これは俺が語るある短い記録の物語。
これは俺の知るある僅かな魔法の物語。
新たに
楽しそうに聞こえるかもしれないが、ここには悲しみしかなかった。
俺はこの遊園地ですべてを失うことになる。
思えば、この時まで本当の意味で『絶望』というものを理解していなかった。
本当に、本当に、俺はどこまでも無力でどこまでも愚かだったのだ。
だからこそ……望みが絶たれるという意味をその身を持って味わうことになった。
***
俺は、調整屋『神浜ミレナ座』を訪れていた。
今回は働くためではなく、巴さんのソウルジェムを診察してもらうため、魔法少女たちと一緒に付き添う形での来店だ。
長らくウワサと融合していた彼女を心配そうにしていた鹿目さんたちへ、「じゃあ、調整屋に行って診てもらいませんか?」と提案したのが俺だった。
七海さんは、俺の口から調整屋の名前が出たことを不審に思ったようで問い詰められたが、少しの間、そこで雑用をしていたことを話すと納得してくれた。
パーティションが開き、巴さんと八雲さんが出て来る。
「あの、マミさんは大丈夫なんですか?」
「問題ないわぁ。完全にウワサとの融合は断ち切れてる。これなら後遺症もないでしょうねぇ」
鹿目さんが聞くと、八雲さんは彼女を安心させるそうにそう言った。
俺も一安心をしたが、七海さんだけは険しい顔で八雲さんに詰め寄る。
「随分とウワサと魔法少女の融合にも詳しいようね? この件で貴女もマギウスに協力していたんじゃないの?」
今にも槍を作り出して、突き付けそうな剣幕だ。
確かに八雲さんはマギウスの翼に居た上条とも面識があったが、あくまでも中立を主義としている。
どの組織や集団にも肩入れすることなく、ソウルジェムの調整を行うというのが彼女の行動原理だ。
一週間だが、ここで働いていた俺は知っている。
魔法少女の精神がおかしくなるようなことに協力するような人じゃない。
俺が弁護しようと口を開くが、八雲さんはあっさりと言った。
「協力というほどのものじゃないけれど、調整屋としてソウルジェムの安定化には手を貸したわねぇ」
「えっ、だって……調整屋は中立だって八雲さん言って……」
巴さんをあんな風に洗脳した行為に協力していたなんて、信じられない。
「あらぁ? もちろん中立よ、中沢君。私は報酬をもらって、ソウルジェムの調整をしているだけだもの。何か、おかしいかしら?」
「うっ……」
逆に問われて、俺は二の句が継げなくなる。
そう言われれば、そうなのかもしれない。
ソウルジェムの調整のみを依頼として行っただけなら、肩入れにはならない……のか?
だが、その八雲さんの言葉で七海さんは納得しない。
「詭弁ね。悪意ある行為に加担しておいて、その理屈は通らないわ。巴さんがどうなるのか分かった上で調整したのなら、私はそれを明確な支援行為と見なすわ」
手のひらに握ったソウルジェムから青い槍が飛び出し、八雲さんの顔面へ切っ先が勢いよく伸びる。
鼻先で先端の刃がピタリと止まるが、風圧で彼女の髪がなびいた。
「それはあなたの都合よ、やちよさん」
突き付けられた刃には目もくれず、八雲さんはその先で睨む七海さんの瞳を見つめて微笑んだ。
この場に居るすべての人間が一触即発の空気に動きを止めて、息を潜めた。
こんな時にヌルオさんが居てくれたらと思うが、彼は今、宝石になっていて、声も聞かせてはくれない。
ここは俺が自分の力で何とかしなければ駄目だ。
七海さんを刺激しないように忍び足で、こっそりとバックヤードへ入り込み、
意識を切り替えて、元気よく元の場所に飛び出した。
「ナッゾー! 皆、元気にしてたナゾー? ミレナ座のマスコット、謎沢クンだナゾー! よろしくナッゾー!」
謎沢クンと化した俺に恐怖と羞恥心はない。
例え、ほぼ知り合い全員から、正気を疑うような目で見られたところで決して動じないのだ。
「え……中沢君、よね……? 貴方、一体何の真似を……」
あの七海さんですら俺の行動を理解できずにこちらを向いたまま、固まっている。
良し、今だ! ここで畳みかける!
「謎沢クンは誰の真似でもないオリジナルなマスコットナゾー! そんなことより、ミレナ座で危ないもの出しちゃ駄目ナゾよ。ここは魔法少女の中立地帯。武装による恐喝はご法度ナゾ。もしも気持ちがイライラしてるなら、謎沢クンダンスを見て心を和ませるナゾー!」
中腰で糸巻きをするように両手を身体の前でぐるぐると回し、左右に腰を振り始める。
「ナーゾナゾナゾ! ナーゾナゾナゾ! ザーワザワザワ! ザーワザワザワ!」
テンポよく歌いながら、右へ左へと緩やかに移動して踊る。
踊る。踊る。踊り続ける。
さほど激しくないダンスに見えるが、被り物と着ぐるみの中でやればかなりの重労働。
たちまち、汗が身体中から滲み、呼吸が苦しくなってくる。
当然、動きながらも歌は止める訳には行かないので、上手く息継ぎのタイミングが掴めないとむせてしまう。
「ナゾッ……! ザワッ……! ナッゾザァワッ! (ナッゾザァワッ) ナゾッ……! ザワッ……! ナッゾザァワッ! (ナッゾザァワッ)」
歌が佳境に入ると、片方の腕を交互に斜めに上げて震脚のように脚を広げてポージング。ちなみに一人しか居ないので合いの手も自分で入れている。
これを二回繰り返し、最後の『ナッゾザァワッ!』の部分で身体を捻り、人差し指で頭上を指し示すサタデーナイトフィーバーのポーズで止める。
これが八雲さん……いや、みたまお姉さん考案の“謎沢クンダンス”だ。
振付を覚えるまでみたまお姉さんが家に帰してくれなかったのも、今ではいい思い出に……はなってないな。普通に辛かった。家帰ってから泣いたし。
突如見せられた謎沢クンダンスにより、完全に思考停止した七海さんは数秒経ってからやっと再起動する。
「その……ええと、何……何なの?」
彼女はひたすら困惑して眉を
八雲さんの方はマイペースにぱちぱちと緩やかなテンポで拍手を送っている。
戦意が喪失したことを確認して、息を整えてから話し出た。
「落ち着いたナゾ? ここでみたまお姉さんを脅しても意味はないナゾ。まずは話を聞いてみるナゾ」
「そうね……でも、その語尾は何?」
「この姿の時は語尾を付けないとみたまお姉さん怒るナゾ」
「そうねぇ。間違いなく烈火の如く怒り狂うと思うわぁ」
頼むからこんなことで怒り狂わないでほしい。
彼女の拘りこそ、一番の『謎』だ。前に、妹と一緒に見ていた子供向け番組を思い出して心が癒されるからなどと言っていたが、本当に妹が居るのかも疑わしかった。
八雲さんの発言が適当なのはいつものことなので放置するとして、七海さんを見る。
彼女は溜め息を吐くと、毒気が抜かれた様子で槍をソウルジェムへと戻してくれた。
「冷静ではなかったことは認めるわ。でも、みたまの所業に対する考えは変わってない。マギウスに加担したのだから、私たちも協力しなさい」
「私に何をさせたいのぉ?」
「まずは情報提供よ。鶴乃にも同じことをしたのか。だとしたら、助ける方法は何なのか。すべて吐きなさい」
「うーん。そうねぇ。考えてみたけど、無理な相談ね。私は信用第一の調整屋よ? 守秘義務があるわ」
人差し指を自分の顎に当て、考える素振りを見せたが、すぐににっこり微笑んで要求を断った。
この状況下でその態度を取れるのは流石だと思う。
せっかく感情を落ち着かせた七海さんの怒りのゲージがぐーんと溜まっていくのが見える。
もう謎沢クンダンスでも心穏やかにすることは無理だろう。
しかし、そこで黙っていた巴さんが口を挟んだ。
「それなら、私が知っていることをお話します。意識は朧げだったので、あまりはっきりした内容ではないですけど……」
「助かるわ。中立という言葉を都合よく使う調整屋なんかよりもずっとね」
八雲さんへの当て付けが込められた感謝の言葉でお礼を言う七海さん。
ヌルオさんの影響だろうか。
もっとも、彼ならもっと切れ味のある嫌みを放つだろう。『君の言う中立って奴は、“
巴さんは、自分でも記憶が曖昧なのですがと前置きをしてから、マギウスの翼で居た時のことを語り始めた。
「鶴乃さんって方はサイドテールの魔法少女ですよね。その人なら、私と同じようにウワサと融合させられています」
「やっぱり……。嫌な予感は当たるものね。鶴乃と会って話はしたの?」
「話しかけた記憶はありますが、彼女は私以上にウワサに意識を支配されているようで、会話は成り立ちませんでした。何を聞いても、『キレーションランドへようこそ』としか返してくれなくて」
着ぐるみを着た状態で聞いていた俺は、あの時の巴さんよりも会話が成り立たないと聞いて戦慄する。
碌に会話にならなかったとは言え、それでも巴さんはこちらの言葉を認識して多少歪でも返答することはできた。
だが、話しを聞く限り、由比さんは本人としての自我さえも消されてしまった可能性がある。
「“キレーションランド”……。確か、現地でのウワサと合体するとマギウスのペンダントからは聞こえていたわね。だとするとそこは移転する大東区遊園地跡地のことかしら? そこのウワサと鶴乃は融合した? だとしたら、今どうなっているの?」
「そこまでは分かりません。ただ、ウワサと融合していた時は安らかな気持ちで居たのは覚えています。何の悩みもなく、心が軽くなったような気分でした。鶴乃さんも同じように感じているのかもしれないです」
思い返せば、あの時の巴さんは正常ではなかったが、酔っぱらった人のような喜びに満ちた表情は浮かべていた。
幸せというにはあまりにも歪んでいるが、幸福感はあったのかもしれない。
しかし、七海さんはそれを一言で切って捨てた。
「そんなものはただの逃避よ。麻薬を使って得たような快楽に鶴乃を浸らせて置く訳にはいかないわ」
「……七海さんは強いんですね。多分、その気持ちだと私のような弱い魔法少女の気持ちは分からないかもしれません」
落ち込む巴さんに鹿目さんと美樹さんがすかさず、声を掛ける。
「そんなことないですよ。マミさんはとっても強い魔法少女です」
「そうですよ。たまに落ち込みやすいところがあるだけで弱いなんて言ってたらあたしなんて立場ないですって」
「あなたたち、ありがとう……」
こう言っては何だが、二人とも巴さんの扱いを心得てるように見えてしまう。
もちろん、本心からの言葉だとは思うのだが、どうしても上手い具合に乗せられているような見方をしてしまうのは俺がヌルオさんに毒されてきたからだろうか。
七海さんも七海さんで
「それで、貴女はどうやって融合したウワサから分離したの?」
「それは……よく分かりません。あのヌルオって人の魔法が私のソウルジェムの中に居たウワサを倒してくれたような気がするんですが。ただ、分離したというよりも、混ざっていたウワサだけが取り除かれたような感じでした」
「ソウルジェムの内側にあるものを排除……いえ、“拒絶”かしらねぇ」
「え?」
今まで素知らぬ顔で話を聞いていた八雲さんがぽつりと呟く。
周囲の視線が彼女に向くと、
「魔法を否定する魔法を持つものだけが使える特殊な応用とでも言うべきかしら。そうねぇ、通常の応用である魔法を繋ぐ力が『コネクト』なら、さしずめ、それは『
俺はその言葉にヌルオさんの言葉を思い出す。
『さようなら。僕は
巴さんと融合した神浜聖女と呼ばれるウワサに、彼はそう言って魔法を打ち込んだ。
そうか、あれがリジェクト……。
あれ、待てよ……。
「ちょっと待ってください。八雲さん、否定の魔法のことを何で知ってるんですか?」
「謎沢クン、呼び方と語尾が違うわねぇ」
「……みたまお姉さん、否定の魔法を何で知ってるナゾ?」
「最初に会った時、私に一度
「あ……」
公園で最初に会ったあの時のことか。
そういえば、やたらとヌルオさんの宝石に興味を示していた。
だが、彼女の台詞で更に謎は深まった。
「
八雲さんは宝石の状態のヌルオさんしか知らないはずだ。
ここに来た時の俺はヌルオさんと別れていたし、今だって宝石の姿をしている。
調整で魔法の性質が分かったとしても、ヌルオさんの正体まで知っているのはおかしい。
「ソウルジェムの調整する時に私には流れ込んで来るのよ。その魂の記憶がね。……彼の魂はとても綺麗で美しくて、どこか物悲しかったわ」
それを聞いて、初めて会った時の八雲さんの言葉が頭の中で反響した。
『この宝石の持ち主は、自分にも他人にも厳しくて、なのにやっぱり他人には呆れるほどに優しい人。誰よりも世界や他人が嫌いなのに、そんな嫌いな人たちにも幸せであってほしくて、ずっと自分を削って助けようとしてしまう困った人』
その形容が当てはまる人物像を俺はたった一人だけ知っている。
ヌルオさん……いや、“政夫さん”だ。
あの夢の中の少年は、その身を削り、苦しみながらも街や魔法少女を守ろうとしていた。
八雲さんもまた見たのか、あの壮絶でどうしようもなくやりきれない彼の最期を……。
「今回も会えずじまいねぇ。中沢君が来てくれたから期待していたんだけど」
彼女は悲し気な表情を浮かべ、自分の手のひらに乗せたものをそっと撫でた。
澄み切った黒い卵型の宝石――。
それは紛れもなく、ヌルオさんの宝石だった。
「なッ、いつの間に……か、返してください!」
着ぐるみに着替えた時に気付くべきだった。自分の間抜けさに歯噛みする。
彼女の手からヌルオさんの宝石を取り返そうとするが、伸ばした俺の手は難なく
「こんなにも小さく削れてしまった。また、彼から奪われていく。誰よりも優しい彼は自分を他人に与えてしまうから」
「八雲さん、返してくださいって! それは俺の……!」
「まだ気付かないの? 中沢君。彼の美しい魂は摩耗しつつあることに」
「え……?」
八雲さんは手の中の宝石を見せる。
言葉を受けて、改めて見つめても
ただし、口寄せ神社の後に見た時よりも一回り小さくなっている。
見間違いや気のせいなどではなかった。こうして、他人から指摘されてようやくその事実を受け入れられる。
「このまま、あなたが惜しげもなく彼の魔法を使い続ければ、今度こそ完全に消滅してしまうでしょう」
「そんな……」
「悪いことは言わないわぁ。このまま、彼は私に預けなさい。そうすれば、中沢君は彼を消さずに済む」
「急にそんなことを言われても、俺、納得できないですよ!? ヌルオさんだって、望んでないはず……」
到底受け入れられない八雲さんの言い分に、俺は反論しようとする。
だが、それに対して、彼女は断言した。
「彼を永久に失うことになるわ」
「…………え」
「それでもいいの?」
ヌルオさんが消える? ヌルオさんが失われる?
俺にとって行動の指針であり、人生の先生であり、頼りになる兄のような彼が俺の前から居なくなる?
そんなことは考えられなかった。
考えたくもなかった。
酷い目眩がして、地面が揺れているような錯覚に陥る。
足元がおぼつかなくなり、その場に崩れ落ちて、膝を突いた。
その拍子に被り物が頭から外れて、床を転がる。
音が、色が、認識の外側へ行き、実感が湧いて来ない。
現実感を欠いた思考の中で、その言葉だけが残されていた。
『ヌルオさんが失われる』
頭の中は真っ白になっていた。
それはまるで、彼のイメージカラーである“黒”が取り除かれたかのようだった……。