ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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第四十八話『中沢君と妄執の幻影世界』④

 長い尾をうねらせ、室内で荒れ狂うサソリ女。

 天井が抉られ、クローゼットが弾け、壁掛けの棚が吹き飛ぶ。

 破壊、破壊、破壊の嵐。

 

「sd.Θuhhbarmf/;jsmdlknsdlhfa.φ,bj.sdc/lsdjfd hdc,bmhf!!」

 

 意味不明の言語を撒き散らし、暴れるその姿からは激しい憤怒の色が色濃く表れていた。

 一瞬の恐怖で全身が硬直する。

 だが、同時に俺は確信を抱いた。

 ()()()。三面鏡の開き戸の向こうに『過去に依存することを拒んだ七海さん』は居る!

 そこにきっと彼女は待っている。

 破壊の咆哮がすべてを破壊し尽くす前に、この三面鏡の扉を開けなければ……!

 取っ手を握る手に力を込め、思い切り開こうとした。

 しかし、それよりも早く、ペンチのような形状をしたサソリ女の尻尾が俺へと襲い掛かる。

 壁を抉り取りながら、重量を持った一撃が俺を叩き潰そうと押し迫っていた。

 確実な殺意を持った攻撃。

 僅かでも当たれば、俺の身体など熟したトマトのように潰れるだろうことが容易に想像できる。

 避ける……駄目だ。あの横()ぎの一撃はどう足掻いても(かわ)しようがない。

 もう駄目だ。お(しま)いだ……。

 死が目前に迫る中、視界で人影が動いた。

 それは雪野さんだった。

 両手を広げて、俺を(かば)うように飛び出した彼女に目を奪われた俺を誰が押し倒す。

 

「伏せて……!」

 

 安名さんの声と共に、上から頭を掴まれ、床に押し付けられた。

 視界の端で赤い飛沫が撒き散らされ、小雨のように舞い落ちる。

 ポタポタと頬に落ちる生暖かい液体は一体何なのか、分かり切った事実から目を背けたくなった。

  赤、赤、赤、アカ、あか、あか、あかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあか──。

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 絶叫を上げているのが俺自身だと分かるまで、数秒の間があった。

 俺を床へ押し倒し、庇ってくれた安名さんは何も言わず、だらりと体重を俺に預けている。

 まるでゴム人形のように力なく、纏わり付く感覚に不安を覚え、彼女の背中へ触れた。

 ぬるりとした湿り気のある感触が指先を濡らす。

 ()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()安名さんはそれだけでぐらりと揺れて、俺の上から転がり落ちた。

 

「─────────────────────────────────────────ッ!!」

 

 天井や壁、床に張り付いた赤い肉片が銀色の粒子に変わるまで俺の悲鳴は止まらなかった。

 消えゆく殺戮(さつりく)の痕跡を見ても、俺の恐慌状態は(おさま)らない。

 そこには紛れもない“死”があった。

 彼女たちが魔力によって作られたものだと理解してなお、揺るぎない死が存在していた。

 なぜなら、彼女たち二人は生きていたのだから。

 俺を自分の意思で助けようとしてくれた。

 その身を持って守ろうとしてくれた。

 恐怖と混乱と喪失感がない混ぜになって、俺の中で暴れ回る。

 這い(つくば)った姿勢で狼狽(うろた)え、無意識の中、動かした手に痛みが走った。

 視線を向ければ、砕け散った鏡の破片が指の腹へ突き刺さっている。

 割れた鏡……三面鏡の、一部……!?

 顔を上げた先には、破壊されたドレッサー。

 瓦礫へと変わり果てていたそれに付いていた三面鏡もまた、元の形が分からないほどに細かく粉砕されていた。

 

「そんな……」

 

 絶望に次ぐ、絶望。

 これで『過去に依存することを拒んだ七海さん』を解放する手立てを失ってしまった。

 呆然とする俺にサソリ女が多脚を動かして近寄る。

 

「mvjhflnjvkρЩfkgujkth∂lvjldfkdbj¢jlifvlnv──」

 

 言葉とは思えないほど規則性を無視した異音を垂れ流すサソリ女。

 それは俺を責め立てているようにも見えた。

 お前がこの世界を(あば)こうとしなければ、彼女たちは死ななかったのに、とでも言うかのように。

 その姿を見て、俺は通じないと分かっていても言わずには居られなかった。

 

「……あんたも、七海さんなんだろ? だったら何でっ! ……何で大切な人たちを物みたいに扱ってんだよっ!?」

 

 少しでもこの世界の歪みを見つけたら、当たり前のように全部壊してやり直す。

 仮にも七海さんが、あの強くて責任感のある人が、そんな風に考えている事実がどうしても許せなかった。

 雪野さんも、安名さんもあんたの大切な仲間じゃなかったのか。だから、こんな世界を創ったんじゃないのか。

 

「違うだろ! おかしいだろ! なあ、七海さん! これがあんたのやりたかったことなのかよ! こんな歪なみかづき荘があんたの居たい場所だったのかよぉ!」

 

 あんまりだ。酷過ぎる。

 これは……冒涜(ぼうとく)だろう。

 彼女たちの存在を、生きていた時間を弄ぶ行為だ。

 何より、こんなことを行っているのが他ならない七海さんだということが耐えられなかった。

 

「ekvmgnkdkjf Ёkdjkc xifbndvmvЮ;gjsfkjfdfdkdkjdjmsζlfdlijjrgukhlij!!」

 

 立ち上がることもままならない状態の俺に、サソリ女は髪が乱れるほど首を振りながら喚き散らす。

 そして、巨大なハイヒールの前脚を俺へ目掛けて振り上げた。

 今度こそ、確実な死が俺へもたらされるだろうことは明白だった。

 それでもこれだけは彼女へ言ってやる。他に言うべき人が居ないのなら、俺が代わりに言ってやる。

 俺は拾っていた鏡の欠片を掴んで、サソリ女の前に掲げた。

 

「これが今のあんたの姿だっ!」

 

「……!」

 

 前脚を振り上げた姿勢でピタリと動作を止めたサソリ女に、これでもかと声を張り上げて言い放つ。

 

「都合の悪い現実から目を逸らして、力づくで乱暴に世界を捻じ曲げてる! これがあの強くて気高い魔法少女の……七海やちよの姿なのかよ!? なあ!」

 

 サソリ女は動きを完全に停止し、鏡に見入っていた。

 その様子は俺の言葉に衝撃を受けたというよりも、鏡に写るものに驚愕しているようだった。

 ……何だ? 自分の姿を認識していなかったのか。

 (おぞ)ましい自分の姿を知って、硬直したのだろうかと思った俺だったが、それは半分正解で半分間違っていた。

 

「……そうね。こんな姿が“七海やちよ()”だと思うと目を覆いたくなるわ」

 

 聞き覚えのある七海さんの声。

 その声音は俺が掲げた鏡から発されていた。

 瞬間的に俺は気付く。

 七海さんにとって、否応なしに現実を思い起こさせるもの。

 それは鏡そのものではなかったのだ。

 鏡に写ったものこそが重要だったのだ。

 即ち、──()()()()

 俺の手から離れ、中空に浮いた鏡の破片には……魔法少女姿の七海さんが反射していた。

 

「lkzd€vkmvjvkvkf#dsvnlbnlkmfdv仝jlnfvksd──!」

 

 鏡の破片を砕こうとサソリ女が前脚を振るう。

 しかし、鏡に攻撃が当たる寸前、鏡の中から青い槍が撃ち出され、サソリ女の前脚を弾き飛ばした。

 手のひら大の破片から、狭い穴でも抜けるように七海さんが現れる。

 その姿はヌルオさんの布を使った空間転移を想起させた。

 

「それでも貴女も私。七海やちよの一面。都合の悪い現実から目を背け、過ぎ去ってしまった過去に(すが)七海やちよ()

 

 俺を守るようにして前へ出る彼女の背中に、(たま)らず、声を上げる。

 

「七海さん……!」

 

 七海さんはそれに振り返ることなく、正面のサソリ女を見据えて答える。

 

「……中沢君。心配かけたわね。でも、安心して。貴方の言葉が私に届いたわ」

 

 腰を落とし、青い槍を構えた彼女は背中を向けて語った。

 

「後は任せて。あれは私が乗り越えなくてはいけないもう一人の私(ドッペルゲンガー)。これ以上、好き放題にはさせないわ」

 

 相対するサソリ女は、鳴き声ですらない金切り声を掻き鳴らす。

 だが、世界はもう壊れたりはしなかった。

 青い槍が踊る。

 ハイヒールの前脚を、ペンチのような巨大な尻尾を優雅に(さば)いていく。

 輪舞のように弧を描き、一切の反撃を許すことなく、弾き飛ばし、突き上げる。

 打ち合う度に硬質な音が響くが、それは拮抗しているとは言い難い戦況だった。

 七海さんが進み、押されたサソリ女はその都度、後方へと下がる。

 破壊の権化に見えたサソリ女は防戦一方になり、じりじろと後退させられていった。

 前に突き進む者と、後ろへ退いて行く者。それは二人の“七海やちよ”の在り方を明示しているようだった。

 

「dslkviЫsjvs¢srjviθaecnllaψisliasЙdclsrv!!」

 

 とうとう、扉の方まで追い詰められたサソリ女は大きく地面へ前脚を叩き付ける。

 すると、床に接触したハイヒールの(かかと)から噴水のように大量の水が湧き出し、七海さんへと向かった。

 鉄砲水……いや、大砲水とでも呼ぶべき激しい濁流が七海を襲う。

 重量感のある流水を真正面から叩き付けられて、細い彼女の身体は大きく後ろへ反り返った。

 

「sdlivhlisrarj──!」

 

 表情の変わらない白い仮面が笑ったように思えた。

 しかし、その歓喜はぬか喜びに変わる。

 

「……これが、何だっていうの……?」

 

「……!」

 

 水の流れに圧し潰されそうになりながらも、七海さんは膝を突くことも、後ろへ下がることもしなかった。

 全身で濁流を押し返すように前へ、前へと突き進む。

 彼女だけなら、華麗に水流を(かわ)すことも可能だっただろう。

 だが、あえて七海さんはその身で攻撃を受け止めた。

 背後に居る、俺を守るために。

 雪野さんや、安名さんが俺にそうしてくれたように、彼女もまた我が身を盾にして誇り高く前進した。

 

「私はもう、逃げたりしない。目も背けない。こんな私を守って命を落としたあの子たちへ顔向けできない真似は──」

 

「sdlisdakЮfvlnrvls§ksajlsf!?」

 

 サソリ女が怯える。

 彼女の強さに。彼女の気高さに。

 気圧され、また後ろへ下がった。

 激しい濁流を押し返した七海さんの槍が、白い仮面へと突き刺さる。

 

「──絶対にしない」

 

 罅が入り、砕け散る仮面の下には悔しそうな、今にも泣き出しそうな、七海さんと瓜二つの顔が一瞬だけ見えた。

 同時に天井から壁、床に至るまで亀裂が(しょう)じる。

 恐らくは、このD・ドッペルを支配していたサソリ女が破れたことで、七海さんにその主導権が戻ったからだろう。

 そして、彼女はこの偽物のみかづき荘を肯定しない。

 

「……さようなら、私の未練」

 

 最後に呟いた台詞は果たして誰に向けたものだったのか。

 それを聞くほど俺は野暮ではなかった。

 崩壊していく偽みかづき荘が融けるように消え去ると、天の川のジオラマの中心に梓さんと小さな緑色の立方体だけが取り残されて、浮かんでいた。

 

「梓さん!」

 

 駆け寄って揺すると、魔法少女の姿になっていた梓さんは「う~ん」と小さく唸ってから目を覚ます。

 

「中沢君……あれ、ワタシは恭介君ともう一度会って……その後、何だかとても穏やかな夢を見ていたような……っ!? 宇宙ですか、ここ……」

 

「ええと、色々あったみたいですけど、とりあえず、無事ならよかったです」

 

 記憶が混濁している様子だったが、とりあえず、正気には戻っているようだったので後回しにする。

 アリナ・グレイの結界内に入って、七海さんが目を覚ましてD・ドッペルから抜け出せたことを伝えると、結界の魔法を解除された。

 深月ちゃんは七海さんの姿を見つけると、何も言わずに跳び付いて彼女の腹部に顔を埋める。

 七海さんは申し訳なさそうに深月ちゃんの頭を撫でた。

 

「心配、させたみたいね……ごめんなさい」

 

「……いいよ。戻って来たみてーだから、ゆるす」

 

「ありがとう。他の皆も迷惑を……」

 

 と、七海さんが見回した時、アリナ・グレイに目が留まったようで発言が中断される。

 

「ホントだヨネ。もっと謝罪のワードを聞かせてほしいんですケド」

 

「何で、貴女がここに居るの? アリナ・グレイ」

 

 意地悪く笑って両腕を頭の後ろで組むアリナ・グレイに、警戒心を露わにした七海さんが槍を生み出し、構える。

 俺は慌てて、彼女が仲間になったことを伝えようとするが、その前に深月ちゃんが七海さんの衣装の(すそ)を引っ張った。

 

「やちよ。このアッパラパーのねーちゃんは今は敵じゃねー。むしろ、オレたちを助けてくれてたんだ」

 

「そう、なの……? 十七夜」

 

 その言葉を受けて槍を降ろした七海さんは、和泉さんの方を見る。

 彼女は頷いて、アリナ・グレイが味方であることを肯定した。

 

「ああ、彼女の機転がなければ少しまずい状況になっていただろう」

 

「ちなみに言うと、そのホワイトガールは一回裏切ってキョースケ側に付いてんだヨネー」

 

「えっ……」

 

 本当のことであるが、場が混乱するような発言をニヤニヤした顔でアリナ・グレイが言う。

 

「ああ、もう。そういうのもありましたけど、今は仲間! この場所に居る人たちは皆、仲間でーす!」

 

 否定すると、それはそれでまたおかしなことになりそうだったので、集まっている人間が味方同士であることを慌てて話す。

 とにかく、この状況で無意味に仲間割れなんてされたら堪ったものじゃない。

 誤解を残さないためにも一度、情報共有に時間を作った方がいいかもしれない。

 危機的な状況から脱した後で頭も回らないが、とりあえず、七海さんにも現状を話しておく必要がある。

 何から話すべきかと考えていると、七海さんは少し声のトーンを押さえて、俺に質問を投げかけた。

 

「一つ、聞いてもいいかしら」

 

「あ、もちろん。色々、話すことはあるんですが、聞きたいことがあるなら、どうぞ」

 

「……ヌルオは、あの後、どうなったの?」

 

 その言葉を聞いて、俺は少しの間、言葉を選んでから答える。

 

「もう、ここには居ません……」

 

「そう……。まったく酷い人ね。『犠牲なんて否定してあげる』なんて言っておいて、結局私を置いてどこかに行ってしまうんだから」

 

 その言葉の意味は分からなかったが、その言葉に含まれた感情だけは痛いほど理解できた。

 だから、俺はない知恵を絞って、七海さんに伝えた。

 

「ヌルオさんはもう居ないけど、でも、残してくれたものは“ここ”にあります。きっと七海さんの中にも」

 

 俺は自分の胸を拳でトントンと叩いてみせた。

 七海さんは少しだけ驚いたような顔をした後、小さく微笑んだ。

 

「そうね……。居なくなっても、それは一緒に居たことまで消えた訳じゃないものね」

 

 そう。ヌルオさんは消えた訳じゃない。

 その想いも、記憶もちゃんと残っている。

 居なくなった人から受け継いだ想いを背負って、人は前へ進むことができるんだ。

 そのことを七海さんのD・ドッペルの中で再確認した。

 そして、やっぱり上条が生み出したこの世界は間違っているってことも……。

 上条。

 この世界は偽物なんだよ。

 どれだけで幸せで都合が良くても、この世界は停滞してる。

 それはお前だって、分かってるだろ……?

 でも、認められないんだよな。

 だったら、ちゃんと話に行くよ。

 面と向かって、否定してやる。

 だから、目を背けないでくれ……上条。

 俺は光る紛い物の星々を見つめながら、そう思った。

 




やちよ編はこれで終了です。そろそろ上条君を登場させられそうです。
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