ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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第四十五話『中沢君と妄執の幻影世界』①

 ティーカップの内側に注がれた薄茶色の水面へ俺の顔が反射する。

 湯気も消えた程良い常温の液体は浮かない表情を正確に映していた。

 顔を上げると、俺を見つめていた少女と目が合った。

 

「あ……」「あ」

 

 お互いに短い声を出して、二秒間ほど固まってから躊躇(ためら)いがちに切り出した。

 

「あの……お名前を教えてもらってもいいですかね?」

 

 目付きの険しい金髪の高校生くらいの彼女は、言葉少なく答える。

 

「かなえ……。雪野かなえ」

 

「俺は中沢って言います」

 

「そう……」

 

 会話はそこで途切れてしまう。

 俺に興味がないのかと思ったが、圧力のある眼差しだけは常に向けられている。

 苦手なタイプの人だ……。

 気まずさに耐えかね、俺は口を開いた。

 だが、いざ会話となると話題が浮かばない。

 口をOの字に開けたまま、止まっていると雪野さんが先に(しゃべ)った。

 

「飲み物。紅茶より、コーヒーの方が良かった?」

 

「え? ああ……すいません。まだ手を付けてませんでした」

 

 どうもじろじろと見てくるなと思ったら、紅茶を飲もうとしていないことを気にしていたらしい。

 慌てて、カップの中身を喉へ流し込む。温くなっていたおかげで火傷することもなく、すんなり一気飲みできた。

 味はまあ、普通の紅茶だ。可もなく不可もなしと言った具合。あえて言うなら砂糖とミルクがほしいところだ。

 口元を軽く手の甲で拭ってから、ティーカップを置き、改めて話し始める。

 

「ここってみかづき荘ですよね? 何で、雪野さんはこの場所に居るんですか?」

 

 この場所はみかづき荘のリビング。

 前にパスタをご馳走になったこともある広くて居心地の良い空間。

 緑色の網模様が特徴のロングソファ。透明な台のローテーブル。

 どれも見覚えがあるものばかりだ。

 

「何でって……住んでるから」

 

 きょとんとした様子で答える雪野さんに俺は三度(みたび)硬直する。

 みかづき荘に住んでいる? それはあり得ない。だって、俺はこの人のことを知らない。

 何度もみかづき荘にお邪魔したことはあるが一度も雪野さんと出会ったことはない。

 七海さんの口から“雪野かなえ”なんて女性の名前は聞いたこともない。

 

「そ、そんな訳ないですよ。ここに住んでいるのは……七海さんと」

 

「ボクと」

 

「ワタシですね」

 

「うわあああっ!」

 

 突然、隣で声が聞こえて、間抜けを上げてソファの上で飛び跳ねた。

 俺の真横に居たのは薄茶色のポニーテールの少女。

 そして、斜めにある一人掛けのソファに座っているのは梓さんだった。

 一体いつの間に現れたのかと驚いている俺を他所に、ポニーテールの少女はローテーブルの上でカードのようなものを並べていく。

 

「え……? え?」

 

「あ、これですか? タロットカードです」

 

「いや、違くて……その、どなた?」

 

 タロットカードを自慢げに見せてくる彼女は、ぽんと手を打ってから自己紹介をする。

 

「ああ。これは申し遅れたのです! ボクは安名(あんな)メルです。気安くメルって呼んでもらって結構です」

 

「はあ……安名さんですか。どうも、中沢です」

 

 一見不愛想に見える雪野さんとは真逆で、安名さんは人懐っこい笑みを向けてくる。

 ぐいぐいと自分のペースで距離感を詰めてくるので、こっちはこっちで若干苦手だ。

 かと思えば、彼女は俺から目を離して、タロットカードを並べる作業を再開する。なんてマイペースな人なんだ……。

 困惑した俺は唯一この場で面識のある梓さんへ助けを求めるように視線を飛ばした。

 手に持っていた雑誌に目を落としていた梓さんは、それに気付いて顔を上げる。

 

「どうしました? 中沢君」

 

「いや、どうって言うか……この状況なんなんですか?」

 

「まあ。二人とも個性的ですからね。戸惑ってしまうのも無理ありません。でも、これから一緒に暮らす同居人なんですから」

 

 ……はい? 同居人? 一緒に暮らすってどういう意味なんだ?

 意味が分からない発言に聞き返そうとするが、それより早く、梓さんが言った。

 

「下宿先をここに決めたのは良い選択だと思いますよ。通われてる神浜市立大附属も近いですし」

 

「下宿って、俺がみかづき荘に住むっことですか?」

 

「はい。やっちゃんからそう(うかが)ってますけど」

 

 身に覚えがないどころか、想像すらしていなかった事態に頭が回らない。

 何を言っているんだ、この人。いや、もっと根本的なところで何かがズレているような気がする。

 

「いや、違いますよ! 俺はそんなことのためにここに来たんじゃないです!」

 

「では、一応聞きますけど、どういった理由でみかづき荘を訪ねて来られたんですか?」

 

 梓さんに尋ねられて、当然のように俺はその理由を答えようとした。

 だが……。

 

「あれ……?」

 

 まったく、その理由が浮かんで来ない。

 まるでお使いを頼まれてスーパーに来たのに、買うはずの商品をど忘れした子供のようにすっぽりと記憶から抜け落ちている。

 やるべきことがあったはずだというのに、どうしてもそれが思い出せない。

 何だ……? 俺は何をしに来たんだ?

 分からない。分からないけど……そうだ! 誰かと一緒に来たんだ。

 

「俺と一緒にみかづき荘に来た人が居ましたよね? その人なら覚えてるはずです」

 

「え? いえ、中沢君はお一人でここに来られましたよ?」

 

「そんな……。だって確かに俺は」

 

 怪訝(けげん)そうな目で俺を見つめる梓さんは、本気で発言の意図が把握できていない様子だ。

 俺は自分の記憶に自信がなくなる。

 本当に誰かと来ていたなら、名前や顔が思い出せるだろう。

 だが、一緒に居たはずのその誰かは名前どころか顔も浮かんで来ない。

 おかしい。おかしいが、それは俺の記憶の方ではないのか。

 

「一人で、みかづき荘に、来た……? ここに下宿するために?」

 

「中沢君。大丈夫ですか? 疲れているなら先にアナタの部屋に案内しますが」

 

 心配して覗き込んでくる梓さんや雪野さんたちの顔。

 おかしいのは俺? この違和感は疲れから来るもの?

 分からない。分からない。分からない。

 いや、違う……これは夢だ。現実じゃない。記憶があやふやなのはそのせいだ。

 ソファから立ち上がって、リビングと繋がっているキッチンへ走った。

 流し台の下にある戸棚から包丁を一本取り出す。背後から何をやっているんですかと叫ぶ梓さんたちを無視して、腕に刃先を滑らせた。

 これが夢であるなら、痛みはない。そう思った。

 

「あっ、ぎぃっぅッ!」

 

 強烈な痛みに叫びが漏れた。

 赤い血が一文字を描いて、腕の上で(にじ)む。

 皮膚ごと肉を裂いた不快な感触と激痛が、この世界が夢ではないことを正しく俺に告げていた。

 

「早く傷を押さえないと……とにかく包丁は渡しなさい!」

 

 包丁を梓さんに取り上げられた俺は痛みに悶えながら、膝を突く。

 

「みふゆ。こっちのタオル使って。洗濯したばっかで綺麗だから」

 

「ボクは何をすれば良いですか!? 包帯とか用意しますか? 薬箱って確かその棚の上でしたよね?」

 

 テキパキと動き回る年上の少女たちを視界の端で捉えながら、腕の痛みに狼狽(うろた)えていた。

 押し当てられた白いハンドタオルが下から赤く染まっていく。

 俺の血だ。腕の傷から染み出した赤い血は、俺の血なんだ。

 

「傷自体そんなに深くはないみたいですが、切った方の腕を上に伸ばした状態でタオルを押し当てていてください」

 

「…………」

 

「聞いているんですか! 中沢君!」

 

「す、すみません……俺、何だか気が変だったみたいです……」

 

 夢だと思ったから腕を切ったなんて、どう考えても正常じゃない。

 異常だ。頭がおかしくなったとしか言いようがない。

 新しい環境に馴染めず、現実と妄想の区別が付かなくなっていた。

 

「ごめんなさい……本当にご迷惑をお掛けしてしまって、ごめんなさい……」

 

 情けなくて涙が出てくる。俺は何を勘違いしていたのか。

 これが俺だ。格好悪くて、みっともなくて、その癖特別な存在に憧れている。

 三人に慰められながら、俺は手当てを受ける。

 

「痛くない? 紅茶、もっと飲む?」

 

「大丈夫です。じゃあ、もう一杯だけいただきますか……」

 

 本当は包帯とガーゼの下にある傷口がジリジリ焼け付くように痛む。

 だけど、それは俺が自分でやったことだ。これ以上、心配も迷惑も掛けたくない。

 雪野さんが注いでくれた紅茶の水面をじっと見つめる。白い湯気がほんのりと立ち上り、その表面は曇っていた。

 

「やっちゃんが帰って来たらワタシの方からお話ししておきます。お風呂に入る時は間違っても湯船には付けないよう、気を付けてください」

 

 梓さんに厳しい口調でそう言われ、俺は項垂(うなだ)れた姿勢で返事をした。

 そんなしょぼくれた俺の様子を見て、安名さんが提案する。

 

「中沢君。ボクが君の運勢を占ってあげましょうか?」

 

「占い? あ、だからタロットカードを」

 

「そうなのです! ボクはこう見えて占いが大得意なんです。だから、中沢君の運勢も占ってあげちゃいますよ。どうします?」

 

 急にハイテンションで特技をアピールする彼女に気圧されながらも、俺を元気付けるために言ってくれたと気付いて、頷いた。

 

「じゃあ、……お願いします」

 

「ガッテンです! では、早速…………む。むむむ、ほう。そう来たですか」

 

 てっきり占いというからには星座や血液型みたいなパーソナルなことを聞かれたりするのかと思っていたが、安名さんは俺に何の質問もせず、ペラペラと並べてあったタロットカードを(めく)り始めた。

 

「ど、どうですか?」

 

「まず、最初に出たのが『魔術師』の逆位置。『魔術師』は“可能性”を意味するカード。正位置なら、創造力・自信・潜在能力を持って事態を好転させるといった意味合いがありますが、逆位置だと……」

 

「逆位置だと、どうなるんです?」

 

「逆位置だと優柔不断。自信の喪失。口先ばかりの誤魔化し。占いとしては、“このままだと見通しが甘いせいで目論見は失敗する”です」

 

「ええ!?」

 

 元気付けてくれるんじゃなかったの!?

 追い打ちをかけられた気分だ。

 背中を蹴飛ばすような占い結果に衝撃を受ける俺だったが、まだ自分のターンは終わっちゃいないとばかりに安名さんは続ける。

 

「次に出たのが『吊るされた男』の正位置。“不利な状況に追い込まれるがそこで耐えることで活路が見出せる”」

 

 そして、と付け加えるように彼女は言う。

 

「最後に出たのは『審判』の正位置。“過去の状況を回帰させることで、そこに最良の改善策を発見できる”。総括した占い結果は、“今の調子でいると痛い目を見るが、辛い状況に耐えきることで過去にあったものが戻り、成功へ導いてくれる”ってところです」

 

「えっとつまり……」

 

「もっと頑張れってことです!」

 

 結局、その一言に集約されるのか。

 俺は溜め息を一つ吐き出した後、雪野さんに注いでもらった紅茶を一口(すす)る。

 頑張れって言われたところで何を頑張ればいいのやら。

 これから下宿生活? それとも学業? 友達作り? 部活動?

 うーん、どれも漠然とし過ぎているような……。

 そうこう考えている内に、ガチャリとリビングの扉が開き、七海さんが帰って来た。

 

「お帰りなさい、やっちゃん。今日は少し遅かったですね。モデルのお仕事ですか?」

 

 梓さんがそう聞くと、七海さんは何でもないような口調で答える。

 

「akjfnurwealjaweralwfliwe◇dfsmwepffslf❢waer;uimca」

 

「ああ、やっぱりそうだったんですね」

 

 微笑んで受け応える梓さん。

 和やかな雰囲気で二、三言会話を続けてから、七海さんが俺の方へ顔を向けた。

 真っ白いその顔は()()()()()()整っていて、流石はモデルと思わせる美貌ぶりだ。

 

「orjgxjlslsjrΦogjhgjsd,mvd」

 

「あ、この包帯ですか? ……ちょっと怪我してしまって」

 

 目敏(めざと)く俺の腕に包帯が巻いていることに気付いて、質問してくる。

 思わず、助け船を求めて梓さんに視線を寄せると、彼女は俺の代わりに事の経緯を掻い摘んで話してくれた。

 

「本人もよく分かっていない様子でしたが、新しい環境でのストレスが原因かと」

 

「えと……まあ、そんな感じです」

 

 説明を黙って聞いてくれた七海さんは、俺の顔を覗き込むように見つめる。

 真っ黒い()()()()()()両目が俺を真っ直ぐに捉えて離さない。

 

「wkvjglkj.,rjaefk.sff,as*jwrgj.」

 

「はい。気を付けます。ほんと、心配かけてすみません」

 

 俺の腕を掴むと、そっと包帯の表面を撫でた。

 それから七海さんは腕から手を離して、安堵したように言う。

 

「esrukx#cvogmnsdbd%kd.kzsdjbefafj.vfklj」

 

「今はもう平気です。ただ、ちょっと……夢の中に居るんだと勘違いしてて、それでこんなことやっちゃって……」

 

「sd,;sdjed.k e. k」

 

「え……何でって? 何でだったかな?」

 

 俺は何に違和感を抱いたんだったか。

 それがまったく思い出せない。いや、そもそもそんなもの、本当にあったのか?

 

「あっ、そうだ」

 

 思い出した。

 あの時、俺はこう思ったんだ。

 

「みかづき荘には、別の人が住んでた気がしたんです」

 

「dk k s tf s 」

 

「何でか、そう思ったんですよ……。変ですよね。あはは……」

 

 誤魔化すように笑った俺の目に、七海さんの顔が映る。

 白い、白い、仮面の笑みが。

 仮面……?

 そう認識した瞬間、目の前に居た存在が途端にはっきりと像を結ぶ。

 ベールを垂らしたつばの広い帽子。拡大させたハイヒールのような二対四本の腕。

 下半身の最奥には長くうねる巨大な尻尾。銀色の引き金の付いたペンチのような物体になっている。

 巨大なサソリを思わせる輪郭を持つ(おぞ)ましい化け物。

 

「ひっ……」

 

 今の今まで、()()を疑いもなく七海さんだと認識していた自分に鳥肌が立った。

 

「d;snkgbvdg,hulcjndggrgs;rlfnjl jkdflei────!!」

 

 咆哮(ほうこう)を上げたサソリ女はその腕で、尻尾でリビングを滅茶苦茶にする。

 ガラス張りのローテーブルは砕け散り、乗せられていたティーカップもティーポットも(まと)めて消し飛ぶ。

 振動と衝撃が床や壁を荒し、形あるものを破壊していった。

 視界に映るすべてが壊れていく。その破壊は物だけでなく、その場に居る雪野さんや安名さんにも及んだ。

 破裂。崩壊。飛散。風化。

 形を失って飛び散った銀の魔力が舞い散って、広がり、消滅する。

 金切り声が(つんざ)く度、リビングどころか、室内であったことさえ忘れさせられる。

 あらゆるものの存在を許さないと、こんなものは認めないと叫ぶような慟哭(どうこく)にも聞こえた。

 そして、暗転。

 

 

 ♩♩♩

 

 

 俺はリビングに居た。

 クッションの上に腰を下ろして、ローテーブルを皆で囲んでいる。

 美味しそうな香りが鼻をくすぐった。

 今日の夕飯は何だろう?

 

「ボク、もうお腹ペコペコですよー。かなえさんはー?」

 

「少しだけ……ううん。かなり空いている」

 

「ちょっと見栄張りましたね?」

 

「うん……」

 

「ワタシはあまり空いてません。実はさっきまで間食していたので」

 

「うわー、聞きました、中沢君。この人、外面は良いけど、実は結構ズボラですぐ間食とかしちゃうんですよ。その癖、体型はしっかり維持できてるっていう詐欺みたいな存在で」

 

「詐欺って、人聞きの悪い言い方はやめてくださいよ」

 

 同居人たちがぺちゃくちゃと話している。

 女の子同士で仲が良くて大変微笑ましいが、こうも騒がしいと気後れしてしまいそうだ。

 それでも、キッチンから七海さんが大皿を運んでくると料理に目を奪われて、皆同様に口数が減った。

 俺はワクワクしながら聞く。

 

「七海さん、今日の夕飯は何ですか?」

 

 真っ白い顔と黒い眼差しを持つ彼女は、懇切丁寧に夕食のメニューを教えてくれた。

 

「ljlsdcj,sdjrlhglerhvlh§ldss;l/◎vljls,i」

 

「え、本当ですか? 俺、大好物なんです」

 

 穏やかな食卓での団欒(だんらん)は楽しく過ぎていく。

 みかづき荘に下宿を決めて本当に良かった。

 こんな親切な人たちと心地よい時間を過ごせるのだから。

 

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