ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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第三十九話『中沢君と幸福の揺り籠』⑤

「俺だよ! 中沢だよ! ヌルオさん!!」

 

 再び、会えたヌルオさんに俺は感情を抑えきれず、大声で叫んだ。

 視界が涙で滲む。こんな場所で彼にまた会えるなんて思いもしなかった。

 俺の反応を見て、アリナ・グレイが怪訝(けげん)そうな顔でヌルオさんに尋ねる。

 

「ヌルオ。アナタの知り合い?」

 

「いや、僕は知らないね。失礼だけど、どちら様? 僕のことをどこで知ったの?」

 

 ヌルオさんはラウンドテーブルから降りると、俺の方へ近寄って来る。

 まるで本当に俺のことを知らない素振りをする彼に衝撃を受けた。

 嘘だろ。俺のこと、覚えていないのか……。

 肩を落として、脱力しかけたが、そもそも前提条件が間違っている可能性に思い至った。

 『覚えいない』のではなく、本当に『知らない』のだとしたら。

 上条によって消滅させられた彼がここに居る理由にも説明が付く。

 

「そっか……そうだよな」

 

 ヌルオさんはもうどこにも居ない。

 目の前の彼は偽物。いや、幻影か。

 このヌルオさんは結界の中で生み出された存在。

 だとすると、作り出したのは──。

 視線を彼の斜め後ろに居る黄緑色のロングヘアの少女へスライドさせる。

 アリナ・グレイ。

 マギウスの翼を率いていた里見灯花や柊ねむに続く三人目の頂点(マギウス)

 今は魔法少女の衣装ではなく、以前一度だけ見た制服風の赤リボンの付きのブラウスと薄茶色のチェックの柄のプリーツスカートを身に着けていた。

 この空間がアリナ・グレイの理想世界なのだとすると、ヌルオさんを生み出したのは彼女だということになる。

 ………………いや、なんで?

 本気で意味が分からない。

 確かに彼女はヌルオさんに良いようにやり込められ、執着はしていた。

 ……執着はしていたけど、それは狂気的な敵愾心だったはずだ。

 

「ヌルオ~。もうそんなの放っておいてモデルをリスタートしてほしいんだヨネー」

 

 間違っても甘えた声で、こんな風に(しな)を作るような関係性をヌルオさんに求めていた訳ではないだろう。

 

「少し待っててよ、アリナ。やらないなんて言ってないんだからさ。それで、君……中沢君って言ったかな? さっきの質問答えてくれる?」

 

 アリナ・グレイに断りを入れてから、俺に向き直る幻影のヌルオさん。

 やたらアリナ・グレイと親し気な部分を除けば、本物そっくりだ。まるで生き返ってくれたのかと錯覚してしまいそうになる。

 とにかく、何か答えないと……。

 しかし、口が裂けても本物のあなたと共に戦っていたからとは言えない。

 上手いこと言って誤魔化す必要がある。

 

「えーと……えーと……実は」

 

「もし君の発言が虚言だと判断したら、即座に敵として見なすけどいいよね?」

 

 シルクハットのつばの下から僅かに眼光が覗く。

 瞳の端しか見えないのに、鋭い視線に込められた冷徹な感情はありありと読み取れた。

 思わず、背筋を正して、硬直する。

 ヌルオさんと敵対していた魔法少女はずっとこんな眼差しを向けられていたのか。今更ながらにマギウスの翼に所属していた彼女たちに心底同情した。

 

「それで、何て答えてくれるのかな?」

 

「……しっ、信じてもらえないかもしれませんけど、実は俺、現実世界で本物のあなたと一緒に戦ってましたー!」

 

 恐怖のあまり、それから上条の結界のことまで洗いざらい正直に喋ってしまった……!

 例え、幻影の存在だとしても『この世界は現実ではなく、あなたも偽物です』なんて言われたところで受け入れられるはずもない。

 嘘を吐いていると思われるか、理解されずに無視されるのがオチだ。

 だが、彼の反応は俺の予想とまったく違ったものだった。

 

「なるほどね。君はこの場所を虚構と断定できる情報を持っていて、かつ君が現実だと認識している場所で僕と……本物の僕と行動を共にしていた、と。そういうことだね?」

 

 冷静に俺の言葉を分析して、その上で俺の認識と差異がないかを聞いてくる。

 逆に俺の方が彼の発言に面食らったほどだった。

 

「え、あ、まあ……そうなる、けど。えっ、俺の言ってること信じてくれるのか?」

 

「信じる信じないの前に、君の発言を精査しないと会話にならないだろう? 会話っていうのは、お互いに共通の認識を積み重ねていく行為だよ。そうじゃなかったら単なる独り言の応酬だ。僕の言ってる意味は分かる?」

 

「まあ、大体は」

 

 理性的過ぎる……!

 見た目だけではなく、中身まで本物のヌルオさんそのものだ。

 本当に頭のおかしいアリナ・グレイから生み出された存在なのか、(うたが)わしいレベルだ。

 幻影のヌルオさんは続けて話す。

 

「加えて、中沢君。僕は君が虚言を言っているようには思えない。少なくとも、君は自分の発言を真実だと認識して喋っている。眼球の動きや頬の筋肉の動かし方でそれは分かるよ」

 

 彼は驚くほどあっさりと俺の言葉を信じてくれた。

 もっとも、彼の口ぶりは俺が妄想を事実だと思い込んでいる可能性も考慮したものだった。

 ある意味で全面的に信用されるより安心できる。

 

「はぁ? 現実世界? 本物のヌルオ? 一体何をトークしてるのか、アンダスタンできないんですケド。一番アンダスタンできないのは、どうしてそれにヌルオがビリーブしてるのかってことなんだヨネ。何の根拠もないなら許さないんだカラ」

 

 一方で、暗に自分が居るこの空間が偽物だと言われたアリナ・グレイは、分かり易く不機嫌になっている。

 夢を見ている本人より先に、夢の世界の住人が夢である世界に気付いたような状況だ。この空間を多少理解している俺ですら混乱してくる。

 だけど、周囲の景色に影響がない様子からして、アリナ・グレイ本人の認識が変わらない限り、幻影世界は維持されるみたいだ。

 幻影のヌルオさんは自分の顎先に拳を押し当て、少し考え込む仕草をした後、彼女へ言った。

 

「アリナ。君はいつからこの場所で絵を描いてた?」

 

「いつから? アリナがアートしてるのはオールウェイズだケド……? ヌルオだって、アリナとトゥギャザーしてたから知ってるヨネ?」

 

 意図が理解できないというように彼女は肩を竦める。

 だが、更に幻影のヌルオさんは質問を重ねていく。

 

「じゃあ、その間、アリナは“何か食べた?”」

 

「……!」

 

「一体君はいつから食事をしていないの? 睡眠は? 入浴や着替えを最後にしたのは?」

 

「それ、は……」

 

 両目を見開き、言葉を(つむ)ぐこともできず、アリナ・グレイは固まったように彼を凝視した。

 なおも幻影のヌルオさんは饒舌(じょうぜつ)に語り続ける。

 

「ここにはキャンバスしかないよ、アリナ。君の生活を支えるものは何一つない。それなのに君は空腹も味わっていなければ、不衛生な状態にもなっていない。余計なことに(わずら)わされず、制作に打ち込める環境……実に理想的だね」

 

 ──アリナにとって、まさに()()()()()()()()()()()()

 彼がそう言い切った時、アリナ・グレイは片手に握っていたパレットナイフを思い切り、手の甲に突き刺そうとした。

 

「あっ……!」

 

 声を上げたのは俺一人。

 振るわれたパレットナイフの刃が手の甲を貫いた。

 驚愕した顔でアリナ・グレイが幻影のヌルオさんを見上げている。

 彼は白い手袋ごと手の甲を貫通したパレットナイフをしげしげと眺め、自分の手から引き抜いた。

 血液の代わりに銀色の液体が流れ落ちる。

 

「なるほど。これが僕の中身か」

 

 アリナ・グレイが自分の手にパレットナイフを刺す寸前に、彼が自分の手を差し出していた。

 作り出された彼に痛覚があるのかは分からない。だけど、これだけ本物に近い彼の心は銀色の血を見て、何も感じない訳はないだろう。

 

「怪我はない、アリナ?」

 

 聞かれた彼女は何も答えることなく、床へ両膝を突ける。

 崩れ落ちたアリナ・グレイは、気の抜けた空々しい声で呟いた。

 

「思い出した……アリナはルーズしていたんだヨネ……ルーズしたまま、ウィンしたアナタはバニッシュした。アリナのハートはエンプティ……」

 

 彼女は横文字混じり、思い出した自分の足跡を語る。

 マギウスの翼も見捨て、虚しさと行き場を失った感情を抱え、そして、上条の結界の中へと招かれた。

 

「分からない……アリナが何をアナタにウォントしていたのかも分からないんだヨネ……でも、アナタにもう一度ミートできたら、見つけれる気がした……」

 

「何を?」

 

「アリナのテーマを……アリナだけのベストアートを……」

 

「なら、探せばいい。本物の僕が残したものを」

 

「えっ?」

 

 幻影のヌルオさんが声を上げたアリナ・グレイから僕へと視線を移す。

 シルクハットの下から端だけ覗かせた瞳は優しく感じられた。

 

「中沢君。本物の僕と一緒に戦っていたって言ったよね?」

 

「あ、ああ。そうだけど」

 

 急に話を振られて戸惑ったものの、何とか返答する。

 

「それならきっと君の中にあるはずだよ。ヌルオが残していったものが」

 

「ヌルオさんが残したものが俺の中に……」

 

 彼は深く頷いた後、アリナ・グレイへ視線を戻した。

 

「アリナ。中沢君と一緒にこの場所から出るんだ。君の探し物はここにはないよ」

 

 アリナ・グレイが俺を見た。

 はっきり言えば、俺はこの人が嫌いだ。

 上条がマギウスの翼へ連れて来たのも彼女だと、みふゆさんから聞いている。

 こいつさえ余計なことをしなければ、上条だってこんな結末を辿らなかったはずだ。

 人の命を何とも思っていない最低最悪の魔法少女。

 絶対に許せない。

 だけど……。

 

「お願いします! 何の力もない俺に手を貸してください!」

 

 頭くらいいくらでも下げてやる。

 この状況を打開するには、彼女の力が必要だ。

 

「アリナ・グレイさん、お願いします! 協力してください!!」

 

 臆面もなく、その場で土下座を披露(ひろう)する。

 そこに恥だとか、怒りだとか余計な感情は要らない。

 

「アリナ……」

 

 膝立ちのアリナ・グレイに目線を合わせるため、幻影のヌルオさんは片膝を突いて、彼女の肩へそっと手を置く。

 思いやりを感じさせるその動作が、俺の記憶の中のヌルオさんと重なった。

 

「君の(テーマ)を決めるのは君自身だよ。君が触れて、感じて、悩んで、その結果が答えに繋がる。自分の中の変わらない虚構と見つめ合うのはもうお(しま)いにしよう」

 

『君がどれだけのことを知っているのかは知らないけど、僕の心を決めるのは僕だ。何をして、その結果、何を感じるかは僕だけの自由さ』

 

 似た言い回しを、かつて本物のヌルオさんがアリナ・グレイに言っていたことを思い出す。

 彼女はそれほどまでに突き刺さった言葉だったということか。

 

「………………そうだヨネ。アナタはアリナが生み出した夢。アナタのワードはアリナのワード。アナタが出したアンサーはアリナのアンサー……もう答えは決まってる」

 

「そう、だって──」

 

「「アリナはクレイジーでマッドで、誰よりもフリーダムなアーティストなんだカラ」」

 

 二人の声が重なって反響する。

 アリナ・グレイの胸元で緑色の宝石が輝き、彼女の身体を光で包み込んだ。

 立ち上がった彼女は軍服を模した袖の短い上着と黒い大きなリボンの付いたカラフルなスカートの魔法少女衣装を身に纏っていた。

 最後に黒い軍服が頭へ乗せられると、彼女は黄緑色をした正方体の箱を手元に作り出す。

 ルービックキューブのように分割され、その隙間から同じく黄緑色の光線が発射された。直線に飛んだ光に焼かれ、遠くにあった壁がトンネルのような巨大な横穴を開ける。

 ヌルオさんと戦闘では否定の魔法で消していたので、その威力をまざまざと見せつけられたのは今回が初めてだった。

 アリナ・グレイが振り返って言った。

 

「センター分け。それでネクストのプランはシンクしてるんだヨネ?」

 

 センター分け……俺のことか。でも、『ネクストのプラン』はまだしも『シンク』してるってどういう意味だろ? ……真紅? それともシンクロ?

 シンクロナイズドスイミングの略?

 シンクロ! チャッチャッチャッ、シンクロ!

 オリンピックで行われるようなシンクロナイズドスイミングの映像が頭の中に流れ始める。同時にあの独特な掛け声も脳内で響いた。

 俺が混乱している様子に気付いたようで、呆れたように言い直す。

 

「次にどうするのかって聞いているんですケド?」

 

「普通に喋れるなら、最初からそう言ってほしっ……ぐぶっ!」

 

 話している途中で容赦なく、顎を蹴り上げられる。

 痛みこそなかったが、口が強制的に閉じさせられ、正座をしたままだった俺はひっくり返ったカエルのような体勢で横たわった。

 

「中沢君」

 

 顎を押さえて起き上がろうとする俺を、幻影のヌルオさんが覗き込んだ。

 

「何の特別な力も持たない身でこの場所まで頑張ってここまで辿り着けた君になら、アリナを任せられるよ。あまり善良とは言い難い子だけど、よろしくお願いね」

 

 よろしくと言われても俺は、むしろ力を貸してもらう側なのだから何と返すのが正しいのか分からない。

 返事に困ったので、俺は素直な気持ちを彼へ打ち明けた。

 

「俺がこの場所まで来れたのは全部ヌルオさんのおかげだよ。ヌルオさんからもらった言葉や過ごした時間がなかったら、多分アリナ・グレイさんと同じように都合の良い夢に浸ってた。だから、俺に期待されても困るよ」

 

 幻想のヌルオさんは首を横に振って、笑った。

 

「いいや。中沢君が都合の良い夢から覚めることができたのは、君自身の努力あってのことだよ。僕には君と過ごした記憶や思い出はないけど、もしも本物のヌルオだったのなら、今の君を誇りに思うはずさ」

 

「そう、かな……。そうだったらいいな」

 

 お世辞だとしても、嬉しい台詞だった。

 俺の言葉にまた優しく微笑んでから、彼は別れを告げる。 

 

「それじゃあ、お別れだ……」

 

 黒い衣装が少しずつ形を崩し、銀色の液体へと変化していく。

 アリナ・グレイがこの世界を偽物と受け入れたことで、その一部である彼もまた崩壊するのだ。

 

「本物じゃ、なかったけど、さ……やっぱりあなたも“ヌルオさん”だったよ」

 

 融け落ちていく手品師のシルエットは、最後まで俺とアリナ・グレイを見送っていた。

 俺はそこに彼の魂を見た気がした。

 

「センター分け。置いて行かれたいなら、勝手にしてヨネ」

 

 アリナ・グレイは幻影のヌルオさんには何も言わずに、自分が開けたトンネルの方へと進んで行く。

 自分にとって都合の良い夢から覚めて歩き出した。

 今、彼女の胸の中にある感情は、俺には(はか)れない。

 だが、任された以上は、せめて傍に寄り添うくらいはやってみよう。

 

「アリナ・グレイさん。俺、中沢です。“センター分け”でも、“センター沢”でもないですから」

 

「アリナでいいカラ。ファミリーネーム呼び、嫌いなんだヨネ」

 

 つかつかと速足で前を歩く彼女へ置いて行かれないように俺も歩みを速めた。

 

「えーと……ネクストのプランは一応シンクしてみたんですケドもぉ」

 

「……アリナ、今、喧嘩売られてる?」

 

「ええ!?」

 

 気を遣って謎の口調に合わせてみたが、睨まれる結果に終わった。

 こんな人とどうコミュニケーション取っていけというんだろうか……。

 幸先(さいさき)が思いやられて、俺は頭を抱えた。




アリナの中のヌルオの解像度が高いのは、芸術家としての審美眼が影響しています。
次は果たして、誰のところに行くのか。
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