ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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前回のあらすじ
ヌルオと上条恭介の合体魔法によって、記憶ミュージアムを根城にするウワサの本体、記憶キュレーターは見事倒されたのであった。


【第一部】第二章
第十九話『中沢君と名も無き思い出』①


 これは俺が語るある短い記録の物語。

 これは俺の知るある僅かな魔法の物語。

 次に(つづ)るのは、夢で見た世界の話だ。

 夢と言ってもただの夢ではなかった。

 俺にとって誰よりも尊敬する人の(はかな)い追憶。

 そこで初めて、彼の本当の名前を知ったのだ。

 

 

 ***

 

 

 ここは現実世界じゃない。

 そう断言できるのは俺のよく知る場所が、俺の見たことのないほどまで崩壊しているからだ。

 見滝原市。

 少し前まで住んでいた、生まれ育った街の名前。

 だが、俺の視界に映るのは無残な瓦礫(がれき)と化していく建物、風になぶられ根元からへし折られる街路樹、罅が入り水没する道路。

 知っていた街並みは、以前と比べる気も起きないほど荒廃していた。

 絶え間なく雨を垂れ流す暗雲の中心に、豪奢(ごうしゃ)な紺色のドレスを着たマネキンを逆さまにして、尋常ではない大きさに巨大化させたようなものが浮かんでいる。

 惨状を引き起こしたそれは、楽しくて仕方ないとでもいうかのように、耳障りな笑い声に似た叫びを暴風と共に周囲に響かせていた。

 ……何だ。これは何なんだ。

 この浮かぶ逆さまの何かはもしかして――魔女、なのか……?

 冗談みたいな大きさで浮かぶそれは、頭部の上半分が切り取られていて、そこから二つの帽子のようなものが生えている。

 極めつけは、スカートの下に飛び出した足代わりの巨大な歯車。

 そこら辺のビルが小さく見えるほどに巨大で、どう少なく見積もっても三百メートルはあった。

 浮遊する超巨大魔女は玉虫色の大きな炎を噴き出し、それを下の方へ撒き散らしていく。

 ……何かに攻撃している?

 意識して見下ろすと、超巨大魔女の遥か下の方で小さな何かが動いていた。

 あれは、魔法少女……?

 空中から眺めるような今の俺の視点からでは心もとないほど小さく映った。

 まさか戦ってるのか? こんな巨大な魔女と?

 数人の魔法少女たちは無謀にも超巨大魔女に攻撃をしかけている。

 その中には見たことのある魔法少女も居た。

 巴マミ。佐倉杏子。

 二人とも俺の中ではあまりいいイメージはないが、それでも彼女は懸命に見滝原を守るため、戦っているように見えた。

 他には見滝原中学校で同じクラスだった美樹さんが魔法少女になって戦っていた。

 彼女も魔法少女だったのかと驚く間もなく、虎くらいのサイズの白い動物に乗った何かがこちらへぐんぐん近付いてくる。

 な、何だ、あれは……!?

 記憶ミュージアムで見たキュゥべえをそのまま二、三メートルくらいに大きくしたもの。

 それが平然と空を飛びながら、こちらに向かって高速で急接近している。

 あれか?

 モキュゥべえが進化して、キュゥべえになって、それがまた更に進化するとこのデカいキュゥべえになるのか!?

 ポケモンでいうところの二段進化って奴なのか!?

 魔法少女たちはそのデカいキュゥべえに向かう攻撃を防いだりして、護衛している。

 庇われ、あるいは援護射撃を受けながら、超巨大魔女へ接近を続けるデカいキュゥべえ。

 その背中には艶のある黒髪の、俺と同じくらいの年頃の少年が掴まっていた。

 見覚えはない。知らない顔だ。

 それなのにその強くこちらを見据える瞳には、何故だか既視感があった。

 何人もの魔法少女たちの協力を受け、とうとう超巨大魔女のすぐ真上まで飛んできたデカいキュゥべえが黒髪の少年へ心配そうな声音で尋ねる。

 

「政夫。……ここまで来たけど、どうするつもりなんだい?」

 

 政夫と呼ばれた彼は答えではなく、感謝を告げた。

 

「ニュゥべえ、今までありがとうね。君もまた僕のもう一羽の〈ツバメ〉だったよ」

 

 とても優しくて、穏やかな声音はこの状況で聞くには、あまりにも儚げに響いた。

 

「政夫、一体何を……」

 

 ニュゥべえと言うらしいデカいキュゥべえは、酷く戸惑った様子で疑問を口にする。

 短いやり取りだけでも彼らの信頼関係が垣間見えた気がした。

 

「後は僕だけの仕事だから、君とはここでお別れだ」

 

 そう言って、彼はニュゥべえの背から飛び降りる。

 何も知らない俺ですら、その行為に声を上げそうになった。

 超巨大魔女の歯車の上に自由落下する“政夫”はどう控えに見ても自殺行為にしか思えない。

 落下をしながら、空中で右手を自分の顔の前に持ってきた彼は、指に(はま)っている指輪を掲げた。

 指輪から姿を現したのは親指の爪くらいの大きさの宝石だった。

 透き通るような澄んだ黒色の宝石。

 大きさも形も違う、けれどその宝石から放たれる光の色は、俺のよく知るものと同じ……。

 

「僕の魔法(ねがい)は魔法の否定」

 

 一瞬にして衣服が魔力によって変化し、黒いテールコートへと変わっていた。

 ふわりとシルクハット落ちて、頭の上にすっぽりと覆い被さり、ソウルジェムが首元の黒い蝶ネクタイの中心部で鈍く輝く。

 白い手袋で覆われた手には、しっかりと黒のステッキが握られていた。

 ヌルオ、さん……。

 その姿は紛れもなく、俺の知る顔無し手品師――ヌルオさんそのものだった。

 ただ一点違う部分は、痛みを堪えるような悲痛な表情がはっきり見えているところだ。

 その表情からは彼が尋常でない苦痛に(さいな)まれていることが(うかが)えた。

 彼は、歯を食い縛って真下に浮かぶ巨大な歯車へと着地する。それと同時にとステッキを振り下ろした。

 ステッキの先端が歯車に触れた瞬間、薄い氷を踏んだ時の如く衝突部分を中心に四方八方亀裂が入る。

 さっきまで魔法少女たちの攻撃ではまともな傷すら付かなかった魔女の外身は――呆気ないほど簡単に砕け散った。

 散った破片は黒い塵のようになり、瞬く間に消滅する。まるで最初からなかったかのように消えていった。

 そこからは超巨大魔女と黒い手品師の一騎打ちが始まった。

 先ほどまでの笑い声とは違う、怒り狂う感情が伝わるほどの叫び声がこだまする。

 

『ァ、アァ――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――』

 

 空気が破けるような、劇場の叫びが(ほとばし)る。

 残っていた瓦礫の窓ガラスが耐えきれずに、完全に砕けて散っていく。

 急速に身体を揺すって、彼を弾き落とす。宙に落ちた彼を狙って玉虫色の火炎を噴きかけた。

 魔法少女たち相手にしていた、散らすための炎とは規模が違う。

 脅威を殲滅(せんめつ)するための炎の大槍が、黒い手品師を燃やし尽くそうとしていた。

 だが、それすら彼は“否定”してみせた。

 

「そんな魔法(もの)は許さないよ」

 

 テールコート付いたポケットから黒い布を引きずり出し、火柱をひらりと被せるように(あお)ぐ。

 黒い布は炎に接触もしていない。

 ただ、彼の方から見えないように覆い隠しただけ。

 しかし、次の瞬間には、玉虫色の火炎は跡形もなく消滅していた。

 ヌルオさんの否定の魔法を誰よりも近くで見ていた俺だから分かる。

 段違いだ……。

 俺の身体を使っていた時とは文字通り次元が違う。

 神浜市のウワサなんて、視界に入れただけで消しかねない。

 これがヌルオさんの……いや、“政夫”さんの本来の魔法なのか。

 玉虫色の火炎を消した後、即座にステッキで追撃を放り込んだ。

 息も吐かせない連撃。明らかにヌルオさんの時よりも動きの切れがいい。

 身体能力だけとっても、俺の身体を使っていた時よりも上だ。

 紺色のドレスにも似た外皮が剥げ落ち、消え失せていく。その下にある大小の歯車もまた同じように砕けて散た。

 恐ろしいほどの速さで、何度も打ち放たれるステッキの殴打。

 (むち)のようにしなる腕からは破裂音さえ聞こえてくる。

 その都度、超巨大魔女は砕け、削られ、体積を徐々に失っていく。

 

『―――――――――――――――――――――――――――っ‼︎』

 

 悲鳴にも似た絶叫が超巨大魔女から吐き出された。

 圧倒的な力を振るって、街を破壊し、魔法少女を蹂躙(じゅうりん)していた大きな魔女は、狩人に追い立てられた獣のような悲痛さを見せていた。

 サイズ比は百五十対一以上。しかし、遥かに矮小な彼の方がビルさえ超える巨体を叩きのめしている。

 

『アア、アアアアアァァァァァァァ――――――――!』

 

 見滝原の空に悠々と浮遊していた超巨大魔女は、彼と逆方向へと身体を揺らして移動した。後退してまで、彼の手から逃れようとし始めたのだ。

 

「逃がさないよ。こっちには時間がないんだ……」

 

 追い迫ろうと、彼が足場を踏みしめ高く跳ぶ。

 優勢に居るはずなのに、その台詞からは焦りが滲んでいた。

 顔色は蒼白になっている。皮肉にもそれが黒いテールコートに()え、より彼の姿を美しくみせた。

 直後にコンクリートやアスファルトの残骸が宙に舞う。

 追跡をしようとしていた彼へと魔女が引き起こしたのだ。瓦礫の鉄槌(てっつい)は今にも振り降ろさんばかりに浮いていた。

 

「なるほどね。それなら僕にも有効だよ」

 

 そうだ。否定の魔法は魔力でできたものしか消せない。

 上条が設置していた鉄筋を消すことができなかったように、街の瓦礫は彼の魔法では消滅させられない。

 弱点とも言える攻撃を受けて、彼はなお不敵に笑った。

 

「でもね、それを浮かしている魔力はやっぱり魔法の一部なんだよ?」

 

 すっとステッキの先端を上にかざし、円を描くようにくるりと回す。

 魔力が消え、持ち上げられていた瓦礫は力を無くしたように元あった場所に落下していった。

 超巨大魔女は自分の攻撃が通用しないことを理解したようで、もはや叫びすら上げない。

 先が二股に分かれた道化師のような帽子は片側が剥げ、身体の方は小さめの歯車が三つ四つ、鈍い動きで回っている。

 満身創痍と言った風情を晒している。かつての迫力はそこにはなく、惨めで弱々しい風貌しか残っていない。

 気が付けば、俺は彼を無心で応援していた。

 あと、少しで勝てる。

 頑張れ!

 勝って、見滝原を守ってくれ!

 魔女のすぐ傍まで接近し、狙いを定め、トドメのステッキを振り上げる。

 それが決まれば、決着が付く。

 その寸前、ごぽりと水気を含んだ何かが零れ出る音がした。

 

 ……え?

 

 唐突に真っ赤な血の塊を吐いた彼は、空中でバランスを崩した。

 ぐらりと(かし)いだ彼の身体は、翼の折れた鳥のように急速に地上へと墜落していく。

 砕けた瓦礫が散乱し、無茶苦茶な形で隆起した地面に激突した。

 受け身も取れた様子もなく、地べたで(うずくま)る彼は、口から途轍(とてつ)もない量の血液を流していた。

 ボロボロの身体で這い蹲って激しく咳き込んでいる。

 どうしたって言うんだ……?

 いや、まさか……。

 『万全に戦えるのは一分程度だって言ってました』。

 二葉さんが前にメモに書いて渡してくれた言葉を思い出す。

 制限時間があるのか……!?

 でも、戦い始めてまだ一分も経ってないだろう!?

 いや、そもそも手品師の姿になってから、ずっと彼は苦しそうだった。

 本当の否定の魔法は、ずっと彼の肉体を(むしば)んでいたっていうのか。

 咳き込みながら何かを呟き、無理やり手足を動かそうと足掻く。

 

「うご、けえええぇぇぇぇぇぇ!」

 

 血を撒きながら叫ぶ。

 それでも手足はピクリとも動く気配はなかった。

 

『―――――――――――アハッ』

 

 今までずっと様子を(うかが)うように浮遊していた超巨大魔女は笑い声を漏らした。

 窮地から一転して好機が到来したことを理解した、抑え切れない喜びが含まれている。

 

『アハハハハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼』

 

 逆さまの姿の魔女は愉悦に満ちた笑い声を上げながら、その場で中空で縦に回ろうと動き出す。

 真下に垂れ下がっていた頭が、上に、上に、どんどん持ち上がっていく。

 何かがヤバいと俺の直感がいっていた。

 よく分からない。だが、あれだけはさせてはいけないことだ。

 多少なりとも魔女やウワサを見てきた俺の磨かれた危機感が騒ぐ。

 早く、どうにかしないと……本当に取り返しのつかないことが起きてしまう……。

 だけど、頼みの綱の手品師は、息も絶え絶えで血の混じった咳を吐いている。

 超巨大魔女は、それを見下ろすように頭を頂点まで上げようとして――いきなり吹き飛ばされた。

 飛来した何かが着弾した瞬間、爆発を起こし、ワルプルギスの夜の巨体を弾き飛ばしたのだ。

 

「魔力で武器を生み出せない魔法少女だった事をこんなに感謝したのは初めてだわ」

 

 俺は何かが飛んできた方向を見る。

 そこにはロケットランチャーを肩に担いだ黒髪ロングヘアの魔法少女が居た。

 さっき戦っていた魔法少女たちの中には居なかった子だ。

 

「暁美……。お前……」

 

「言いたい事は山ほどあると思うけれど、それでも今は」

 

 暁美と呼ばれた魔法少女は傍まで来ると倒れたままの彼へ手を差し伸べる。

 また名前か苗字か分からない名前だ。とりあえず、苗字が判明するまで“暁美さん”と呼ばせてもらうことにする。

 

「貴方を助けに来たわ」

 

「僕に触れれば、お前のソウルジェムも磨り減る。この距離まで近付いているだけでも激痛が走ってるはず……」

 

 ぞっとするような新事実に俺は耳を疑った。

 それが本当だというのなら、彼のこの苦しみの説明も付く。

 ソウルジェムは魂。

 手品師は……政夫さんはずっと、魂を削りながら戦っていたということだ。

 だが、暁美さんはそんな彼の言葉には耳も貸さずにロケットランチャーを捨て、地面に這い蹲っている身体を無理やり引きずり起こした。

 

「っぐ……」

 

 言われた通り、その身体に触れた途端、彼女は苦悶に表情を歪め、小さく呻うめく。

 

「ほら、だから……」

 

「関係、ないわ……貴方はずっとこの痛みを抱えて戦っていたのでしょう?」

 

 暁美さんは肩を貸すように抱くと、そのまま、超巨大魔女の元まで跳躍する。

 その間も彼女の左手に付いた紫色に輝く菱形のソウルジェムが端から粒子にとなって天へ上がっていくのが見えた。

 彼はもう何も言わない。暁美さんもまた口を開かなかった。

 お互いだけが分かる無言の会話。

 最後の足掻きをするように、向かってくる二人に対して超巨大魔女は瓦礫を散弾のように撃ち放った。

 

「暁美。僕を投げろっ!」

 

 ほんの一瞬だけ二人の視線と視線が絡み合う。

 そして、彼女は決断した。

 暁美さんは迷わず、力の限り彼を宙へ放り投げた。

 ステッキを掲げた彼は瓦礫の散弾を浮かす魔力を打ち消しながら、ワルプルギの夜へと突撃していく。

 黒い先端が割れた歯車の隙間に潜り込んだその瞬間――。

 

『――――ァア……』

 

 弱々しい叫びの後、巨大な魔女は跡形もなく、その身を消失させた。

 

「さようなら。僕の……僕らの勝ち、だ」

 

 彼は投げられた勢いのまま、地面へと転がり、大きな瓦礫に背をぶつけてようやく止まった。

 それとほぼ同時に、身に着けていた衣装は見滝原中学校指定の白い制服に変わる。

 ぼんやりと開かれた両目は、明らかに瞳孔が開き過ぎていた。

 彼にはもう世界が見えていない。

 近くの水溜まりを踏みながら暁美さんが駆け寄っていく。

 

「政夫」

 

「な、に……?」

 

 名前を呼ぶ彼女の声に(かす)れた低い声で返す。

 暁美さんはほんの僅かに躊躇(ためら)いを見せた後、言った。

 

「私にはもう……貴方なんて要らないわ」

 

 自分の中の大きな感情を必死で抑えて震える台詞。

 

「私にはもう上条君が居る。貴方よりも優しくて、ハンサムで、ずっと私の事を想ってくれる。だから! ……だから、私は貴方が居なくなっても平気よ。……何も、問題は、ないわ……」

 

 ……上条? この子、上条と付き合ってるのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 何で、そんな酷いことを言うんだ。この女の子は……。

 今にも死にそうな相手に、どうしてそんな暴言が吐けるんだよ……!

 部外者なのも忘れて、俺は暁美さんに対して怒りを感じた。

 二人がどういう関係なのかは知らない。

 それでも、命を懸けて、ボロボロの身体で戦って勝った政夫さんにそんな失礼な言葉を吐いた彼女を許せなかった。

 だけど、言われた当の本人は、優しく微笑んでいた。

 

「そっか……安心、したぁ……」

 

 心から安心しきったような、穏やかな声。

 その言葉は俺の中にあった怒りさえも、一瞬で消してしまう手品のようだった。

 たくさんの魔法少女たちが横たわる彼の下へと集まってくる。

 それでも、既に開ききった瞳孔は、彼女たちの泣き顔を捉えることはなかった。

 俺も泣いていた。

 声も涙も出ないけれど、それでも周りの音が入って来なくなるほどに激しく泣いた。

 彼女たちはその間も何か話していたかもしれない。

 それでも俺の耳には一切入って来なかった。

 ようやく、気持ちが整理した時、視界には見覚えのある少女が一人増えていた。

 彼の身体を掻き抱くようにして、頭を撫でている。

 

「よく頑張ったね。政夫くん」

 

 囁くようなその声には悲しみよりも深い労いと愛情が詰まっているように思えた。

 その少女の名前は鹿目(かなめ)まどか。

 見滝原中学校でのクラスメイトだった子だ。取り分けて目立たないような普通の女の子。

 こんな大人びた(うれ)いのある笑顔を浮かべるような女子だっただろうか……?

 それを見ていると、身体に強烈な浮遊感を感じた。

 上に、上に、どんどん上がっていく。

 気が付けば、俺の意識ははっきりとしていき、自然と目を開けていた。

 

「……あ」

 

 瞳が濡れていた。

 現実でも泣いていたのだと思った時、視界の端に黒ウサギの顔がにゅっと映り込んだ。

 

「気分は平気? ごめんね。少し魔法の出力調整を誤ったかもしれない」

 

 心配そうに聞かれて、重たい思考で記憶を辿る。

 最後に覚えているのは、俺は記憶ミュージアムにある階段の最上階に居た。

 そこで真下から迫る黄色の砲弾を否定の魔法で抑え込もうとして、気を失ったんだ。

 

「ああ、大丈夫……」

 

「本当? 泣いているけど、精神に異常をきたしていない?」

 

「きたしてない、きたしてない」

 

「私たちと比べて、彼には随分と親身に世話を焼くのね」

 

 ヌルオさんに話をしていると、話に割って入って来たのは七海さんだった。

 何故か不服そうな顔でヌルオさんを見つめている。

 あれ……? 何で、ここに七海さんが?

 俺の表情に気付いた七海さんが、少し呆れたように言う。

 

「ここはみかづき荘よ。私が居て、当然でしょう?」

 

「え? 何で、俺が七海さんたちの家に居るんですか?」

 

「何でって……意識を失った貴方を運んできたからよ。あれから丸一日、目を覚まさなかったのよ?」

 

「ええ、ありがとうござ…………やっば、無断外泊じゃん!?」

 

 感謝より何より、親に黙って外泊したことに焦る。

 どうしよう。父さんも母さんもカンカンに怒ってるに決まってる……。

 慌てて、スマートフォンを探すがポケットには入っていない。

 

「あれ? あれぇ? あれぇぇ?」

 

「ああ、中沢君のスマートフォンならここだよ。ご両親から連絡があってね。代わりに七海さんに出てもらったんだ」

 

 枕元に置いてあったスマートフォンをヌルオさんが持ち上げて、渡してくれた。

 そうか。なら、無断ではないのか……。あれ、でも。

 

「パスワードがあったはずじゃ」

 

「それなら僕が解除したよ。ロックパスを誕生日に設定するのは止めておいた方がいいよ」

 

 パスワードはもう少し難しいものを設定しようと思いつつ、ポケットにスマートフォンをしまい込んだ。

 よく考えれば、ヌルオさんの前でパスワードを何度も外しているのだから、抜け目ないこの人がそれを覚えていない訳がない。

 

「ちなみに七海さんはなんて、俺の親に説明したんだ?」

 

「お前たちの息子は預かった。返してほしくば、指定の場所に現金を持って来いと伝えてたよ」

 

「ええええぇぇぇぇ!」

 

 寝てる間に身代金誘拐事件勃発しとる!?

 本気でやったのかと七海さんを見ると、凄い顔で見返された。

 

「……中沢君……貴方、私がそんな電話をかけるとでも本気で思ったの?」

 

 細めた目から滲む『返答によってはただじゃ置かない』という言外の脅しに屈し、首がもげるかと思うほど激しく左右に振った。

 

「思ってません! 思ってませんとも!」

 

「よし……。じゃあ、そこのウサギは後でお仕置きするとして。普通に、貴方の友達の姉の振りをして、泊めてあげてもいいかと尋ねただけよ」

 

 それは普通なのだろうか。

 疑問が口を突きそうになったが、怒らせると怖いので黙っておく。

 

「最初は声のせいか母親だと勘違いされてたよね」

 

 しかし、我らがヌルオさん。

 一切、七海さんに気を遣わない裏話を教えてくれる。

 

「少し遅いけど朝食は作ってあるわ。お腹が空いているのなら、リビングにいらっしゃい」

 

 七海さんはそう言って、ヌルオさんの長い耳を握りしめ、逃がさないように掴んで部屋から出て行く。

 捕まっているヌルオさんはまったく気にも留めず、去り際には「気分が悪かったらもう少し寝ていいんだよー」と言っていた。

 あの人は、ウサギ状態でも強気な態度を欠片も崩さない辺りが凄い。

 起きようとして、ベッドに肘を付けた時、枕の下からぴょこんと白い小動物が這い出てきた。

 

「モキュ」

 

「おお、モキュゥべえ! 無事だったんだな」

 

 心配していたが、案外ちゃっかり逃れて、みかづき荘までやって来ていたようだ。

 それとも七海さんが連れて来てくれたのか? まあ、どっちにしろ、無事で何よりだ。

 床に降りてモキュゥべえを撫でながら、俺はさっき見た夢の内容を思い出す。

 あれは、本当にただの夢なのか……。それとも……。

 思考をまとめようとするが、甲高い鳴き声がそれを邪魔してくる。

 

「モッキュー!」

 

「相変わらず、能天気だな。お前は……」

 

 色々と考える前に七海さんの作ってくれた朝ご飯を頂こう。

 色んなことが起こり過ぎて、少し疲れた。

 俺もこの小動物にならって単純に過ごしてみよう。

 

「もきゅもきゅー」

 

 モキュゥべえの真似をして鳴いてみる。

 

「モッッッキュゥーーーー!」

 

 下手くそな物真似が(かん)に障ったらしく、怒りのこもった声で鳴き、俺に向かって突進してくる。

 

「ええっ、そこまでキレんの!?……だが、見切った!」

 

 所詮は小動物。ウワサの化け物の攻撃すら(かわ)した俺が、そう易々と何でも食らう訳もない。

 だが、モキュゥべえの突進は俺の予想のしない方向へ進化していた。

 

「何!? 空中で回転して軌道を変えたっ!?」

 

 大きな尻尾を動かすことで空中で身を捻りながら、突撃を繰り出してきた。

 回転するモキュゥべえのお尻が避けた俺のこめかみに激突する。

 

「何、その新技!? ぐわぁッ」

 

 本体の軽さとは裏腹に威力のあるヒップアタックによって、ベッドの上へダイブした。

 倒れた俺の背中の上で勝ち誇ったように吠えるモキュゥべえ。

 

「モキュ、モッッキュー!」

 

 アイアムチャンピオンみたいな節を付けて鳴いている。

 何者なんだ、この小動物……。ひょっとしてこいつも人間としての姿があったりするんだろうか。

 そんなことを考えていた俺は、その日、朝ご飯を食べ損なったのだった。

 

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