あと、もう少し……。
あと、もう少しで彼女たちを……魔法少女たちを救える……。
暗雲立ち込める天へ舞い戻ろうとする“さかしまの魔女”をレギオンの腕を伸ばして、辛うじて繋ぎ留めている。
六本にまで増やした腕でさえも、気を抜けば引きちぎられてしまいそうだ。それほどまでにワルプルギスの夜の上昇する力は桁違いと言えた。
顔無し手品師は綱引き大会などと
その間も融合している魔女たちの囁きが思考を掻き乱し続けている。
笑い声、鳴き声、叫び声。
鳴り止まない頭痛と吐き気が絶えず、押し寄せる。
数多の魔女を融かして練り上げた
呪われた感情の群れが穢れた魔力の海に僕の意識を沈めようと狂気の歌を唱えている。
破滅を願い、堕落を祈る魔女たちはこう言っているのだろう。
──お前も絶望しろ。希望を抱くことなんて許さない、と。
彼女たちが、魔法少女でいられなくなった少女の成れの果てか、その成れの果てが怨嗟と共に産み落とした分身かは分からない。
それでも確かなことは、彼女たちが魔法少女の呪いから生まれたということ。
己を運命を呪い、他者の成功を望んでいるものであること。
魔法少女の解放など最も彼女たちには認められないだろう。
それでも。
それでも僕には彼女たちの力が必要だった。
かつて、絶望し、魔女へと堕ちた彼女たちをなお利用し尽くすことに後悔はない。
ここで悔いるほど清廉潔白な道は歩んでいない。
……あるとすれば、それは僅かな罪悪感だけだ。
だが、そんな感傷も亡霊には不要だ。
救えないものを切り捨て、救えるものを救う。
そして、その救えるものこそが、マギウスの翼だ。
だから、ウワサと融合した由比鶴乃を黙認し、こうして魔女を道具として利用している。
それが僕の、銀羽根としての役目。
銀羽根としての方針。
定めた救うべき存在以外は全て切り捨て、使い潰す。
ワルプルギスの夜がけたたましい
魔力を帯びた風圧が伸ばしたレギオンの腕をなぶった。
耐えきれずに巻き付いている六本の腕が、一本、また一本と引きちぎられていく。
ちぎれて分断された銀の破片がワルプルギスの夜の纏う魔力の嵐で更に細かく寸断され、銀色の粒子となって雨に流される。
それはまるで、この最悪の魔女を
僕が持てる全ての魔力を集結し、数え切れないほどの魔女を取り込んでもまだ届かない。
響き渡る哄笑は勝利を確信してのものか、浅はかにも自らに挑んだ僕を嘲笑うものなのか。
最後の一本の腕が暴風によって薄く引き延ばされ、ちぎられようとしていた。
もう強度どころか、形状を保つので限界だった。
駄目、なのか……。
こんなところで魔法少女の解放は
それなら、僕は何のために
何のために友達と対立し殺そうとした?
何のために恩人に汚名を着せて追放した?
何のために自分を捨てた?
何のために──僕はあの子を殺したんだ!?
諦めかけた心を
あの名前も知らない黒羽根の少女を融かして殺した時、手に入れてしまった僕の魔法。
『ワルプルギスの夜! 最悪の魔女! 何がなんでも僕にその力を渡してもらう!』
融合の魔法。
他者と魔力を通じて混じり合う力。
自我すら融け合いかねない禁忌の性質。
紺色のドレスを食い破り、その内側の回り続ける歯車を掴む。
その瞬間、先程までとは比べ物にならない穢れが僕の中に雪崩れ込んだ。
憎悪。歓喜。悲哀。恐怖。
流転する感情が波のように溢れ、意識を押し流す。
何が……?
誰が…………?
僕が………………?
自分が何処に居るのか、分からない。
目が回る。気持ちが悪い。揺れている。
掻き混ぜられ、
熱くもなく、冷たくもない心地よいぬるま湯の世界……。
…………ナニヲ、シテイタンダロウ……?
ワカラナイ。
ワカラナイ、ケド……。
モウ、ドウダッテイイ。
ココニハ、ミンナガ、イル。
テヲ、ツナイデ、ワニナレバ、サミシクナイ。
トテモ、キブンガ、イイ。
キブン、ガ…………………………………………………………………………。
…………ふざけるなよ。
何が気分が良いだ。
何がどうだっていい、だ。
楽になろうとするなんて絶対に許さない。
“お前”に忘れる権利なんてないだろうが。
名前も、顔も、死体すら残らなかったあの子から、
『……っ!』
呑まれかけた意識をギリギリのところで取り戻せた。
ぼやけて焦点が合わなくなった視界が少しずつ鮮明になっていく。
映っているのはワルプルギスの夜。その中央部分に突き刺さり、融合しているレギオンの腕。
融合……そうだ。僕はワルプルギスの夜の力を取り込もうとして、逆にあれが内包されている穢れの影響を受け、自我が塗り潰されそうになった。
自分が自分でなくなって、別の大きなものの一部になる感覚。
安堵さえ感じられたことにかえって恐怖を覚えた。
だが、もうそんなものには惑わされない。
レギオンも、ワルプルギスの夜も完全に支配する──!
いや……してみせる──!
瞬時にレギオン全体の形状を変え、意識を端から端まで行き渡らせる。
皮肉にもワルプルギスの夜に自我を塗り潰されかけたことで僕は理解した。
感情だ。
感情こそが魔女を……全てのエネルギーを支配する力なのだ。
未来を掴む意思を形にするなら、これ以外にあり得ない。
人型であった銀の巨躯は形を歪め、一本の腕そのものなる。
左腕。かつて僕が失い、親友の願いで取り戻した奇跡の証明。
この左腕で魔法少女の未来を手に入れる!
既に魔女たちの呪いの囁きは聞こえない。完全にレギオンは掌握している。
ワルプルギスの夜に突き刺さった部位が膨らみ、五本の指先へと分化する。
融合した指先から流れ込む膨大な穢れた魔力が、僕の意識を再度塗り潰そうとする。
しかし、僕の自我は、意識は、願いは──。
『もう決して変わらない!』
紺色のドレスの内側。そこに隠された中心の歯車。
これがワルプルギスの夜の核。
届く。魔法少女の解放に。
手が……届く!
不安と恐怖に怯える羽根たちを救えるんだ……!
希望が、僕の中へ広がった。
だが、その時、最悪の魔女は最後の抵抗を試みる。
『──────────────────────────────!』
大地が地響きを起こし、キレーションランドの防壁に亀裂が入る。
巨腕と化したレギオンの周囲の建造物が地面から引き剥がされて中空に舞う。
あり得ない……。キレーションランドは魔女に対する耐性を持っている。
まして、フェントホープと融合したこの要塞はワルプルギスの夜にさえ、破壊されないようマギウスが作り上げたはずなのだ。
……レギオンごと空に持ち上げる気か!? そうはさせない!
僕はレギオンの下部に魔力を流し、園内に根を張るように融合させる。
持ち上がったアトラクションの破片が滞空しているワルプルギスの近くまで引き寄せられた。
まさか……!
抱いた予感が的中する。
空高く持ち上げられた数多くの瓦礫が、砲弾の如き速度でレギオンへと降り注ぐ。
『ぎぃ、がぁっ!』
激痛が走る。
意識をレギオン細部まで広げたことで痛覚までも鋭敏に感じられた。
ワルプルギスの夜との融合と地面との接着に魔力を割り裂かれ、瓦礫に対応する余力はない。
融合の魔法が使えなければ、レギオンはただの魔女の集合体。
対魔女の耐性を持った設備が今度は僕へ牙を剥く。
焼け爛れるような激痛が脳髄を焼いていく。
思考が乱される。あと僅かで全てが上手くいくというのに……。
『負けるものか……負けるものかあああああぁぁぁっ!』
この悪足掻きこそ、ワルプルギスの夜が追い詰められている証。
ここを耐え凌げば、魔力を完全掌握できる。
触れた部分を融かし、歯車は五分の一がこちらのものになっている。
耐えろ。耐えて、耐え続ければ、僕の勝ちだ。
仮面の奥で歯を食いしばる。
その時、離れた場所に居た人影が偶然目に入った。
羽根たちは大聖堂前に向かったはずだ。非戦闘要員もホテル内に退避している。
僕の疑問を視界に捉えた映像が答える。
……何故。
何故、お前がこんな場所に居るんだ……?
瓦礫の雨の中に居たのは、白い軍服の魔法少女。
和泉十七夜。
彼女は背中に七海やちよを背負い、辛うじて瓦礫の隙間を縫うように逃げている。
しかし、その足取りは
たとえ人間一人背負ったくらいで取り分け身体能力が高い魔法少女があそこまでぎこちない動きをするとは思えなかった。
足を負傷しているのか……? いや、それよりも敵である七海やちよを助けているということは離反したということか。
所詮は恐怖で従えただけの手下。元より、救うべきマギウスの翼の一員として引き入れた訳でもない。
羽根たちに余計な消耗をさせないために、みかづき荘の魔法少女たちの相手として利用していただけの魔法少女。
もはや何の利用価値もない。
裏切ったのなら尚更だ。
ワルプルギスの夜が一際巨大な瓦礫を持ち上げ、落下させる。
同化が進み、精確性を欠いた魔力任せの
あと、少しでワルプルギスの夜との融合が完了する。
もう空中には大きな瓦礫はない。集中さえすれば勝利できる戦いだ。
視界に映る十七夜が頭上へかかる影に気付く。
奇跡的にソウルジェムが無事でも肉体は再生不可能なレベルで損壊することが予想できた。
……関係ない。
彼女は死んでもいい魔法少女だ。
僕が救うべき魔法少女に当てはまらない。
…………切り捨てろ。
今はワルプルギスの夜の掌握にだけ意識を注げ。
………………無視するんだっ!
『ああっ! 畜生っ! ……畜生っ!!』
レギオンの一部を引き伸ばし、落下するアトラクションの瓦礫を弾き飛ばす。
十七夜が驚いた顔でそれを眺めていた。
刹那、融合の魔法が僅かに止まった隙を突き、ワルプルギスの夜がレギオンの指を引きちぎり、暗雲の中へと急上昇する。
狙い澄ました逃げの一手に、僕は黙ってそれを見送る以外できなかった。
緊張の糸が解け、レギオンを構成する魔力が融合した魔女ごと粒子状に飛散する。
「銀羽根……様」
背後から十七夜の声がかかる。
未練がましく空を仰ぐのを止め、彼女へと向き直った。
「無事か」
「……えっ。はい。自分は無事です」
致命的な手傷さえないものの十七夜の純白の以上は汚れ、足先から黒ずんだ血液の名残が張り付いていた。
戦いの痕跡がありありと残っている。
「そうか」
「銀羽根様……。自分は!」
何かを言おうとした彼女を制し、僕は告げる。
「お前はもう用済みだ。さっさとどこかに行け」
「……それは」
「二度も言わせるな」
こんな奴に関わっている時間が惜しい。
まだ僕は諦めていない。
ワルプルギスの夜から奪い取った魔力は多少なりとも残っている。
体中の節々が悲鳴を上げているが、それでもまだ足は動く。
エンブリオ・イブに僕ごとこの魔力を食わせ、手負いのワルプルギスの夜を追跡させる。
十六夜の真横を通り過ぎ、大聖堂へと向かう。
今度こそ、顔無し手品師にトドメを刺し、すべて終わらせに行く。
まだ魔法少女の希望は残っている限り、僕は絶対に諦めない。