私は見ていた。
教授の描いた魔法少女のための理想が砕け散る様を。
私は聞いていた。
教授の抱いた魔法少女のための希望が
新生ワルプルギス計画の要だった鏡の魔女の半身、瀬奈みことは目の前で消滅した。
白い衣装の顔無し手品師のコインを受け、淡い魔力の光となって
銀色のコインは硬い音を立てて落ち、転がった先にあったハニワに似たぬいぐるみにコツンとぶつかって崩れるように消える。
あの奇妙な外観のぬいぐるみは……確か、佐鳥かごめが持っていたもの。
「あ、あ……ああああああああああああああぁぁぁっ!!」
「教授!?」
初めて見る
「教授! 大丈夫ですか!」
すぐに駆け寄って呼びかけるが、反応はない。
瀬奈みことが消えた場所を眺めたまま、空気が抜けたような声で呟く。
「ラビ……」
「はい。ここに居ります」
「早く、一刻も早く皆を連れて……私から逃げてくれ。もう、
「教授……、ッ!!」
教授が身に
鮮やかだった色合いは、瞬間的に焼け落ちていく鉄のような、乾き始めた血液のような色に変化を遂げた。
この色は……本来の“銀羽根のウワサのカケラ”が持つ魔力の色!
教授の強い精神力で抑えられていた力の根源が、彼の感情に反応して増大したというの!?
「全員、私に乗って!」
仲間にそう告げるや否や、私も教授から授かった魔力で身体を包み、“擬似魔女”へと変身する。
アステカ文明の壁画に描かかれるような、戯画された巨鳥の姿へと変化させた。
うららが先に私の身体へ跳び乗り、両手のヨーヨーを旭たちへ伸ばす。
旭はそれに掴まり、未だ意識の戻らないサーシャは身体を巻き取るようにして固定してみせた。
彼女が二人を私の背中まで引き上げた事を確認して、上へと羽ばたく。
異空間化した影響か、原型となった水族館よりも天井が高くなっている事が幸いした。可能な限り、通路内の教授から距離を取る。
「ラビさん! 教授がっ……」
うららの声に促され、私は置き去りにした教授の姿を目で追った。
そこに見えたのは、歪な樹木。
だが、枝葉のように見えるものは全て赤黒い翼だ。
濁った血溜まりで染めた鳥の翼を
シルエットとしては化石植物と呼ばれる
「魔法の暴走、でありますか……?」
『恐らくはそう。でも、まだ教授は耐えてくれている』
教授が手に入れた『掌握の魔法』は、マギウスが作り出した“銀羽根”という存在を再現したウワサの断片。
『諦念のルベド』。
その性質は──魔法少女の抹殺。
力を得たその日から、教授は精神を
もしも完全に意識を乗っ取られていたなら、既に私たちは死んでいる。
距離を取ったところで魔力で変容したこの空間に居る以上、魔法の射程圏内。
最後の理性であえて動けない形に変化させたのだろう。
しかし、翼の鱗木は床に根を張り、館内を赤黒い魔力を広げている。
再び、教授が『諦念のルベド』を抑え込むまで、私たちは逃げ延びる必要がある。
「っ! 通路の曲がり角を見てほしいのであります!」
何かを見つけたらしい旭の指示に、私は黙って視線を
通路の端には、裏切り者のアリナ・グレイ。そして、白い衣装の顔無し手品師の姿があった。
教授が掛けていた魔法が解けたのか……。
私たちが離れた隙に、アリナ・グレイ共々曲がり角まで逃げ込んだ様子だった。
「ここで仕留めるであります」
背中から肩の辺りまで踏み出した旭は、銃剣を構えて屈み、狙撃の体勢に入る。
『……待って、旭』
「止めるでありますか?
『そうじゃない。彼らがあそこで足を止めた理由があるはず』
逃げ続けるにはあまりに中途半端な位置。せいぜい、姿を隠すにはあまりにお粗末。
なら、狙いは別にあると考えていい。
そう、例えば……──。
顔無し手品師の衣装の色が、白から黒に変わる。
そして、黒い布を作り出し、床に広げて敷いてみせた。
アリナ・グレイと顔無し手品師はほぼ同時に敷かれた布へ飛び込む。
まるで四角く切り取られた穴に沈むかのように姿を消した。
やはり睨んだ通り、最初に使った転移魔法!
私は飛行速度を上げて、黒布へと落下するように突き進む。
一瞬の暗転。
飛び出た先には、開けた場所。
夜空の下にまばらに点いたポール灯……館外の屋外スペースだ。
大きく旋回して、アーチ状の入場ゲートに脚の爪を掛けて留まる。
先に出ていた両名の反応は、極めて対照的だった。
「……裏切り者をジャッジメントってワケ? アリナ的にはしつこいのはノーセンキュー」
片や、交戦的に立方体の箱を作り出すアリナ・グレイ。
「わわっ。追いかけてきたのか? ま、待った待った。ちょっとタンマ!」
片や、左手をパタパタと
こちらとしても即座に戦う気はない事を説明しようとするが、その前に彼が右手に抱えるぬいぐるみに目が行った。
『そのぬいぐるみは……』
「えっ? ああ、これか。あのままだと無くなるかもしれなかったからさ。俺が拾って来たんだ。……ちゃんと佐鳥さんに返してやらないと駄目だと思って」
指摘されて視線を落とした先には、佐鳥かごめが落としたハニワに似たぬいぐるみ。
先ほどよりも近くで観察すると、頭部に葉のような飾りがある。……もしかすると、実はハニワではなかった……? いや、
『佐鳥かごめの姿が見えないけど、彼女は無事?』
「無事……だと思う。だよな? グレイさん」
私の問いに、顔無し手品師は曖昧な返事をしてから、アリナ・グレイを話を回した。
アリナ・グレイは見せびらかすように、発光する緑の立方体を手のひらに乗せて
「ピュアガールはこのアトリエの中。欲しいならアリナをキルしてテイク・アウェイするしかないケド?」
挑発……? いや、ブラフだろうか。
既に背中に張り付いている旭やうららは、いつでも強襲できるよう
念話での合図一つで彼女から、箱を取り上げる事は
だけど、それは無意味な行いだ。
『彼女を生贄にする計画は、既に破綻した。もう私たちが佐鳥かごめを狙う理由はない』
そう伝えると、アリナ・グレイは人差し指を上げ、背後で秘密裏に作り上げていた無数の立方体を魔力に
ちょうど前方からは見えない位置で、悟らせないよう迎撃用に立方体を生成したらしい。流石は元マギウス……抜け目がない。
そして、用意したそれを自ら消す事で戦闘の意思がない事を示すと同時に、この程度の準備には時間は必要ないという度量と実力を見せ付ける。
一見、滅裂な行動に見えて、なかなかに計算高い動き。理屈で行っているのか、感性からの行動かは判別できないが、魔法少女を束ねていただけの事はある。
……それに引き換え──。
「え? グレイさん、箱を作ったり消したり、何してるんだ?」
顔無し手品師の方は、一連の駆け引きがまったく理解できていない様子だった。
薄々は分かっていたものの、強い力を得ただけの愚鈍な人間なのだろう。
根本的に周囲を取り巻く状況を理解する速度がワンテンポ遅い。彼が並の魔法少女レベルの強さであれば、とうの昔に
けれど、それをわざわざ指摘してあげるほどの好意も義理もない。
『……単刀直入に言う。教授の力が暴走している。教授が抑え込んでいる内に、私たちはそれを止める
「それってつまり……ここで俺たちを秒殺する、って言ってる?」
『……さっさと帰れ、と言っている!』
話の流れが分かっていないなら、口を挟まないでほしい。
柄にもなく、本気で
しゅん、となった彼は申し訳なさそうに
相手にするだけ時間の無駄だと悟った私は、アリナ・グレイにだけ告げる。
『あなたの裏切りについて言及するつもりはない。何処へなりとも好きに行けばいい』
「ラビさん! それは……」
「異議ありであります!」
背中に居るうららと旭が不服を申し立てるが、状況がそれを許さない。
私は断固として、宣言した。
『思うところがあるとしても、今は教授を元に戻す事を優先する。よって、アリナ・グレイの裏切りは不問とする』
小競り合いに時間を
心情的には、納得できなくても今は飲み込む他にない。
「……オーケー。なら、アリナはこのままゴー・ホームさせてもらうカラ。ハーフアセッドボーイ、さっさとフォロミーして」
こちらの内心を知ってか知らずか、アリナ・グレイは悠々と私が留まる入場ゲートを潜って園内から去って行く。
旭は最後まで銃口を向けていたが、彼女は振り返る素振りも見せなかった。
「ハ、ハーフアセッド……? それ、俺のことですか? ど、どういう意味……」
その後を腰巾着のように顔無し手品師が追いかけるように続く。
だが、彼は途中で立ち止まり、顔を見上げて私をじっと見つめた。
『……まだ何か?』
「えっと、これは俺が言うべき台詞でもないんだろうけど……本当に助けがほしかったら頼ってくれ。これ、俺の電話番号……」
『不要なものを受け取るつもりはない。まして
「そう、か……うん。そうだよな。ごめん」
差し出し掛けたメモを引っ込めて、彼は目を伏せた。
それから何も言わずに、アリナ・グレイの後を続いてゲートを潜る。
そう。私たちに必要なのは教授ただ一人。
夜の闇の、ポール灯に照らされた水族館を見据える。
──待っていてください。教授。
必ず、私があなたを元に戻してみせます。
心の中でそう独り