「中沢君。ここは二手に分かれましょう。これからワタシは別行動をさせてもらいます」
アリナ・グレイ係に就任して早々梓さんが急にそんなことを言い出した。
「ええ!? アリナ・グレイさんの対応するのがそんなに嫌だったんですかっ?」
確かにこの人格破綻者の窓口をさせられるのは拷問かもしれないが、それにしたって辞任するのが早過ぎる。
しかし、彼女の真意はそこではないようで即座に否定した。
「いえ、そうじゃありませんよ。ただ、このまま三人固まって魔法少女を起こしに回るのは危険です」
梓さん曰く、今までと同じ方法で魔法少女を目覚めさせ続ければ、莫大な時間が必要になる。
何より、結界の主である上条恭介に観測されかねない。
それを防ぐためには──。
「魔法少女を一斉に目覚めさせる必要があります。そのための鍵となるのが……」
──調整屋。
八雲みたまの協力が必須である、とのことだった。
八雲さんのソウルジェムに直接干渉する技術を用いれば、同時に大勢の魔法少女を起こせる可能性がある。
そうなれば、一人一人の幻影世界に入る手間はなくなる。
でも、それなら。
「全員で八雲さんを起こしに行けばいいんじゃないですか? 八雲さん一人でどうにかなるなら、残された俺たちは別に魔法少女を起こしに行く必要ないんですし」
梓さんに聞くと、彼女は首を横に振る。
「中沢君とアリナには、恭介君の注意を引くためにも今まで通り魔法少女を目覚めさせに行ってもらいます」
「え、つまり、それって……」
「はい。平たく言えば、
平たく言われてしまった。
アリナ・グレイと二人に戻ることだけでも辛いのに、囮役まで押し付けられるなんて溜まったもんじゃない。
幼いみふゆちゃんが持っていた純粋な優しさはいずこ?
どうにか考え直してもらおうと説得を試みるが、梓さんの意見は変わらなかった。
「優しいだけで甘い、梓みふゆはもう終わりです。中沢君、大変かもしれませんが、ここまで自分の意志で来たからにはもう少し身体を張ってもらいます」
「えー! 終わりにしないでぇ! 甘ったるい梓さん、カムバーック!」
「カムバックしません」
ぴしゃりと切り捨てられる。
梓さんは短い別れの言葉を告げてから、俺とアリナ・グレイと違う方向の壁をチャクラムで破壊し、その奥へと消えていった。
彼女を見送った後、珍しくずっと静かだったアリナ・グレイを振り向くと、ぼんやりと俺の方を見つめていた彼女と視線がぶつかる。
「…………」
無言の圧力。
怖い……。怖過ぎる。
不良か? いや、不良どころじゃなかった。よく考えたら極悪人だった。
冷静に考えると、俺はよくこの頭のおかしい悪党魔法少女と一緒に居られるものだ。
この幻影世界が怪我や痛みのない空間でなかったら、絶対に関わろうとも思わない。
「な……何ですか?」
「別に……。魔法少女をファインドしに行くんだったヨネ。なら、もっとスピーディーにしてほしいんですケド」
「はあ。すいません」
興味がなくなったとばかりに彼女は目を逸らして、立方体から放たれる黄緑色の光線で壁に入り口を開ける。
先導するアリナ・グレイの後ろを僅かに離れて俺も続いた。
ボソッと呟かれた誰に向けたものでもない言葉が耳に届く。
──アリナの探し物はまだ見つからない……。
反応すべきなのか、聞かなかった振りをすべきものなのか。
俺にはどっちなのか判断しようもなかった。
♩♩♩
次に足を踏み入れた空間は、緑あふれた牧歌的な世界だった。
短い草で覆われた足元やほどよく
草原というよりは、牧場といった雰囲気だ。
その証拠に、そこら辺をのんびりと歩き回る牛や羊たちが居て、更に遠くの方では木製の柵が見える。
「ビースト臭い……」
アリナ・グレイが不快そうに顔を
言われてみれば、獣っぽい独特な臭いがそこら中から漂っている。
それにしても牧場が理想の世界ってどんな魔法少女なんだ。酪農系魔法少女でも居るんだろうか?
とにかく、この世界を願った魔法少女を探さないといけない。
俺は牧場の中心に向かいつつ、視線を巡らせた。
……牛。
……牛。
……牛。
……羊。
……羊。
……馬ァ。
……牛牛牛。
あっちを向いても、こっちを見ても家畜しかいない。
放牧場だとしても異様に広い。この辺りがやはり現実味が薄い部分だ。
あっ……まさか、この家畜のどれかが魔法少女だったりするのか!?
梓さんの外見年齢が幼くなっていたように、姿形は現実と変わっている可能性は充分ある。
もしそうなら、見つけ出すのは相当な手間だ。
だが、だからといって、何もしない訳にもいかない。
俺は覚悟を決めて、近くで草を
「えーと……あなた、実は魔法少女だったり……します?」
ブモォーと野太い鳴き声が返ってきた。違うらしい。
ふと横へ視線をやると、アリナ・グレイがドン引きした目で俺を見ていた。
「クレイジー……」
「あんたに言われたくないわ!」
俺だって好きでこんな真似している訳じゃない。
何が悲しくて牛に魔法少女か聞いて回らなきゃいけないんだ!
アリナ・グレイへ
振り返ると、私服姿の深月ちゃんが腰に手を当て、怒った顔で立っている。
「中沢。牧場で大きな声出すなよ。動物たちがびっくりして危ないだろーが」
「あ。そうだな。ごめん、気を付けるよ」
「何か探しているのか知らねーけど、それならもっと静かにやれよ」
「分かってるって」
深月ちゃんとの話を終えて、俺は再び、近くに居た別の牛に魔法少女かどうか聞こうとして──。
「って、馬鹿ー!」
自分の額を引っ叩いて、セルフ突っ込みを入れる。
「中沢ァ!」と大きな声を出してしまった俺にご立腹の深月ちゃんの肩を掴んだ。
「深月ちゃん。俺、深月ちゃんを探してたんだよ」
「はあ? 何でだよ。さっきから一緒に居ただろ?」
不思議そうな表情で深月ちゃんは小首を傾げる。
彼女は俺がここに居ることに何の疑問も抱いていない。それどころか、ずっと一緒に行動していたと認識している様子だった。
これも幻影世界の特性だ。明らかに
その歪みを認知できない限り、夢からは覚めないのだ。
しかし、俺のことを覚えてくれているなら話は早い。すぐに彼女を目覚めさせるべく、俺は口を開いた。
「深月ちゃん。よく聞いて。これは君が見てる……」
「フェリシア。勝手に一人で先に行かないで」
女性の声が聞こえた。
視線を声の方向へ向けると、知らない女性がいつの間にかそこに
「ごめん。母ちゃん。でも、オレ……」
いつも勝気な深月ちゃんとは思えないほど、殊勝に目を伏せ、謝った。
「言い訳しないの。心配するでしょう?」
少し性格のきつそうな女性はそう言って、彼女を
それを一歩遅れて女性後ろからやってきた男性が
「まあまあ。そこまでにして置こうよ。舞い上がっちゃったんだよな。フェリシアは」
深月ちゃんと同じ金髪の男性は顔の造りからして、外国人のようだったが、話す言葉は滑らかで
「それに彼がフェリシアと一緒に居るのだから、一人じゃないだろう? なあ、中沢君」
爽やかさのある笑顔でお茶目なウインクを俺に送って来た。
……何で、俺の名前知ってるんだ、この人。
いや、幻影世界なのだから理由は分かるが、まったく知らない中年男性が親し気に話しかけて来られると背筋がぞわぞわする。
「えっと、一応確認なんだけど。この人たちって……」
「? オレの父ちゃんと母ちゃんだよ。知ってるだろー?」
今更何を聞いているんだとばかり、キョトンとした顔で俺を見上げる深月ちゃん。
話の流れからそうだとは思っていたが、本人の口から聞かされると情報の重さが変わってくる。
なぜなら、俺は深月ちゃんから聞いていた。
彼女の両親が魔女の起こした火災によって命を落としたことを。
深月ちゃんが夢想したものは、彼女のお父さんとお母さんが生きている世界だった。
♩♩♩
「中沢ー! 牛可愛いよなぁー、牛」
「ああ、そうだな。可愛いなぁ……」
放牧している牛に触って、目を輝かせている深月ちゃんへ俺は曖昧に微笑んだ。
視線はどうしても傍に居る二人の男女に吸い寄せられる。
外国人風の大らかな雰囲気の男性。少し神経質そうな印象のある女性。
深月ちゃんのお父さんとお母さん。
「でも、一番可愛いのはフェリシアだよ。なあ、中沢君」
「はあ……そうですね」
特にお父さんの方は、やたらと俺に好意的だった。
この距離感は何なの……。逐一、俺に話を振ってくる。
お母さんの方は俺よりも娘の方に夢中のようで深月ちゃんをデジタルカメラで何度も撮っていた。
最初こそ、きついそうな雰囲気があったが、決して娘が嫌いな訳ではないことは感じられた。
「……深月ちゃん。今、楽しい?」
「はあ? 当たり前だろー。見て分かんねーのかよ」
ぶっきらぼうな口調だが、その顔は笑顔で
そんな彼女を見て、胸の奥が痛んだ。
俺は、この子の幸せな笑顔をこれから壊そうとしているのだ……。
肉体的な痛覚のない、優しい世界は心に走る激痛を軽減してはくれなかった。
遠くで馬に
何の行動も起こさないことからして、梓さんの世界と違い、俺に一任してくれるつもりなのだろう。
暴れないでくれるのはありがたいが、かえってそれが催促されているようで落ち着かない。
結局、俺は深月ちゃんに真実を告げる機会を逃し続け、彼女と牧場を回るだけに終わった。
「いやー、楽しかったな。中沢」
深月ちゃんは買ってもらった牧場のマスコットキャラクターらしき牛のぬいぐるみを抱き締め、ご満悦で同意を求めてくる。
それに一瞬だけつまりかけたが、何とか笑みを作って返した。
「そ、そうだな。乳しぼりとか体験できたしな」
「中沢は嬉しそうに乳しぼってたよな? 乳しぼるの大好きなのか?」
「その聞き方されると、素直に頷けないんだけども」
分かってるのか分かってないのか、ケラケラと声を出して彼女は笑う。
俺もそこでやっと気が緩んで、笑みを
「さあ、二人ともそろそろ帰るわよ」
「帰りにどこかで食事して行こう。送り届けるのが少し遅くなるかもしれないけどいいかな。中沢君」
深月ちゃんの両親の声を聞いて、俺は笑みを消す。
その様子に気付いた深月ちゃんは覗き込んでくる。
「どうした? 中沢? オレ、ちょっとからかい過ぎた? 怒らせちまったなら……その、ごめん」
「いや、違うよ。……違うんだ。でも、深月ちゃんに話さないといけないことがあるんだ」
首を横に振る。
胸が痛い。声が裏返りそうになる。
何で、こんなにも辛いんだ……?
こんなにも苦しいんだ……?
「何かあったのかい? とりあえず、話は車の中にしようじゃないか」
深月ちゃんのお父さんが俺たちの様子からを不穏な気配を察したらしく、取り成すようにそう言った。
気遣いのできる、良い人だ。
優しいお父さんだ。
「そうね。車の中で夕食のお店を決めましょう。フェリシアは何が食べたい?」
「オレ? オレは……ステーキかなー?」
「あれだけ牛を可愛がってたのに、食べちゃうのね。フェリシアらしいけど」
言い慣れていない冗談で場を和ませようとするお母さんも、不器用ながら優しさを感じられた。
下唇を噛み締める。
強く、強く、ちぎれるほど強く噛んでいるのに、血液一滴
握った拳は震えている。
「どうしたんだよ、中沢……何で泣きそうな顔してんだ? 嫌なことでもあったのか?」
そんなお父さんとお母さんの優しいを両方とも受け継いだ深月ちゃん。
違うんだよ……。
俺だよ。俺がこれから君に、嫌で、辛くて、苦しいことをしないといけないんだ……。
ごめん。
ごめんごめんごめんごめんごめん。
本当にごめん。
「深月ちゃん……君の、お父さんとお母さんは……」
喉から絞り出すように言葉を吐く。
それでも目だけは彼女の顔をしっかりと正面に見据えた。
卑怯な逃げ方だけはしたくなかった。
「死んだんだよ……。もう現実には居ないんだ……」
「何、言ってんだよ……何言ってんだよ、中沢ぁ! 冗談でも言っていいことじゃ……」
「冗談なんかじゃないんだっ!」
冗談だったら良かった。
それが最低な発言をする奴で終わる話だ。
だけど、そうじゃない。
そうじゃ……ないんだ。
「深月ちゃんの両親は死んで、もうどこにも居ない。だから、現実の世界では、深月ちゃんはみかづき荘ってところで暮らしてる。そこには君の頼りになる友達が居るんだ」
この優しい両親の代わりにはなれないかもしれないけど、同じくらい君を愛してくれる人たちが居る。
「環いろはさん。由比鶴乃さん。二葉さなさん。梓みふゆさん。それから家主の七海やちよさん」
「……知らねー……知らねー知らねー知らねー知らねー! そんなヤツら、誰一人だって知らねーよ! お前の言ってること、全然分かんねー! 父ちゃんも母ちゃんもここに居るだろ! ウソ吐くなよッ!」
喚きながら深月ちゃんは俺に掴みかかる。
混乱と怒りと、それから不安の色がその瞳から
ああ、分かるよ。
俺がもし深月ちゃんと同じ立場なら絶対にそうなる。
最低のことを言われて、ふざけるなって思うよな……。
でも。
「嘘じゃないんだよ。ここは深月ちゃんが見ている夢みたいなものなんだ。だから、目を覚まして……」
「ウソだウソだウソだ。そんなのぜってー信じない! オレの父ちゃんも母ちゃんも死んでなんかねー! ここが現実だ! 夢なんかじゃねー! そんなウソ吐く中沢なんて死んじまえ!」
泣き叫び、彼女は俺を突き飛ばす。尻餅を突いた俺は、彼女から少し離れた草の上に倒れた。
その瞬間、牧場の片隅に居た数頭の牛たちの腹が
「……!」
避けた腹から
それは卵から孵化した幼虫の如く牛の腹から抜け出すと、身を捩らせ、一つのものへと混ざり合っていく。
巨大な芋虫となったそれは先端が丸く膨らみ、
魔女……? それともウワサの化け物……?
いきなり現れた腸の化け物は、空中で身をくねらせ、俺へ向かって襲い掛かってきた。
あっという間に目の前までやって来ると、分銅の腕を俺の頭目掛けて振り下ろす。
「ぃいッ!?」
避けられない!
本能的に顔を庇って、腕を交差する。
だが、俺と分銅の間に人影が割り込んだ。
黄緑色の後ろ髪が揺れる。
「グレイさん!?」
アリナ・グレイが手のひらの先に生み出した三つの立方体。
それが分銅の腕を受け止めていた。
俺を助けに? この邪悪な魔法少女が?
この目に光景に戸惑いが湧き出る。
だが、状況はそんな余裕を許さない。
「チィッ……」
攻撃を押し留めていた立方体に
くるりと振り返ったアリナ・グレイが倒れている俺の胸倉を引っ掴み、その場から飛び退いた。
分銅の腕は立方体を砕いてなお勢いを持って、地面を殴り付ける。
草を抉り、その下の地面へとその衝撃を解き放った。
衝撃で飛んだ小石が弾丸じみた速度で俺の頬にまで飛散する。
「痛ッ……え!?」
頬に走った痛みに、驚愕を覚えた。
あり得ない。ここは痛みの存在しない場所のはず。
反射的に触れた指先が更にあり得ないものを知覚する。
「血……?」
血だ。真っ赤な血が微量だが、頬から流れている。
この時、俺は理解した。
さっきまで保障されていた絶対的な安全がたった今、消滅したということを。
同時に気が付く。
アリナ・グレイよりも離れた位置に居た俺ですら傷を受けたのだ。それなら俺を庇うように立っていた彼女は……。
「グレイさん!」
「アリナだって、何度もスピークしてしてるんですケド……」
アリナ・グレイの右手。そこで小石の散弾を受けたのか、剥きだしの白い肌は赤い花に彩られていた。
無数の傷口がまるで赤い花のように開いている。
その内、いくつかは肉の中にめり込んだ小石の欠片が埋まっていた。
「怪我したんですか!? 俺を……」
──庇うために。
その言葉は口にした俺でさえ、到底信じられるようなものではなかった。
「ごちゃごちゃノイジーなんだヨネ。トークしてる暇があったら、さっさとランナウェイしてほしいんですケド」
そう言って、彼女は俺を突き放す。
俺は僅かに迷ったが、アリナ・グレイから視線を腸の化け物へと移動させた。
地面にめり込んだ分銅の腕を引き抜き、閉じた一つ目をこちらに向けている。
深月ちゃんは無事なのか……。
彼女の安否を確認するために目をさまよわせる。
居た。
腸の化け物よりも奥に顔を押さえて小さく呟いている。
「ウソだウソだウソだ。違う。これは夢なんかじゃない」
誰に言うでもなく、吐き出しているその言葉は自分自身に言い聞かせているように見えた。
その近くで幻影の両親はマネキンのように棒立ちしている。
様子がおかしいが、それでも化け物の標的になることもなければ、化け物の存在に怯えてもいない。
一体、何が起きているんだ……。
突如、現れた謎の怪物に、復活した怪我と痛み。
それに俺を助けてくれるようになったアリナ・グレイ。
分からないことで一杯だ。
ただ、俺に分かるのは今の状況が最悪に近いということだけだった。
想定よりも長くなりそうなので一旦投稿します。