はちゃんと消えたわ。残っているのは余剰の魔力だけ」
「この声……」
聞き覚えのある声で喋る光は、人型へと変わり、一人の少女の姿を
薄い水色の髪に、青紫色の瞳。黒いゴシックドレスを纏った魔法少女。
「みことさんっ!?」
「ふふっ、久しぶりね。かごめちゃん。あ、でも、肉声で話すのはこれが初めてになるのかしら」
鏡の中でも、私の脳内でもなく、実体としてみことさんはそこに居た。
逆沢さんがどこか冷めた眼差しを浮かべ、聞いた。
「……ニグレドがまさらの身体を乗っ取った時に消えたんじゃねーのか?」
「そんな訳ないでしょ。この場所にまさらちゃんを誘導したのは私なのよ? 意識の奥に隠れてただけ。こうして、魔力でできた肉体を得るためにね」
自慢げにクルリと回って、私たちに自分の姿を見せ付ける。
その様子は、新しい服を買ってもらい、舞い上がっている少女のようだった。
「あら、アキラちゃん。祝ってくれないの?」
「それよか、まずは聞かせろよ。何であん時、かごめを見捨てようとしやがった?」
苛立ちを抑えるようにピリピリとした雰囲気を纏わせ、逆沢さんが尋ねた。
それに対して、すっかり忘れていたような素振りをした後、みことさんは思い出したように答える。
「……ああ、このはちゃんの時ね。かごめちゃんを見捨てた理由? 要らなくなったから、始末してもらおうと思ったからだよ」
「は?」
「だって、かごめちゃんは良い子だけど、神浜の滅びには賛同してくれないし、アキラちゃんもかごめちゃんに
悪びれることもなく、そう答えるみことさんに私は愕然となった。
「そんな、そんな風に思ってたんですか……?」
私の問いに彼女は一瞬だけ黙ると、彼女は
「私が悪いみたいに言わないでよ。全部かごめちゃんのせいなんだから。あなたが私を友達なんて呼ぶから! 私のことを理解しようとするから!」
「はっ。何だよ、みこと。俺サマを絆されてるだの言っておいて、オメーが一番絆されてんじゃねーか?」
「……逆沢さん」
逆沢さんはよろめきつつも、立ち上がると小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「神浜の滅びがどうのと言ってたが、かごめに優しくされて、意思がブレそうになったんだろ? だから、かごめを消そうと思った」
「……違う」
「だけども、自分でかごめを手を下すことも選べなかったオメーは、これ幸いとこのはに殺させようとしたワケだ」
「違う違う、違う! 私は絆されてなんかいない! 私の友達は帆奈ちゃんだけ! 私の理解者は帆奈ちゃんだけなの! だから、私は帆奈ちゃんを傷付けて、奪ったこの街を滅ぼさないといけないの!」
激しく否定するからこそ、彼女の
逆沢さんの言葉は核心を突いていたんだろう。
きっと、みことさんは迷っていたんだ。私と仲良くなることで、帆奈さんを裏切っているように感じていたのかもしれない。
「みことさん……私はみことさんがどう思ってても、もう友達だって思ってます。だから……」
「うるさい! やめて! これ以上私を惑わせないで!」
悲痛に叫ぶみことさんに、私はそれ以上何も言えなくなってしまう。
代わりに逆沢さんが話し出す。
「かごめはオメーと別れた後も、魔法少女からこの街の評価聞いてるぜ。神浜市が滅ぼすべきかどうか、ずっと考えてる。やる必要なくなったのにもかかわらずなぁ! みこと、オメーは覚悟でかごめに負けてんだよ!」
「黙ってよぉ! なら、アキラちゃん。あなたも要らない! 私の思い通りに動いてくれないなら、必要ない!」
みことさんからの明確な拒絶。
“家族”だと思っていた相手にそう言われて、逆沢さんも傷付いたはずだ。
そう思って、私は彼の顔を覗き込む。
「そうかよ。だったら、俺サマも好きにやらせてもらうぜ」
黒いトンファーを握り、平然と笑っていた。
どこまでも凶暴に、どこまでも不敵に笑みを
それが本音か、どうかまでは私にも分からなかった。
「黙って聞いてたら、かごめちゃんたちを傷付けるようなこと言って! 酷いのはあなたの方だよ!」
こころさんがまさらさんと離れ、無骨なトンファーを生成する。
「私は、個人的に仕返しする理由あるから」
まさらさんもまた、短剣を作り出して構える。
魔法少女二人が臨戦態勢に入った時、黒い空間の天井部からポタポタと雫が落ちてきた。
雨漏りのように、小さな雫はどんどんと滴る量を増していく。
余裕を取り戻したみことさんが笑みを漏らす。
「あははっ。アキラちゃんなら分かると思うけど、ウワサ空間はその一部が現実世界と繋がってる。ねぇ、ここがどこだか分かる?」
「オイ。まさか……ここ、水ん中か!?」
「正解! 私やアキラちゃんみたいに呼吸なしで生きられる存在なら平気だよ。魔法少女でも何とか耐え切れるかも。……でも、かごめちゃんは違うよね?」
嫌らしい笑いを浮かべた後、背を向けて去って行く。
逆沢さんは舌打ちを一つしてから、私を肩に担ぎ上げて言う。
「かごめ。死ぬ気で息止めろ。じゃねーと死ぬぞ?」
私はすぐに手で鼻と口を押さえてコクコクと無言で頷く。
「おし。そっちは?」
「私は水泳教室通いだから平気」
「私は、が、我慢強いから何とか、頑張ります」
「んじゃあ、さっさと脱出じゃー!」
それ以降は目を瞑り、必死に息を止めていたのでよく覚えていない。
次に目を開けたのは、頬に風を感じた時だった。
「けほっ、けほっ……ここは?」
日が沈み、薄暗くなっていたけど、そこは見覚えがあった。
私たちがウワサ空間へと入った川原が近くにある。
状況から考えると、何とあの場所は川原から見える川の底にあったらしい。
私を担いだまま、逆沢さんは河原まで泳ぎ切るとうつ伏せの体勢で力尽きたように倒れた。
先に川原へと辿り着いていたこころさんたちがびしょ濡れの状態で駆け付ける。
「二人とも大丈夫?」
「私は何とか……。でも、逆沢さんが」
逆沢さんは荒い息を吐きながら横たわっている。
普段なら絶対に見せないだろう弱り切った姿に、私は心配になった。
やっぱりあの戦闘の後から、様子がおかしい。
『リジェクト』とか言う力を使った反動なのかもしれない。
「とにかく、今は少し逆沢さんを休ませてあげたいんですが……」
「──それなら、いい場所がありますよ」
そう答えたのはこころさんでも、まさらさんでもない別の声だった。
土手にある外灯が四人の影を照らしていた。
影の内の一人が石段を下って降りてくる。
私はその人を知っていた。
「常盤、ななかさん……」
「はい。お久しぶりですね。佐鳥かごめさん」
和装の魔法少女、常盤ななかさんはそう挨拶と共に微笑んだ。
まさら、こころ編終了です。
次回、久々の中沢君回を予定。