金色のコインを弾き、指先から撃ち放つ。
それはウサギが跳ねるように、小鳥が飛び立つように。
目の前に広がる前方の空間へと
小さな金色の硬貨たちは縦横無尽に駆けて行く。
上条が次々と新たに創り変えていく殺意の地形を、破壊の具現を。
これ以上、あいつに何も背負わせない。
これ以上、あいつを一人にさせない。
そのために、俺は……上条に勝つ!
「どうだよ、上条! これでもまだまだ俺は『弱い』かよ! 話を聞く価値も起きない『弱者』かよぉっ!」
噴き上がる溶岩を否定する。
降り注ぐ巨大な氷柱を否定する。
荒れ狂う暴風を否定する。
もはや魔法という次元で一括りにしていいのかも分からない、ありとあらゆる自然災害を弾いたコインで掻き消していく。
膨大な魔力の流れが霧散し、荒れ地となった地面に澱んだ銀の粒子が撒き散らされる。
それは死の灰にも見えた。
粒子のカーテンの向こう側で肩で息をする上条の姿が
天へと供給されている魔力の流れは
だが、上条が
「……認めるよ、中沢。お前は強い。魔法少女たちと違ってね……」
ようやく。
ようやく、ここまで辿り着いて、上条は俺の
だけど、上条はまだ
「魔法少女は弱くなんかないぞ」
俺は知っている。
彼女たちが都合の良い幻影の世界を辛くても、悲しくても否定したことを。
自分にとって縋りたい夢みたいな場所を、自分の意志で振り払って前に進んだことを。
決して、魔法少女は弱い存在じゃない。
「いいや。弱いよ」
しかし、その言葉を上条は一言で切り捨てた。
「まだ、分からないのかよ! 魔法少女が抗う姿を、ずっとお前は見てきたんじゃないのか!?」
「だからだよッ……」
激昂するように声を荒立てた上条に、俺は口を
一拍置いて激情を押さえた声音で話を続ける。
「その抗う魔法少女たちが今、どんな夢を見ているか分かるかい……? 力を合わせて僕に打ち勝ち、皆揃ってお花見をしてる
「それはお前が強制的に見せたものだろ……?」
「そうだよ。彼女たちの一番見たがっていた展開を見せてあげた。そしたら、どうなったと思う? これからの魔法少女の在り方も考えることなく、都合の良い
悲し気に、絶望に満ちた顔で上条は笑う。
悲痛を塗り固めて、それを笑みの形に切り抜いたような表情。
「破滅の未来を見ようともしない。苦難の道の進み方も考えない。与えられた幻影を真実なのかと疑うことすらしてみせない。こんな子たちに何ができる……? こんな子たちのどこに強さがあるって言うんだよっ……!?」
「……期待してたのか? 環さんたちならD・ドッペルを自分の意志だけで打ち破るかもって」
「………………」
上条はその問いには答えない。
だが、その沈黙が何よりも雄弁に語っていた。
そうか。上条はずっと裏切られてきたのか。
魔法少女たちに期待して、その度、彼女たちの弱さと愚かさに失望し続けてきた。
環さんたちが自分の元に現れた時、“今度こそは”と思ったのではないだろうか。
今度こそ、破滅の未来を変えようとする
絶望から解放を目指す
けれど、
未来どころか、上条が抱える絶望にさえ答えることもできない
挙句の果てには、自分を倒してすべての問題が解決した幻影に浸り、宴会まで開いている。
首をもたげかけた希望は、再度、絶望に沈むのも当然のことだろう。
魔法少女は──弱い。
それでいい。それでも、いい。だから、もう夢だけ見ていてくれと。これ以上、愚かさのまま、破滅するのはやめてくれと。
上条は諦めた。
諦めてしまった。
「中沢……。お前はどうなんだ? あの子たちの未来をちゃんと考えてあげられてるのかい? 僕を倒して、この結界を破壊した後のことを何か考えているのかい? 少しでも、彼女たちの未来を
投げかけられたその問いは、今まで味わったどの攻撃よりも重かった。
どんな衝撃よりも俺の心を揺さ振った。
「俺は……考えてない」
「だろうね……。だから、魔法少女たちを現実に引き戻して、
「それでも、上条……それはお前が背負うことじゃない」
「……何だって?」
「魔法少女の未来は、魔法少女が背負うものだろ。俺も、お前も、それを勝手に決める立場じゃない」
何かが細いものが引きちぎれたような
それはきっと、上条の堪忍袋の緒が切れる音だったのだろう。
澱んだ銀の軌跡が俺へ向かって
糸鋸が俺の首を狙う。
「……っ」
即座に弾いた二枚のコインが糸と弓を断った。
それでも突撃は止まらず、上条は強く握り込んだ拳で俺の顔面を殴り付ける。
「がっ……!」
首が捻じれるほどの強打。
更に追撃とばかりに腹部へ打ち込まれる膝蹴り。
大袈裟に転がることで衝撃を逃がす暇も許さない連撃が俺を襲う。
「ふざけるなよっ!」
後退もできない俺を掴み上げ、殴り飛ばし、蹴り付けた。
痛打に次ぐ痛打。魔法も技術もない、感情だけの乱雑な暴力。
だから、俺もそれに返す。
「ふざけてなんか……いない!」
振り被った拳が落ちる前に、思い切り上条の鼻先へ目掛けて頭突きを食らわせた。
「うぐッ……」
攻撃の手が弛んだ隙に胴を蹴り飛ばして、無理やり間合いを広げる。
お互いに立ち上がってから、俺は叫んだ。
「俺も……お前も、魔法少女じゃない! 部外者だろうが!」
「……っ」
「部外者なんだよ……! どうしたって、同じ目線で物事が見えやしないんだ……」
そう。俺たちは結局のところ、当事者にはなれない。
魔法少女じゃないから、どれだけ魔力を使っても魔女にもドッペルにもならないし、グリーフシードなんか使う必要だってない。
傍に居ても、会話をしても、同じものを見ても、その苦しみや絶望を共有してやることはできない。
俺は弱過ぎて。上条は強過ぎて。
魔法少女たちと、ぴったり同じ高さに並び立つことはなかった。
そして、それはこれからもないと思う。
なぜなら、根本が違うから。
願いがあって、望むものがあって、魔法少女になった彼女たちとは由来が違う。
手にした
それなのに、責任感と誠実さのせいで
「破滅の未来……? 苦難の道……? 魔法少女の解放……? それはお前が望むことかよ!? 違うだろ!」
「何を……言って……」
「お前の本当の願いは──見滝原に帰ることだろ!?」
今までとは異なる種類の感情が上条の顔を染め上げた。
驚愕とも絶望とも違う、もっと衝撃的で、もっと複雑な心の色が表出する。
「……違う。僕は……魔法少女を救うこと……」
「じゃあ、なんでこの結界の表層の『銀の街』は見滝原市の街並みをしてるんだよ!」
「……っ!」
俺は最初に銀の街へ降り立った時、街の中を駆け回って見つけていた。
見滝原中学校。
屋根も壁も、窓さえも澱んだ銀一色で構成されていたが、あれは間違いなく俺も通っていた見滝原中学校の校舎だった。
街並みさえもよく観察すれば、見滝原市と瓜二つ。
「おかしいだろ!? 『神浜市の魔法少女』のために生まれたこの結界が、何で“神浜市”じゃなく、“見滝原市”の形をしてるんだっ?」
俺には分かる。
分かってしまう。
上条の性格を知っている俺には、その理由が嫌でも理解できた。
「誰に言えなかったんだよな? 誰にも見せる訳にはいかなかったんだよな? だから、
内側の
魔法少女に縋られ、その境遇に同情し、彼女たちの絶望の未来から解放するためにお前が捨てようとした
それがあの街の正体だ。
「違う……違う違う違う!」
「違わないだろ! お前は優しくて、弱い奴の味方だから、自分の願いに蓋をして魔法少女のために何もかも諦めようとしてるだけだ! お前は本当はあの街に……自分の家に帰りたいだけんだよぉ!」
魔法少女のことをどうとも思ってない、なんて言うつもりはさらさらない。
そういう風に思っているなら、弱くて愚かな知らない連中のために絶望背負って死のうとしていない。
誰よりも思いやりがあって、どこまでも弱者の味方の上条だからここまで“やれて”しまったのだ。
「いいか、上条! お前が背負う必要なんてどこにもないんだよ! 魔法少女のことは魔法少女に任せろよ! いくら強いからってお前が全部代わりにやってやる理由はないんだ!」
コインを握った拳を上条の顔へと打ち込む。
動揺していた上条は避けることもできず、正面から白い手袋に包まれた拳が突き刺さった。
強く打った拳が震えるほどの手応えある一撃。
否定の魔力を込めた渾身の殴打が決まった。
決まったはず──なのに……。
「っ!?」
上条の身体は倒れない。
倒れるどころか、傾きもしない。
「……だから、どうした」
「上じょ……」
名前を最後まで呼ぶことは叶わなかった。
顎の下から強烈な衝撃が俺の頭をかち上げたからだ。
頭蓋骨まで響く強烈なアッパーが俺を殴り飛ばす。
長い滞空時間を感じた。
実際には一秒にも満たない時間が、永遠に続くとさえ思えた。
その後、地面へ背中から叩き付けられる。
「がっはぁ……っ」
肺の中にあった、ほぼすべての空気が喉から抜けた。
視界が揺れて、一瞬白く
目の端では拳を上へ突き出した上条の姿が映った。
その顔には、欠片の動揺も残ってはいなかった。
あるのは強い意志。
「だから、見捨てて、家に帰れと……あの弱くてどうしようもない女の子たちが、苦しみ抜いて死んでいく事実を忘れろと。お前はそう言うのか!? 中沢ァ!!」
激しい魂の叫びに、俺もまた途切れかけた意識を強く掴んで、
「そうじゃ、ない……。その苦しみも、お前が一人で背負うべきものじゃないって言ってるんだ。魔法少女たち同士で手を取り合って、力を合わせて、問題に取り組めば……」
「それができない魔法少女はどうなる?」
「え……?」
言い切る前に遮って出された発言が、俺に疑問符を吐かせた。
「それができない魔法少女は、一体どうなるんだって聞いてるんだよ」
俺にはその質問の意図が分からない。
魔法少女全体の問題に取り組めない人なんて、そもそも魔法少女の中に存在するのか。
俺の顔を見て、上条は失望したように言った。
「お前はやっぱり“弱い魔法少女”のことを何も理解してないんだね……」
「弱い魔法少女なんて言っても一般人からすればずっと強いだろ。それに手を取り合って協力すれば、個人の強弱なんて関係ない」
「関係あるんだよ!」
怒りの
それは魔力ではなく、感情の発露がそう感じさせた。
「劣等感に苛まれて、境遇に悲観して、立ち上がる気力さえも失った魔法少女なんて山ほど居るんだよ。誰かの手を取ることにもできずに俯くしかない魔法少女を僕は何十人も見てきた。彼女たちはもう何にもしなくないんだ……自分が魔法少女であることにも耐えられないんだよ!」
両腕を交差して、その一撃を防いで言葉を返した。
「それは……その魔法少女たちが自分で何とかしないといけないことだろ! 辛いからって。苦しいからって。何もしようとしないのは自己責任だ!」
「だから、絶望して死んでも仕方ないのか!? だから、魔女になって死んでも当然なのか!?」
「そこまで極端なことは言ってない! でも、何の努力もなしで全部他人にどうにかしてもらうのは間違ってるだろ?」
上条の拳から伝わる威力が明らかに落ちている。俊敏だった動きも今は容易く目で追えるほど緩慢になってきた。
肉体に回している魔力の流れはもうほとんどない。否定の魔法を込めた俺の一撃は間違いなく、上条の魔力を大きく削っていた。
攻撃を受けるよりも、攻撃を当てる数が上回っている。
美しい銀色のローブは見るも無残に破れ、
顔は俺以上に
なのに。
それなのに。
「間違ってる魔法少女は存在しちゃいけないのか!? 誰も彼もが“正しい”と認めてもらわないと存在すら許されないのか!?」
上条の瞳はまるで死んでいない。
むしろ、その金色の目に灯る感情の光は輝きを増している。
どうしてだ。どうして、上条は倒れない──!?
結界に回している魔力を自分に戻している? いや、それなら傷すら回復してないのはおかしい。
何より膨大な魔力の流れの供給は変わらず、上へと昇り続けている。
結界の維持と拡大を止め、その一割でも自分に回せば、俺など一瞬で叩き殺せるはずなのに上条はそれをしない。
「前を見ることもできずに俯くしかない少女の髪を掴み上げて、無理やり前を見せれば“正しい”のか! 立ち上がることも耐えられないほど疲れ果てた少女を引きずり起こして、皆同じ思いをしていると腕を引くことが“正義”だって言うのか! そんなものが“正しい”なら、そんなものが“正義”だと言うのなら──」
最初に比べれば酷く遅く、酷く弱い拳。
だというのに、俺にはそれが重く感じられた。
それが、俺を倒すために振り上げられた拳ではないと理解できたからだ。
俺を打ち払い、すべての魔法少女に安らぎある死を与えるための拳。
立ち塞がる
上条は未来を見据えている。
魔法少女たちが目を背け、逃げ出した破滅の未来を凝視した上で、それを自分一人で終わらせると誓いを立てている。
「ぐッ……おおぉぉ!」
優勢なのに、
金色のコインを親指で弾き、至近距離から上条へと飛ばした。
否定の魔法が上条の胸元で
流れ出した黒い魔力が銀色のローブを食い破り、身体を宙に吹き飛ばす。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
その場から数メートル飛んだ上条は、二度ほど弾んでから仰向けに転がった。
威圧され、精神が追い込まれていた。荒くなっていた呼吸を整えて、圧迫されていた意識が正常に戻る。
倒れ伏した上条を前に、自分が何をしてしまったのかを把握した。
圧縮した魔力の塊を至近距離から衝突させた……。
冷静になった思考が、冷えるを超えて凍り付く。
「か、上条……」
防御どころか治癒にも回せないほど魔力が枯渇していた上条に、そんな攻撃を当ててしまった。
心臓が止まっていてもおかしくない。
だが……。
天上へと立ち昇る魔力の流れは絶えず、供給され続けている。
「……そんなものは──僕が、許さない」
もはや薄汚れ、華やかな銀色の見る影もなくなかったボロ切れがマントのように
整えられた長髪は乱れに乱れ、みすぼらしささえ感じさせる。
けれど、血と痣で汚された顔は、内側から滲み出る気品に満ちていた。
その瞳に宿る覚悟と信念は欠片も揺らいでいない。
地形を変える災害は言うまでもなく、武器であった糸鋸すらその手にはない。
「魔法少女の運命と向き合えない、すべての弱い魔法少女のために──僕は戦う!」
無理だ。そう思った。
これは勝てない。そう感じた。
たとえ、腕がちぎれても、脚が吹き飛んでも、脳が抉られようとも……決して上条恭介は止まることはないだろう。
弱者に手を差し伸べることで優越感に浸る人間は少なくない。
でも、上条はそれとは根源から異なる。
高々、優越感に浸るためだけに人はここまで自分を捧げられない。
ここまで高潔には至れない。
特別な
もしも俺が同じ力を得ても、同じことができるとは到底思えない。
俺の全霊を込めて否定したところで、上条が折れることは絶対にない。
「……かかって来いよ、中沢。一人でも
上条の
コインを握る手が震える。
折れない希望を前にして、俺はただ絶望するしかなかった。
……この場で俺が選べる選択肢はたったの一つだけだ。
このどうしようもなく優しくて、どうしようもなく気高い友達を殺すこと。
中沢君、絶望。