銀の街がこれまでとは逆に、収縮と崩壊を始める。
黄金の輝きが
さながら、それは上条の内心を如実に表現しているかのようだった。
希望と絶望。両者は表裏一体で、きっかけさえあれば簡単に入れ替わる不安定な感情。
だからこそ、途轍もない力を秘めているのだろう。
それは魔法少女とドッペルの関係に似ていた。
ある意味で、この巨大な結界こそが上条のドッペルだったと言えるのかもしれない。
魔法少女たちを心から大切に思い、その幸福を願いながらも、救われない彼女たちの命を奪おうとする非情さを持っていたように、一つの心にはプラスとマイナスの想いが同居している。
そして、それは当然のことでごくごく普通のことなのだ。
ドッペルを発現させていた魔法少女たちは、その力を使い果たして、普段の魔法少女の姿に戻っていく。
それを見届けてから、上条は魔力を使い、安全に魔法少女を砕けた地面の亀裂から降ろしていった。
「バイオリンのお兄さん……じゃなくて恭介お兄さん! 今度、また神浜に遊びに来ることがあったら、その時は『千秋屋』ってお弁当屋さんに来てみてください。わたし、そこで看板娘やってますからっ」
「私は『フラワーショップ・ブロッサム』ってお花屋さんでアルバイトをさせてもらってるの。もし立ち寄る機会があったら恭介君にとびっきりのお花をプレゼントしてあげる」
「あ、じゃあ、私も! 参京院教育学園でチアガールしてるから、会いに来てくれたら熱烈なエールを送るよ! ゴー! ゴー! 恭介! ウィン!」
「……うん、また今度来られたらその時は行かせてもらうね。理子さん。このみさん。夏希さん」
黄金の輝きに包まれて、別れの台詞と共に地上へ降下していく彼女たちを見送る上条の横顔は、酷く晴れやかで同時に少し寂しげに見えた。
「最後は君たち、二人だけだ」
結界の最奥部、地上から見れば天辺に位置するこの場所に残されていたのは、環さんと黒江さんの二人だった。
黒江さんは頭を深々と下げ、謝罪する。
「上条様……本当にごめんなさい。あの時、私が引き止めなければ、もっと早くあなたは帰れていたのに……」
「ううん。僕が選んだことだから、それについて君が気に病むことは一切ないよ。それよりもこれからどうするつもりなんだい?」
顔を上げた彼女は、上条の目をまっすぐに捉えて答えた。
「私も自分の街に……宝崎市に帰ろうと思います。そこで助け合える小さな魔法少女のチームを作ろうかなって」
「良い考えだと思うよ」
「それでっ、ですね……これは相談なんですけど、そのチームの名前、上条様からもらっていいですか?」
視線はそらさないものの、もじもじと照れたような上目遣いで黒江さんは指先をこねくり回す。
その発言がピンと来ていない様子の上条は首を傾げた。
「僕の……?」
横で聞いている俺からしてもよく分からない話だ。
『カミジョーズ』とでも名乗るつもりなのか? ネーミングセンスが皆無の俺からしても、それはないと言わざるを得ない。
「はい。銀羽根からもらって……『シルバーフェザー』」
「シルバーフェザー……」
それは上条からすれば、自分の心をひた隠し、文字通り仮面を付けて非情を貫いてた時の通り名。
あまり良い思い出ではないのは明白だった。
だが、難色を示すことなく、上条は快く許諾する。
「いいよ。黒江さんが自由に使ってくれて。その名前で君なりに魔法少女を助けてあげてよ」
「ありがとうございます! 大事に使います!」
ぺこりとお辞儀を残し、彼女もまた黄金の魔力に包まれ、降下していく。
俺は何か声を掛けるべきかと迷ったが、水を差すのも無粋と感じ、無言のままで居た。
最後に上条は環さんに語りかける。
「環さん。君が魔法少女たちを導いてくれたんだろう?」
「導いたってほどのことはしてないよ。私はただ、信じただけ。誰かの幸せを願う魔法少女の心を信じて祈っただけだよ」
俺から見れば、今回の事件解決のMVPとも言えるとんでもない偉業なのだが、当の本人にその自覚はないらしい。
そんな姿に上条はほんの少し綻んでいた口元を、再び、引き締めて言った。
「環さんの抱く思想は立派だと思うし、美しいと思う。でも、遠くない未来、その気持ちだけでは立ち行かなくなる時が必ず来るよ。その時、君はどうする? 彼女たちに何をしてあげられる?」
それは、一人の魔法少女としてではなく、集団を率いた者への問いだった。
他者の責任を背負い、苦しみ抜いた彼だから聞ける耳の痛くなる質問。
俺なら到底答えられそうにない。
しかし、環さんはそれほど気負うこともなく、口を開く。
「それでも私は信じることしかできないよ。私にできないことは……他の人に頼る、かな?」
「他力本願だね……頼りない指導者だ」
肩を竦める上条に、環さんは頬を掻いて頷く。
「そうだね。でも、一人で何でもできちゃうような子はきっと魔法少女にはならないよ。そういう子には奇跡も魔法も必要ないと思うから」
「それについては同意するよ。……いや、だからこそ、君は誰とでも手を取り合えるのか。
「何だろう……それだと私、凄い駄目な子みたいに聞こえるんだけど」
独り
それが“集団の輪の外側から導く者”と、“集団の輪の中で導く者”との違いなのだろう。
弱さを共感できるからこそ、手を取り合う。
そこにあるのは一方的な慈悲や
昔、テレビで見た極寒の雪山に取り残された人たちのドラマを思い出す。
身を凍らせるような寒さを耐え凌ぐために肌を触れ合わせ、一塊になって暖を取る人々の姿。
一人では凍えて死んでしまう夜の寒さを集団で寄り添うことで残り越えるラストシーンだけは妙に記憶に残っている。
「環さんは、多分それでいいんじゃないかな?」
「ええ、酷い……!?」
俺の発言を雑な返事と勘違いしたのか、環さんは衝撃を受けていた。
違う違う。そういう意味じゃないんだよ。
「いや、違くてさ……環さんは一人で生きられないから他人を利用して生きてるんだなぁって」
「もっと酷いこと言われた!?」
あ、あれ……? こうもうちょっと肯定的な意味合いで言ったつもりなのに、字面にするとめっちゃ邪悪に聞こえる。
言葉選びを間違えたか?
「違うんだ。そうじゃなくて、環さんは自分が生き残るために他人と手を取り合う魔法少女だなって」
「中沢。僕には何となく言いたいこと伝わるけど、その言い方だと『デスゲーム物のフィクションで最後の最後に裏切る味方キャラ』みたいな表現になってるよ」
「ああ! ドツボ!? 違うよ? 違うから! もっと良い意味合いで言ってるからね、俺!」
頭を抱えて俺が喚く前で、環さんは沈んだ顔で弱々しい笑顔を浮かべる。
「そ、そっか。中沢君からは私、そんな風に映るんだね……」
「ぬおぉぉぉぉぉぉ!? 上手いことこの感情を言葉にできない俺の言語能力が憎いぃ!」
こういう風になるから、俺はいっつも無難で曖昧な返事しかしてこなかったのだ。
説明や言葉選びが下手で、好意や親切心が空回ってしまう。
「中沢は環さんを『他者と寄り添うことで、生きていける魔法少女』だって言いたいんじゃないかな?」
不甲斐ない俺の代わりに気持ちを代弁してくれた上条に何度も頷いて肯定する。
「そう、それ! そういうことが言いたかったんだよ!」
「あ、そういう意味だったんだね。てっきり、私は中沢君には他人を身勝手に利用している人に見えてたのかと思ったよ」
「思ってないから。そんなことは全然思ってないから」
ホッとした一安心した様子で環さんは立ち直る。
そんな俺たちのやり取りを眺めていた上条は弛緩した空気を打ち破るように言った。
「でも、忘れないで、環いろはさん。君が寄り添っているのは希望だけじゃないということを」
「…………」
押し黙る環さんの真上で結界が作り物の青空が砕け、夜闇が染み出すように顔を覗かせる。
神浜市上空を覆う結界の崩壊。それは即ち、ドッペルシステムを維持していた舞台装置の消滅を意味していた。
「もう神浜市でドッペルは生まれない。他の街と同じように、この街で新たに
「……うん。分かってる」
首元のベルトに付いたピンク色の宝石に触れ、僅かに目を伏せた彼女は言う。
「短い間だけど『もう一人の私』と話をしたからね。ソウルジェムが濁る度、不安と恐怖で思い出すことなる。私は楽しいことや嬉しいことがあっても、やがて魔女になる未来が来ることを忘れない」
澄み切ったその眼差しには何にも
「だって、それが“寄り添う”ってことだと思うから。私は、私の絶望から目を逸らさない」
「……さっき頼りない指導者と言ったことを撤回するよ。環いろはさん。今の君の方が、僕よりずっと指導者向きだ」
魔法少女の消えた結界は役目を終え、ついに粉々へ砕け散って、夜の闇に融けていく。
というか俺も悠長に眺めてる場合じゃない。
俺も上条にここから降ろしてもらわないと足場が消えて、自由落下だ。
高所恐怖症の俺からすれば、今居る高さが何バベルに相当するのか計算もしたくない。
「お、おい。上条、そろそろ俺たちもここから降りないと……」
「大丈夫だよ。そのまま、直行する」
「……へ?」
上条は軽々と俺を抱えると、その背で回る車輪から黄金の翼を生やした。
溶岩から竜巻や稲妻まで精巧に作り出せる上条が、今更翼くらい生み出したところで驚くことでもない。
だが、今回はその規格が桁違いだった。
巨大な一対の翼はそこらの高層ビルよりも巨大で、朝の日差しよりも遥かに眩い光を放っている。
砕けて消えゆく結界の破片を蹴散らすように黄金の翼は
「うおっ……」
夜空を
視界には星の光も街の明かりもまともに映らない。
その理由は、黄金の翼が眩し過ぎるからだけじゃなかった。
俺を抱えた上条が、
周囲の景色が液体か何かのように引き伸ばされ、物体を認識することも困難だ。
魔力によって鍛えられた動体視力ですら融けた視界で物を見ることができなかった。
だが、風圧も気温の変化も感じない。
それは上条が張り巡らせた魔力の膜のおかげだろう。
身体の中身がぐちゃぐちゃに混ぜ合わさることもなく、平然としてられるのもそれが理由だ。
魔力の流れも、膨大かつ全方位から常に湧き出しているせいで俺の感覚でも捉えきれない。
一体どこまで規格外なら気が済むのか。
ナチュラルに空を飛ぶなよ。スーパーマンか、お前は。
呆れも通り越して、そんな間抜けな感想しか出て来ない。
「もうすぐ見滝原に着くよ」
「早っ……って、この感覚!」
巨大な魔力の反応を感じた。
呆けていた思考が、瞬時に現実に引き戻される。
間違いない……。これが“ワルプルギスの夜”の気配。
速度が
正常化していく視界で見たのは、いつかの夢で見た光景に不快なほど酷似していた。
無残な
絶え間なく雨を垂れ流す暗雲の中心に浮かぶのは、
“ワルプルギスの夜”。
「……っ」
魔力が扱えるようになったからこそ、その異常さを観測できた。
結界を持たない魔女。いや……身を守るという概念を持たない魔女。
隠れ潜む必要性がないのだ。
その身一つで充分なのだ。
なぜなら、この魔女には外敵など存在しないのだから。
大型の蛇ほど毒を持たなくなると同じ理屈。
小細工を使わなくても、純粋な暴力であらゆるものを
これほど単純明快な理由以外にない。
そして、俺はその巨大な穢れの魔力とは別に、点在する穢れの流れを感知する。
太鼓を背負った鶏頭の巨人。
緑色の十字の目隠しをされた巨象。
デフォルメされた魔法少女の無数の影。
暴れ回る奇妙なパレードは使い魔なのだろうか。
辺りに撒き散らす破壊の痕跡から考えても一体一体が神浜の魔女と同等か、それ以上の強さだ。
「……あそこ!」
そして、そんな強敵と戦う魔法少女たちの姿を捉えた。
巴さん、美樹さん、佐倉さん、暁美さん……そして、鹿目さん!
全員無事だ。
苦戦を強いられているが、それでも誰一人欠けていない。
「かみじょ……」
「中沢。雑魚の相手を任せてもいい?」
遮るような上条の言葉に俺は一瞬だけ固まった後、その意図を理解する。
ワルプルギスの夜が──。
あの
──上条を、
瞳どころか眼球さえ持たないだろう、のっぺりとした顔で上条の存在を明確に意識を向けていた。
耳障りな鳴き声も止めて、こちらをじっと凝視している。
「うっ……」
反射的に口元を押さえた。
不快感が脳髄を覆う。恐怖が背筋へ這うように込み上げる。
巨大な生き物に認識されるという尋常ではない
焦点が当たっているのが自分ではないと理解している俺ですら、ここまでの嫌悪が鳴り止まない。
なら、当の上条自身は……。
横目で覗き見た上条の顔には、微塵の揺らぎもなかった。
特大の異形から向けられた感情を逸らすことなく、平然と受け止めている。
視線を、感情を、すべてそちらに向け、真正面から相対する。
「中沢?」
視線を敵から移すことなく、俺の名を呼んだ。
ハッとして我に返って返答をする。
「ああ。うん……分かった。近くに降ろしてくれたら、俺が受け持つよ」
英雄の資質。救世主の素養。
物語の主人公はかくあるべし、というかのようにその在り方から外れない。
傍に残っていたビルの残骸の上に俺を降ろし、僅かに上条の視線がワルプルギスの夜から逸れた瞬間、夜の闇とは異なる暗さが降りかかる。
「上条!」
それは引き抜かれた高層ビルの影。
極大の角ばった長方体がいくつも空中で浮遊していた。
暴力的なまでの魔力により、無理やり浮かばされたそれらはミサイルのように降り注ぐ。
「少しくらいは……」
上条は襲来する高層ビルの飛翔体に目を向けず、
「待てないのかい?」
魔力を纏った高層ビル群が瞬く間に黄金に変わり、蒸発する水のように跡形もなく消え失せる。
融かして分解したのではなく、固体の状態から直接気体へと変化させた。そうとしか思えない芸当。
恐ろしいまでに精密で繊細な魔力の行使はそのままだが、操る性質は融解でも掌握でもない。
否定の魔法とは違い、魔力にも既存物質にも等しく影響を及ぼす現象。
これが上条が手に入れた絶対の
これが『流転の理』……。
「そんなに踊りたいのなら、自分の脚で僕を誘ってよ」
実際に戦っていた俺ですら思う。
馬鹿げてる。
本当に、馬鹿げてる。
これに比べれば、魔法少女や俺の使う魔法なんて、まさしく“ちょっとした手品”止まりだろう。
上条のそれはもはや『魔法』という定義にすら留まらない。
これは、もう『奇跡』の領域だ。
流れ出す黄金の輝きを見て、俺はそう感じる他になかった。
早めに書けたので更新。次回はしばらくお待ちください。