ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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外伝 ピンク色の夢想

 満開の桜の木の下で、はらはらと桜吹雪が舞っている。

 心地いい風が私の顔を優しく撫でた。涼し過ぎない緩かなそよ風は吹き抜けていく。

 

「それにしても、全部丸く収まってよかったよね。お姉ちゃん」

 

 ピンクのビニールシートの上で、ういがそう言って私に微笑みかけた。

 

「……え?」

 

 一瞬だけ周囲の状況を把握するのに何故だか少し時間が掛かったけれど、私はすぐに笑顔を返す。

 

「うん! そうだね。皆でこうしてお花見に来られて本当によかったよ」

 

 広々としたビニールシートには、灯花ちゃん、ねむちゃん。それにみかづき荘の皆。それから黒江さんや中沢君。和泉さんにアリナ・グレイまで集まっていた。

 そうだった。これは祝勝会。

 魔法少女の力を合わせて勝ち取った結果。上条君を倒して魔法少女の殲滅計画を止めることに成功したお祝いなんだ。

 皆それぞれ、いくつかの重箱を小皿に分けたり、何種類もある一リットルペットボトルから飲みたいジュースを紙コップに注いだりしている。

 私も同じように飲み物を選ぼうとした時、そっと誰かから紙コップを手渡された。

 

「あ、ありが……と──」

 

 受け取ってからお礼を言うために顔を見上げ、私は硬直する。

 白い仮面がそこにはあった。

 ピンクの髪と縁取られた白いフードの姿は魔法少女の私のものと同じ。

 だけど、その奥に見えているのは異様なほど真っ白な仮面と、それとは対照的の暗闇のような目と口の穴。

 私じゃない、(いろは)が居た。

 

「……卑怯者」

 

「え……」

 

 ぽつりと呟くような言葉に、思わず私は聞き返したけれど、仮面の私は答えることもなく、その場から走り去る。

 私はそれを見て、なぜだか“追わなくちゃ”と思った。

 

「お姉ちゃん? どこに行くの?」

 

「いろは。早く、こっちに来て飲み物を選んで。皆で乾杯しましょう」

 

 後ろから、ういや、やちよさんが私を呼ぶ声が掛かる。

 振り向いて答えようか迷ったけれど、視界の中で遠ざかっていくケープの背中を見て、急いで追うことを選んだ。

 制止の声も振り切って、私は走った。

 舞い散る桜の花びらの中、ただひたすらに彼女の後を追いかけた。

 走って。

 走って。

 走って。

 気が付けば、草原を越えて大きな湖のほとりまで来ていた。

 ここはどこなんだろう。とても遠くに来てしまった気がする。

 不思議なことに長い間走ったはずなのに、私の息は少しも切れていなかった。

 

「待って……。ねえ、待ってよ!」

 

 私の声に反応して仮面の私が振り返る。

 表情は当然分からない。でも、私にはその眼差しが酷く蔑みに満ちているよう感じられた。

 

「あなたは……私、なの……?」

 

「私は……あなたみたいな卑怯者じゃない」

 

 軽蔑と苛立ちと悔しさが入り混じった声音だった。

 自分と同じ声なのに込められた感情があまりにも違い過ぎて、まったく別の誰かのように響いた。

 

「私が卑怯者って、どういうこと? 教えてくれないと分からないよ」

 

「……言葉通りの意味だよ。恥知らずな環いろは。ずっと私を遠ざけて、安全な場所から綺麗事ばかり吐いている卑怯者。それがあなた」

 

 彼女から激しく(なじ)られて私は酷く動揺した。

 遠ざけていた……? 私が、あなたを……?

 身に覚えがなかった。

 戸惑う私の様子を見て、なお怒りの炎を燃え上がらせた彼女は言う。

 

「それだよ。あなたが卑怯者なのはそういうところだよ。『私』が否定の魔法で拒絶されたのをいいことにあなたは一人安全が保障された場所から聞こえのいい文句ばかり語ってた」

 

「ま、待って。否定の魔法で拒絶されたって……じゃあ、あなたは……」

 

「そう。『私』は環いろは(あなた)のドッペル。もっと簡単に言うと──」

 

 ──やがて魔女になる環いろは(あなた)

 私と『彼女』の映る湖面にさざ波が起きる。ちょうど私たちの隙間を起点にして波紋が広がって、水面の映像を揺らした。

 

「魔女になる、私……!?」

 

 突然、背中に冷たい水でも浴びせられたかのように、私の心は衝撃を受けて強張(こわば)る。

 同時に脳裏で流れたのは、魔法少女の真実。

 魔女化の過程。

 魔法少女(わたしたち)の終わり。

 

「そうだ……私たち、魔法少女は……魔女に……」

 

 どうしてこんなことを忘れていたのだろう。

 この最悪の情報を。魔法少女の根幹に関わる事実を。

 まるで今の今まで記憶の中から消していたように、綺麗さっぱり忘れていた。

 狼狽(うろた)える私に『彼女』は冷笑するような声で言った。

 

「安心して。あなたは魔女にもドッペル症にもならずにその命を終わらせてもらえる」

 

「どういう、こと……?」

 

 聞き返した私の質問には直接答えず、傍にある湖を指差した。

 そちらを向いた私の目に入ってきたのは、水面に投影された映像だった。

 黒いシルクハットとテールコートの手品師風の衣装の少年と、ボロボロに引き裂かれた銀色のローブを纏った錬金術師風の衣装の少年が殴り合う姿が映し出されていた。

 

「ヌルオさんと、上条君……!? 何で戦っているの……? もう戦いは終わったはずなのに」

 

「ううん。手品師の方は彼じゃないよ。戦っているのは中沢君。そして、あなたたちは上条君と戦うことさえ叶わずにこの場所へ囚われてたの」

 

 『彼女』の発言を受けて、私は“正しい記憶”を取り戻していく。

 ──そうだった。

 私たちは上条君の敵にすらなれなかった。

 だから、最後に中沢君にういが魔法で回収していたヌルオさんの魔力を私の治癒……ううん、『巻き戻し』の魔法で治して、託したんだ。

 ……でも。

 

「それなら戦っているのはヌルオさんだったはずでしょ? 私の魔法じゃ彼の意志まで治すことはできなかったってことなの……?」

 

「そこまでは『私』にも分からないし、どうでもいいことだよ。重要なのは、あなたたち魔法少女はこのまま魔女にもドッペル症にもなることなく、ここで人生を終わらせるということ」

 

 私にとっては自分の魔法が成功だったのかどうかなので、ちっともどうでも良くないのだけど、『彼女』にそれを言っても仕方ないことだと諦める。

 それよりも『彼女』の言っていることを知ることが先だった。

 

「さっきから言っている私たちが終わりっていうのは、結局どういうことなの? 戦っている姿を見る限りは中沢君の方が勝ってるように見えるけど……」

 

 あの絶対的な力を持っていた上条君が、中沢君に押されていた。

 お互いに傷を受けているけれど、重症度合いでいえば、上条君の方が上だった。

 動きも彼の方が遅く、明らかに弱っているように見える。

 そう感じた時、中沢君の腹部を狙うようにして、上条君の腕が伸びた。

 

『劣等感に苛まれて、境遇に悲観して、立ち上がる気力さえも失った魔法少女なんて山ほど居るんだよ。誰かの手を取ることにもできずに俯くしかない魔法少女を僕は何十人も見てきた。彼女たちはもう何にもしなくないんだ……自分が魔法少女であることにも耐えられないんだよ!』

 

「……!」

 

 パンチを撃ち出した上条君の叫びが湖面から反響する。

 彼のパンチを両腕を十字に重ねて防いだ中沢君も、同じように声を上げた。

 

『それは……その魔法少女たちが自分で何とかしないといけないことだろ! 辛いからって。苦しいからって。何もしようとしないのは自己責任だ!』

 

『だから、絶望して死んでも仕方ないのか!? だから、魔女になって死んでも当然なのか!?』

 

『そこまで極端なことは言ってない! でも、何の努力もなしで全部他人にどうにかしてもらうのは間違ってるだろ?』

 

 殴り合う二人の姿。

 だけど、中沢君に比べて上条君の方が受ける傷が増えていく。

 自分の攻撃は防がれ、代わりに直撃する攻撃の頻度が高まっていった。

 

『間違ってる魔法少女は存在しちゃいけないのか!? 誰も彼もが“正しい”と認めてもらわないと存在すら許されないのか!?』

 

 ボロボロの身体で彼は(うった)える。

 希望が持てない魔法少女を、魔法少女の運命と向き合うことのできない魔法少女を。

 それでもいいと、変わらなくてもいいと叫ぶ。

 魔法少女の弱さを、身体を張って肯定する。

 

『前を見ることもできずに俯くしかない少女の髪を掴み上げて、無理やり前を見せれば“正しい”のか! 立ち上がることも耐えられないほど疲れ果てた少女を引きずり起こして、皆同じ思いをしていると腕を引くことが“正義”だって言うのか! そんなものが“正しい”なら、そんなものが“正義”だと言うのなら──』

 

 中沢君の放つ魔力のコインを胸に受けて、上条君の身体は吹き飛ばされる。

 宙を舞い、背中から激しく地面に叩き付けて転がって……それでもなお立ち上がる。

 

『……そんなものは──僕が、許さない』

 

 鉄の意志と鋼の覚悟で、彼は何度でも立ち(ふさ)がる。

 金色の瞳には一切の迷いはない。

 

『魔法少女の運命と向き合えない、すべての弱い魔法少女のために──僕は戦う!』

 

 その言葉に嘘偽りはないと確信させる気迫が彼にはあった。

 心から。

 心から、上条君は魔法少女を救いたいと願っている。

 それだけはもう疑いようのない事実だった。

 

『……かかって来いよ、中沢。一人でも幻影(ユメ)を願う子が居る限り、魔法少女の安楽死(みらい)は誰にも奪わせない!』

 

 上条君は魔法少女のためだけに、魔法少女を優しい夢の中で終わらせようとしている。

 その行いがどれだけ彼にとって苦しくて、辛いことだと理解した上でやり遂げようとしている。

 対する中沢君は痛ましいほど顔を歪めて、魔力で生成したコインを握り締めていた。

 戦況だけでいえば、勝っているのは中沢君の方なのに、精神的には真逆。

 今にも折れてしまいそうなのは中沢君だった。

 上条君を止めることは彼にはできない。

 彼が取れるのは……もっと残酷で最悪な方法だけ。

 そして、あの優しくて誰かを切り捨てることが苦手な中沢君には、それを選ぶことは絶対にない。

 黙っていた『彼女』がようやく、そこで話を始める。

 

「よかったね。弱くて卑怯なあなたも彼は許してくれるって。代わりに戦ってくれるって」

 

「私は……」

 

「卑怯だよ。あなたは結局、彼の夢に溺れていた。ううん、それよりも前からずっと『私』から目を背けていた」

 

 白い仮面が私の方へ距離を詰め、下から見上げるように顔を覗き込む。

 

「『私』が拒絶されて、ソウルジェムが濁りづらくなってあなたは絶望を見ようとしなくなった。都合の良い希望だけを眺めて、運命と向き合おうとしなかった」

 

「ちがっ……」

 

「じゃあ、何でマギウスの計画を潰した後のことを考えてなかったの? 自分だけは例外だからと思ってドッペル症や魔女化に怯える子たちの気持ちを想像してなかったんじゃないの?」

 

「私は……私はういを、妹を助けたかったから! その時はそのことだけで頭の中が一杯で……」

 

 魔法少女の羽根たちのことを考えていたかと言われれば、頷くことはできなかった。

 あの時はうい以外のことまで思考を巡らせる余裕なんてなかったから……。

 必至で絞り出した言葉にも取り合わず、『彼女』は私の真似をして言う。

 

「『私たちは皆、心の奥に醜い自分を抱えて生きてる。宝石みたいにどこから見ても綺麗な人は居ないんだよ』」

 

「! それは……」

 

 私が黒江さんに送った台詞。

 嫌いな自分で押し潰されそうな黒江さんを助けたいと願って伝えた言葉。

 だけど、『彼女』はそれを吐き捨てるようにして言った。

 

「──嘘つき。『私』のことを心の片隅からも追いやっておいて、“醜い自分を抱えて生きてる”? よく、そんなことが言えたね」

 

「ぅ…………」

 

 何も告げられなくなった私を『彼女』は非難する。

 卑劣な魔法少女だと真正面から責め立てる。

 

「恥じらず。卑怯者。結局、あなたは自分より不幸な相手を見下して、気持ちよく干渉して満足するだけの最低の存在なんだよ。そういう人を、世間で何て言うか知ってる?」

 

「わた、しは……」

 

「“ 偽 善 者 ”──って言うんだよ」

 

 突き付けられたあまりの言葉を反射的に拒絶した。

 

「ち、ちがう!」

 

「違わないでしょ? ……ああ、ならいいよ。本当に誰とでも手を繋げるってあなたが言うのなら」

 

 『彼女』は私へ自分の手を差し出して、こう告げてみせた。

 

「『私』とも手を繋げる?」

 

 開かれた黒い皮手袋の手のひらには、どろりとした不定形の穢れが(まと)わり付いていた。

 澱み、濁り、どこまでも醜悪な『彼女』の手のひらを見た瞬間……。

 

「ひっ……」

 

 どうしようもなく抑えきれないほどの生理的嫌悪感が、悲鳴になって口から漏れた。

 『彼女』はそんな私を眺め、辛辣に笑った。

 悪意を込めて。軽蔑を込めて。憎悪を込めて。悔恨を込めて。

 これ以上にない呪いを込めて、『彼女』は私を嘲笑った。

 

「……ふふふ、はははは、あははははははははははははははははっ。そうだよねぇ、そうだよねぇ。それがあなただよ、環いろは。どれだけ口では綺麗なことを言っても、やっぱり本心では汚らしいものには触りたいとも思わない。……いいよ、それでいいよ。あなたは死ぬまでそうして居ればいい」

 

 手を戻して、『彼女』は湖面の方を向く。

 もう私には視線も向けない。

 仮面の横顔は無機質だったけれど、とても無感情には見えなかった。

 何か言葉をかけようと口を開いた時、後ろから私を呼ぶ声がした。

 

「お姉ちゃん、探したよ」

 

「……うい?」

 

 私を探しに来てくれたのか、ういが私の傍まで歩み寄る。

 近くに居る『彼女』には何の反応も見せなかった。

 ういには見えてないの……?

 

「よかったね。あなたの大好きな妹が迎えに来たよ。自我が融け落ちる最後の瞬間まで、皆仲良くお花見でも何でもしてるといいよ」

 

 振り返ることなく、『彼女』は言い放った。

 皮肉の(こも)った台詞なのに、その声音には覇気はない。

 何もかもどうでもいいというかのような自暴自棄な声だった。

 

「早く戻ろう、お姉ちゃん。皆、待ってるよ」

 

「うい……」

 

 私は大切な妹を強く抱きしめた。

 小さくて愛おしいういの感触を確かめるように感じる。

 

「ど、どうしたの?」

 

 戸惑うように瞬きしたういは、それでも私を抱き締め返してくれた。

 実際に触れた体温も肌の質感も本物と同じ。

 でも、この感覚はきっと偽物なのだろう。

 ういも私と同じように別の場所で夢を見ている。

 だけど。

 この想いは、この感情は本物だ。

 私のういへの愛情も()()()()()()()()()にも嘘はない。

 

「うい。お姉ちゃん……ドッペルになる」

 

 それは私が、私の求める幸せな世界との決別を宣言する言葉だった。 

 

「えっ……? 何を、言ってるの……お姉ちゃん。どういうこと? 全然分かんないよ……」

 

「私はもう、自分の……魔法少女の持つ醜さから逃げない。だから、もし、私がういのことも皆のことも分からなくなっちゃったら……誰かを傷付けて喜ぶ悪い魔女になっちゃったとしたら」

 

 薄ピンク色の可愛い瞳を見つめて、想いを(つむ)ぐ。

 

「その時はういが私を倒してね……」

 

 これはきっとただの自己満足。うい本人に伝わることはない。

 それでもいい。

 無意味でもいい。

 きっと言葉にしなくてもその時が来たら、ういは必ず応えてくれると思うから。

 別れを告げて、ういから身体を離した私は『彼女』と……ううん、『私』と向き直る。

 振り返った白い仮面が尋ねた。

 

「……今の言葉、本気なの?」

 

「本気だよ。ごめんね、ずっと待たせちゃって。がっかりしたよね? うんざりしたよね? でも、それももうおしまいにするから」

 

 今度は私の方から『私』に手を差し伸べる。

 その手を取ってもらうために。感情を繋げるために。

 私との手と、『私』の手が重なり合う。

 私は、魔法少女の運命から目を背けない。

 やがて魔女になる自分を否定しない。

 

「──『コネクト』」

 

 希望だけじゃなく、絶望とも想いを繋げる。

 ソウルジェムが黒く濁り染まっていくのを感じる。

 髪が逆巻き、伸び上がって姿を形作っていく。

 言葉にならない苦しみと怒りが私の心を満たしていく。

 一つになった私と『私』は、与えられた安らぎの卵の殻(ゆりかご)を内側から破壊する。

 孵化するために。外の世界に出るために。

 ()が本当の意味で魔法少女(わたし)として生きていくために。

 砕け散る優しい卵殻(セカイ)を見つめながら、私は飛翔する。

 

『どうするつもりなの? D・ドッペルから抜け出したところで私の力だけじゃ上条君は倒せないよ』

 

 『私』の声が心の中から響く。

 その通りだ。私だけじゃ全然足りない。もっと、たくさんの魔法少女が絶望と向き合わない限り、何も変わらない。

 

「だから、会いに行くの。皆にこの声を届けてくれる人に」

 

『……場所は分かるの?』

 

「分からないよ。だから、一緒に探して」

 

『ドッペル使いの荒いご主人様だね。いいよ、だって私も環いろはなんだから』

 

 翼をはためかせ、私たちは彼女の夢を探した。

 無数の夢が繭のように生え、ひしめき合う広大な結界の中でたった一人の世界を見つけ出す。

 

『あそこだよ。あの真ん中にあるこじんまりした繭の中』

 

「うん、あれだね。じゃあ、行くよ」

 

 ドッペルになった私はその場所を目指して飛ぶ。

 (くちばし)で膜を突き破り、見つけ出した世界へと侵入していく。

 開けた隙間から大きくなった身体を捻じ込ませて、入り込んだその場所は“神浜ミレナ座”。

 私に初めて『コネクト』を教えてくれた“調整屋”へと辿り着く。

 

「みたまさん! いらっしゃいますか!?」

 

 大きな声で彼女の名前を呼ぶ。

 すると、奥にあるソファの上で間延びした返事が来た。

 

「あらあら。随分、乱暴な入店ねぇ。でも、残念。調整屋はもう閉店したわ」

 

 そちらを向いた先には、黒い手品師にしな垂れ掛かるみたまさんの姿があった。

 気だるげな眼差しには疑問も驚きも含まれていない。

 

「やっぱり、みたまさんは自分を見失ってなかったんですね」

 

 みたまさんは上条君の世界に(おぼ)れていない。

 ちゃんと自分の置かれている状況を正しく認識している。

 そのことに私も驚きはなかった。

 

「ソウルジェムの調整はねぇ、自分と他人を切り分けて認識しないとできないの。じゃないと他人の絶望に引っ張られて巻き添えになるから。“彼”風に言うなら『境界線を作る』ってところかしらぁ」

 

「なら、この結界に囚われた魔法少女たちも調整で目を覚まさせることはできますか?」

 

「不可能じゃないわねぇ。でも、お断りするわ」

 

 可能性はあると言った口で、みたまさんはきっぱりと拒絶の意志を告げる。

 そう答えるような気がしていたので私の心は揺れなかった。

 ただ、それでも話を続けるためにその理由を尋ねる。

 

「どうしてですか?」

 

「私は“弱い魔法少女”だから、あなたのようにはなれないの」

 

「私が強く見えるんですか?」

 

「強いわよぉ。いろはさん、あなたはドッペルに乗っ取られることなく、完全な融合を果たした。それはきっとやちよさんにだってできないことよ」

 

 黒い手品師の影に頭を預けて、私を見つめた。

 一目見ただけでそこまではっきりと認識できるのは、きっとみたまさんが調整ができる魔法少女だからなのだろう。

 

「私はね、いろはさん。魔法少女に憧れてたの。私の魔法で、たくさんの人に笑顔や平等を分けてあげられるって思ってたから。でも……現実はそうじゃなかった。憧れた魔法は手に入らなかったし、私には笑顔や平等を分け与え続ける強さもなかった」

 

 少し間を置いて、みたまさんは首を横に振る。

 

「違うわね。それも言い訳。ただ世界が嫌いなのよ。醜くて世界も自分も嫌になる。それでも見たいものがあった……あったけれど、それも、もう無くなってしまったみたい」

 

「それは……ヌルオさんのことですか?」

 

 上条君に立ち向かっているのがヌルオさんではなく、中沢君と知った時点で私にも薄っすらとだけど分かっていた。

 彼がもうこの世界のどこにも居ないってことが。

 もう自分たちへ助言を残してくれることは永遠にないってことが。

 どれだけ巻き戻しても、決して蘇ることはないと分かっていた。

 

「ふふ、あなたなら分かってくれる気がしたわ。私ほどじゃないにしても、彼の在り方に惹かれていたあなたなら彼の喪失を感じてくれたんじゃないかって」

 

 みたまさんはそこで少しだけ笑みを(こぼ)した。

 でも、彼女の言葉には頷けない。

 

「ヌルオさんは居なくなっても、遺してくれたものが全部なくなった訳じゃないです。みたまさんが強いと言ってくれた私も、あの人がくれた言葉があって、想いが合って、ここにあるんです」

 

 傍に居ないから、もう会えないからって過ごした記憶は消えない。

 成長も変化も、その人と紡いだ絆が作ってくれたものだと思うから。

 ヌルオさんと過ごしたことで手に入れたものを無意味になんかしたくない。

 

「だから、みたまさんもあの人と交わした言葉や想いを無駄にしたくないって思ってくれているなら、最後まで魔法少女であることから目を逸らさないでください!」

 

「……私には眩し過ぎる思想ね」

 

 本当に眩しいものでも見つめるように、みたまさんは目を細める。

 でも──と彼女は言葉を区切った。

 

「『たまにはおっかなびっくり見てあげて』って、そう言われたものねぇ……」

 

 みたまさんは少しだけ遠い目をした後、目を(つむ)って、ソファから立ち上がった。

 次に見開かれた瞳はしっかりと私を捉えていた。

 

「もう少しだけ調整屋は廃業しないでおいておくわ」

 

「みたまさん!」

 

 私の歓声にウインクを一つ返した後、彼女は即座に仕事へと取りかかる。

 大きな布を真上に投げ、みたまさんは宣言するように声を上げた。

 

「姿を現して。もう私も『私』から目を背けない!」

 

 その瞬間、緩やかに落下していく布にみたまさんの上半身が覆われ、その布が制服を着た巨大な身体を形成する。掲げた左手には包帯のような布が巻き付き、骨折したかのように腕を吊した。

 顔の代わりに白い花弁が開き、神浜ミレナ座の天井を突き破る。

 崩壊していく世界の中で、ドッペルになったみたまさんは高らかに声を張り上げた。

 

「私と同じ、自分さえも見る気の失せたか弱い魔法少女たち! 見たくもないもので溢れた世界よりも自分の世界に閉じ籠る方が楽よね! 分かるわ、私も同じだもの! だけど、これだけは見なさい! あなたたちのために戦う彼の雄姿を!」

 

 花弁が舞う。

 ドッペルの頭部から咲き誇る白い花が際限なく、その花弁を撒き散らす。

 それは私が見ていた夢の中の桜吹雪のよりも鮮烈で、美しかった。

 周囲に舞い降りる白い花弁には、中沢君と上条君が戦う光景が映し出されている。

 

「これが私にできる、私の仕事よ! だから、せめてこれだけは受け取って! ──『コネクト』」

 

 私はそれを見て、祈った。

 この想いがせめて届くように。

 ここに居る魔法少女たちへ伝わるように。

 ──お願い、魔法少女(みんな)

 これだけは、この光景だけは知っていてほしい。

 自分たちのために戦ってくれる人が存在するってことを。

 私たちは決して孤独じゃないってことを。

 この奇跡をちゃんと見て、聞いて、感じて。

 そして、できることなら、その想いに応えてあげて!

 




みたま編のファントムワールドはカットしてしまったので、最低限見せ場を描けてよかったです。
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