「いろは! そっちに言ったわ」
やちよさんの鋭い声が飛ぶ。
包囲されていた四つ脚の魔女は逃げ場を求めて、ここに居る魔法少女の中で一番弱そうな私の方を狙い澄まして突進してくる。
「はい! 大丈夫です」
私はそれを視界に捉えてから、腕に付いたクロスボウを構えた。
弓を引く。
即座にクロスボウに薄桃色の魔力の矢が宿る。
魔力の光が軌跡と共に空中を走り抜ける。
『Fjldgjfh;r;thgvm。lhlkdhlk』
魔女独特の鳴き声とも叫び声とも付かない奇怪な音を、周囲へ撒き散らした。
光の矢が魔女の中心を撃ち抜いたその時──。
『タ す けテ──』
突然、魔女の言葉の意味が
「……え?」
戸惑った私はクロスボウを下げ、四つ脚の魔女の姿を見つめる。
その魔女は私に向けて、前脚を、いや、手を伸ばそうとして……。
「何棒立ちしてんだよ、いろは!」
巨大なハンマーによって、上から叩き潰される。
粒子状に魔力の光に変わる魔女の居た位置にハンマーを振り落としたのは、フェリシアちゃんだった。
「おい。無事か、いろは! ……いろは?」
反応を返さない私にフェリシアちゃんは、心配そうな眼差しを向けた。
「だ、大丈夫だよ。ありがとう、フェリシアちゃん」
ハッとなった私は取り
「な、ならいいけどよ。ほら、先に使っていいぞ」
彼女は落ちていたものを拾い上げて、私の方へと投げた。
宙に放られたものを私は片手で受け取る。
手のひらを開いた時、そこにあったのは赤々とした小さな
「……っひ、いやあああああぁぁぁあ!!」
絶叫を上げて私はそれを地面に落として、後ろへ転ぶ。
「い、いろは……?」
「どうしたの!?」
「何があったんですかっ!?」
やちよさんとさなちゃんが私の上げた悲鳴に驚き、急いで駆け寄って来る。
私は立ち上がれずに、地面に落ちた心臓を指差す。
「そ、それ……」
やちよさんが一瞬視線を落としてから、
「? グリーフシードが、どうしたの?」
「グリーフ……シード? だって、それは……」
心臓、と言いかけてもう一度目を向けた。
そこにあったのは、上部と下部が針のように尖った黒い卵状のオブジェ。
見慣れたグリーフシードの形状だった。
「あ、れ……?」
「どうしたんだよ、いろは。お前、ちょっと変だぞ?」
困り顔したフェリシアちゃんにそう言われて、私はすぐに答えることができなかった。
「その、フェリシアちゃん……いろはさんも最近、大変なことが続いてるから……。ちょっと疲れただけじゃないかな?」
「そうね。鏡屋敷を抜け出したっていう中沢君のコピーに、神浜市の外から来ているっていう魔法少女の集団。それに落ち込んでいた中沢君の件もあったわ。改めて口にすると、魔女退治が息抜きに感じられるくらい頭が痛くなる話ばかりね」
さなちゃんとやちよさんがフォローしてくれるが、私自身はフェリシアちゃんの言っていることを否定するつもりはなかった。
「だからこそ、いろは。早く、ソウルジェムを浄化しなさい」
「はい……。そうですね」
私はやちよさんに促される形で、立ち上がるとグリーフシードを拾って自分のソウルジェムに近付けた。
……やっぱり。
薄く濁った私の桃色のソウルジェムからは、穢れは取り除かれない。
沈殿してしまった濁りは、
私は自分のソウルジェムが皆に見えないように隠して、グリーフシードをフェリシアちゃんへ返した。
「ありがとう。すっかり綺麗になったよ」
何度目かになる嘘を重ねて、私は小さく笑ってみせた。
私のソウルジェムは浄化できなくなっていた。
それはきっと銀羽根とのあの戦いの時から。
私が
そして、それと同時に……。
『“魔女の声”が聞こえるようになったみたいだね』
私の隣に“白い仮面を付けた私”が立っていた。
やちよさんたちは見えていない彼女は、私以外には聞こえない声で喋る。
『
もう慣れ切った彼女の声は平坦に語り続ける。
『魔女からも魔法少女じゃなくて、
視界の端で彼女を捉えながら、小さく首を左右に振った。
「……怖くないよ。ただ、少しだけ申し訳なく思ってるだけ」
私があの日、あの時、やがて魔女になる自分自身を受け入れた。
それがどうしようもなく、変えられないことだと知って、私はそれでも魔法少女として可能な限り生きると決めた。
だけど、残してしまうみかづき荘の皆や、ういを含めた妹たちに申し訳ない気持ちはある。
それに成り行きとはいえ、マギアユニオンのリーダーになった責任感もある。
魔女になる前に片付けられることは、しっかりと片付けて起きたい。
こんな時に、ヌルオさんが居たら私に適切な助言をしてくれたのかな……?
『呆れるぐらいにお人好しだね。だからこそ、
「あはは……」
魔女にまでお人好しと呼ばれる私は、本当にどうしようもないくらいに甘いんだろう。
でも、そんな自分が不思議と嫌いじゃなかった。
前は本当にただの偽善者でしかなかった。
思えば“助ける”という行為が他人と関わるための手段でしかなかったのだと思う。
でも、今は違う。私は私自身に胸を張って生きているだけ。
『……そんなあなたに一つだけ教えておいてあげる』
「何を?」
『鏡の魔女が結界の外を出歩いてる。この魔女の結界にも魔力の痕跡があるね』
鏡の魔女……。
鏡屋敷の中に潜んでいる魔女の名前だ。
あの中沢君のコピーを作り出した魔女でもある。
『本体ではないのかもしれないけど、そいつは魔女の結界内を渡り歩いている。何が目的なのか分からない。でも、こうも点々と横断している痕跡が残っているってことは何らかの意図があるのは間違いないよ』
何らかの意図……。
自分の結界内から出て、魔女の結界内を渡っている?
あの中沢君のコピーが鏡屋敷から出た時に、それにくっ付いていた……?
そう言えば、少し前に十七夜さんからコピーの中沢君が一人の女の子を連れているという情報を教えてもらっていた。
女の子……。
そうだ。私は鏡屋敷の中で、一人の女の子と出会っていた。
あの後、一度鏡屋敷に戻って探したけど、どこにも姿がなかった女の子。
コピーの中沢君が連れて行ってくれと言ったあの子の名前は……確か。
「佐鳥かごめちゃん……」
コピーの中沢君が外に出たのは、かごめちゃんを家に帰すだった可能性がある。
もしそうなら、今コピーの中沢君が連れている女の子がかごめちゃんなのかもしれない。
かごめちゃんに鏡の魔女が憑りついている、とか……。
『推理しているところ、申し訳ないけど、この魔力の痕跡は人間に憑りついているような微弱なものじゃないよ。魔力そのものが移動したような大きな跡』
「うう……」
結構本気で考えていたから、ちょっと恥ずかしい。
色々と考え込んでいると、誰かに肩を揺すられて、意識を外へ向けさせられる。
「いろは。いろは……」
「あ。やちよさん。な、何ですか?」
「何ですか、じゃないわよ。魔女の結界も消えたから、引き
完全に聞いていなかった。
いつの間にか、白い仮面の私の幻影も消えている。
やちよさんにも彼女に聞いた情報を共有しようと思ったけど、すぐに考えを改めた。
やちよさんでさえ、気付けなかった鏡の魔女の痕跡にどうやって気付いたか説明することになる。
そうなれば、せっかく今まで隠していたのに、私の魔女化が近いことも話さないといけない。
いつかは話すべきだと思っている。
でも、それは今じゃない。
ソウルジェムこそ濁りが消えないものの、魔力は問題なく使えるし、魔法の威力だけなら前よりも上がっているくらいだ。
「だ、大丈夫です。ちょっと眠れてなくて……」
「仕方ないわね。今日の夕食当番は変わってあげるわ」
「ありがとうございます。やちよさん」
「な、何よ。急に改まって」
誤魔化すようにお礼を言うと、少し面食らったようにやちよさんは目をしばたたかせた。
「おーい。早く帰ろうぜ。オレ、腹減ったよ」
「どうかしたんですか?」
少し先で頭の後ろで頭を組んだフェリシアちゃんと、こちらを心配そうに見つめるさなちゃんが待っていた。
私はやちよさんと一緒に二人の元へ歩いていく。
私の後ろでまた、声がする。
『……後悔だけはしないようにね』
「うん」
私はその声に小さく、答えて皆と共にみかづき荘へ帰って行く。
隠し事に対して、ほんの少し罪悪感を抱きながら。