第三十五話『中沢君と幸福の揺り籠』①
これは俺が語るある短い記録の物語。
これは俺の知るある僅かな魔法の物語。
最後を締めくくるとしたら、きっとこれ以外にないだろう。
常に形を変え、幸福だけを授けようとする幻影の世界の話。
魔法少女のために生み出された
だけど、やっぱりそこに希望はなかった。
希望はきっと幻影の中に求めるものではなく、現実の中で見つけなくてはいけない。
たとえ、どれだけ世界が心を苛んだとしても、それでも俺たちは前を向いて歩いていかないといけないのだ。
失ったものの重さを感じながら、ちゃんと傷付いて。
ちゃんと苦しんで。
ちゃんと絶望して。
ちゃんと希望を探しに行こう。
それが生きていくってことだと思うから。
正しい道なのか、間違った道なのかは後から振り返って考えればいい。
そのために、俺はここへ書き記す。
俺が歩んできた
***
何一つない真っ白の世界で、俺は走っていた。
離れていく後ろ姿を追いかけて、ひたすら真っ直ぐに駆ける。
それなのに、黒いテールコートの背中には追い付けない。
向こうは緩やかに歩いているのに、俺との距離はどんどん広がっていくばかりだった。
待ってくれよ。置いて行かないで。
どれだけ叫んでも立ち止まってくれない。
──ヌルオさん!
こっちを向いてくれ。
俺はここに居るから……。
必死に手を伸ばす。
それでも彼の背中には届かない。
お願いだから……。
「俺を、一人にしないでくれよ……」
そこで俺は目を覚ました。
見開いた先で、伸ばしていた自分の右手の甲が映る。
指の隙間から見えたのは、色鮮やかなピンク色。
桜の花だ。それも満開に咲き誇っている。
垂れた太い枝から咲いている桜は、俺が知るどんな木々よりも大きくて立派だった。
この季節に桜って、まだ咲いてたのか。
それともここは夢の中で、俺は眠ったままなのか。
ぼんやりとした思考でそんな風に考えていると、視界の端から見知らぬ少女の顔が覗き込むように現れた。
「|ん。起きた?|」
頭に小動物の耳に似た突起を生やす白髪の少女。
ぱっちりした瞳は濃い桜色をしている。神浜に来てから顔立ちの整った女の子は沢山見てきたが、その中でも飛び切りの美人だ。
…………いや、え? 誰なの!?
まったく知らない美少女が俺の顔を覗き込んでいる。
というか、顔が近い! 凄く近い! めちゃくちゃドキドキする!
色んな情報が雪崩れ込んで来たところで、一気に意識が覚醒する。
そして、後頭部が弾力のある柔らかさの感触に気付いて、俺が今、この美少女に膝枕されていることを理解する。
生まれて初めて味わう異性の膝枕に恋愛経験ゼロの俺は耐え切れず、奇声を上げて転げ回った。
「ほ……ほわああああああああああああぁぁぁ!」
「|あ|」
「あぐっ!?」
彼女の膝から転がり落ちた頭が地面に激突し、側頭部に鈍い痛みが走る。
皮肉にもその痛みで俺が置かれている現状が夢ではないことを再確認することができた。
涙目で頭を押さえながら起き上がると、周囲には草原がどこまでも広がっている。
「え……何、ここ? 俺、どこに来たんだ?」
「|ここは万年桜のウワサの中|」
立ち上がった白髪の少女が俺の疑問に答えてくれた。
万年桜のウワサ……? それがこの空間なのか。
いや、そもそも何で俺がそんな場所に居るのかが分からない。
確か、俺はさっきまでキレーションランドの大聖堂の中に居て、それで……。
記憶を辿っていくと、混乱していた脳内が整理されていく。
そうだ。上条から逃げるために柊ねむが俺や環さんたちを床の中へ沈めていった。
じゃあ、俺以外の皆は?
「環さんたち……あ、ええと、俺の他に女の子たちが居たと思うんですけど、知らない……ですか?」
「|知ってる|」
「え、ホント!? どこ、どこです?」
「|あそこ|」
白髪の少女が指差す先には、大きな桜の木の根元。
そこに等間隔で並べられた四つの椅子に、環さんたちはもたれ掛かっている。
四人とも目を
心配して駆け寄るが、全員怪我らしきものはなく、寝息を立てていた。
どうやら本当に寝ているだけのようでほっと一安心する。
「環さ……」
肩を揺すって環さんを起こそうとするが、白髪の少女が伸ばした俺の手を掴んで止める。
「|起こさないであげて|」
「えっ、どうしてですか?」
戸惑う俺に彼女は少しだけ悲しそうな顔で言う。
「|まだ四人が楽しくお花見できる状況じゃないから|」
「……聞かせてください」
その台詞で俺は彼女の正体よりも、どうしてここに辿り着いたかよりも、なぜ彼女たちが眠った状態なのかよりも、まず最初に聞かなくてはならないことが何なのか察した。
「今……
嫌な予感は的中した。
淡々とした口調で白髪の少女は答える。
「|変質が起きてる。あそこはもうあなたたちが知っていた場所じゃない|」
端的過ぎた内容を補足するように彼女は続けた。
「|あなたたちが寝ていた間に、あの街はまったく別の
「幻影の世界……? どういう意味ですか? それに銀色の羽根って上条のことですか? あいつが街に何かしたんですか!?」
想像よりも大規模な何か起きていることを感じ、白髪の少女へ更に質問を投げつける。
彼女は少し黙った後、上を指差した。
「|実際に見た方が早いと思う|」
白髪の少女が指し示した先で澄んだ青空が捻れて歪み、横長に広がった楕円形の穴が発生した。
その内側には神浜市の街並みと──銀色で構成された逆さまの街があった。
銀の街は、上空を覆い隠すようにして存在している。
「何が……何が起きたんだよ?」
見せられたものに理解が追い付かない。
この映像はどうして逆さまで映っている?
建物も道も銀色で作られているということは上条の魔法で生み出されたものなのか?
余計に疑問の増えた俺に白髪の少女は言った。
「|私が観測したのはいろはたちとあなたがここへ辿り着いた一時間前のこと。疲弊していたあなたたちを癒す
「聞かせてください。でも、その前にあなたは誰なんですか? 何で俺たちを助けてくれたんですか?」
あの逆さまの街のことは気になるが、彼女のことも知る必要がある。
確かに言われてみれば、身体は軽くなっているし、気分もすっきりしている。
言葉通り、俺たちを癒してくれたようだが、それでも素性の分からない相手を無条件で信頼する訳にはいかない。
「|私は万年桜のウワサ。いろはが作ったウワサから生まれた存在。私にとって、本来ならあなたはどうでもいい相手だけど、ういを助けてくれたから特別に助けた。これくらいでいい?|」
万年桜のウワサ……。
そう言えば、記憶ミュージアムで見た映像で、環さんも病院でウワサ作りに参加していた。
あの時に彼女が考えたのが、このウワサか。
本当ならウワサというだけでも警戒するべきなのかもしれないが、アイさんという心優しいウワサが居たことを俺は知っている。
ここは彼女を信じよう。
「分かりました。でも、俺がういちゃんを助けたのを知っているってことは、それもここから見ていたってことですか?」
「|それは違う。私が意識的に外部との繋がりを持ったのはあなたたちがここに辿り着いた一時間前。それ以前は眠っていたようなもの|」
ふるふると表情を変えずに首を左右に動かす万年桜のウワサさん。
可愛らしくもあるが、反応が淡白だ。
「じゃあ、どうして俺がういちゃんを助けたって知ってるんですか?」
「|あなたの記憶を見させてもらった。私は頭を触れた相手の記憶を見ることができる。膝に乗せていた時にあなたの記憶を見せてもらった|」
「えっ? 俺の記憶を……」
それじゃあ、あの膝枕は彼女からすると情報収集していただけだったのか。
ドキドキして損した。いや、勝手に記憶を覗き見された訳だから、むしろ、プライバシーの侵害と怒るべきところなのかもしれない。
「|二日前にあなたが“牛柄ビキニ”という単語を真剣に検索している記憶も見……|」
「いやあああああぁぁぁぁぁぁ! やめてやめてやめて! ほんっと、そういうの言わないでください! マジで!」
「|そう。だから、ういを助けてくれたことも知ってる|」
ウワサとはいえ、美少女にえっちな単語を調べていた事実を知られるのは恥ずかし過ぎる。
居た堪れなくなって顔を押さえて身体を丸めていた俺だったが、こんなことをしている場合ではない。
羞恥心を振り払って立ち上がると、万年桜のウワサさんに改めて尋ねた。
「俺たちがここに来たのは一時間前って言いましたよね? その間に起きたこと、分かる範囲でいいので教えてくれませんか?
|兎にも角にも、俺は知らなければいけない。
何が起きたのか、理解しなければ、何をすればいいのかも分からないままだ。
もう俺に何の力もなくても、助言をくれる人が居なくなっても、何もせずに目を背けることだけはしたくないから。
だから、聞く。
聞いて考える。
悩むのはそれからだ。
彼女はこくりと一つ頷いて、話し出した。
銀色の絶望から始まった、幻影の世界の話を。
魔法少女だけのための、安楽の街のことを。