ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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第三十三話『中沢君と悲しみの遊園地』⑧

 銀色の車輪を背負って立つ上条。

 緩やかに形状を変化させるその車輪は一体何なのか、俺には見当も付かない。

 ただ、それが魔力で作られているものであること。そして……。

 それが途方もない規模であること。

 ヌルオさん曰く、あの大量の魔女と融合していたレギオンよりも強力だという。

 

「……来ないのなら、こちらから行くぞ」

 

 上条が一歩前に踏み出す。

 その瞬間、弾かれたようにヌルオさんは頭上にいくつものステッキを作り上げ、四方に放った。

 空中にばら撒かれたステッキは捻じれるように捲れ、黒い布へ変化する。

 開いた布地から再び、生み出されたステッキが次々と射出されていく。

 差し詰め、ステッキという種子が散布し、黒い布の花が生息域を広げるかのようだった。

 ヌルオさんの戦術の一つ。

 似た手品の名前から取るなら、“踊り続ける杖(ダンシング・ケーン)”とでも呼ぶべき技。

 屋内を降りしきる雨の如き、放射状に拡大するステッキを浴びれば、上条もただでは済まないはずだ。

 しかし、ステッキが上条へと飛んだ瞬間、その姿が小刻みに揺れた。

 被写体がブレた写真のように、一つの物体が何重にも折り重なって見える。

 いつの間にか上条の周囲には黒い破片のようなものが、滞留し、魔力の粒子となって消えていく。

 ……今、何をした?

 あの細かく寸断されたのはステッキの破片なのか?

 融合の魔法での防御ではない。それなら融け落ちる光景が確認できたはず。だから、これは何か……もっと別の現象。

 もっと別の魔法──。

 銀色の軌跡がうねり、上条とヌルオさんの距離が詰められる。

 接近なんて生易しい表現では足りない、高速移動。

 むしろ、瞬間移動と言ってくれた方がまだ理解できた。

 ヌルオさんが握っていたステッキで防ぐ──よりも更に早く銀の色が宙を泳いだ。

 切り落とされた黒の断片が粒子へ還る。

 構えていたステッキは握った部分から先がなくなっていた。

 突き付けられた糸鋸を見て、ようやく先ほどまでのステッキが切り刻まれたのだと認識する。

 

「まだ融かして防いだっていう方がマシだったねぇ……」

 

 上条は高速でステッキを振るいながら移動し、すべての攻撃を迎撃してみせたのだ。

 暁美さんのような空間そのものに変化を及ぼす時間停止とは違う、単純な加速。

 折り重なって見えるのは、残像あるいは(ほとばし)る魔力の余波だろうか。

 化け物じみていた銀の巨人体(レギオン)の方がまだ外見で判断可能だった分、まともだった。

 今、目の前に居る存在は果たして本当に俺の知る上条恭介なのか……。

 張り詰めた細い鋸の刃が鼻先数センチの位置でぴたりと停止している。

 

「それ以上は止めて置け。……お前に言っているんだ、環いろは」

 

 銀色の仮面はヌルオさんを捉えたまま、低い声でそう言った。

 そこには球状の檻から解き放たれた環さんが、腕に備え付けてあるクロスボウを構えていた。

 ピンク色の矢を向けた先は上条──ではなく……。

 

「いろはお姉様……」

 

 里見灯花の後頭部だった。

 環さんの足元の床には、黒いステッキが一本、深々と突き刺さっている。

 “踊り続ける杖(ダンシング・ケーン)”によって彼女を捕縛していた柊ねむの拘束魔法は破壊され、自由の身になった環さんはとっさの判断で里見灯花を人質に取っていたのだ。

 

「やめてくれ、そんないろはお姉さんらしくもないこと……」

 

 柊ねむが悲痛な声を漏らす。

 明らかに狼狽えた様子だ。不気味な余裕も大人びた雰囲気もない、年相応の幼い少女の叫び。

 確かにとても普段の優しい環さんからは想像も付かない非情な行動だ。

 だが、彼女のその行動がなければ間違いなく、ヌルオさんも俺も輪切りにされていただろう。

 

「上条君だったよね……。武器を捨てて、降参して」

 

 声こそ強張っていたが、環さんの瞳には強い覚悟の色が垣間見えた。

 上条は糸鋸を構えた状態で静止している。

 

「っ……本気だよ! 早くその武器をヌルオさんから退けてっ!」

 

 緊迫した環さんの声が再度響く。

 握られていた左手が開き、硬い音を立てて糸鋸が床に転がって、銀の粒子へ変化した。

 ヌルオさんの視線の先で環さんがホッと胸を撫で下ろしたのが分かる。

 人を脅すなんて慣れないことをしたのだ。まして、人質にしているのは妹分だった里見灯花。

 環さんの心労は計り知れない。

 無言だった上条がぽつりと呟く。

 

「……警告はした」

 

「え……?」

 

 環さんが聞き返した瞬間、里見灯花が叫んだ。

 

「ダメッ、恭介ぇ!」

 

「──死ね」

 

 銀色の球体が環さんの頭があった場所に現れる。

 あらゆるものを融かす銀の魔法。

 魔法少女だろうが、確実な死をもたらす力。

 間違いなく、環さんは死んでいただろう。……その魔法が直撃していたのなら。

 

「モッキューーーー!!」

 

 その数秒前、環さんの前に居たモキュゥべえが間一髪で彼女の胸に飛び込んでいた。

 体当たりを受けたことで環さんの体勢は崩れて、銀色の球体を奇跡的に(かわ)す。

 だが、代わりとして。

 

「ういっ!?」

 

 

 モキュゥべえの尻尾が球体に呑み込まれる。

 尻餅を突いた彼女の前に、尻尾の大部分を失ったモキュゥべえが転がった。

 

「ういっ! 大丈夫なの!?」

 

 焦った表情で立ち上がって手を伸ばす環さんにモキュゥべえは弱々しく鳴く。

 

「モッキュ……」

 

 残った尻尾の断面は半ば液状に融け始め、床に滴り落ちていく。

 動揺した柊ねむや里見灯花の声の悲鳴に似た叫びが続いた。

 予想外の展開に上条の仮面が僅かに振り返る。一切の隙のなかった上条が見せたほんの小さな綻び。

 その時を密かに狙い澄ましていたヌルオさんが動いた。

 一瞬で暗転した視界は恐らく、シルクハットを起点にした空間転移。

 上条が反応し、糸鋸を生み出して振るった時には既に環さんの隣に移動していた。

 俺でも気が付かない内に布状へと変化させていた環さんの足元のステッキをゲートにしてのワープ移動。

 

「! ……ヌルオさんっ、ういがっ!?」

 

 環さんが転移に気付いてヌルオさんを呼ぶが、それに答える間もなく、彼女とモキュゥべえを掴むと再度転移を行う。

 しかし、五メートル以上は離れていた上条が瞬きする程度の間で間合いを詰めていた。

 空間転移したヌルオさんを目視してから動いたはずなのに、平然と追い付いてくる。

 刹那の差でゲートへ逃げ込み、別のゲートを潜って移動するも、そちらにも超高速で接近する上条が間近に映る。

 銀色の光の帯が伸び、まるで獲物を求めて駆ける大蛇のようだった。

 布のゲートから這い出そうとしていた足を止め、環さんたちを腕に抱いたまま、ヌルオさんは再び空間転移を続行する。

 大聖堂の中に布をばら撒かれた布への転移。移動先の選択を誤れば、即座に上条によって皆殺しにされてしまう。

 

「……中沢君、環さん。よく聞いて」

 

 上条から逃げ回りながら、ヌルオさんが小さな声で(ささや)いた。

 

「チャンスは一度きり。成功しても失敗しても僕はここで消滅する」

 

「そんな……」

 

 環さんが悲しげな声を(こぼ)すが、その唇にそっと人差し指を添えて遮った。

 

「環さん。君は妹を助けることだけ考えて。君の魔法なら融け続けるその子を助けられるはずだ。前に致命傷を受けた僕にやったように治療するんだ。……できるよね、お姉さん?」

 

 彼にそう尋ねられ、ハッとしたように彼女の表情が変わる。

 自分が誰を第一に優先させなければならないか、思い出したようだった。

 返事はなかった。

 だが、環さんはモキュゥべえを抱き締めるようにして、淡いピンク色の魔力を収束させ始める。

 その様子を眺めてから、ヌルオさんが俺に言った。

 

「中沢君。君には少し身体を張ってもらう。いい?」

 

 聞かれるまでもない。

 俺はずっと待っていた。

 この人に……誰よりも尊敬するヌルオさんに頼ってもらえるその時を。

 任せてほしい。

 どんな危険なことだってやり遂げてみせる。

 

「それじゃあ……お願いするよ」

 

 ヌルオさんから告げられた作戦を俺は一字一句聞き逃すことなく、頭に入れる。

 同時にこれが本当に彼との別れになることをひしひしと感じた。

 だけど、嘆く暇なんてものはない。

 俺は、俺に任された仕事をこなすだけだ。

 

「モグラ叩きはもういい。穴ごと消えろ」

 

 ゲートの外側、視界の中で常に迫っていた上条はいつしか足を止めていた。

 ……超高速での移動を止めた!

 痺れを切らした上条は、出入り口の布ごと銀の魔法で潰すつもりなのだ。

 しかし、ヌルオさんはそれを見越していた。

 “超高速移動と銀の魔法は併用できない”。

 ヌルオさんが看破した上条の弱点。

 もしも併用が可能ならば、環さんが人質を取った時に手を止める必要がない。

 ヌルオさんを輪切りしたと同時に環さんを融かして終わっていたはずだ。

 誰にも追い付けない速度と、あらゆるものを融かす必殺の魔法。

 強力過ぎる二つの武器を持っている上条。

 だが、だからこそ、付け入る隙が生まれた。

 数多くの銀色の球体が発生する寸前に空中へ浮かぶ布の一つからヌルオさんが姿を現す。

 次の瞬間、銀の蛇が宙を薙いだ。

 

「……分かっていた。お前なら、絶対に僕の欠点にも気付くだろうと」

 

 無表情の鉄仮面から静かな口調で語った。

 上条もまた彼の思考の先を読んでいた。

 あえて、追跡を止め、魔法を使う()()でゲートからの離脱を誘導したのだ。

 

「読み合いは僕の勝ちだ。顔無し手品師」

 

 大聖堂の壁にめり込んだヌルオさんの身体に銀色の糸鋸が突き刺さっていた。

 肩から腹部にかけて逆袈裟斬りで振り下ろされた刃はまごうことなき致命傷。

 切断された部位から血液が零れ、濁った銀色の仮面に付着している。

 

「……いいや? 上条君……君の負けだよ」

 

「何を言って…………待て。これは何だ……? どうして()()()()()()()ッ!?」

 

 黒い返り血を滴らせる上条が違和感に気付き、声を荒げる。

 

「いや、そもそも一緒に逃げていた環いろははどこだッ、どこに居るッ……!」

 

 銀の仮面が周囲を見渡すように動き、そして、こちらへと向けられた。

 環さんに抱えられて、エンブリオ・イブへと接近している俺の方へと。

 

「なっ……中沢!? どうして、お前は顔無し手品師と……」

 

 気付かれた!

 あと、少しで届くっていうのに!

 

「……余所見は良くないね」

 

 糸鋸を握り締めた上条の左腕をヌルオさんが掴んだ。

 その手首に埋め込まれた澱んだ銀の結晶へ触れる。

 

「リジェク──」

 

「このッ、死に損ないがぁぁぁぁぁ!!」

 

 糸鋸から銀色の魔力が噴き上がり、すべてを融解させる死の魔法がヌルオさんの身体を塗り潰す。

 彼の形は暴力的な色によって覆い尽くされた。

 絶叫が喉の奥から込み上げそうになった。だが、俺を抱える環さんが鋭く名前を呼ぶ。

 

「中沢君!」

 

 顔を戻せば、エンブリオ・イブの正面まで辿り着いていた。

 

「顔無し手品師が落ちた今、何をしても無駄よ。いろはお姉様!」

 

「もう無駄な抵抗は止めて降伏してくれ。いろはお姉さん!」

 

 里見灯花と柊ねむが降参するように促す。

 けれど、当然環さんは取り合うことなく、俺をエンブリオ・イブへと放り投げた。

 

「あとは……お願い!」

 

 渾身の力で投げ飛ばされた俺は宙を舞い、魔女の巨体へと肉薄する。

 俺はヌルオさんから託されたステッキを決して離すことのないよう両手で握り締めた。

 環さんの腕から俺の肩へ治療を受けたモキュゥべえが飛び乗る。

 脳裏に浮かぶのは最後に交わしたヌルオさんとの会話。

 

『僕に残ったすべての魔力を君に託す。中沢君、君が環さんの妹を救うんだ』

 

 本当に俺にできると思う?

 ずっと見てきただけの俺に、否定の魔法が使えると思う?

 不安からそう聞いた俺にヌルオさんは優しく答えてくれた。

 

『できるよ。だって、君は僕の一番近くでずっと見てきたんだから』

 

 まっすぐに見据えた先には巨大な蛾の魔女、エンブリオ・イブが俺を見ている。

 怖い。自分の意志で魔女と対峙するのがどれだけ恐ろしいことなのか改めて感じさせられる。

 でも──。

 ヌルオさんが言ってくれたから。

 俺を信じてくれたから。

 

『君になら必ずできる……ううん、きっと君にしかできない』

 

 もしも俺が他人に誇れるものが一つだけあるとするなら、それは誰よりもヌルオさんの言葉を信じていること。

 

『信じてるよ、中沢アキラ君』

 

 白い体毛に包まれたエンブリオ・イブの巨体へ黒いステッキを突き立てる。

 

「──リジェクト!」

 

 託された否定の魔法を解き放った。

 ステッキを介して、透き通るような黒い光が、濁った白を弾くかのように拒絶する。

 淡く広がるエンブリオ・イブのシルエットが端から崩れて、分解されていく。

 それと同時に手の中にあったステッキの感触が摩耗するように先から消滅する。

 光るシルエットの中央に小さな人影が見えた。

 手を広げて水中を漂うように立つ、幼い少女。

 映像の中で一度だけ見た、魔法少女の衣装を着たピンク髪の女の子。

 俺の肩の上からモキュゥべえが少女に向かって大きく跳ねた。

 (まばゆ)い光が飽和する。

 広がっていた光が逆流したように収束を始め、視界から輝きが徐々に収まっていった。

 気が付けば、俺は床にへたり込んでいた。

 最初に目に映ったのは、彼女の柔和そうな顔だった。

 

「……初めまして、って言った方がいいのか?」

 

「どうかな……? 私の方はずっとあなたを見てきたから」

 

「じゃあ、俺が言うべきなのか分からないけどさ。おかえり、環ういちゃん」

 

「ただいま、中沢さん。私を見つけてくれて、ありがとう」

 

 初めて見る彼女の笑顔は、野原に咲いた一輪の花のように可憐だった。

 

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