ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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外伝 鈍色の転落

「……油断しました。まさか、アナタが立ち塞がるなんて……」

 

 想像だにしていなかった襲撃者に襲われ、負傷した肩を押さえ、ワタシはビルの屋上から屋上へと飛び移る。

 夜の高層ビル街。(そび)える摩天楼は現実離れした高さで屹立(きつりつ)していた。

 煌々(こうこう)と灯るビル内の明かりが闇の中を裂くように照らす。

 わざとらしく羽音を立てて、襲撃者はワタシの背後を追い立ててくる。

 

「“まさか”、……何ですか? 黒羽根の魔法少女なんかから逃げるとは思ってもみませんでしたか? 白羽根様ぁ……」

 

 夜空の闇よりなお黒い、漆黒の翼を持つ襲撃者はそう言ってワタシを嘲笑う。

 その皮肉には言い知れない怒りと侮蔑が(にじ)んでいた。

 

「黒江さん、でしたか? アナタのお名前は……?」

 

 ワタシがその名を呼ぶと、はためくフードの下から覗く瞳がほんの少し驚いたように見開いた。

 

「……へえ。私のこと、ご存じでしたか? あなたみたいな人は下々の者の名前なんていちいち覚えてないと思ってましたけど」

 

「これでも白羽根の中は誰よりも部下想いだと自負してましたが?」

 

「裏切り者がいけしゃあしゃあと……。上条様を見捨てた癖に、白羽根を名乗らないで!」

 

 先にその役職()で呼んだのは彼女なのだが、理不尽にも言い返したワタシへ怒りの眼差しをぶつけてくる。

 ここで見捨てたつもりはない、などと言ったところで火に油を注ぐだけなのは目に見えていた。

 それでも会話をする気があるのなら、話術で傷の治癒させる時間を稼ぐまで。

 

「それはすみません。……でも、はっきりと意志があるんですね。てっきり、魔力で作られた偽物と思っていましたけど、そういう雰囲気ではないように見受けられます」

 

 巨大なアンテナが目立つビルの一つで逃げ回ることを止め、黒江さんに向き直る。

 黒い鳥の頭を模した魔力で覆われた頭部、背中から生えた漆黒の巨大な翼。

 間違いなく、その力はドッペル。

 つまり、魔法少女としての自分を正しく認識しているということ。

 

「それに、その強さ。黒羽根どころか白羽根……いえ、マギウスのドッペル並みの実力は一体いつ手に入れたんですか?」

 

 本人ではないと考えたのはその尋常ならざる強さからでもあった。

 いくら不意を突かれたと言っても、直撃は避けた。にも(かかわ)らず、ワタシの左肩は一撃で骨まで抉られている。

 彼女の実力は入りたて黒羽根の中でも取り分け、低かったと記憶している。

 だからこそ、心配になって名前を聞いていたほどだ。

 仮に実力を隠していた可能性を考慮したとしても、黒羽根の立場で甘んじていた理由がまったく分からない。

 白羽根の立場で居た方がマギウスの翼内での行動だって自由が利く。

 と、なればその力は……。

 

(ドーリム)・ドッペル。上条様が私に下さった夢を守る力よ。『君がそんなことをする必要はない』とあの方は言ってくださったけど、絶対にこの世界を壊させないために私が自分から守護役を買って出たの……」

 

 やはり、恭介君の由来の力か。

 (ドリーム)・ドッペル……。

 ここまでの馬鹿げた空間を生成できる魔力があるなら、その一部でも膨大。

 分け与えられたのが黒羽根だとしても、尋常ならざる強さを得ていてもおかしくない。

 何より、痛覚や損傷のないはずの結界内で手傷を負わせられたというイレギュラーがその確たる証拠。

 一方的にルールを捻じ曲げられるのは主催者側に他ならない。

 

「教えてあげるわ、梓みふゆさん。このドッペルは精神汚染もなければ、暴走の危険もないまさに夢のような力なの。私が願った分だけいくらでも強くなれる最強の力……」

 

 悦に浸って高説を垂れる彼女の姿からは、力に酔い痴れる狂気を感じた。

 精神はとっくに汚染されているのではないかとさえ感じられる。

 けれど、それはきっと魔力のせいではなく、本人の資質だろう。

 突然力を持った弱者故の愉悦といったところか。

 

「それがアナタの願いなんですか? こんな場所で身の丈に合わない力に溺れるのがアナタの望む希望の世界の在り方なんですか?」

 

 ワタシの言葉に黒江さんが憤慨した顔で睨み付けた。

 

「……これだから“強い魔法少女”は嫌いなの……。まるで自分たちだけが絶対に正しいみたいな顔で弱者(わたしたち)を責め立ててくる……もちろん、違うに決まってるじゃない。あなたみたいなのが居るから安心して夢を見られないだけよ。大迷惑なの。だからさっさと消えてっ!」

 

 黒い汚泥のような翼が羽ばたき、こちらを叩き潰そうと振り下ろされる。

 どうにか骨までは癒やしたワタシは、身体を捻って翼の殴打を(かわ)す。

 大雑把に振るわれた漆黒の一撃は巨大なアンテナごとビルの屋上を粉砕した。砕け散ったアンテナの破片は細かく飛散し、彼女の視界を(さえぎ)る。

 同時に両手に作り出したチャクラムへ回転(スピン)を加え、迂回させながら黒江さんの背後を狙った。

 

「っ……!」

 

 反射的に目や鼻に飛来する破片を避けるため、彼女は折り曲げた翼で顔を覆い隠す。

 いくら強大な力を手にしようと、魔法少女としての戦闘経験の浅さは変わらない。

 その点でいえば、ワタシには七年間のアドバンテージがあった。

 やっちゃんと違って、ワタシは資質だけで戦ってきた訳ではない。地形や状況を利用した戦術、相手の意表を突く思考。それらがあってようやく親友と並ぶことができた。

 黒江さんは背中から接近するチャクラムに気が付かず、その両翼を付け根から切り落とされる──はずだった。

 避けられたのでも、防がれたのでもない。刃は間違いなく翼の付け根へと直撃した。

 直撃した上で弾かれ、衝突したチャクラムの方が(ひび)割れて粉々になったのだ。

 空中に浮かぶ彼女は衝撃で僅かに前へ押し出されたが、その程度でしかない。

 遅れて背後から攻撃を受けたことに気付いた黒江さんが、首だけで背中を確かめ、視線を戻した。

 

「ああ……何か小細工しようとしたの。でも、残念でした。D・ドッペルは魔法少女の魔法じゃ、傷一つ付けられない。無敵の盾で……」

 

 再び、広げた黒翼が残っていたビルの床を叩き壊す。

 

「最強の矛なのぉ!」

 

 加虐的な笑みを浮かべた彼女は破壊の限りを尽くしていく。

 夜空に貼り付いたように浮かぶ黒江さんは、二枚の翼を交互に振り上げ、ワタシの足場を奪い去った。

 宙に投げ出されたワタシは当然の如く、重力の支配下に置かれ、落下していく。

 真下には、夜の帳よりも遥かに深い闇が広がっていた。あまりにもビルが高層に位置している……というよりはそもそも地面など存在しないように思える。

 

「っく……!」

 

 空中で体勢を変え、生み出したチャクラムをビルの側面へ打ち込み、そこへ掴まった。

 フラフープの要領で内側の隙間を潜り、刃の上に乗って即席の足場とする。

 奈落の底へ落ちていくことだけは免れたけれど、状況はまったく好転してはいない。

 こちらの攻撃はほぼ効果がない。加えて、向こうは自在に空中を移動でき、一方的に攻撃が可能。

 しかし、勝ち目がゼロという訳でもない。

 あれだけの強力な力を得ていながら、未だにワタシへ決定的な致命傷を与えられていない。

 本来であれば、最初の不意打ちで終わっていてもおかしくないほど彼我の差が激しいにも関わらず、ワタシはまだこうして生きている。

 理由は何故か?

 それは黒江さんの魔法少女としての技量は並以下だから。

 攻撃の照準が非常に(つたな)い。足場を壊したのもそれが狙いではなく、ワタシへの攻撃が外れた結果に過ぎない。

 防御面でも背後から迫るチャクラムに気付けないほど迂闊(うかつ)だった。

 D・ドッペルが覆っていない生身の部分であれば、あの時点で勝敗が決していた可能性すらあった。

 精神面でも油断と過信が多く、未熟さが感じられる。

 その点をうまく突けば、彼女を倒せるはず……。

 ワタシはそう確信し、ちょっとした小細工を(ろう)して黒江さんが降りてくるのを待った。

 

「まだ落ちてなかったの? 見っともなく壁に貼り付いて……イモリみたい」

 

 わざとらしく羽音を聞かるように、黒江さんが下降してくる。

 

「壁に貼り付くのはイモリではなく、ヤモリです」

 

 誤った皮肉に対して、正しい答えを告げると彼女は目を吊り上げて激昂した。

 

「そういうところが……嫌いだって言ったでしょ!」

 

 苛立ち紛れの両翼の鉄槌が直線で振り抜かれる。

 動かし方にバリエーションがない。馬鹿の一つ覚えのような正面から挟み込むような殴打。

 ただし、逃げ場のないこの状況ならそれも一概に悪手とは言えなかった。

 黒江さんは勝利を確信した笑みを滲ませる。

 その気の緩みをワタシは待っていた。

 翼が激突する寸前、足場にしていたチャクラムの刃からわざと足を踏み外す。

 輪の中を通り抜け、()()()()()()()()()()()真下のチャクラムの足場へと降り立った。

 深々とビルの側面にめり込んだ翼の陰。彼女にとって死角となる位置から新たなチャクラムを放る。

 回転(スピン)をかけた鋼鉄の輪は弧を描き、がら空きになっていたD・ドッペルの隙間──彼女の腹部へと突き進んでいく。

 

「……!」

 

 武器である両翼をビルへと押し込んでしまった彼女には防ぎようもなければ、避けようもない。

 強すぎる威力が仇となり、漆黒の両翼はそう簡単に引き抜けないほど奥へと食い込んでいたからだ。

 翼を横凪で振り抜かれる可能性も考え、付近に第二第三の見えない足場も作っていたがもはや不要。

 勝敗は決した。

 そう感じた瞬間だった。

 鈍い衝突音が響き、チャクラムが弾かれ、砕け散る。

 剥き出しだった黒江さんの腹部は刹那の間に黒い魔力で覆われていた。

 

「そんな……!?」

 

『あーあ……まさか、あなた相手に切り札まで使わされるとは思わなかった』

 

 加工したかのような声音がそれから漏れた。

 先ほどまでの彼女とは規格(サイズ)輪郭(シルエット)も異なる姿。

 巨大な(カラス)。いや……黒い(タカ)

 ビルの側面を抉る暗黒の翼には鎖で繋がれた象牙のようなものが生え、胴体には手首から先のない腕が二本付いている。

 ドッペルというよりもはやこれは……。

 

「魔女!?」

 

『失礼なこと言わないでよ。これは私のD・ドッペルの本当の姿。さっきは盾で矛って言ったけど、それはD・ドッペルの本質じゃない』

 

 加工して二重にしたような声で黒江さん──夜鷹は語る。

 

『D・ドッペルは鎧なの。夢から無理やり引き剥がそうとする外敵から魔法少女(わたしたち)を守る絶対の鎧……。どんな魔法だって傷一つ付けられない。それが〈夢想の二重身(ドーリム・ドッペル)〉』

 

 肌に感じる魔力(けがれ)の総量はさっきまでとは比べ物にならない。

 マギウス並みどころかそれ以上だ。

 口の中が干上がり、じっとりと背中に冷や汗が伝う。

 

『ああ。これ、そろそろ抜かないと』

 

 ビルに突き立てられた巨翼が、壁面を抉りながら“外側に”動かした。

 窓ガラスは雨のように降り注ぎ、瓦礫を内から掻き出しながら、翼は宙へと広げられた。

 削れられたビルは齧られた根菜のように一部だけが大きく削り取られている。

 これだけのことが起きたのにも拘わらず、チャクラムの足場にはまったく揺れがない。薙ぎ払った翼の風圧もまったく感じなかった。

 その不自然な物理法則が、ここは現実とは違うと強く思わせる。

 

『それじゃあ……終わりにしようか?』

 

 夜鷹がワタシに尋ねてくる。

 圧倒的な力を見せつけて気分を良くしたせいか、嘲りは嘘のように鳴りを潜め、淡白な態度だった。

 それがかえって絶望感を加速させる。

 もはやワタシは彼女にとって苛立ちを感じさせる敵ではなく、叩けば潰れる羽虫のようなものとして見ていた。

 先ほどまではまだ魔法少女の範疇に留まっていたが、今は違う。

 知性を保持した無敵の魔女。

 敗北は必至(ひっし)だった。

 死が脳裏を過ぎったその時。

 

〈そこまでにしてあげてよ、黒江……〉

 

 空間に響き渡る何者かの声。

 聞き覚えのあるその声音の主は──。

 

『上条様……! どういうことですか!? こいつは裏切者なんですよ? 夢を壊そうとしている悪者なんですよ? ……それなのにどうして!?』

 

 夜鷹が動揺した様子で天を仰ぐ。

 ワタシも同じように上を眺めたが、夜空に星々が輝くばかりで他に何もない。

 

〈関係ないよ。彼女もまた僕が救うべき魔法少女だ。だから、処遇については任せてくれないかい?〉

 

 穏やかな声には慈愛の感情すら籠っていた。

 顔も見えないにも拘わらず、頭の中で彼が微笑む表情がありありと想像できる。

 

〈頼むよ。黒江……〉

 

 力を授けた配下に向けて、威圧することなく、どこまでも優しげに懇請(こんせい)する。

 折れたのは夜鷹の方だった。

 

『分かりました……上条様がそう言われるなら、私はそれで構いません』

 

 不本意だというのが声に滲んでいたが、それでも主の意見を押し退けるつもりはなく、不承不承(ふしょうぶしょう)で引き下がる。

 

〈わがままを聞き入れてくれてありがとう。君も楽しい夢を見て。終わりが来る最後の時まで〉

 

『はい……』

 

 夜鷹は最後にワタシを横目で一瞥した後、両翼を大きく羽ばたかせ、上へと飛び去った。

 あまり状況は呑み込めないが、直面していた危機から脱したことで僅かに気が緩む。

 無意識にビルの壁に背中を預けたその瞬間、後ろにあった感触が唐突に消えた。

 

「えっ……!?」

 

 身体が背後に(かし)ぐ。

 一瞬の浮遊感の後、気付けばワタシの身体は仰向けに横たわっていた。

 後頭部には弾力を持った柔らかな感触。そして、目の先には、くすんだ長い銀髪の人物の顔が覗き込んでいる。

 ()()()()()()……?

 

「恭介、君……?」

 

「こういうの、久しぶりに感じますね。みふゆさん」

 

 ワタシは襟足を伸ばした恭介君に膝枕をされていた。

 目鼻立ちの整った顔は相変わらず美しかったが、その眼差しはとても大人びていた。

 穏やか過ぎる(なぎ)のような雰囲気はとても中学生とは思えない、老成したものだった。

 腰まで長く伸びた髪も今の達観した彼にはどこか似つかわしいとさえ感じられた。

 鼻腔(びこう)をくすぐる花の香りに視線を彷徨(さまよ)わせると、濃い紫色の花が辺り一面に咲き誇っている。

 色と花弁の形から見て、アツミゲシだろうか。咲き誇る花々の高低差から、この場所が緩やかな丘になっているのが判断できた。

 

「でも、前は逆でしたよね。フェントホープに軟禁されて不安定だった僕を、あなたが膝枕で慰めてくれていた。魔法で優しい夢を見せてくれたのもあなたの方でした」

 

 恭介君の言葉で我に返ったワタシは跳ねるように起き上がると、花畑に座る彼へ即席で生み出したチャクラムを突き付ける。

 

「恭介君……。もうこんなことはやめてください。これ以上、魔法少女のために罪を重ねないでください!」

 

「“罪”、か……。みふゆさん。人は何を(もっ)て個人の行いを罪と定義するのでしょうね」

 

 立ち上がった彼は長く伸びたその髪を僅かに揺らし、ワタシへ問いかけた。

 その様子からは平静。どこまでも穏やかで優し気な雰囲気を崩さない。

 

「夢を見せることは罪ですか? 不条理な現実からほんの一時でも目を逸らさせることは悪なのでしょうか?」

 

「ワタシがあなたにしたことも同じだと、そう言いたいのですか……? ワタシの幻覚とアナタの結界ではもたらす状況の規模が違います! 何より、ワタシは後悔しています。あの時、魔法の夢などで誤魔化すのではなく、アナタを連れて、マギウスの翼を抜けるべきだった……! 現実でアナタを救うべきだったんです!」

 

 後悔している。

 ワタシは逃げた。部下の魔法少女が自分を慕っているからと、マギウスの都合で振り回される彼を見過ごした。

 幻覚の魔法で楽しい夢を見せて、それで彼に対して何かしたつもりになっていただけ。

 見せかけだけの優しさ。この結界と同じ。

 麻薬で苦しみから逃避するのと大差ない。

 

「いいえ、みふゆさん。僕はあの時、確かに安らぎを感じていた。救われていたんです。それが泡沫の夢だとしても、そこに幸福はあったんです」

 

 ローブの隙間から取り出した彼の手が、チャクラムの刃に触れる。

 白魚のような人差し指で表面をなぞった瞬間、チャクラムは大きなドーナツに変化した。

 

「これは……!?」

 

「楽しい夢では駄目ですか? 心地よい幻の何がいけないんです? 滅びの末路(ミライ)が決まっている現実のどこが一体大切なんですか?」

 

 (うた)うような調子で彼は言った。

 上からはロールケーキやマカロン、ワッフルにパイ、果ては和菓子までもがゆっくりと降り注ぐ。

 

「甘いお菓子は如何(いかが)です?」

 

 その内、スイーツ以外にも様々なものが粉雪のように舞い降りていく。

 

「可愛い洋服。素敵なコスメ。癒しのアロマに、人気のぬいぐるみ、お洒落なアクセサリーだって、差し上げます。さあ、あなたの願い(のぞみ)は何ですか?」

 

 ケシの花を潰しながら、彼が呼ぶものが降り積もる。

 夢の王の号令で世界が無限に貢物(みつぎもの)を献上し続ける。

 絵本のように戯画的で、悪夢のように狂った光景。

 

「自由を侵害しない優しい両親は? 親身になって応援する習い事の先生は? みふゆさんは責任感が強くて優しいですからね。欲しいものを欲しいって言えないんですよね? それでずっと苦しんできたはずだ」

 

 両手を差し出し、恭介君は瞳を細める。

 一切の邪念のない純粋無垢な愛情の詰まった微笑み。ワタシにはそれがとても恐ろしく見えた。

 恐らく……いや、間違いなく、彼には他意はないのだ。

 ワタシを懐柔しようとしている訳でも、力を誇示している訳でもなく、純然たる意志で彼はワタシの幸福だけを願っている。

 狂気じみた無償の愛。極まり過ぎたそれは、およそ人間の精神性で抱ける類のものとは到底思えなかった。

 気圧(けお)されそうになる感情を押し殺し、高らかに宣言する。

 

「恭介君……ワタシはそんなものは望んでいません! ワタシが望むものはアナタがこの歪んだ夢を終わらせることだけです!」

 

「そうですか? それなら……こういう趣向は如何です?」

 

 くすんだ銀色の瞳孔が金色に(きらめ)いたかと思うと、パチンッと彼は指を鳴らした。

 いつの間にか、ワタシは室内に立っていた。

 別の空間に移動された? それとも新しい空間をワタシの周りに生成した?

 どちらもあり得た。彼は結界を自在に操作できる。それこそ万能と表現してもいい。

 だが、連れて来られたこの場所には見覚えがあった。

 

「ここは……みかづき荘!」

 

 紛れもなく、ここはみかづき荘の中だった。

 リビングの前の廊下だ。

 何故この場所を選んだのか恭介君の思惑がまるで分からない。

 狼狽(ろうばい)していたワタシだったが、背後から近付く気配を察し、振り返る。

 そこには二人の少女が不思議そうな表情でこちらを眺めていた。

 

「リビング、入らないの……?」

 

「というか、そんなに勢いよく振り向かれたらボクたちビックリですよ」

 

「メル、何か脅かした……?」

 

「してないです、無実です! かなえさん、何でボクを疑うんですかっ!?」

 

「ん……日頃の、行い?」

 

「ええーっ」

 

 これは夢だ。

 あり得ない。

 おかしい。

 間違っている。

 現実じゃない。

 この二人が同時に存在している訳がない。

 いや、どちらか片方だってあり得ない。

 何故なら目の前に居る二人はとうの昔に死んでいるのだから。

 

「あ……ああ…………」

 

 それなのに涙が止まらない。

 もう二度と会えないと思っていた彼女たちの顔が、声が、ワタシの心を震わせる。

 無意識に伸ばしていた両手が二人の身体を抱きしめる。

 

「えっ……本当にどうした……?」

 

「うわっ、くすぐったいですよ!」

 

 触れた温かい感触が、困惑しきった彼女たちの声が確かにそこで存在していた。

 ワタシにはこれが夢だなんて割り切れない。

 だって、二人はこんなにも温かいのだから。

 

〈ああ。やっぱり我慢していただけだったんですね。いいんですよ、みふゆさん。あなたの現実(ほんもの)はそこにあるんです。幸せになってください。救われてください。報われてください〉

 

 微睡(まどろ)みにも似た甘く痺れる幸福感の中で優しい声が響いた。

 

〈どうか、素敵な希望(ゆめ)を見てください。僕はそんな魔法少女(みんな)を愛しています〉

 

 穏やかで、愛情に満ちた誰かの声。

 一体誰の声だっただろうか。

 分からない。分からないけど、大丈夫。

 だって、ワタシはこんなにも幸福を感じている。

 もう心配する必要はどこにもない。

 リビングからトーストの良い匂いがする。フライパンで目玉焼きを焼いている音も聞こえる。

 ああ、やっちゃんが皆の朝ごはんを作ってくれているんだ。

 早く二人と一緒にリビングに行かないと。

 あの幸せなリビングへと……。

 




忙しいのにいつもよりも長めに書いていました。
どうやら中沢君視点じゃない方が書きやすいようです。
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