勝った!
そう確信した。
勝利した!
そう歓喜した。
手に入れた!
そう満足した。
……やっとだ。
やっと俺は、取り戻せる。
失った尊厳と、奪われた称号。
ようやく俺の元に返ってきた名前。
『顔無し手品師』。
ヌルオさんと俺だけの呼び名。
無様に横たわる、卑怯で弱い偽物を笑いながら見下ろしてから、俺は観覧席の方を向いた。
みんな、見てくれたよな? 認めてくれるよな?
俺が本物だって。俺こそが正しいって。
だって、俺が勝ったんだから!
期待を込めて見つめた先にあったのは──怯えた顔と警戒した目だけだった。
「……ははは。何だよ、その顔は……その目は……」
失望と怒りが一瞬で期待を焼き尽くした。
「勝ったのは俺だろ!? どうしてそんな目で見るんだよ! 何で、誰も俺を褒めてくれないんだよ!? こんなに、こんなに頑張って結果を出したのにぃ……こんなに、こんなに……」
観覧席の方へ手を伸ばして、一歩足を踏み出したその時……。
“声”が頭の中で響いた。
『もういいだろう。君は充分やりたいことをした』
「ち、違う。まだ、まだ俺は……」
『駄目だよ。次は
「俺はまだ、皆に認めてもらってないんだぁぁぁぁ!!」
全身を掴まれたかと思うと、真下へ引きずり込まれるような感覚が襲う。
伸ばした手の指先から触覚が抜け、俺じゃない何かが覆い被さる。
奥に奥にと追いやられた俺の意識は気が付けば、暗闇の中に沈んでいた。
明かりのない暗黒の膜に包まれたそこに、四角く空いた景色だけが映画のモニターのように浮かんでいる。
「……ごめんね、騒がしくってさ。でも、
俺の喉から出る、俺じゃない声がみかづき荘の皆に
既に彼女たちは全員立ち上がり、武器を構えて臨戦態勢を取っていた。
七海さんが槍を構えて、静かに問いかける。
「あなたは……中沢君、なの?」
「違うよ。あんなのと一緒にされるのは心外だね。僕こそ『悲憤のアルベド』。正真正銘、銀羽根のウワサから生まれた
『悲憤のアルベド』はそう言って、彼女たちに
動揺と警戒心を隠せない様子の皆を眺めて、改めて言葉をかける。
「さて。魔法少女の皆様方。本日は
言い終えるや否や、観覧席が瞬時に融けて変形する。
悲鳴が上がる間もなく、澱んだ白い魔力が彼女たちにへばり付き、身体を塗り固めていく。
テレビで見たことのある液体窒素の早回し映像のように魔法少女たちをあっという間に凝固させた。
「死んだことさえ感じないようにして、
緩く閉じた中指と親指を掲げる。
その指が鳴った時、魔法少女たちは死ぬ。それが俺には分かった。
やめろ! やめてくれ!!
心の奥で叫んだが、当然声にはならない。
だが、予想に反して、掲げた指先は動かない。
観覧席を眺め、『悲憤のアルベド』は何かに気付く。
「うん? ……ああ、そうだった。君は魔法少女じゃあなかったね。確か、佐鳥かごめさんだったかな?」
「ひっ……」
奴は固められた魔法少女たちの隙間に、佐鳥さんの姿を見つけていた。
救済対象から外れていた一般人の彼女は、奴の拘束から逃れていたのだ。
とっさに見逃してくれと祈るも通じる訳がない。
「君は……普通に死んでくれ」
指先が佐鳥さんに向く。
無情にも彼女のすぐ前に白く濁った魔力球が生まれた。
牛乳で作られた巨大なシャボン玉のようなそれは、容赦なく佐鳥さんの小さな身体を呑み込んだ。
丸く抉り取られた観覧席を見て、俺は絶望感に
こんなのは違う……。俺がしたかったことは、こんなことじゃなかったはずだ……。
俺はただ、皆に認めてほしかっただけなのに……。信頼を取り戻したくて……それだけ、だったのに……。
「これで良し。それじゃあ、気を取り直して──……」
再び、『悲憤のアルベド』が指を鳴らそうとした。
今度こそ、終わりなのだと現実を突き付けられる。
「何が良しだ、ボケが。寝言かますのも大概にしろや……」
喧嘩腰の悪態。
振り向いた先で立っていたのはぽっかりと片目に穴を空けた偽物の俺。
その腕には、しっかりと佐鳥さんが黒い布と共に抱かれていた。
足元の床には、銀のコインが埋まったゴルフボールほどの球体が崩れかけて融けている。
「融解が広がる前に、眼球をくり抜いて難を逃れたという訳か。そして、佐鳥かごめを空間転移で助けた……で、それで? 死ぬのが少し先になった程度でしかないよ?」
『悲憤のアルベド』は呆れた口調でそう聞いた。
それについては、俺も同意見だった。
融解による侵蝕は避けた偽物だが、抉れた
あの一撃は既に致命打になっていた。
「実体のない魔力の身体は物理的なダメージは受けないが、魔力の込められたものなら話は別。戦闘スタイルが、回避に特化してたのは魔力のダメージを一撃でも受けると崩れかねないからだったんだろう? 何せ、君の魔法は使えば使うほど内側から摩耗していく否定の魔法……。罅の入ったその身体、果たして後何分持つのかな? 五分? いや、三分保てばいい方だろうね」
なまじヌルオさんの末路を知っているからこそ、分かってしまう。
偽物には時間がない。
そして、空間内に居る魔法少女は全員囚われの身。足手纏いの一般人を引き連れて、脱出も叶わないだろう。
「逆沢、さん……」
肩を震わせて不安そうな目を向ける佐鳥さんに対し、偽物は安心させるかのように頭を軽く撫でた。
「大丈夫だ。んな雑魚片すのに三分も要らねぇよ。だが、ちっと使いを頼まれてくれ」
「使い?」
「応よ。コイツを持って、アソコまで行って来い。何やるかは分かると思うからよ」
佐鳥さんを床に下ろして、トンファーを片方だけ渡す。
顎で示した先は反対側の観覧席。そこには捕えられた環さんの姿がある。
しかし、彼女は完全に身動きが取れず、更には二体のドッペル融合体が警護している。
何をしようとしているのかは検討が付いた。
付いたから、分かる。
それは不可能だ。
確かに環さんが復活すれば、状況は好転する。
だが、無理なものは無理なのだ……。
偽物がさせようとしているのは、かつての再現。
フェントホープの大聖堂内で、ヌルオさんが俺にしてくれたのと同じこと。
武器に付与した魔法の受け渡し。あの時は環さんが俺を援護してくれたから目標のエンブリオ・イブまで辿り着けた。
だけど、今回は条件が違う。
佐鳥さんだけで二体のドッペル融合体の対処をして、環さんに接触しないといけない。
当然、偽物は『悲憤のアルベド』を引き付けておく必要がある。
……足りない。味方も、余裕も何もかもが足りていない。
そして、銀羽根のウワサである『悲憤のアルベド』は、この方法を知っている。
「無駄な足掻きはその辺にしておくんだ。手数がまったく足りていない。やるなら、せめて魔法少女が居た時にするんだったね」
呆れを通り越して、
それに対して、偽物は笑う。
獰猛な猫科の肉食獣のように歯を見せつけて、笑う。
「足りてねーのはオメーのオツムの方だぜ。さては脳みその代わりにクソミソが入ってやがんな?」
「……何が、言いたいんだい?」
「数もまともにかぞえられねーのかって言ってんだよ!
数……?
そうか。そうだ……! 気にも留めてなかった。
どうして、みかづき荘の魔法少女がういちゃんと七海さんと深月ちゃんのたった
二葉さんと由比さんは今どこに……?
それに俺がマギアユニオンに入っていた時に七海さんから聞いていた。
常盤さんと、静海さんはマギアユニオンには入っていないが、それぞれ魔法少女のチームを作っている、と。
だとしたら、その仲間はリーダーたちを残して……何をしている?
俺の疑問が氷解するのに、そう時間はかからなかった。
「かごめ。行けっ!!」
偽物が佐鳥さんの背中を押したと同時に叫ぶ。
「僕が見す見す行かせるとでも?」
『悲憤のアルベド』が腕を振るい、白濁した魔力球を駆け出した佐鳥さんの背中へ放つ。
しかし、彼女を遮るように無数の緑の大盾が現れた。
「……魔法!? どこから」
「行かせてっ……」「もらっちゃうんだから!」
三つの火の玉が接近し、眼前に迫る。
それを払い除けるように生み出した魔力球ですぐさま融解させた。
開けた視界には偽物を
大盾を前に突き出す二葉さんと、二つの扇子を構えた由比さんだった。
「……悲鳴が上がらなかったのは、外に待機していた魔法少女とやり取りをしてたからか。ウワサとしての性質上、中の魔法少女が望むなら空間の外から呼び込むことは容易だからね」
だけど、と一区切りして、彼女たちに魔法の照準を合わせる。
「“飛んで火に入る夏の虫”。そんなに早く死にたいなら、まず君から──……」
「オイ。主役の存在を忘れてんなよ、ノータリン!」
突如、
完全に乱入してきた魔法少女に気を取られていた『悲憤のアルベド』は真下からの強烈な突き上げに反応できない。
視界は天を仰ぐ。
「魔力の精密動作と殺傷力だけはピカイチだが、魔力感知についちゃあ、オメー……あのカス以下だぜ?」
……俺から『悲憤のアルベド』に意識が切り替わったことで魔力の量や精密性は上がったが、そのせいで魔力の流れを感じ取れなくなったのか。
まして、ここは魔力でできた空間内。
初動で空間転移の起点になるコインや布を潰さない限り、あいつの動きは──。
「図に、乗るなぁ!」
「背中、ガラ空きだぜ?」
──まさに縦横無尽!
魔法少女を先に狙おうとすれば、すかさず、死角からのヒットアンドウェイ。
偽物を集中して叩こうとすれば、大盾と火の玉で視界を遮り、射線を潰す。
まとめて大規模範囲攻撃をしようとすれば、魔法少女二人を引っ掴んで離れた場所に空間転移。
魔法少女を守り、魔法少女と共に戦う。
まるで、それは……。
それは……俺が憧れたヌルオさんの……。
俺が成りたかった『顔無し手品師』の在り方だった。
どうして、俺はあっち側じゃないんだ?
どうして、俺はこんな場所に居るんだ?
どうして……俺はこんなにも、卑怯で、弱くて惨めな人間なんだ……?
自分の情けなさが、不甲斐なさが今更になって
畜生! 畜生! ああ、そうだよ!!
俺は最低の奴だよ!
何かも嫌になって、空っぽの人形になって、悪い奴の手先になって!
今度は偶然手に入った力に、のぼせ上がって、復讐して!
その結果がこれだ!
……これ、なんだよ……。
あいつは、俺の偽物は一般人を守って、魔法少女と一緒に大量虐殺を企む邪悪な敵と戦ってるっていうのに。
今になって、ようやく俺は自分の本心に気が付いた。
俺は……ずっとあいつが羨ましかった。
強くて、堂々としてて、常に自分の在り方を突き通すその姿が、眩しくて眩しくて、――悔しかった。
何で、否定の魔法が使えなくなったのか。
それも今なら理由がはっきりと理解できる。
俺が、強いあいつの姿を見て、弱い俺自身を否定したくてしょうがなかったからだ。
結局のところ、自分で自分を見限ってたんだ。
……何が自分のできることを、だよ。何が自分の弱さと向き合う、だよ!
都合の良いことばっか並べて、一番自分の姿を見ようとしてなかった。
鏡を見ることに、怯えてたんだ。
涙も出ない心の底で、ひたすらに自分の情けなさを
もう、遅いのに。取り返しなんか付かないのに。
ごめんなさい、ヌルオさん……。
すみません、みかづき荘の皆……。
俺は……口だけの、何にもできない、『中途半端』の中沢でした……。
更に意識が闇の中へ引きずり込まれるのが分かる。
融けていく。崩れていく。意識が薄く、消えていく。
何かを考える時間はもう残されていない。
だから、頼む。頼むよ。
暗闇の世界で唯一、輝くモニターに祈る。
偽物の、コピーの俺。
正反対で、真逆で、まったく俺とは違う俺。
──どうか、皆を。俺が傷付けてしまった、大切な人たちを救ってくれ。
──……勝って、くれ。本物の、『顔無し手品師』……────。