『いい加減、終われ。もうお前に付き合っている時間はない』
銀の巨人が歪に膨らんだ腕を払う。
羽虫を追い払うような単純な動作だが、膨大な質量を持った物体が速度を伴って動くというだけで凄まじい被害を周囲にもたらした。
薄いクッキーのようにアトラクション施設の屋根は砕け散り、大粒の銀色の飛沫が舞う。
その一滴さえ、子供の人間の頭一つ分の大きさがあった。
「つれないこと言わないでよ。ショーだ何だとその気にさせて、都合が悪くなったらバイバイなんて寂し過ぎるだろう? もっと追いかけてよ、ハニー」
直撃はもちろん、その衝撃の余波と撒き散らされる銀の飛沫に微かでも触れれば即死するだろう。
ひしゃげて融けている施設の一部だった
銀の巨人──レギオンの動きに鈍重さはない。
音もなく振るわれた銀の腕は、瞬く間に辺りを破壊で塗り潰していく。
軽口を吐きながらも、ヌルオさんは紙一重で飛沫を避けて駆け回っている。
……逃げている。
あの強さの権化のようなヌルオさんが、向き合うことすらできず、一方的に逃げている。
その事実に俺は戸惑いを隠せなかった。
俺はなんだかんだで最終的に勝つのはヌルオさんだと思っていた。
いくら上条の方が強くなったと言っても、ヌルオさんが持っている洞察力や機転でひっくり返せると信じていた。
だけど、そんな希望は打ち砕かれた。
追いかけて来るレギオンは、地面に転がっている魔女の残骸を取り込みながら体積を拡大し続けている。
巨大になればなるほど同時に圧迫感が増し、攻撃も苛烈になっていく。
既にその大きさは最初に見た時の二倍以上に膨れあがっていた。
魔女を食らい、成長する銀の魔王。
それが今の上条だ。
『下らない戯言はもうたくさんだ。ワルプルギスの夜が来る前に消えてなくなれ』
初撃よりも遥かに鋭さを持った銀の腕が、ヌルオさんを叩き落とそうと振るわれる。
辛うじて身を
ステージアトラクション施設での銀の群れが可愛く思えるほど、隙間なく空間を塗り潰している。
もはや津波だ。
布を生み出して防ぐヌルオさんだったが、上条の『融合の魔法』は彼の『否定の魔法』でも消滅させ切れず、両者とも形を失って崩壊した。
本体から分離したほんの一部の魔力さえも、否定の魔法と相殺できるほどの強度。
ここまで来ると、ただただ理不尽としか言えない。
更に魔女の残骸を踏み締めた足から捕食し、より巨大により禍々しく成長を続けるレギオン。
こんなもの、どうやっても勝てっこない……。
何度目かになる絶望が俺の脳裏を過ぎる。
「……そろそろ、頃合いかな?」
だが、ヌルオさんの呟きには恐怖も諦めも含んでいなかった。
その台詞に疑問を抱いた俺だったが、視界の端に映り込む異変に意識が持って行かれる。
荒れ狂う暴風を纏い、暗雲から巨大な何かが緩やかに降下していた。
逆さまのドレス。
先が二股に分かれた帽子。
目鼻のない、白くのっぺりとした顔。
裾が揺れる度に内側から飛び出た歯車がゆっくりと回っている。
見たことがあった。
あれは──俺が見た夢の中で見滝原を襲った超巨大魔女。
その巨大な姿がキレーションランドの外壁の近くまで寄って来ている。
同じようにそれを目撃した上条が焦ったように口走った。
『ワルプルギスの夜……! くっ、予定よりも下降速度が速い。いや、邪魔者の排除に時間を掛け過ぎたか』
ワルプルギスの夜だって……?
あれが……。あの超巨大魔女こそが……“ワルプルギスの夜”だったのか。
夢で見た時は上空からの視点だったからあまり感じなかったが、下から見上げると想像以上の迫力に圧倒される。
『猶予はない。完全なる計画遂行のためにも消え失せろ、顔無し手品師!』
レギオンの巨体から新たに四本の腕が生え、計六本となった銀腕がヌルオさんへ向けて構えられる。
まだ更に強くなるとでもいうのか……。
冗談じゃないぞ……。今だってギリギリで凌いでいるっていうのに、これ以上はいくらヌルオさんでもどうしようもない!
もしも俺の意識が外に形として出ていれば、引きつった表情で青ざめていただろう。
「おかしいとは思わなかった? それとも融合して取り込んだ魔女の穢れで知能指数まで落ちたの?」
だというのに当のヌルオさんは平然と煽るような発言で挑発する。
『……時間稼ぎのつもりか?』
「どうしてその速さと力を持ってしても僕を仕留めきれないのか、知りたくない?」
『…………』
押し黙った上条を肯定と受け取った彼は話し出す。
「と言っても、別に僕が何かした訳じゃない。原因はまあ……食べ過ぎってとこさ」
クスリと小馬鹿にするように笑ってから、内容を詳しく言及した。
「十体、二十体ならまだしも五十近く取り込めばいくら魔力のキャパシティがある君でもその制御にリソースが割りさかれる。その結果、最大の武器だった精密性、ひいては空間把握能力の低下を招いた。あんな巨大なワルプルギスの夜の接近にすら気付けなかったのがその証拠だよ」
……そうか! さっき口に出した“頃合い”っていうのはワルプルギスの夜のことじゃなかったのか。
逃げ回っていたのは、レギオンにより多くの魔女の残骸を融合させるためだった。
「負の感情エネルギーの塊と自分を魔力を媒介にして繋がってるんだ。穢れの嵐に
『それでも……。それでも、お前には僕を倒せない。お前の魔法は消しゴムと同じだ。自分の許容量を超える魔力は消失できない』
意趣返しのつもりなのか、上条はヌルオさんへそう返す。
それは事実だ。否定の魔法は絶対無敵なものじゃない。
融合の魔法と相殺し合っている時点で明らかなことだった。
ヌルオさんはその台詞に対して、軽く顎を引いて肯定した。
「まあね。でも、君に勝つ必要はないんだよ。僕たちの勝利条件は君らの計画の阻止なんだから」
『何を言って…………待て。
レギオンが構えを解いてキレーションランドの中心部、キレーション城へと頭部を向けた。
それにならうようにして、ヌルオさんの横目でキレーション城を見る。
「独りぼっちの君と違って、僕には頼れる仲間が居るんだよ」
城の天辺。
塔のように長く伸びた先に着いた大きなスピーカー。
魔女を誘導する軽快な音楽を奏でるその部分を囲むように五人の魔法少女の姿が跳ね上がる。
それぞれの魔力の色が入り混じり、大きな弓となるとピンク色の魔法少女、環さんの手元へと渡された。
“頃合い”の本当の意味。
『やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
それはレギオンが魔女の残骸を適度に融合させたことでもなかった。
彼が待っていたのは、環さんたちが態勢を整え、魔女誘導装置を破壊できる機会。
さっきの会話は本当に時間稼ぎでしかなかったのだ。
環さんたちへ向けて、無数の銀の矛を肉体から作り出し、一斉に発射しようとするレギオン。
だが、それをヌルオさんは口先で思い留まらせる。
「おっと。大丈夫? 今の君の精密性であのタワーに当てないように魔法少女たちだけに照準を付けられる? それとも自分の魔法で計画を台無しにしてみる? もし、お城の中に残っている魔法少女は居たら倒壊した瓦礫で潰れてぺしゃんこになるかもね」
『ぐ……』
漏れた
「指を
レギオンが、その頭部に位置する上条が悲鳴にも似た叫びを上げる。
軽快な音楽を垂れ流すスピーカーごと城の尖塔はピンクの鮮やかな色によって打ち砕かれていった。
魔力に押し流された破片が細かく砕けて粒子に代わった。
発射されることなく、出番を失った銀の矛が崩れ、レギオンの表面を伝う。
まるで仮面を付けた上条の代わりに涙を流しているようにも見えた。
キレーションランドの外壁の内側を超えるかどうかの瀬戸際まで来ていたワルプルギスの夜は、途中で下降を止め、上昇していく。
方向もキレーションランドから逸れて、別の方向へと進路を変えた。
最悪の一歩手前まで来ていたが、あの超巨大魔女が完全に降りて来る前にどうにかなって良かった。
今のヌルオさんでもあの災害そのものを相手取ることはできなかっただろう。
まだレギオンが残っている以上、油断はできないが、それでも取り返しの付かない事態は避けられた。
『……まだだ』
そう思っていた俺の安心を上条の言葉が否定する。
『まだ、計画は終わってなんかいない!』
六本の銀腕が凄まじい速さで天へと伸び上がる。
空を駆ける東洋の龍のように突き進んだその腕は、暴風に晒されながらも高く高く伸び続けた。
そして、とうとう上昇を続けていた紺色の巨体に巻き付くように絡み付く。
唖然とするしかなかった。
確信した勝利がまたもひっくり返された。
『勝利条件はマギウスの翼の計画の阻止だと言ったなッ!? なら、やはりお前の負けだ。ワルプルギスの夜は逃がさない。これで魔法少女たちは……救われる!』
綱引きのように上昇しようとするワルプルギスの夜をレギオンが引き戻そうと引く。
だが、力づくで簡単に落とせるほど超巨大魔女は容易い存在ではなかった。
地面に落とそうとするレギオンを逆に引きずるように上昇を続けている。
その様子は遊園地という場所も相まって、買ってもらったキャラクター風船を必死で手元へ引っ張る子供のように映った。
「頑張るね。じゃあ、地下に居るっていう人工魔女の方をどうにかしようか? 襲来する魔女の迎撃に人員を
『エンブリオ・イブを消しに大聖堂まで行くつもりか!? お前はそうまでして魔女の安寧を破壊したいんだな!?』
わざとらしく漏らしたヌルオさんの言葉に反応した上条。
そんな上条に対して、彼は笑って受け応えた。
「ああ。
普段の上条ならあり得ない失態。
しかし、魔女を束ね、彼にとっての最悪をどうにか回避し、ワルプルギスの夜を逃がさないようにすることに全力を注ぐ今はとても冷静では居られなかった。
「ありがとう。具体的な位置までは特定できなかったから教えてくれて大変助かったよ。それじゃあ、綱引き大会引き続き頑張ってね」
丁寧に上条の心へ蹴りを入れてから、彼は悠々と大聖堂へ向けて歩き出した。
喚き散らしたいだろうに上条はそれすら呑み込んで超巨大魔女との対決を優先し、引き合いを続ける。
ここまで来るとどちらが酷いのか分からなくなる。
圧倒的な実力を持って優位に立っていた上条が、口先だけで手玉に取られて身動きの取れない状態へと追い込まれた。
忘れていた。
この人の最も恐ろしいのは魔法でもなければ、洞察力でもない。
話術。人をコントロールする弁舌だった。
本来であれば、手も足もでない実力差を話術のみで場を掌握し、上条に常に不利になるように誘導した。
空間把握力がどうのという話だって本当かどうかも分からない。
ひたすらに大量銀の魔法を
上条に“本当にそうなのかもしれない”と思わせることで彼の行動を制限し、自分に都合の良いように操ったとも考えられる。
どこまでが真実で、どこまでが嘘なのか。
それすらも判別できない。
彼の言葉こそが何よりも魔法めいていた。
だが、上条もまた彼の予想を上回る。
『全羽根……いや、すべての
響き渡る声音はスピーカーから発せられたあの音楽よりも園内に広がった。
『マギウスの翼の……いや、魔法少女の未来を守れ! 解放の未来を奪う者たちを排除しろ!』
演説とは言えない出来の声明。
現状説明と命令だけの叫び。
それでも身を削り、他者のために動いてきた者だけが出せる
『怯えずに済む明日のために! 今日だけは、今日だけは戦ってくれ! 必ず、僕が君たちを解放してみせるから!』
「これはちょっと予想外の展開だね。てっきり周囲の魔法少女は庇護者としか見ていないから、ここまで追い込めばポッキリ折れると思ったんだけど……」
上条が園内に声を発信し始めた時には歩みから駆け足に変えていたヌルオさんがぼやく。
「いやはや、『男子三日会わざれば
オリジナルの人格を模倣して神浜に送り込まれたので実質ゼロ歳のはずなのに、やたらと大人びた台詞を吐いてみせた。
大聖堂前まで辿り着くとそこには、入口を守るようにして立っている白羽根や黒羽根。
そして、黒い軍帽を被った緑髪の少女。
「君は最後まで顔を見せないと思ってたよ」
「……アリナ、これでもマギウスなんですケド?」
マギウスの一人、アリナ・グレイ。
数の暴力の上、一番厄介な相手がまだ残っていた。
「参ったね。これからやること考えると、こっちもあんまり余裕がある訳でもないんだよね。だからさ……」
後ろに来ていた魔法少女たちへ顔を向けて言う
「ここ、頼んでいい?」
環さん、梓さん、二葉さん、深月ちゃん……そして、久しぶりに見る由比さんへと。
「うん。あんまり頑張り過ぎない程度には頑張るよ」
由比さんの言葉に優し気な声音でヌルオさんが答える。
「もうお悩み相談コーナーは必要なさそうだね」
「……もっと早く頼ればよかったって思うよ」
いつもの
それに対して、彼は首を横に振って答えた。
「君が悩んで答えを出したことに意味があると思うよ。そこに正解も不正解もない。間違えないように考えると気を張るタイプだからね、由比さんは」
「む。そこは普通、『鶴乃ちゃん』って呼んでわたしを感動させるところじゃないの?」
「じゃないじゃない」
普段の軽いノリに戻った由比さんに雑な返答して正面に向き直ると、アリナ・グレイは不機嫌そうな表情で文句を付けて来る。
「ねえ。まさか、そのルーザーにアリナの相手を任せるつもり? だとしたら、随分とキッディングなんですケド」
「何言ってるかよく分からないけど、わたしは最強魔法少女、鶴乃ちゃんだよ」
「だそうだよ」
会話が成立しているのかしていないのか微妙なところだが、ヌルオさんは適当な追従する。
話すのが面倒なのか、興味がないのかは分からないがせっかく戻ってきたのだからもう優しくしてあげても罰は当たらないと思う。
「さて、それじゃあ、僕は強引に大聖堂の中へと押し通らせてもらおうかな?」
「待って。ヌルオさん……」
アリナ・グレイを由比さんたちに押し付けて、ステッキを構えたヌルオさんに環さんが待ったを掛けた。
彼女は何か決心したような表情でヌルオさんを見上げている。
「……私も連れて行ってください」
「見たくないものを見ると思うよ」
「それでも、です。それに、あの中には私の会わないといけない子たちが居るはずなんです」
きっぱりとそう言い切る環さんをほんの少しだけ見つめた後、ぼそりと呟く。
「本当に、子供の成長は早いものだね」
「……? どういう意味ですか?」
「いや、何でもないよ。いいよ、一緒に行こう」
環さんの手を取って、ヌルオさんはステッキを大聖堂の入り口へと駆け出した。
ステッキが放り投げられ、開戦の火蓋が切って落とされる。
だが、彼の一手は攻撃ではなく、移動手段。
投げられたステッキが
一瞬のブラックアウトの後、乱戦地帯を抜けて環さんと共に大聖堂の門の前へと転移する。
床に転がった布から出ると門を開いて、大聖堂の中へと足を踏み入れた。
聖堂内をまっすぐに突っ切ると中央に立つ。
「地下、ですよね。なら階段を」
「いや、ここまで来たら正規ルートに従ってやる理由はないよ」
新しく作り上げたステッキを床へ突き刺すように振り下ろす。
冬場に張った水溜まりの氷のように中央から
「うわっ……!」
床が砕けて消滅したせいで環さんは体勢を崩す。
ヌルオさんはそれを空中で抱き留めて、彼女を抱えたまま、地下の空間へと着地した。
急いでいるのは分かるけれど、手段を選ばないのにも程がある。
両目を白黒させている環さんを自分の足で立たせると、その場には二人の先客が居た。
一人は赤と黒を基調とした清楚なドレスの茶髪の少女。
もう一人は先進的なデザインの車椅子に乗ったアカデミックドレスと学帽を身に着けた少女。
ダイナミック過ぎる登場をかましたせいか、二人とも状況に似合わず、両眼を丸くしていた。
そして、その後ろには巨大な蛾の成虫のようなものを戯画化したようなものが居た。
「初めまして。抜け殻の魔女。そしてもうすぐ、さようならだ」
ステッキを振りかざし、先端を人工魔女エンブリオ・イブへと向け、そう挨拶をした。