「あ。そう言えば深月ちゃん。あの腸の化け物みたいなドッペルはどうやって出したんだ?」
崩れていく牧場の世界を抜ける時、何気なく気になっていたことを尋ねてみた。
あの時は俺も説得に命懸けだったから意識する余裕なんてなかったが、冷静になって考えるとあの状態が何なのかさっぱり分かっていない。
この空間の中でも傷や痛みを与えられるようだったが、どうして深月ちゃんだけがそんな力を持っているのかも謎だ。
「あー、あれな。実のとこ、オレにもよく分かんねーんだよな……。ただ、夢から覚めたくないって思ったら自然と力が湧いてきたっつーか。なんかすごくあったかい感じがしたことは覚えてんだけど」
「あったかい感じ?」
俺の聞き返すと深月ちゃんが頷く。
「父ちゃんに手を繋がれてる安心感と、母ちゃんに抱き締められてるような優しい気持ちを混ぜたような、スゲーほっとする感じって言えばいいのか? とにかく、幸せなイメージだったぞ?」
両手を大きく広げて身振り手振りで語る彼女の表情からもネガティブな印象はなかった。
むしろ、快適だったようにすら聞こえる。
見てくれはドッペルと同じで、おどろおどろしい外観だったがその本質はまったく違うのかもしれない。
「なれるならリピートしてみせてほしいんだヨネ」
先導していたアリナ・グレイが首だけを肩越しに逸らす不気味な振り向き方をする。
話していた深月ちゃんはびくりとして、俺の服の裾を握って警戒心を
「……つーか中沢、何でコイツと居るんだよ。確かマギウスとかいうヤツだったよな? 遊園地の時にも鶴乃相手に暴れてたし、オレらの敵だったはずだろ……?」
「それはまあ、成り行きって奴で味方になった……みたいな?」
曖昧な返答と共に同意を求めてアリナ・グレイへ視線を飛ばす。
しかし、彼女は妙な振り向き加減で、首をぐりんぐりん動かして否定した。
「別にそんなつもりはないんですケド。アリナ的には探し物をファインドしたいだけだカラ」
「そんなつもりはなかったらしい……。で、でも、ほら、悪い人……ではあるな。何だろ、一緒にして安心できる材料がない……」
今更ながら、一緒に居て大丈夫なんだろうか。
一応、守ってもらった手前、悪く言うのは気が引けるが、お世話にもまともとは言い難い性格をしている。その上、人を傷付けることにまったく抵抗のない倫理観の持ち主と来てる。
正直、気まぐれでいつ裏切って来てもおかしくはない。
「うん。まあ、大丈夫だと思う……思いたい。ま、ちょっとは覚悟しといて」
「何をだよ!?」
気持ちの良いツッコミが入ったところで、また新たな空間が見えてきた。
今度の空間は、白い背景をどこまでも引き伸ばしたような場所だった。
大地を覆っているのは純白の氷雪。吹雪が空を支配し、常に薄っすらと視界を曇らせる。
木の一本すら見当たらない完全な雪景色にも
「雪の世界って感じの割りに、あんまり寒くないな」
肌に伝わる気温はあくまで
俗っぽく例えるなら、冷房の効いた屋内に入ったような心地だった。
加えて、凄く明るい。日の光が拡散するように周囲に広がっていて、まったくと言っていいほど薄暗さはなかった。
明らかに雪原といった風景なのに、屋内に例えてしまったのはそれが原因だろう。
「この結界内は魔法少女が負の感情を抱かないように、苦痛に感じる感覚は排除されている」
そう答えたのは吹雪の中に
「……!?」
俺たちはそこで雪以外の物体を捉えた。
声を発するまで気付けなかったのは、彼女の衣装が背景と同じく純白だったからだけではない。
まるで気配が感じられない。
存在感がなかったという訳ではなく、その逆だ。
あまりにも大き過ぎる存在感が空間そのものと同化していた。
この眩い雪の世界全てが彼女であるかのような錯覚に陥る。
それほどまで厳かで広大な雰囲気が彼女から立ち昇っていた。
「和泉、さん……?」
「こうして素顔を拝見するのは初めてになるな、謎沢クン」
「…………中沢です。そっちはあのマスコットの名前なんで」
「そうか。では、改めて。初めまして、中沢君。上条様の守護者を務める魔法少女、和泉十七夜だ」
真顔で訂正を受け入れ、自らも名乗りを上げたのは神浜ミレナ座の常連だった魔法少女、和泉さんだった。
上条の守護者って……どういうことだ?
和泉さんもマギウスの羽根だったってことなのか?
いや、そもそもこの結界内に居ることを正しく認識しているのはどうしてなんだ?
次々に湧いてくる疑問に考えが追い付かない。
だが、そんなことさえ、置き去りにする内容を彼女は言う。
「単刀直入で悪いのだが、中沢君。上条様のために一つ死んではくれないか?」
見知った顔から聞かされた端的な死の要求に俺は自分の耳を疑った。
普段の凛々しい表情や平坦な声のトーンで発せられた内容にしてはあまりにも物騒な相談。
タチの悪い冗談のようにしか聞こえない。
「……あの、今なんて」
「チャイルド!」
問い返そうとした途中でアリナ・グレイの気迫の籠った声が遮った。
ほぼ同時に俺は深月ちゃんに腰をひったくられるように抱えられ、連れ去られる。
俺を抱きかかえたまま、彼女は大きく真横へ跳ね飛んだ。
同時に黄緑色の閃光が爆ぜる。回る視界で風に舞う雪を蹴散らし、俺がさっきまで居た場所に何かが突き立てられているのを捉えた。
巨大な剣だった。
地面へ垂直に突き立てられた白い純白の剣は、その形も相まって十字架の墓標のようだった。
『……今ので終わらせるつもりだったのだがな。思ったよりも君らの連携が上手だったのか、それとも自分がこの力に慣れていないだけなのか。どちらにせよ、精進が足りなかったようだ』
和泉さんの姿はそこにはなかった。
正確にいうなら、
巨大な四本脚の獣。
美月ちゃんがなった腸の化け物の二倍、いや、三倍の大きさをしている。
本来、両目がある位置には、眼球の代わりにアジアの民族的な仮面がそれぞれ
長く伸びた真っ白い体毛で覆われ、脚の代わりに両刃の剣が生えている。
一見すると獅子舞のようにも映るその姿に似たものを俺は知っていた。
母さんが何気なく眺めていた、バリ島の旅行ガイドブック。
その中のバリ島の伝統儀式のところにちょうどこんな姿の守り神が載っていた。
聖獣バロン。バリ島に伝わる獅子の姿をした守護者。
疫病を払うの舞台劇でバロンの似姿を纏って踊るという内容の記事だった気がする。
見た目のインパクトが強かったせいで、俺もそこだけは鮮明に覚えていた。
悪の象徴である魔女と戦う、善を象徴する聖獣。
あらゆる災害を防ぐ力をもつと信じられている守り神。
その姿は、和泉十七夜という潔癖な魔法少女に似つかわしく感じられた。
『アリナ・グレイ。さしもの君の魔法も
四足獣の化け物……いや、D・ドッペルとかいう存在になった和泉さんは巨体を動かしながら、俺たちへそう告げた。
深月ちゃんの時と同じ重なり合って反響する声音。
どうやら、今の和泉さんならあの時の深月ちゃん同様、一方的に攻撃できる状態になっている様子だった。
「……アリナの手下の手下風情がアリナにオーダー? 冗談じゃないんですケド?」
「オレもアンタに従う理由はねーな。遊園地の時は助けてもらったけど、それとこれとは話が別だ!」
二人とも俺を差し出せば助けてくれるという和泉さんの提案を突っぱねる。
凄くありがたいし嬉しいが、D・ドッペルには魔法が効かないのなら対抗する手段は彼女たちにもない。
絶望的な状況には変わりなかった。
『であれば不本意だが、少し痛い目を見てもらう必要がある。自分としては力づくで相手を屈服させるような真似は二度としたくはなかったが、それでもあの方の願いを叶えることこそ我が使命……いいだろう。かかって来るといい』
残念そうにそう語る和泉さんの言葉には裏があるようには思えなかった。
本当に。本当に不本意だという感情が滲んでいた。
表情は見えなかったが、獅子の瞳の仮面は心なしか悲し気に見えた。
そこから先は戦闘とも呼べないものだった。
俺というお荷物を庇いながら、逃げに徹する二人だったがそれでも一分も持たなかった。
傷だらけで雪原に横たわる深月ちゃんとアリナ・グレイ。
彼女たちの戦闘意志が
『中沢君。何か思うことはないのか? 君のせいで彼女たちはしなくてもいい傷を負い、倒れ伏している。すべては君がこの結界に侵入したから起きた悲劇だ。上条様の与えてくださった優しい夢を取り上げたせいだ。そうだろう?』
「…………」
『言葉もないか。無理もない。所詮、何の力も持たない君ではこの程度が関の山だろう。しかし、生半可な覚悟でここまで来た代償は支払ってもらう』
前脚の剣を俺へ突き付ける和泉さんからは、微塵の容赦も見られない。
だけど、俺は言わずには居られなかった。
「どうして、ですか……?」
『何がだね? 己が殺される謂れはないとでも言いたい訳か? それとも自分が上条様に
「どっちも違いますよ! 俺が聞きたいのは……何であいつにこんな辛いことやらせたままにしてるのかってことですよ!?」
『……何が、言いたい?』
何が言いたいのかって?
なんでそんなことが分からないのか、俺にはそっちの方が理解できない。
和泉さん。あんた、上条の守護者なんだろ!? 上条のやってること知って、それでも味方になろうって思ってくれてんだろっ!?
じゃあ、何で分からないんだよ……。
「こんなことやって一番傷付くのは上条自身だろうがっ! 何でそれを黙って従ってんですか!? おかしいでしょう、何もかも!」
魔法少女を取り込んで、気持ち良い夢見せて、それで終わりって話じゃない。
結界の中に閉じ込めて、現実を忘れさせて、彼女たちの絆を引き裂いているだけだ。
都合のいい妄想みたいなあの世界には作り物しかなかった。
どれだけ精巧でも、どれだけ正確でも、それは本物じゃない。
「独りよがりじゃないですかっ……皆幸せでも皆空っぽだ。何もかも見てないで自分の内側に引きこもってるだけですよ! それを上条にやらせて何も思わないんですか!?」
あの優しくて思いやりがあって、自分よりも弱い相手のことを気にかけてくれる上条が心の底から今の状況を受け入れているとは到底思えなかった。
妄想でいいなら。
幻影で充分なら。
魔法少女の解放にあそこまで固執しなかったはずだ。
あいつは現実で彼女たちに幸せになってほしかったから、あそこまで必死になって戦っていたんだ。
仮面の下でボロボロの自分自身を隠して、一生懸命に頑張っていたんだ。
「こんな無理やり相手を支配するような酷いことやらせるなよ、頼むからっ! 和泉さん、あんた、上条の守護者だっていうなら、守ってやってくれよぉ!」
『……命乞いにしては饒舌だな。それが
どこまでも冷徹な言葉が返される。
それでも俺は押し黙るつもりはなかった。
怖くなかった訳じゃない。むしろ、逆だ。
怖くて、怖くて、仕方がない。
深月ちゃんの時とは違って、この人は全部分かっていて俺を殺そうとしている。
前回が衝動的に動く猛獣の怖さだとするなら、今回の恐さは冷徹な暗殺者に武器を向けられた恐怖。
こっちがどれだけ敵じゃないことをアピールしても、向こうとしては関係ないんだ。
がむしゃらな説得では届かない。
理屈を持って、彼女に俺と交渉する意味があると思わせる。
感情を一旦
俺がここで死ねば、深月ちゃんたちもまた夢の中に逆戻りだ。
大きく息を吐いてから、再び、話し始める。
「俺は上条を助けたいって思ってます。あなたはどうなんですか、和泉さん。守りたいのは本当に上条ですか? それとも自分たち魔法少女の夢ですか?」
『それは……どういう意図で語っているんだ。自分は上条様の守護者として、あの方の願いを叶えようとしている。命惜しさに吐く戯言にしても言葉を選べ』
向けられていた刃の切先が俺の額に押し当てられる。
硬い金属質の先端が皮膚を破いて、血が流れ出た。
冷徹さの中にほんのりと怒りが滲んだことが分かった。
「つ、都合の……良い夢のために上条を利用してるのかって聞いて……る、んですよ……」
だが、あえて俺は更に過激な台詞を絞り出す。
本心を知る必要があったからだ。
この怒りが図星を突かれた
でも、違うなら──話は変わる。
『撤回しろ。自分はあの方を心から……守りたいだけだ』
絶妙な力加減で押し当てられた刃は、ほんの僅かでも狂えば、俺の頭をトマトのように抉るだろう。
額の中心は“痛さ”というより、“熱さ”に似た感覚がジワリと広がっている。
顔に木の枝を突き立てられる寸前の雪だるまの気分だ。
「そ、それなら……俺たち同じじゃ、ないですか……?」
痛みと恐怖が俺に涙と鼻水を流させる。
ヌルオさんのように格好良くは決まらない。
それでも俺なりに駆け引きの対話というものを演じてみせる。
『何を、言いたい?』
「まっ、ま、守りましょうよ……。あいつのこぉ、心を……。こっ……この、ままで良いって、思ってないです、よ、よね……?」
舌が上手く回らない。
頭が景色と同じく真っ白になりかけるのをギリギリで保っている。
「くぁ、かぁ、かみ、上条を助けたいって……ま、守りたいって気持ち、おな、同じ、なんですから……」
言葉を吐き出す度に、緊張で涎が垂れる。
気を抜くと気絶してしまいそうなほど、張り詰めた神経で喋り続けた。
命懸けの交渉に張りぼての度胸は限界に達していた。
『………………』
無言の獅子は刃の焼きごてを押し付けたまま、悠然と俺を見下ろしていた。
あ、これ駄目かもしんない。俺、頑張ったけど、無理だったかも……。
死ぬかな。死ぬな。うん、死んだわ。
頭を抉られ、ぐちゃぐちゃに解体される未来絵図が浮かぶ。
皆、ごめん。
俺にはヌルオさんみたいな話術の才能もなかった。
やっぱり、ただの勘違いした脇役だった。
上条……助けられなくてごめんなぁ……。
『…………それが、君の本心か』
「へ?」
突き付けられていた剣は、先端から融けるように崩れていく。
聖獣の如き荘厳さを放っていた獅子のD・ドッペルもまた崩れ、内側から白い衣装の魔法少女が姿を現した。
和泉さんはゆっくりとした足取りで、俺に近付くと手を差し伸べる。
「その覚悟、しかと見せてもらった。偽りのない本心から、上条様を救いたいと願う君になら良いだろう。この和泉十七夜、恥も誇りも捨てて、君に付こう」
高らかに言い放つ彼女に、俺の方が言葉を失う。
だが、それだけに留まらず、俺を立ち上がらせた和泉さんは真上を向いて宣言した。
「聞いての通りです! 自分は貴方を本当の意味で守るために、貴方の行いを正します! どうかご理解を!」
毅然とした態度に迷いは見られなかった。
数秒の間の後、空間から響くような声が降りて来る。
〈好きにするといい。君がそうしたいと願ったのなら僕は止めない。ただ、それで夢を願う魔法少女たちの邪魔をするのなら、責任を持って僕が君を始末する。それだけは理解してほしい〉
「はい……。ですが、今なら胸を張って言えます。上条様……いや、上条恭介君。自分が、君をこの苦しみから救い出すと誓おう」
その台詞には和泉さんの万感の想いが込められているように聞こえた。
上条の声はもう聞こえない。通信のように切り替えがあるのかは分からないが、返事をするつもりはないのだろう。
俺は思わず、彼女に聞いてしまった。
「良かったんですか? 上条と敵対してしまって……」
「手を組もうと誘った君がそれを言うのか。無論、自分にも思うところはある。だが、自分は恭介君を救いたいのだよ。あのどうしようなく、優しく悲しい王様を解放してあげたい」
開いた手に目を落とした後、和泉さんはグッと拳を握り込む。
「そのためには部下では駄目だった。守護者では無意味だった。彼はきっと魔法少女に何も期待していない。ならば、敵として、破壊者として、彼を救うまでだ。本当はもっと前から分かっていたのだがな、踏ん切りが付かなかった」
「和泉さん……」
「フッ。皆まで言うな。滑稽なのは自分が一番理解している。生まれ変わったつもりでも、不器用な性根は早々変わらんらしい」
「いや、そうじゃなくて……」
何やら自嘲気味に浸っている様子だが、こっちはそれどころじゃない。
「あの、あなたにボコボコにされた二人の介抱、手伝ってくれませんかね?」
未だに倒れた状態でぴくりともしない二人をそのままにして置く訳にはいかない。
既に純白の世界は銀色に液化を始めていた。
うかうかしていると、融解する世界に巻き込まれかねない。
「ああ。そうだったな。すまない」
今気付いたというように、ポンと手を打つ。
さては、この人……意外と天然だな?
底なし沼のように変形していく大地から、どうにか深月ちゃんたちを引っ張り上げると、和泉さんは二人を肩へ担ぎ上げた。
こうして、見比べると彼女は大分小柄だ。
年齢的には八雲さんと同世代らしいから、高校三年生ぐらいだと思うが、下手をすると深月ちゃんと同じかやや上ぐらいに見える。
「どうした。自分の顔に何か付いているか?」
「
「モノクルだ。ソウルジェムでもある。自分ではそれなりに気に入っているのだが……似合っていないか?」
冗談なのか、真面目な発言なのか判断に困る。
以前は謎沢クン状態でずっと話していたから、ツッコミ担当に見えたが、この人も八雲さんレベルのボケ担当だ。
もっとも、八雲さんの場合は理解して立ち回っているが、和泉さんの場合は天然でやっているようで一層反応が難しい。
新たに加わった予想外の味方に俺は愛想笑いで返すしかなかった。
キャラが多くなると場面が増えてどうしても長くなってしまいます。
戦闘シーンはばっさりカットしました。