俺は今までヌルオさんの内側から、彼を通して戦闘を観てきた。
だから、俺に見えていた光景は当然ヌルオさんと同じものだと思っていた。
しかし……それは大きな誤りだった。
視力そのものや動体視力については変わりはない。だが、それに加えて物質化前の“魔力の流れ”が見えるのだ。
近いものを上げるなら、
あれを更に認識させ辛くした、感覚でしか把握できない
だが、今の俺には、それがはっきりと感じ取れる。
空間内を駆け巡る力の波が、上条を中心に流れ出しているのが分かる。
膨大な魔力の流れが、真上にある空へ枝葉のように伸びて、
その量は上条から発生する魔力のほぼすべて。
九割九分以上の魔力を銀の街の維持と拡大に注いでいる。
つまりは、今の上条は本来の力の一割にも満たない状態だということ。
考えてみれば、否定の魔法を継承した俺でも、万全の状態の上条の一撃が受け止められるとは到底思えない。
魔力で作り出したステッキごと両断されて即座に死んでいたはずだ。
さっき食らった蹴りもそう。
いくら魔力で強化されているとはいえ、内臓どころか背中まで貫通していてもおかしくないほど、俺と上条の魔力の総量には差がついている。
だが、実際に受けた手傷はそれほど重くない。鈍い痛いが未だに走る程度で収まっている。
俺は確信した。
今の上条は、大聖堂でヌルオさんを圧倒した時よりも遥かに弱い!
そして、弱体化している今の上条なら、俺との勝負は充分成り立つ!!
……そう思っていた
「ふげらッ……!」
ボコられていた。
あれだけ威勢よく
ステッキでの防御を突き崩し、衝撃が俺を襲う。
銀色のローブが
致命傷になる斬撃だけは辛うじて防いでいるが、それでも手も足も出ないほどに一方的な戦況が続いている。
蹴り上げられた肩が、胸板が、脇腹が、熱を帯びて脈打つように痛む。
一撃一撃が異様に重い。
重心の乗った切れのいい蹴りは
あえて踏ん張らず、勢いのまま、後方へ転がり込むことでどうにか威力を削ってはいるものの、受けた損傷は蓄積されていくばかりだ。
後転して距離を取りつつ、起き上がる俺を上条は冷酷な目で見下す。
「その程度の実力で、『喧嘩がしよう』──だって? 笑わせるね。これならあの顔無し手品師の方が幾分まだ手応えがあったよ」
痛いところを突いてくる。確かにヌルオさんの方が俺よりも格闘戦なら上だろう。
いや、魔法込みでも俺より上か。あの精神世界での戦闘は
俺があの人に
挫けかけた俺の脳裏に
指で弾いた平たいガラス玉を、配置した目標のガラス玉に命中させるゲーム。いわゆる“おはじき”だ。
ヌルオさんが黒ウサギの姿で指が短かったのを差し引いても、俺は百発百中の成果を上げ、完全勝利を収めていた。
思えば、俺はこの手の指先で小さな物を弾くゲームでは誰にも負けたことはなかった。
互いに自分の消しゴムを弾いて机の上から押し出す、“消しピン”。十円玉を用いて相手が指で作ったゴールにシュートを決める、“十円サッカー”。
小学四年生の頃、得意気になってはしゃいでた俺へクラスで一番の秀才が「そんな遊びが上手にできても何の役にも立たない」と冷や水を浴びせてきたことは今でも覚えている。
その意見に他のクラスメイトも同調して、俺のことをつまらない特技しかない奴だと寄って
最高の気分から一気に惨めな気持ちへ突き落とされたことは今でもトラウマだ。そんな中、一人だけ擁護してくれたのが、上条だった。
『僕はバイオリンが得意だけど、別にそれが直接何かの役に立つ訳じゃない。好きだからやっていることに対して、“何の役に立たない”なんて言って笑いものにするのはおかしいよ』
それまで数える程度しか話したこともない俺のことを本気で庇ってくれた。
秀才やその他のクラスメイトも真っ向から上条に正論をぶつけられ、気まずさからそれ以上、俺を馬鹿にすることはなくなった。
この一件がきっかけで俺と上条はよく話すようになって、それからすぐ仲良くなった。
周囲から馬鹿にされたトラウマから、あまり消しピンや十円サッカーはしなくなったけれど、代わりに俺は上条という心から尊敬する友達ができた。
あの頃から上条は弱い者を守ろうとする凄く格好いい奴で、俺は他人の意見に流されて何も言い返せない凄く情けない奴だった。
でも、それから何度も上条には助けてもらう度、俺はずっと心の奥で思っていた。
いつか上条に助けが必要な時が来たら、今度は俺が上条を助けよう、って。
そう思っていたんだ……。
知らず知らずの内、過去に思いを
「いい加減、お前との小競り合いも飽きた。そろそろ死んでくれ、中沢……」
水平に伸ばした糸鋸へ、澱んだ銀の魔力が流れていく。
流動する魔力の前触れに、肌が粟立つのを感じる。
上条はとうとう『決め』にかかる気だ。大技が──来る!
……どうする?
止めに入るか?
──無理だ。
白兵戦ではどう足掻いても俺に勝ち目はない。そもそも近付いて勝てるならここまで一方的にやられていない。
だったら、防御に専念する?
──いや、それでどうにか防げるほど上条の大技は甘くないだろう。
第一、否定の魔法が万全に使えた精神空間とは違って、ここは上条の結界の内側だ。
ヌルオさん相手で戦った時と違って、俺が出力できる魔力の流れには限度がある。
あのがむしゃらな連撃は、制限がなかった精神空間だから可能だった裏技みたいなものだ。
魔力によって肉体だけじゃなく、思考速度も格段に早まっていることを感じるが、それだって時が止まっている訳じゃない。
いずれ、時間切れが起きる。
一発逆転の手品でもない限り、俺は次の攻撃で命を落とす。
そう。手品でもない限りは……。
ふと、そこでかつて読んだ手品の本に記載されていた内容をなぜか思い出した。
手品には道具を使うものが数多くある。
ステッキ、ハンカチ、カード、ロープ……そしてコイン。
その本を読んだ時は特に何も感じなかったが、魔法を受け継いだ今の俺にはヌルオさんの武器がステッキではなく、ハンカチを変形させたものだったと感覚で理解できる。
ハンカチ、つまりは布。
柔らかく薄い、平面に引き伸ばした魔力を実体化させたもの。
ヌルオさんはそれをステッキという白兵武器に変形させて使っていたが、それは彼に近接格闘の
なら、俺は……?
俺にとって使い易い
「……今度こそ、終わりだ!」
澱んだ銀色の魔力が糸鋸に
色こそ違うが、あれはヌルオさんを一度殺しかけた技……『レッツト・ゼレナーデ』。
当たれば即死は確実の一撃。
銀の大検を軽々と上段へ持ち上げた上条は、それを振り下ろす。
それより一瞬早く、俺は垂直に握ったステッキの先端を指で弾いた。
爪弾きにしたステッキの先端は……──。
「……!?」
──金色のコインへと変わり、上条の持つ大剣の柄を
持ち手を
風圧に前髪が揺れたが、俺は後方へ飛んでいく刃を目で追うことなく、上条を見定めていた。
何が起きたのか分からないといった表情で上条は俺を見つめている。
突き出した両手には柄だけになった大剣の残骸が握られていた。
「何を、した……? ……何をしたんだ、中沢ァ!」
呆然としたのは刹那にも満たない束の間。俺の攻撃によるものだと瞬時に理解した上条は俺に
そりゃ、ビックリするよな……。やった俺自身、あまり実感が湧いて来ないくらいだ。
「魔力で生み出す武器ってさ、わりと作り手のイメージに引っ張られるみたいなんだよな」
環さんはクロスボウの矢。七海さんは槍。深月ちゃんは
魔法少女には固定の武器がある。
それはきっと彼女たちが無意識でイメージしているものなのだと思う。
当人たちの中で強く、頑丈な、自分自身の感情を表すもの。
持ち主にとって最も使い易い武器。
「ようやく、俺の
ステッキもハンカチも全部ヌルオさんの道具だ。
あの人が、自分のために作り上げた武器。俺では使いこなせないのは道理だろう。
俺はヌルオさんにはなれないし、なる必要もない。そんなことはファントムワールドを通じて嫌というほど理解した。
それなのに魔法を手に入れたくらいで見失ってれば世話はない。
俺は中沢。
中沢アキラ。
俺は誰かの代わりじゃなく、俺としてこの場所に立っている。
それなら操る
先端の削れたステッキを白い手袋で握り潰す。
握り拳を開くと、中から現れたのは金色の
その内の一枚を摘み、両面を眺めた。
表には、片耳を曲げたウサギの顔。
裏には、シルクハットを目深に被った手品師の横顔が刻印されていた。
何ともまあ、俺らしいデザインだ。
思わず、笑ってしまう。
「……ふざけるなよ。武器を変えたくらいで、この状況をひっくり返せるとでも言うのか!」
その途端、花畑が広がっていた地面が割れ、裂け目から煮え
草花が生い茂る大地は一転して、赤々とした溶岩地帯へと様変わりしていく。
沸き立つ蒸気と熱が俺を呑み込む寸前、指先で三枚のコインを弾いた。
人差し指の爪で金色のコインを射出させる。
狙った先は流れ込む灼熱の溶岩。
正確に言うのなら、溶岩を形成している魔力の流れ。
上条と繋がっている、その導線。
狙い澄ました金色のコインは、その流れを
その瞬間、眼前まで迫っていた焦熱の赤津波は綺麗さっぱり掻き消えた。
「な、にが……、起きたっていうんだ」
理解できないというように声を枯らす上条。
取るに足らないこの俺の小さな一撃が、地形すら作り変えるほどの魔力を一瞬で消失させた事実が受け入れられないのだろう。
だが、それは少し違う。
俺が消したのはあくまで魔力の流れの三ヵ所だけ。
流出した魔力そのものを同等の否定の魔力で打ち消した訳じゃない。
重要なポイントさえ
ストローの中心を指で摘まめばいくら吸い出そうとしても、コップの中身を飲めないのと同じこと。
配置した俺のコインが魔力の流れを遮断する。
ようは道を
だが、それは僅かでも位置が狂えば、成り立たないギリギリの綱渡りでもあった。
本当に『まさか』って感じだよ。
まさか、俺の唯一の特技が……。
何の役にも立たないと馬鹿にされ、自分から見せることも止めてしまった、しょうもない取り
「“おはじき”が、役に立つ日が来るとはな……」
普通は来ると思わないだろう。
だけど、奇跡って奴は偶然の積み重ねなんだ。
お前が庇ってくれたこのちっぽけな特技が、お前を救う手段になるのならこんなに誇らしいことはない。
「上条。今度は俺がお前を助ける番だ」
情けなかった俺を、優柔不断で何一つ選べずにいた俺を、ずっと助けてくれていた最高の友達へそう告げた。
中沢君、覚醒。