光が穏やかに収束して、視界が正常に戻ってくる。
コロシアムの中央には『悲憤のアルベド』だけ立っていた。
逆沢さんの姿はどこにもない。
「はあっ……はあっ……」
息が苦しくて、頭が真っ白になる。
きっと、これは夢だ。
手に持ったアルちゃんを抱き締めた。
「はあっ……はあっ……」
悪い夢。
すぐに、
そうに決まってる。
ですよね、逆沢さん……?
「はあっ……はあっ……」
戻ったはずの視界が歪む。目頭が熱い。
顔から流れ落ちるこの温かな水滴は何?
視線の先の『悲憤のアルベド』の姿が激しく、歪む。
……違う。
涙のせいじゃない。
本当に歪んでいる。
歪んだ人型が、
「僕は……ぼくは……ぼかくぁああああぁあぁあぁあぁぁああぁあぁあぁああぁぁぁぁぁ!?」
反響する叫び。揺れ動く身体から、縦に開かれる。
歪な粘土細工のような姿になった中心から、飛び出してきたのは黒いテールコート。
澱んだ白を穿つ純粋な黒。
それを見て、理解してしまった。
「逆沢さん……じゃ、ない」
もう、彼がこの世のどこにも居ないって事実を。
飛び出した勢いで前転し、手品師衣装の少年は体勢を立て直す。
中分けの前髪が揺れ、魔力から生成した黒いトンファーを
彼はこちらを一瞬だけ見上げ、それから申し訳なさそうな表情を浮かべてから、視線を断った。
不定形に脈動するソレが、響き渡る声を流す。
『何の真似だ! 魔女の操り人形に成り下がって、僕の力に溺れていた君が、今更魔法少女の味方にでもなったつもりなのか!?』
「……本当にそうだよな。返す言葉がないよ。俺はどうしようもないカス野郎で、この場に立つ資格もない負け犬だ」
あの人とはそっくりなのに、どこまでも卑屈で、どこまでも頼りなく、どこまでも情けない声と顔で答える。
「それでもアイツに任せてもらったんだ。俺より強くて、ブレない、カッコいい『本物』に後を託されたんだよ……だから」
トンファーのグリップを強く握り込み、姿勢を前傾に屈ませる。
「──あんたは俺が倒す」
頼りない表情なのに、瞳だけは強い意思を感じさせた。
『ほざくな!』
グニャリと不定形の身体が一際たわんだ。
腕とも前脚とも呼べない出来損ないの太い触手が、中沢さんを貫こうと伸びる。
「もう肉体の形成もままならないんだな。分かるよ。さっきまで俺はあんたの一部だったから」
触手を紙一重で
それだけで身体が
『……誰の期待からも逃げていた癖に!』
白い魔力球が十個以上、彼の周囲に出現する。
「そうだな。その点、あんたは凄いよ。誰にも応援されなくたって、ずっと望まれた通り、ひたむきに頑張ってたんだ。尊敬するよ。逃げてばっかの俺には到底真似できやしない」
片方のトンファーが黒布に変わり、魔力球に押し潰される寸前に姿を消した。
いつの間にか、『悲憤のアルベド』の真上を跳ねていた一枚のコインがクルクルと回る。
『……っ!!』
「充分役目を果たしたんだ。もう終わりにしよう」
落下する金のコインから中沢さんが、逆さまに飛び出す。
右手に握った黒いトンファーが、重力を伴って打ち放たれた。
自身の身体を鉄槌代わりに『悲憤のアルベド』へ叩き付ける。
「いくら魔法少女から疎まれようとも、それでも自分の在り方を曲げなかったあんたを……俺だけは認めるよ」
『……ぼくは……みんな、を、しあわせに……』
「──『リジェクト』」
最後の声を掻き消すように、静かに中沢さんが
形を失い、消滅していく澱んだ白い魔力を、その中心で見送った。
その瞳には敵を見るような苛烈さはなく、ひたすらに物悲しそうな目をしていた。
そこに扇子を持ったポニーテールの魔法少女と、大きな盾を構えた半透明の魔法少女が駆け寄る。
「中沢君! 元に戻ったんだね!」
「心配してました……」
「すいません。心配おかけしてました。色々謝りたいとこ山々なんですが……まだ解決しておかないとまずいこと残ってますよね」
頭を下げて頼りなく笑ってから、表情を戻して上を見上げる。
視線は最上段に居る私ではなく、空を舞う鳥の魔女へと投げかけられていた。
そうだ。
魔女になってしまったいろはさん……!
今までは『悲憤のアルベド』との戦いを静観していたけれど、彼女が魔女だということは一目瞭然だった。
「中沢さん! あの魔女は……」
慌てて説明しようとするけど、中沢さんは片手でそれを留める。
「大丈夫だ、佐鳥さん。ちゃんと見てたから。えーと……環さんって呼んでいいんですかー? 俺のこと、分かりますー?」
『kasuyarou』
鳥の魔女はそれに応じるように独特な声を上げる。
「駄目だ。何言ってるのか、全然分からない……。でも、呼びかけに反応したってことは、こっちの言葉は通じるっぽいな」
ちょっと考え込んだそぶりをした後、中沢さんは再度呼びかける。
「下に降りて来てくれませんかー? そろそろ、この空間消えると思うんでー」
『wakatta gomi』
……今最後に“ゴミ”って聞こえた気がする。
きっと気のせいだ。あの穏和ないろはさんがそんなこと言うはずない。
鳥の魔女、いや、魔女のいろはさんはコロシアムの中央にゆっくりと舞い降りる。
『koredemanzokunano gomi』
「ありがとうございます。やっぱり言葉、分かってるんですね!」
中沢さんは言うことを聞いてもらえたことに無邪気に喜んでいる。
だけど、また最後に“ゴミ”って……。いや、多分、語尾につける単語がそう聞こえるだけだ。
“です”とか“ます”とか、そういう単語なんだろう。
「いろは!」
「お姉ちゃん!!」
やちよさんやういちゃんたちも駆け付けたのを見て、私を含めた段上に居る魔法少女たちも倒れている宮尾さんたちを運び、全員が中央へ降りた。
全員が集まると、コロシアムが次第に薄くなって景色が変わり始める。
蜃気楼のようにあの白く濁った空間が消え去る。
代わりに見えてきたのは、薄暗い瓦礫が散らばる屋内。
天井に開いた大きな穴から光が差し込み、ちょうど真下に座る魔女のいろはさんを照らしている。
「お姉ちゃんが、魔女に……」
「そんな、いろはが……」
ういちゃんは目に涙を溜め、やちよさんは下唇を噛み締める。
他の魔法少女たちも、皆一様に鎮痛な面持ちで魔女になったいろはさんを見つめていた。
当たり前だ。
魔女は魔法少女の成れの果て。
今は魔法少女としての意識がまだ残ってるのかもしれないけど、それだっていつまで持つのか分からない。
それはつまり、彼女たちがいろはさんを殺さなければいけないということ……。
重苦しい雰囲気の中、一人だけ表情すら平然としている中沢さんが肩を回す。
「それじゃあ、ちょっと『リジェクト』で戻るか試しますね」
……はい?
私以外の全員は彼の発言を理解できなかったようで、言葉を失っていた。
「そんなこと、できるんですか?」
「分からない。でも、ドッペルやウワサは剥がせたし、肉体だけ魔女になってたういちゃんは戻せたから、試す価値はあると思うんだ」
戻せる確証は何もないらしい。
それなのに、どこか中沢さんは落ち着いていた。
まるで、それは──。
「……俺さ。『悲憤のアルベド』と身体を共有してた時のこと、ぼんやりとだけど覚えてるんだよ」
「え? じゃあ、以前私を殺そうとしたこととかも……」
「覚えてますゴメンナサイっ! ……いや、そうだけど、違くて。倒れる前の環さんは魔女の意識が表に出てただろ? だから、普通の魔女化と違うと思うんだよ。それに、まだ環さんと肉体のリンクが切れてないみたいだし」
「あっ!」
色んなことがあり過ぎて、すっかり忘れていた。
確かにあの時のいろはさんは魔女の意識で戦っていた。
「でも、肉体のリンクが切れてないって、いろはさんのソウルジェムは砕けたはず……」
「だから、魔女の環さんが肉体から剥がれないよう、繋げてくれてたんだ。ドッペル融合体と同じように魔力の内側に生身の身体を収納してさ」
そう言う訳で結構勝算ある気がするんだよ、と彼は言う。
その姿が──逆沢さんと重なった。
「もし、助けられなかったら……」
「その時は俺が人殺しになるだけの話だ。……皆が止めてくれなかったら、とっくにそうなってた。これは恩返しなんだ」
中沢さんは、本気でそう思っている。
いろはさんを殺してしまうとしても、自分がやるしかないって、そう考えてる。
それなら、私が口を出していいことじゃない。
ただ肉親であるういちゃんだけは、話が違う。
視線で彼女を促すと、おずおずと中沢さんに近付いた。
「中沢さん……」
「うん」
「信じて、いいですか? ……期待しても、いいんですか?」
震える声と、今にも涙が
それを真っ直ぐに見つめて、中沢さんは言った。
「こんな俺にまだ期待してくれるなら、応えてみせるよ」
そこに、あの時ういちゃんを怒鳴り付け、傷付けていた情けない人は居なかった。
右手に握ったトンファーを引くように構え、魔女のいろはさんへ一歩踏み込む。
捻るように突き出した一撃には、鬼気迫る感情が込められていた。
「『リジェクト』っ!!」
凝縮された魔力の打撃が、魔女の巨体を震わせる。
熱された氷のように、異形の身体が解けていく。
透けて見えた中に、いろはさんの姿があった。
グラリと揺れた身体を、ういちゃんが走り寄って抱き留める。
「お姉ちゃん! お姉ちゃんっ! 目を開けて!」
抱き締められた姿勢で膝を突いたいろはさんの身体が、大きく揺さぶられた。
全員が言葉を忘れて、見守る中、ゆっくりと
「お姉ちゃん! 私が、分かる?」
「うい……? あれ、なんで私、まだ生きてるの?」
「お姉ちゃん! 良かった、本当に良かった!」
「いろはっ!」
「しぶといな、コイツ〜!」
「凄い。ホント奇跡! 奇跡だよ、これ」
「うっう、良かった、です……本当に」
感極まるみかづき荘の皆さんと、対照的に怪訝な顔を浮かべるななかさんと、このはさん。
少しだけ、その様子が気になったものの、水を刺すようなことはできず、私は
……誰も、この戦いで命を落とした逆沢さんの話題に触れようともしないことに、煮えたぎる憤りを隠しながら。
アルちゃんを強く抱き締め、感情に重たい蓋をする。
そうして、私はピースの欠けたハッピーエンドを祝福した。
これで第二章は終了です。
次回、第三章が始まります。