外伝 緋色の掌握
革靴が硬質な床を叩く音が響く。進む度、視界の中でコートの赤い裾が僅かに揺れた。
数える気もなくなるほどの階段を下り、気の遠くなるほど段差を踏み続けている。
やっぱり一人で来て良かった。
とてもあの子たちを、付き合わせる気にはならない。
気の長い方だと自負していたが、変わり映えのしない景色の移動は
「さて、そろそろ最深部に届いてもいいはずなんだが……お」
階段が終わり、床が広く繋がっている。
散々通ってきたから雰囲気で判断できた。ここは途中階ではなさそうだ。
フロアへ降り立ち、奥へ進む。
見えてきたのは、巨大な黄緑色の壁。
いや、半円状のドームと言った方が正確か。
淡く発光するハニカムタイルのようなパーツで組み合わされたそれは人工的でありながら、神秘的とも呼べた。
「魔力で形成された障壁……。差し詰め、最深部を閉ざす結界といったところかな」
鏡の魔女が防衛のために生み出したものではない。
むしろ、逆の意図を感じる。
そう、この先にあるものを封じておくための仕掛けだ。
黄緑色の結界に触れる。内側にソウルジェムの魔力を感じた。
これを作り上げた魔法少女だろうか? 魔力の反応からして大分弱っている。
意識を失っているのか、こちらに反応する様子はない。このまま放置すれば、魔女化は免れないだろう。
だが、これならまだ間に合う。
「……『
結界の中に居る魔法少女のソウルジェムを
魔力のラインを経由して固有魔法の内容から、彼女の記憶、感情、あらゆる情報を瞬時に読み取る。
「結界の生成。アリナ・グレイ。マギウスの翼。……そうか、彼女が神浜に“ウワサ”を撒いて、魔法少女を集めた首謀者の一人か」
掌握した魔法を行使して、黄緑色の結界を解除する。
魔力の粒子に戻った壁の内側でうつ伏せに倒れる少女、アリナを抱き上げた。
ぐったりと力の抜けた身体に、焼け爛れた背中、口の端からは血の雫が
ソウルジェムは無事とはいえ、重症だろう。ここまで損傷は、治癒の固有魔法を持つ魔法少女でもなければ危険域だ。
魔力を流して彼女の傷を癒しながら、私は当初の目的を果たすために奥へ進んだ。
一枚の扉の前までやって来るが、両腕が塞がっているため、仕方なく足で蹴破る。品行方正に育てた娘には見せられない所業だ。
アリナを抱き上げたまま、扉を壊して中へ入る。
想像していたよりも、ずっと広い空間だった。
何もない漆黒だけが広がる場所。その中心にそれは存在していた。
「うぅっ……」
意識が戻る程度には回復したようで、アリナは私の腕の中で目を開く。
「ここは……。っ!? 鏡の魔女!」
「そうだよ。あれが鏡の魔女。果てなしのミラーズの主。そして…… 魔法少女という
幾本にも捩れた蔦の中央に、左右対称の横顔を合わせのようなある種芸術的とも呼べる姿。
鏡屋敷の奥に潜み、魔法少女の到来を拒んでいた魔女がそこに居た。
「魔法少女の、軛? アナタは……」
「私は里見太助。君たちマギウスからすれば、『魔法少女 その希望と絶望』の著書と言った方が通りがいいかもしれないね」
「っ! 灯花がハブしてたマニュスクリプトの……!」
「う、ん? ……ああ! “持っていた原稿”ってことか」
あらかじめ、彼女の記憶を読んで、口調を予習していなければ、分からなかっただろう。
……最近会えていない娘がこんな奇怪な口調になっていたら、パパは絶対会話に付いていけない。
「魔女のアサルトが来る!」
「アサル……何が来るって。……ああ、攻撃か。それなら問題ない」
鏡の魔女の守るように、ライフルを持った押し絵のような使い魔がずらりと並び、僅かにタイミングをずらした一斉射撃を行う。
発射された無数の弾丸へまとめて『掌握の魔法』をかけた。
弾丸は私たちを逸れて
熟して割れた果実のように、頭が弾けて崩れていく銃士の使い魔を眺めつつ、アリナをその場に降ろした。
狙い澄ますように鏡の魔女へ人差し指と中指を向けた。
慌てふためき、逃げ出そうとするその姿に向けて、一言だけ
「……『ホールド』」
赤い袖が照準にして、魔法を放つ。
その瞬間、逃げ出そうとしていた鏡の魔女の動きが停止した。
アリナが、信じられないものを目撃したように言葉を漏らす。
「魔法……それも……」
「『銀羽根』上条恭介が使っていた魔法を、何故私が使えるのか。それが疑問のようだね。ああ、いいとも。答えよう」
彼女が話し出すと理解に時間を要するため、先回りして早口で返答する。
しかし、何から話せばいいものだろうか。
やはりここは、私がこの力を手に入れた経緯から話すべきか。
思い返せば、あの時からだ。
私が後戻りすることができなくなったのは──。
「私はつい数日前まで実の兄に監禁されていた」
「ホワッツ? ストーリーの流れがパーフェクトにミッシングなんだケド……?」
***
『太助。いい加減、諦めたらどうなんだ』
里見メディカルセンターの特別病棟。
面会はもちろん、末端の医師や看護師は近付くことすら許されない隔離された病棟。
その個室に私は監禁されていた。
患者衣を着せられ、清潔なベッドに腰を下ろし、
密閉された静寂の病室へ、スピーカーから流れる兄の声だけが空々しく響いた。
『魔法少女なんてものは存在しないんだ。諦めて、その下らない本の製作も止めろ。これ以上、身内に恥を晒すな』
諦める、か……。
その方がいいかもしれない。
諦念が脳裏を過ぎる。
魔法少女の存在を証明できないからではない。
兄の権力で自由を奪われているからでもない。
魔法少女を救う手立てが、どこにもないからだ。
民俗学を調べる内に、私は“魔法少女”を知った。
人類史の大きな転換点や革命期には、必ずと言っていいほど不釣り合いなほど幼い『少女』が関わっていた。
十代後半の若さでフランスを救ったオルレアンの聖女、ジャンヌ・ダルク。
『魏志倭人伝』に記された十三歳で
歴史を掘り返せば、あり得ない若さと能力を持つ『少女』たちの存在があった。
それが“魔法少女”。
そうして、調査を進める内に、魔法少女の辿る陰惨な運命を知った。
私は現代の魔法少女や、古の文献や残された歴史的資料から、彼女たちを救う方法を模索した。
同時に疑問に思った。
何故、これほどまでに人類史に大きく影響を及ぼす彼女たちの正体が表沙汰にならないのか。
何故、彼女たち自身が正体を隠すことを当然のように振る舞っているのか。
何故、魔法少女の身に起きる不自然な死に、一般人は関心を持たず放置しているのか。
答えは、──世界がそうなるように仕組まれているから。
因果律や歴史の流れが魔法少女の存在を世間から隠し、彼女たちの犠牲の上で維持されているから。
……そうとしか思えない。
その因果や流れに逆らおうとすれば、理解し難いような悲劇の連鎖が起きてしまう。
まるで、負のご都合主義のようだ。
魔法少女を救おうとした者は、例外なくこの悲劇に突き落とされる。
今の私の現状もその因果からのしっぺ返しを受けている。
私の兄は、冷静で公正な人間だった。
断じて、身内の恥だという理由で、弟を監禁し、意思をねじ曲げようとする人物ではなかった。
何か、大きな宇宙の法則のようなものが作用して、兄にこのような仕打ちをさせている。
ならば、私一人が
決して、折れないつもりだった。
決して、曲げない覚悟だった。
だが、もうそれもここまでだ。
……魔法少女は、救えない。
目を背け続けていた結論を出し、兄へ──いや、この状況を作り出した大いなる法則へ敗北宣言をする。
その選択をしようとした時だった。
天井をすり抜けて、緋色の羽根が一枚舞い降りてきた。
無風の部屋で揺れながら、私の手のひらに落ちる。
触れた瞬間、羽根から神浜で起きた一連の事件とその顛末。
そして、私が得た“
それから先は、語るほどのことのことはない。
手に入れた魔法で、特別病棟から脱出しただけの話だ。
私を慕う魔法少女たちとも連絡を取り、魔法少女救済の計画を企てた。
***
「と、こういった経緯で、私は果てなしのミラーズに居る。何か質問は?」
アリナに尋ねると、彼女は短い沈黙の後に言った。
「経緯はアンダースタンしたケド、アナタのプランっていうのは?」
「世界に魔法少女を認知させる。決して隠蔽できない方法で、彼女たちの存在を歴史に焼き付けてね」
「アメイジング! ……魔法少女のパートナーはもうリクルートしてない?」
「元マギウスとしてのノウハウも頂けるなら喜んで。手付金代わりにこれを渡しておこう」
緋色のナポレオンコートのポケットから、グリーフシードを一つ取り出し、彼女に渡す。
欠けていた最後のピースは揃った。
後は、実行していくだけだ。
私は諦めることを、諦めた。