閉じた
ピントが合わず、未だぼやけた視界に映ったのは覗き込む誰かの顔。
「……だ、れ?」
逆光になっているのもあって、顔がまったく分からない。
「──あっは!」
……あっは?
妙に高い笑い声をあげたかと思うと、誰かは私の顔に両手を伸ばした。
ギョッとして硬直する私を誰かは持ち上げた。……持ち上げた?
自分が置かれた状況に理解が及ばないまま、誰かは私を持ち上げていき、彼女の頭上よりも高い位置で止める。
髪と同色の瞳は大きくて、浮かべている無邪気そうな笑みと相まって、幼い印象があった。
それよりも、彼女と対比で気付いたことがある。
──私、縮んでる!?
赤ちゃんが高い高いをされるみたいに、軽々と彼女の両手に持ち上げられていた。
「ヘンテコ人形、
「へ、ヘンテコ人形……?」
「あれあれぇ? あんた、鏡見た事ないのー? すっごいヘンテコだからぁ!」
彼女は片手を被っていた真っ赤な帽子の中に差し込んでゴソゴソと漁り、小さな手鏡を取り出す。
そして、突き付けるように私に見せた。
鏡面に映されていたのは、マンドラゴラの人形、“アルちゃん”だった。
「えっ、あ、アルちゃん!? な、何で私がアルちゃんの姿にっ!?」
「アルちゃん? それがアンタの名前?」
「いや、私は……」
あれ、変だ。私の本当の名前が出て来ない。
覚えてるはずなのに、忘れた訳じゃないのに、何故だかその名前が浮かんで来ない。
まるで私の名前だけが重しでも付けて、意識の底に沈められているみたいだ。
「思い出せない……」
「じゃあ、“アルちゃん”でいいでしょ。あたしはあんたの事、そう呼ぶから」
さらりと決められる。うっ、この強引さ。何だか、逆沢さんを思い起させる。
別に嫌いな名前じゃないので素直に従った。
「うん……。えっと、あなたは?」
何で私がアルちゃんになっているのかは分からないけど、それより目の前の彼女のことを聞いておきたかった。
すると、何故か彼女はキョトンとした表情をする。
「え? あたし? 自分が何者かって言われてもねぇ……まあ、
「えっ」
「つまり、何者でもない者なの。分かる?」
「えっ」
「あっは! テキトーな事言っちゃったー!」
「…………」
……何なんの、この人。
受け答えが意味が分からない上に、自分で言った台詞が笑いのツボに入ったらしくケラケラと笑い出した。
最近、掴みどころのない性格の人たちと出会って来たけど、この人は格が違う。違い過ぎる。
ひとしきり、笑い終えた後、彼女に尋ね直した。
「あの、お名前は……」
すると、意外そうに驚いた顔を浮かべる。
「え? ホントにあたしの事知りたいの?」
「はい」
「まあ、強いて言えば……ってデジャブ!? あっはー!」
「あ、そういうのもういいので」
逆沢さんに似ているのなら、逆沢さん用のコミュニケーションを取るまで。
相手のテンションに合わせず、必要なやり取りを以外を容赦なく流す。
「えっ、案外やるじゃん。……名前、言わなきゃダメ?」
「あ、いえ、本当に言いたくないなら、あだ名とかニックネームでも……」
「や、別に本名でいいけど」
……本当に何なの?
世界には言葉を交わすだけでこんなに精神力を持っていかれる人が居るんだなぁ……。勉強になるなぁ……。
疲れた心がどこかに遠く行きそうになっていた時、彼女が名乗る。
「あたしはねー、
「サラサ、ハンナ……。えっ。ええええぇぇ!!?」
この人が更紗帆奈!?
みことさんの親友で、ななかさんやこのはさんたちに恨まれているっていう、あの更紗帆奈さん……!?
でも、彼女は……もう。
「死んだって、聞きましたけど」
そう。それに大東区の共同墓地にお墓だってちゃんとあった。
「あっは! 残念だったね! トリックだよぉー!」
「トリック……!」
自分の死を偽装したって事? あのお墓も?
認識を誤認させる魔法……。みことさんは暗示の魔法を持っていた。
この人も、もしかして魔法で何かしたのか。
「えっ、まじめに考えてる? 今のは古い映画のネタだから。特に意味とかないからぁ、あっは!」
「…………」
疲れるなぁ……この人との会話。
逆沢さんとみことさんを足して、十を掛けたらこんな感じなんだろうか。
「まあ、この際、あたしが死んだかどうかなんてどーでもいいよ。今を生きてこーよ。今を」
「……そうですね」
はぐらかしたってことは、名前と違って本当に言いたくない事柄なんだろう。
本人が嫌がっているなら、無理やり聞き出そうとは思わない。
「帆奈さんは、ここがどこだか分かりますか?」
持ち上げられているから、周囲の景気が見渡せる。
辺り一面は花畑。花の形や大きさはそれぞれ違うのに、花弁の色だけが示し合わせたように同じ色をしている。
美しいけれど、どこか奇妙でなぜだか不安になるような、そんな花畑だった。
「どこだかって……花畑じゃない?」
「いや、そうじゃなくて……」
一目見て分かる情報じゃなくて、この場所がどういう場所なのか知ってるかを聞きたかったんだけど……。
帆奈さんも詳しく知っているようには思えない。
「とりあえずさ、一緒に進んでみない? 流れ的にさぁ、探索してこー! おー!」
「お、おー……」
確かにここで考えていたって仕方がない。
この姿だと自由に動き回ることもできそうにないので、連れて行ってくれるならありがたかった。
帆奈さんに正面で抱き締められて、私たちは花畑を探索する。
ただ移動しながら、ふと思ったことを彼女に尋ねた。
「あの帆奈さん。どうして私があなたのことを知っているのかとか、気にならないんですか?」
「べっつにー。あたしとしては特に気にならないけど、話したいなら話していーよ。でも、面白くなかったらぁ、シカトするからね。あっは!」
聞いてはくれる、ということらしい。
私は無視される覚悟で話を始める。
鏡屋敷で使い魔に襲われて、色々あった末、一時期みことさんが私の頭の中に居たこと。
帆奈さんを憎む魔法少女たちにみことさん共々付け狙われて、襲われて、その理由を聞かされたこと。
みことさんに殺されかけたこと。
それから……みことさんと本当の友達になれたこと。
他にも話したいことは色々あったけど、それは帆奈さんの話とは関係ないので省略した。
「ふーん。あんたと瀬奈が友達ねー。全然タイプ違く見えるけど。でも、馬鹿だよねぇ! 瀬奈に無理やり巻き込まれただけなのに、わざわざ
「危険な目にあったことは否定しませんけど。でもそれは私が自分で決めて、自分で選んだことですから。……みことさんのこと、よく知らないのに何もかも悪いって言われるのが嫌だったんです」
でも、今思えばそれは、ただの……──。
「あっは! それって“偽善”ってヤツなんじゃない? 一方的に傷付けられて憎んでる側からすれば、傷付けた連中がどんな性格してて、どんな風に考えてたとかキョーミないよ、フツー」
ケラケラと
その通りだと思った。
傷付けられた側から見れば、傷付けた側の言い分なんてどうでもいい。
本当はそんなことをしたくなかったとか、やむを得ない理由があったとか、そんなことは関係ないんだ。
何があったって、許せないものは許せないのだから。
……私自身がそうであるように。
「人格だけになった瀬奈はさ、何もかも台無しにしてやろうって考えてた。最後は全部絶望で終わるならこんな世界何もかもメチャクチャに壊しちゃおうって。悪いヤツだよ。悪役だよ。色んなヤツの人生をドロドロに壊してきたあたしよりも下手したらヤバい、キングオブ悪だよ」
「それでも……それでも私にとっては友達なんです! 居なくなった方が良かったって思われるのは
神浜を滅ぼそうとしていたことは知っている。
私を殺そうとしたこともあった。
でも、私の話を聞いてくれた。
私の感情を分かち合ってくれた。
私の命を守ろうとしてくれた。
……それを知らない人が、みことさんを定義付けしてほしくない。
悪だなんて一言で終わらせてほしくない。
「……あっはっはー。それじゃあ、アルちゃんも“ヴィラン”だねー」
「ヴィラン、って何ですか?」
「悪役の事。それも物語で最後には倒されなくっちゃいけないとびきりワッル~いヤツ」
そうかもしれない。
みことさんを単なる悪で片付ける人たちが、正義の側に居るのなら、私は喜んでその向こう側に立つ。
正しさよりも、友達の味方である方はずっと、ずっといい。
「それでみことさんの味方だって胸を張って言えるなら、私は
そう答えると彼女は少しだけ困ったような声で
「……言われた方は、こんな感じだったのかな……?」
「帆奈さん?」
「ん~? 何でもなーい。あ、なんか、あそこに妙なものある」
その言葉に私は、前方へ視線を送る。
見つけたのは、本当の妙なもの。
花畑の中にあるポツンと置かれた扉。
建物がある訳じゃなく、本当に扉だけが無意味にそこへ立っている。
ファンタジーな絵本か、チグハグな夢の中のような光景だった。
「入ってみる? てか、入る以外にないよねー?」
「そうですね。他はずっと花畑が広がってるだけみたいですし」
帆奈さんがドアノブを回すと、ガチャリと硬い音がして、扉が開かれる。
まだ潜り抜ける前なのに、勝手に扉の枠が大きくなったかと思えば、ブワッと風が吹き抜けた。
真っ白な光が広がった次の瞬間には、花畑は消えていた。