“政夫”さん、か……。
その名前を頭の片隅に貼り付けたまま、俺はみかづき荘でお昼ご飯をご馳走になっていた。
メニューはチーズとバジルを加えたトマトパスタとコンソメスープ。そして、大皿に乗ったシーザーサラダ。
特にパスタはトマトがあまり得意な俺でも美味いと思える一品だった。
この風味は市販のパスタソースでは出せない味だ。
まったく水っぽくなく、それでいてパサつきもない。モッツァレラチーズとバジルがいい感じでトマトの酸味を引き立てている。
空腹状態ということを差し引いても絶品の料理だ。
だというのに、食卓の雰囲気は暗かった。
シーンと静まり返った食事風景は、食事中のお喋り禁止令が出されていたとしても、違和感があった。
沈黙に耐え切れず、俺は何気ない素振りで口を開く。
「このパスタ、美味しいですね……七海さんが作ってくれたんですか?」
「そうよ」
七海さんは料理に目を落として、短く答えただけだった。
今度は他の人に話を話を振る。
「環さんも美味しいと思うよな?」
「ああ、そうですね。やちよさんの料理はいつも美味しいです……」
「深月ちゃん、トマト好き? 俺、実はあんまり得意じゃなかったんだけど、これは凄く美味しくて」
「……ああ、そうだな」
「二葉さんは……あ、食事中にメモを書かせるのはあれだよな。ごめん」
…………空気が重い。
何だこの状況。お通夜か何かか?
こんな時こそ、明るい由比さんがパーッと元気を振りまいてくれればいいのだが、生憎、食卓には彼女の姿は見当たらない。
時々しかご飯を食べないヌルオさんが居ないのは分かるが、彼女は万々歳でお仕事だろうか。
だから、俺は特に意識せずに彼女たちに尋ねてしまった。
「そういえば、今日は由比さん、居ないんですか?」
例えるなら凍っていた水面にピシリと音を立てて
姿が確認できる全員は俺と目を合わせようともしない。
ひょっとして俺、嫌われてる……?
若干、泣きそうになっていると、ウサギ姿のヌルオさんが器用にリビングの扉を開けて入って来る。
ここぞとばかりに救いを求めて、
「ヌルオさん!」
「どうしたの? そんな出荷寸前に自分の末路を悟った仔牛みたいな目をして」
その例えだと、もうどうやっても助からなくないか、俺。
まあ、そんなことは置いておいて……。
「いや、なんか由比さんが居ないよなって話したら、空気が悪くなって」
「……ああ。あの子ならマギウスの翼に加入したみたいでね。今は居ないよ」
さらっと衝撃の事実を話すヌルオさん。
マギウスの翼って、あのマギウスの翼だよな……?
何でそんなに平然と答えられるんだよ。まだ七海さんたちの反応の方が理解できるくらいだ。
彼はリビングとキッチンの境目にあるカウンターの椅子に跳び乗ると、七海さんに注文を出す。
「パスタ残ってる? あれば、一皿用意してほしい」
「貴方の分ならキッチンに置いてあるわ。それより急に姿を消したりして、一体どこに行っていたの? ……もう、少しチーズが冷えて固まってしまったじゃない」
小言を言いながらも、キッチンへラップされたパスタを取りに行く彼女の姿は少しだけ嬉しそうに見えた。
だが、ヌルオさんは首を横に振って言う。
「いや、僕のじゃなくて“お客様”の分だよ」
「……どういう意味?」
「そのままの意味さ。さあ、入って来て」
眉をひそめた七海さんに彼はまともに取り合わず、リビングの扉の方へ声を掛ける。
すると、一度閉じられた扉が開いて、誰かが気まずそうに入って来た。
「あのー……失礼するでございます」
聞いたことのある妙ちくりんな敬語と共に入室してきたのは、マギウスの翼の白羽根の一人、天音月夜だった。
「貴女は……マギウスの翼のッ!」
七海さんはパスタの皿を片手で持つと、もう片方の手で瞬時に指輪をソウルジェムに変える。
手の中に握られたソウルジェムからは、半分ほど生成された槍が飛び出し、天音月夜の眼前へ突き付けられた。
「ひぃっ……」
彼女は短く悲鳴を上げて、目を白黒させた。
眉間にしわを寄せて睨む七海さんを、ヌルオさんは短い前脚で制す。
「はいそこ、パスタ片手に凄まない。彼女は
「……明槻? どういうこと? 彼女は白羽根の天音月夜でしょう?」
「お友達になったのさ。環さんは知っているよね?」
話を急に振られた環さんは戸惑いつつも、答えた。
「あ、はい。確かご両親が離婚されたということで、その時苗字が変わったらしくて、天音は旧姓だって前に……」
「それは今はどうでもいいことでございます! ……やっぱり付いて来るんじゃなかったでございます」
素直に可哀そうだなと思いならも、俺は状況を静かに見守った。
「まあ、カウンター席に座りなよ。七海さん、パスタをここに。あ、槍はしまっといて」
「何なのよ……まったく」
渋々といった様子で七海さんは、天音月夜が座った椅子の前にパスタを置いた。
カウンターの上に飛び乗ったヌルオさんはラップを剥がすと、いつの間にかキッチンから取ってきたらしいフォークを隣に並べる。
「お昼まだだろう? さあ、召し上がれ」
「あの、お
状況が呑み込めない彼女だったが、釈然としないまま、フォークで一巻きしたパスタを食べると目を輝かせた。
どうやら習い事の最中に無理を言って、連れ出してきたらしい。
どんな説得したのかは充分に想像できるのでいいとして、彼女も彼女でこの状況下で食事を楽しめる辺り、結構図太い性格をしているようだった。
パスタを頬張っている彼女を見ながら、ヌルオさんはさりげなく話を始める。
「食べながらでいいから聞いてほしいんだけど、一つ君にお願いしたいことがあるんだ」
「もむっ。なんれ……何でございますか?」
見た目はお上品な割りに、食べ物を口へ入れた状態で聞き返しかけた。
七海さんの料理の腕のなせる
「僕らをマギウスの翼の
「ぶっ……げほっ、な、何を言ってるのでございますか?」
気管に何か入ったのか、むせ込みながらヌルオさんを見返す。
ヌルオさん……まさか、マギウスの翼に入った由比さんのために、彼女をここへ連れて来たのか。
この場に居る全員が食事も忘れて、彼へと視線を集中させた。
「別におかしな話じゃないだろう? マギウスの翼に入れてほしいってだけだよ。大体、勧誘してきたのはそちらの方だろう?」
「いや、でも、みふゆさんの誘いを断って、記憶ミュージアムを破壊したのはそちらでございますよね?」
天音月夜の言い分はもっともだ。
つい昨日、記憶ミュージアムのウワサを消して、あそこから脱出したばかりで突然の心変わりを受け入れろというのは無理な話だ。
「いや、記憶ミュージアムのウワサを消したのはそっちの上条君だし、破壊して回ったのはそっちの巴さんだろう? 僕らは自分の身を守るために緊急脱出を試みたに過ぎない。違う?」
き、詭弁過ぎる……。
確かに直接ウワサに攻撃を与えたのは上条の腐敗の魔法で、ミュージアムの階段を破壊して回ったのは巴マミという魔法少女なのだが、そもそもヌルオさんを含めた魔法少女たちがマギウスの翼に入ると誘いに乗っていれば、起きなかったことだ。
だからこそ、マギウスの翼に入った鶴乃さんはこの場に居ないのだから。
「え、そ、そうなのでございますか……?」
「そうなのでございます」
ヌルオさんの詭弁に翻弄されて、天音月夜の認識が早くも揺らぎ始めていた。
何て人なんだ……ヌルオさん。絶対詐欺行為に加担しないでくれ。
「と、いう訳で僕らは色々あったけど、マギウスの翼に興味が湧いて、入会させてもらおうと思ってるんだ。だから、そのために本拠地へ連れて行ってよ」
「……でも、上の方に許可を取ってから」
「明槻さん。いや、アカちゃん! ……僕らは友達だろう?」
「アカちゃん!? そ、その呼び方が馬鹿にされている気がするでございますが……」
「僕のことはヌルちゃんと呼んでくれて構わない。お互い、あだ名で呼び合う仲じゃないか。上司を通すだなんて、そんな他人行儀な寂しいこと言わないでよ」
猛烈に距離を詰めにいったー!
唐突なまでのあだ名呼びで、心の距離を凄まじい勢いで詰めていく。
スッと彼女の口元に付いていたトマトソースを前脚で拭うヌルオさん。
「アカちゃん……お願いだよ」
円らな黒い瞳を
チワワすら超える愛くるしさ満点の眼差しに彼女は……。
「ヌルちゃん……。わ、分かったのでございます。私とヌルちゃんの仲でございますものね」
――陥落していた。
物の五分足らずで少女の認識を歪めて、無理難題を快く引き受けさせてみせた。
身元をばらすと脅す訳でも、力づくでいうことを聞かせる訳でもなく、純然たる口先のみで相手をコントロールしてしまったのだ。
否定の魔法とかよりもずっと恐ろしい……。
彼はそれだけ話すと、天音月夜を食事に戻らせてから、僕らの方へと向き直った。
「と、いう訳で君らはマギウスの翼に入ることになりました。運が良ければ、先に入った由比さんとも会えるかもね」
由比さんの名前を聞いて俺は意識を切り替えた。
そうだった。彼女がどんな理由でマギウスの翼に加入したのかは分からない。
ソウルジェムが自分の魂だとか、グリーフシードで浄化しないと魔女化するということだとかを知ったせいなのかもしれない。
でも、それはそうと何の罪もない人を巻き込むような非道な組織に由比さんを入れておくことが正しいなんて到底思えなかった。
それは俺以上にみかづき荘の魔法少女たちも感じたことだろう。
俺はその想いを胸に、残りのパスタを掻き込むように口に入れた。
「ごっ、ふっ……」
そして、盛大にむせた。
***
その後、俺たちは天音月夜から黒羽根のローブを一人一人手渡されていく。
白羽根は勧誘した魔法少女のために、何枚か黒羽根のローブを持っているらしかった。
「えーと、あなたにも……あなた、誰なのでございます!?」
あ、やっぱり俺のことは覚えてないのか。
仮に覚えていたとしてもこの場に居るのは謎だろうけど。
「俺は中沢です。立場としてはヌルオさんの協力者って感じで」
「はあ、ヌルちゃんの協力者……。じゃあ、一応、渡しておくでございます」
もはやヌルちゃん呼びで固定した彼女は、俺の存在に首を傾げつつも、ローブを渡してくれた。
黒羽根のローブは魔力で編みこまれているようで、被った瞬間にそれぞれの背丈に応じて、長さが変わった。
感心している俺を他所に、天音月夜は翼を広げた鳥を簡略化した意匠のペンダントを配る。
「これは?」
「それはホテルフェントホープに入るための鍵のようなものでございます」
天音月夜の話によれば、マギウスの翼の本拠地のテルフェントホープのウワサは移動する拠点なのだという。
入口がいつも時々によって異なるので入るには、マギウスの翼の案内が必要不可欠なのだそうだ。
「つまり、このペンダントがあれば、いつでも拠点に行けるという訳ではないのね」
七海さんの言葉に天音月夜が頷く。
「そうでございます。それと、もしもマギウスを裏切るようなことがあれば、即座にそのペンダントは使用不能になるのでございます」
だから間違っても不用意な真似はしないでほしいと、特に七海さんには念を押した。
リビングで槍を向けられたことを相当根に持っているらしく、何度もヌルオさんに「本当にあの人も連れて行かないといけないのでございますか」と小声で確認を取っていた。
続いて深月ちゃんも彼女に質問をする。
「それより、こんな格好で外をうろついたら目立たないか?」
「そのことなら大丈夫でございます。このマギウスのローブは普通の人間には認識されづらくなるのでございます。こちらから話しかけない限りは、ほとんどの人には気付かれないでございます」
「へぇー。それ、ちょっと便利かもな」
深月ちゃんのその言葉に同感だった。
完全に透明になるよりもある意味使い勝手がいい。
このローブを着た二葉さんの姿はどう見えるのだろうかと思ったが、彼女の透明化は着ているものや手に持ったものにも適応するらしく、相変わらず魔力のない俺には何も見えなかった。
俺はヌルオさんを肩に乗せると、白羽根のローブを纏った天音月夜の指示に従って、他の皆と同じようにみかづき荘から出て行く。
本当に周囲の人たちは俺たちには気付いておらず、堂々と人の
気分してはハロウィンの仮装をしているようで、何だか気恥ずかしい。
誰にも見られていないことだけが僅かな救いだ。
そう思って、しばらく歩いた後、不意に遠くを眺めていると、――目が合った。
明らかにこちらを凝視してくる三人の女の子と目が合ってしまった。
私服姿ではあったが、俺はその子たちの内、二人を知っていた。
一人目は青髪のショートカットの少女、美樹さやか。
二人目はピンク色の髪をツインテールにした少女、鹿目まどか。
二人とも俺の元クラスメイトだ。
普段なら気付けなかったかもしれないが、今朝見た俺の夢の中に出たばかりだったため、はっきりとその姿を見つけることができた。
一緒に居る眼鏡を掛けた黒髪の三つ編みの少女は知らないが、彼女も偶然こちらを見ているだけではないことは感じ取れた。
黒羽根のローブを着た俺たちを視認しているということは即ち、彼女たちもまた魔法少女である可能性が高い。
少なくとも美樹さんは俺の夢の中で魔法少女として超巨大魔女と戦っていた。
やっぱりあれはただの夢じゃなかったのか……?
そんなことを考えていると、肩に乗っていたヌルオさんが語りかけてくる。
「中沢君」
「ヌルオさん、あのさ、あそこの女の子たちって……」
「いや、それより皆、大分先に行っちゃってるよ? このままだと見失うけど大丈夫なの?」
「え!? あ、本当だ」
ローブの集団の背は前の方でどんどん遠ざかって行く。
言われた通り、放っておくと置いていかれそうになっていた。
慌てて、俺は走って彼女たちを追いかけた。
ちょっと目を離していたつもりなのに、既にかなりの距離が開いていた。
魔法少女の身体能力の高さと、俺の思考の遅さを同時に感じさせられる。
やっと追いついた時には彼女たちは、工事中の張り紙がされた『世界の花展』という閉鎖された展示会場へ入って行くところだった。
入り口の周りにはペンダントと同じような図形が書かれたお札が何枚も張られている。
一足遅れで俺もそこへ入ろうとした時、背後から呼び止められた。
「ちょっとそこのアンタ!」
「……へ?」
振り返ると露出の多いマント姿の衣装を着た美樹さんが立っていた。
その後ろにはピンクのファンシーな衣装の鹿目さんと、どこかの制服のような衣装の眼鏡の少女。
分かることは二つ。
三人とも魔法少女であること。
そして、俺に対して決して良い感情を向けていないということ。
「ようやく見つけた。アンタ、マギウスの翼って連中なんでしょ? 私たちをアンタらのアジトに案内してよ」
握られたサーベルのような片刃剣が俺の目の前へ突き付けられた。
銀色に光る切っ先が、その鋭さを視覚情報を通じて、丁寧かつ簡潔に伝えてくれる。
突然のことに気が動転し、俺は彼女たちに向け、小さく両手を上げて引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。
「へ……へへ、へ……」