突然部屋に現れたキュゥべえの提案に、私は思わず口を突いて出た問い。
「何でも……叶うの?」
『そうだよ。どんな願いでも一つだけ叶えられる。何だって構わない。さあ、君の願いを言ってごらん』
私の願い……。
叶えたい祈り……。
たった一つだけある。
だけど。
──あ い し て ん ぜ。
彼の最期の微笑みと、音のない世界で贈られた言葉が、私の脳裏に焼き付いている。
あの時、私たちの
その感情を他の誰かに触られるなんて、絶対に嫌だ。
私と逆沢さんの
「ううん、言わないよ。私の願いは誰かに頼んで叶えてもらうものじゃないから」
まして、エネルギーを回収するためだけに消費されるなんて我慢できない。
『本当にいいのかい? ボクならあの使い魔の少年を……』
「キュゥべえ。あなたには分からないかもしれないけど、逆沢さんはあなたの手を借りて蘇るくらいなら死んだ方がマシだって言う人なんだよ」
それだけは間違いない。
自分の在り方に誰よりも誇りを持っていた彼なら、「あんなビー玉野郎の手なんざ借りてんじゃねー!」って怒鳴り散らかすはずだ。
逆沢さんに嫌われるような真似だけはしたくない。
「あなたのおかげで分かった。……私が一番許せないのは、彼の在り方を汚されることなんだって。だから、あなたに叶えてほしい願いは一つもないの」
『ボクには訳が分からないよ。願いが叶うならそれに越した事はないだろうに。でも、それなら叶えてほしい願いができるまで待つとするよ』
想像していたより、あっさりと引いてくれたキュゥべえを意外に思っていると、その反応を察してか答えてくれた。
『前に出会った時より、かごめの魔法少女としての素養が何故か格段に増しているようだからね。もう少し待てば更に増える可能性がある。君たちに分かり易い例えを出すなら、果実が熟れるまで収穫を待つようなものだよ』
ボクが必要になったらいつでも呼んでくれればいいよ。そう言い残して、キュゥべえは窓の隙間から出て行く。
それはつまり、キュゥべえは常に近くで私を見張っているということだ。
ずっと監視されているのは嫌だけど、考えようによっては利点かもしれない。
キュゥべえにとって、私が魔法少女にならずに命を落とすことが一番のリスク。
私の命が危険になれば、素養の増大なんて気にせず、契約を持ちかけてくるはず。
願い事の内容を“危機の打開”にすれば、絶対絶命の状況を必ず一度だけひっくり返す切り札になる。
……今はもう誰かに頼りたくない。
誰かに頼って、その結果で誰かが居なくなることも。
何より、頼った誰かを恨んでしまうのなら──。
誰かが選んだ結末に納得ができないのなら──。
私はもう、誰にも頼らない。
***
三週間にも満たない短い期間だったけど、逆沢さんとの過ごした時間は私の中で色濃く根付いていた。
だからなのかもしれない。放課後に足を運んだ場所は、彼と初めて出会った“鏡屋敷”だった。
あの時の私は、どれほど危険な領域なのかも知らずとも、おっかなびっくり踏み込んだ。
でも、今は違う。
命を落とす危険を承知の上で、屋敷の中へ平然と侵入する。
度胸が付いたというより、どこか死に対する忌避感が麻痺してしまったんだろう。
恐怖よりも、衝動に駆られて動いてる。そう言い表した方が正しい。
「……?」
違和感があった。
前に来た時と比べて妙に薄暗い。
照明もなく、辛うじて窓から差し込む夕陽だけが光源になっているのだから、こちらの方が自然と言える。
だけど、ここは鏡屋敷。鏡の魔女の結界に繋がる場所。
魔力による発光が、屋内を照らしていないのは変だ。
暗がりに目が慣れ、玄関から先のエントランスの中央には階段が見えてくる。
階段の上の踊り場。そこに設置された大きな姿見。
やっぱり、魔力の光が出てない……。
慎重に階段を上がった私はその姿見へと顔を寄せて、まじまじと覗き込む。
そして、気付く。
「! 鏡がないっ!?」
姿見は中身がなく、背の部分が丸見えだった。
鏡面だけが抉り取られたように消失している。
周囲を見渡しても、鏡の破片はどこにも見つからない。
……割られた訳じゃない。
だとしたら、取り除かれた? もしくは
思考を巡らせようとした時、踊り場の片隅で何かが動いた。
『lisrlihv;moslk……』
それは一枚の紙を咥えたアリクイのような生き物。
前に一度だけ見たことがある。鏡の魔女の使い魔だ。
警戒して
背中に生えていた小さなテーブルやコーヒーカップの飾りがない。
それどころか、首の周りだけ黒い毛皮は毛先が乱れ、身体のあちこちに穴が開いている。
「怪我、してるの……?」
そう問いかけると、小刻みに身体を揺らしながら、口に咥えた紙を私への方へ差し出してくる。
少しだけ
その途端、アリクイの使い魔は崩れて、魔力の粒に変わる。
限界を迎えていたんだ……。
最後の力を振り絞って、誰かにこの紙を渡すためにどうにか形を保っていた、私にはそんな風に感じられた。
紙へ目を通す。
文字は日本語ではあったものの、相変わらず漢字とひらがなとカタガナが混在していて酷く読み辛い。
攫ワれタ
ッれてカレた
ご主ジン 箱 入レられ
サま 二 タ
ゆキさキ スイ族かン
聞コえた カミはマ
書かれた内容は行も列もメチャクチャな乱文。
でも、一つ一つの意味は何とか読み取ることができる。
後は順番を入れ替えれば、解読することはそう難しくなさそうだ。
そう思ったのも束の間、紙の端が粒子状に分解されて消え始めた。
「えっ、えっ、嘘。そんな……!」
部屋の暗さと
漢字読み書きの十分間テストだって、もう少し余裕があるのに!
途中で並び替えを諦めて、単語の暗記に切り換える。
「連れてかれた、ご主人、箱、入れられ、さま、に、た、行き先……ああっ!」
時間にして一分ほどで紙は、綺麗さっぱり消えてなくなる。
未練がましく手元を握ったり開いたりするけど、当然消滅した紙は戻って来ない。
夕陽が落ちたみたいで、すっかり暗くなった踊り場で溜め息を吐いた。
仕方ない。せめて頭の中に残っている内容だけでも
“ご主人”っていうのは鏡の魔女のこと、だよね? “連れてかれた、箱、入れられ”……箱に入れられて連れてかれた? いやいや、ワンちゃんとかネコちゃんじゃないんだから、それはないような。あ、でも、魔力で作られた特別な箱の可能性もあるのかな……。
足元もほとんど見えない中、階段から転がり落ちないようにゆっくりと降りていく。
“行き先”。そうだ、その先が重要だったのに。漢字が混じってた。確か……そう『族』って文字。
族……家族、民族、暴走族……うーん。なんだかどれもしっくり来ない。それに場所でも、施設でもない。
階段を降りきって、正面の扉を開けて、屋敷の外へ出る。
「族が付く、場所……施設……」
「ほーん。ほなら『水族館』とか、どうや?」
「あ! それだ……え」
聞こえた単語が探していた内容と合致する。
そして、独り言の
鏡屋敷の敷地内に誰かが居る。
日が暮れて、街灯と月明かりの逆光から一歩出て、その人物は顔を見せた。
眼鏡をかけた
知らない人だ。少なくとも私には見覚えはない。
「初めまして。私はリヴィア・メディロスっちゅう
「あ、こ、これはどうも、ご丁寧に。私は佐鳥かごめ、です。……出張『調整屋』?」
最近聞いた単語だ。
そう、確か、このはさんのお
だとすると、リヴィアさんも魔法少女?
「みたまさんの仲間の方ですか?」
「ああ、みたまのこと知ってるん? そんなら話は早いわ。私はあの子の師匠……いや、破門したから元師匠か。まあ、そんな仲や」
「リヴィアさんも、魔法少女なんですか?」
「まあな。もう少女っちゅう歳でもないけど。それより、さっきのアレ。クロスワードでもやってた訳やないやろ?」
尋ねられて、私は口を閉ざす。
どこまで話していいんだろう……。
魔法少女と一口に言っても、そのスタンスが一人一人異なることは嫌でも思い知らされた。
鏡の魔女やみことさんに恨みを持つ魔法少女なら、使い魔から聞いた内容を話すことで私が襲われる可能性もある。
「ええて、ええて。そんな
「何を、ですか?」
「今、空に浮かんどるモン。アンタには何に見える?」
空に浮かんでいる物?
質問の意図がよく分からず、私は空を
すっかり夜の
「……?」
別段何もおかしな点はない、ように思えた。
あるとすれば、月が明る過ぎる。
街灯や、少し離れた場所から伸びる高層ビルの灯りよりも、
よく見れば模様もない。
月には黒い模様が入っていて、日本ではそれがウサギの形に見えるというのは有名な話だ。
でも。
「あれは……」
濃淡があって、輪のように中心だけが濃い金色に輝いている。
「……瞳? 誰かの、目……」
「ッ……」
強烈な熱のような何かが視界を通して、私の中に流れ込んでくる感覚が──。
「そこまでにしとき」
開いたままの目に影が差し込む。
手で両目を覆われたと感じたのは、視界から入る情報が遮断されてから一拍置いた後のことだった。
「かごめちゃん。アンタは“目ぇが合った”んやな?」
「リ、ヴィアさん……あれは……」
「この世界の外側から見てる大きな存在。
神様……?
そんな存在、本当に居る訳が……。
そう口にしようとして、ふと気が付く。
「“アンタは”ってことは、リヴィアさんには……」
「もう合わへんよ。今の私には普通のお月さんに見える。他の魔法少女にも聞いても同じやった。けど、あれがただの月やないってこと、私は知っとんねん」
少しずつ私の顔からリヴィアさんの手が離れる。
いつの間にかすぐ近くに居た彼女は、私の瞳を覗き込んだ。
「ずっと神さまが何を見とんのか変わらんかった。だから、少し
少しだけ憐れむように、少しだけ妬むようにリヴィアさんは私を見つめる。
「私は『違う』言われた。なら、
「何を言ってるんですか? 私にはよく分かりません……」
私がそう答えると、彼女はパッと離れてから、一転してあっけらかんとした態度に変わった。
「せやろな。だから話さへん。そん代わり、
返事も聞かずにリヴィアさんは敷地内から出て行き、背中で私を
戸惑いはあるものの、私はそれに続く。
少し歩いた先に、トレーラーを積んだ大型の車両が停まっているのが見えてくる。
リヴィアさんがクルリと振り向き、親指で背後の車両を指し示した。
「乗りぃや。夜の水族館ツアーとしゃれ