北養区の山中にあるという、常に満開の花を咲き誇らせる桜の木。
万年桜のウワサ。
欠片となった“銀羽根のウワサ”を除けば、唯一神浜に残されたウワサと呼べる存在。
巨木に背中を預けて
清涼な純白のワンピース。頭に小動物のような耳がある白い髪の美しい少女。
今までにも綺麗な女の子は大勢見てきたけれど、彼女の
絵画の中から抜け出してきたような儚げな姿は、まさしくこの世のものとは思えない。
陶器のような美麗な唇が開き、私たちへ言葉を
「|ちわっす|」
ミステリアスな美少女から放たれるには、あまりにもフランクな
「あ。桜子さん、久しぶり」
私の隣に居た中沢さんとは面識があるようで、片手を挙げて挨拶を返す。
その瞬間、桜子さんと呼ばれた彼女の目が鈍く光った気がした。
静かに
「へ?」
「あ……」
右腕に飛び付いたかと思うと、すぐさま上腕部を自分の両脚で挟んで固定し、同時に親指を空に向かせる形で中沢さんの手首を掴んで、自身の身体に密着させる。
バランスを崩した中沢さんが仰向けに転倒するや否や、即座に肘関節を可動域と逆方向に
「ぐぎゃああああああっ!?」
気が付けば、桜子さんの
……な、何をしているの?
「さ、桜子さん! なぜぇっ!?」
無表情で彼の肘関節を破壊しようとしている桜子さんは淡々と答える。
「|話は聞いてる。中沢はいろはを殺そうとした、と|」
「いやっ! 違うんです! それはっ! 理由がぁ、あったんですぅ!」
「|問答無用。桜子さんに言い訳は通用しない|」
「たっ、助けてぇっ! 俺の肘が! 俺の肘がぁ!」
「えっと……そのくらいで許してあげてもらえませんか? 中沢さん、痛がってますし……」
流石にこれ以上は見ていられないので、私は彼女を止めに入る。
多少なりとも今ので溜飲が下がったらしく、桜子さんは中沢さんから離れてくれた。
「酷いですよ……桜子さん。いきなり腕折ろうとするなんて……」
「|私は酷くない。酷いのはいろはを殺そうとした中沢の方|」
「うう……。反論し辛い……。でも、あの時の俺は正気じゃなかったんですよぅ。信じてくださいって」
腕を押さえて、さめざめと泣く中沢さん。
しかし、桜子さんの態度に変化はなく、表情こそ
「|中沢は、いろはと私の期待を裏切った。その罪は重い。具体的には最近増え始めたみふゆの体重くらい、重い|」
「私まで引き合いに出さないでください! っていうか、何で知っているんですか!」
文句と共に車椅子を押して、桜の裏から現れたのは、
やちよさんの幼馴染にして、元マギウスの白羽根という地位に居たらしい魔法少女。
そして、彼女が押している近代的なデザインの車椅子に座っているのが……。
「初めまして、だね……佐鳥かごめさん。ぼくは柊ねむ。元マギウスの一人にしてすべての“ウワサ”の創造主だよ」
「こちらこそ、初めまして。あの……すべてのウワサっていうことは、銀羽根のウワサも、あなたが?」
いろはさんから
はぐらかされるかと思っていたけど、ねむちゃんはあっさりと
「あれに関しては調整屋に利用されたのが発端だけど……ぼくが生み出したものに相違ないよ。だからこそ、“銀羽根のウワサの欠片”がその力を発現させた際には密かに桜子を向かわせていた。……桜子、映像出せる?」
「|もち|」
「その軽薄な言葉遣いは一体どこで覚えて……いや、それでは頼むよ」
桜子さんの自由過ぎる物言いは、ねむちゃんが意図したものではないらしく、やや困惑気味に指示を出す。
すると、桜の花弁が淡く発光を始め、空中にモニター画面を出現させた。
表示されている映像は、3枚の……“羽根”。
黒い“羽根”。
白い“羽根”。
そして、赤い“羽根”。
「銀羽根のウワサの欠片。それぞれがこの街に飛散して、潜伏していた。……そこから先は実際に相対したあなたの方が知っているだろう。かごめさん」
「……はい」
まさらさんに憑りついた『哀憐のニグレド』。
中沢さんを乗っ取った『悲憤のアルベド』。
最後の羽根は──里見さんが手に入れていた。
ねむちゃんがまたゆっくりと口を開く。
「欠片は各々が本物の“銀羽根”が持っていた魔法を持っていたはずだ。『腐敗の魔法』、『融合の魔法』、『掌握の魔法』……。中でも最も厄介な魔法が『掌握の魔法』が残ってしまった。すべての魔力を強制的に支配下に置くことのできる絶対の力が」
私は自分の喉に触れ、水族館での記憶を思い起こす。
『それでも人類は知るべきなんだ。魔女の存在を。歴史の陰で看取られる事なく搾取され死んでいった魔法少女を』
『私の目的はね、かごめさん……。全世界に魔女の存在を知らしめる事だ』
そのために最悪の魔女を作り上げて、この世界に記録させる。
あのとても正気とは思えない計画と共に、私を絞め殺そうとした里見さんの顔を……。
「それは、里見さんのことを……」
「里見教授についてはアリナから聞いたよ。彼の残した書籍から恩恵を受けた一人としては……複雑な気分だ。でも、現在『掌握の魔法』を利用しているのは彼ではないよ」
「え……?」
ねむちゃんの発言に私は思わず、聞き返す。
彼女は私に答える前に、桜子さんへ目配せをした。
宙に浮いたモニター画面が切り替わる。
映し出されていたのは、褐色の美女──リヴィアさんだった。
「確かに『掌握の魔法』を保持しているのは依然として里見教授だろう。だけど、それを制御化に置いているのは彼女……リヴィア・メディロスだ。彼女は“銀羽根のウワサ”の創造にも関わってる。どの段階で企んでいたのかは不明だけど、この状況のイニシアティブを握っているのは彼女と見ていい」
「リヴィアさんが……?」
思い返せば、私をあの水族館に誘導したのはリヴィアさんだった。
だけど、あくまで里見さんの協力者という立ち位置だったはずだ。
モニターの映像が再度、変わる。
そこには、でたらめに羽根が生えた樹木のようなオブジェが映っていた。
「これは……木?」
「アリナの記憶の中で見た里見教授の姿だよ。“銀羽根のウワサ”に人格汚染を押さえ付けていた反動での暴走と……ぼくは見ている。ウワサとしての性質を──“魔法少女への殺戮衝動”を抑えながら、大勢の魔法少女と行動を共にしていたことを考慮すれば、己の精神力だけで抑え込んでいた事は驚嘆に
異形の樹木へと姿を変えられた里見さんを見て、複雑な感情が胸の中に湧き上がってくる。
敵意はある。
憎しみもある。
それでも、あまりにも報われない人だったと感じてしまう。
選んだ手段が度を越して破滅的だったとはいえ、魔法少女が誰にも知られずに魔女になることを
「助けて、あげられないの……?」
表情に乏しいながら、ねむちゃんの目が僅かに大きくなる。
「……意外な反応だね。魔法少女でもないあなたは里見教授へ悪感情しかないと思っていたんだけど」
「恨みや憎しみがない、とは言わないよ。実際、殺されかけた訳だし……それでも、こんな姿になっていい気味だなんて思えない。里見さんは私にとって敵だったけど、邪悪じゃなかった」
目的のために私を殺そうとしたけれど、それでも彼なりの誠実さを感じた。
最悪の魔女を生み出すために、みことさんを絶望させたいのなら、それこそリヴィアさんが言っていたようにみことさんを操って、私を殺させることもできた。
そうじゃなくても、魔法を使って私を殺した方が遥かに楽だったはずだ。
それでも、わざわざ自分の手で殺そうとしたのは、殺人という残酷な行いから目を背けないためだったと思う。
ねむちゃんは、私の言葉を聞いた後に言った。
「どう説得するべきか考えていたけど、これなら話は簡単だ」
「どういう意味?」
「リヴィア・メディロスが何を企んでいるのかまでは分からない。でも、その計画の中心に里見教授の『掌握の魔法』に据えている事は間違いない。そこでぼくたちは、彼を今の状態から助けようと考えていた」
「里見さんを助ける方法があるの?」
「ある……と断言したいところだけど、それは
「……彼女?」
ねむちゃんに聞き返すと、車椅子の脇に付いた袋をゴソゴソと漁り、黄緑色の箱を取り出して私に見せる。
立方体の箱よりも、そのケミカルな明るい黄緑色に見覚えがあった。
水族館で水槽に張られていた障壁だ。鏡屋敷の奥でも同じ色の壁を見たことがある。
「アリナの魔法だよ。彼女は結界を作れる。そして、その内側に色んなものを収納できる」
ねむちゃんが箱を草の上に置くと、黄緑色の箱は解けるように消え、代わりに横たわった一人の少女が現れる。
……縄で両手両足を縛られて、口周りを布で覆われた状態で。
「おわあああああああああああああああ! 思いっきり拉致された被害者だぁぁぁ!!」
私の隣で口を挟むタイミングを掴めずに、視線だけを
感想としてはほとんど同じだけど、ビックリするから急に叫ばないでほしい。