ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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第五十八話『中沢君と素晴らしき明日』②

 嘘だ……。

 嘘だ嘘だ嘘だ……。

 だって、あんまりだろ? そんなのってないだろ?

 お前、分かってたのかよ。こうなるって分かって、見滝原市に戻って来たのかよ。

 もし、そうだって言うなら……お前、本気で馬鹿だよ。

 建物の残骸ばかりが痕跡として点在する地面を、俺はひたすらに走り続けた。

 ワルプルギスの夜が浮かぶ地点へと急ぐ。

 それと対峙している黄金の光の名を叫ぼうとして──。

 

「…………ッ、!?」

 

 名前が出て来ないことに愕然(がくぜん)とする。

 ついさっきまで呼んでいた名前が急に度忘れしたように思い出せない。

 それどころか、どんな顔だったのか。どういう声をしていたのか。それすらも記憶から消えていた。

 暗雲が立ち込める空で輝く黄金の光へ近付く度、音を立てて俺の記憶から大切な何かが零れ落ちていった。

 どうにか覚えていられたのは、たったの三つだけ。

 一つは、魔法少女を本気で救おうとしていたこと。

 二つ目は、神様みたいな強大な力を持っていたこと。

 そして、最後の三つ目は、俺の大切な友達だったこと。

 それしか残っていない。後はどうしても思い出せなかった。

 混迷する脳内。動揺が思考を掻き乱す。

 だが、そんなぐちゃぐちゃに掻き回された意識を律するような音が鼓膜を叩いた。

 柔らかなのに力強く、大きくないのに耳に残るそんな音楽……。

 

「……この音色。演奏……バイオリンか?」

 

 バイオリンの音色が俺を導くように旋律を奏でている。

 大人しい音圧。しかし、後を引くような演奏は(おごそ)かでどこまでも優しく響き渡っていた。

 詳しくない俺にさえ、その曲にどんな想いが()められているかがありありと感じ取れた。

 これは鎮魂曲(レクイエム)

 死者を悼み、冥福を祈る演奏だ。

 どうか、天国で安らかになってほしいという感情(ねがい)がこれでもかというくらいに音色へ練り込まれている。

 光が、上へ上へと昇っていく。

 糸が解けるように。煙が立ち上るように。

 黄金の光へと還っていく。

 それはあの強大で、邪悪で、恐ろしいワルプルギスの夜のための光だ。

 逆さまの巨体は緩やかに傾き、天を仰ぎ……そして。

 

『…………………………………………』

 

 のっぺらぼうの顔に唯一残る口紅を塗りたくった真っ赤な口は、驚いたように開かれている。

 思いもしていなかったものが唐突に自分の身に起きた時の顔。

 黒い雲が開け、神々しい光が夜空へと昇る。

 あれほど(おぞ)ましい巨大な化け物としか見えなかったそれは、今や驚き戸惑う少女のように映った。

 鎮魂曲は一際、美しい音色を響かせる。

 盛り上がった音色は、どこまでも優しくて、温かで、安心感を(ともな)っていた。

 下げられていた紺色の袖が二つ、空へと伸ばされる。

 伸ばした腕から黄金色へ染まっていき、解けて、細かな光に変わる。

 空へ還るワルプルギスの夜は、まるでずっと家に帰れなかった迷子(まいご)がようやく自分の家を見つけた時のような、安心し切った姿に見えた。

 黄金の光に抱かれて、大きな歯車が回る。

 緩やかに光へ融ける歯車は、手を繋いで踊るたくさんの少女たちの影に変わっていた。

 少女たちの影は踊ることを止め、一列に並ぶと光の中心に一礼したように頭を下げて、消えていった。

 剥ぎ取られた雲もまた同じように消滅する。

 残された黄金の光は更に大きく広がりを見せて、美しい音色と共に視界を一色に染め上げた。

 

「……ま、待って! 待ってくれよぉ!」

 

 必死になって喉から絞り出せたのは、そんな情けない台詞。

 友達の名前すらも忘れてしまった俺が叫べたのはその程度の言葉だけだった。

 光る世界で俺は叫んだ。

 

「どこだよ! どこに居るんだよ!? なあっ!?」

 

 腕で顔を庇って黄金の輝きの中を歩き回る。

 まだ、居る。居るはずなんだ。

 俺にはまだ、あいつの魔力の流れが感じられる……。

 

「お前は一体、どこに居るんだよ! 返事してくれよ!」

 

〈僕なら……ここに居るよ〉

 

 空間、いや、俺に観測できる世界のすべてから“声”が返ってくる。

 それは念話ですらない。もっと上位の法則のような認識。

 たった一言だけで感覚器官すべてに情報が流れ込む。

 

「まだ、居るんだな?」

 

〈ずっと、居るよ。僕はこれからもこの世界の、宇宙のどこにでも居ることになる〉

 

「どういう、意味だよ……?」

 

〈そのままの意味だよ。僕という存在は薄く広がって、この宇宙に流れ出す。今、こうしている間にも自分が引き伸ばされていくのが分かるんだ〉

 

 俺には、その発言の意味が理解できなかった。

 同時に決して理解してはいけないことなのだとも感じた。

 

「でも、俺にはお前が分からなくなりそうなんだ。魔力の流れとして感じるのが精一杯で、もうお前の形も分からない……」

 

〈そうだね。きっと僕の形は中沢には認識できないようになる。でも、それでいいんだよ〉

 

「よくないだろ!? 何言ってんだよ!」

 

 勝手に悟ったようなこと言わないでくれよ……。

 俺はまだこの結末に全然納得なんてできてない。

 ふざけんなって気持ちで一杯だ。

 

「お前なら、もっといい方法あったんじゃないのかよ? ワルプルギスの夜だって、もっと簡単に倒して、それで……その分、やりたいこととかできたんじゃないのか?」

 

 黄金の輝きは、その質問に少しだけ間を置いてから答えた。

 

〈できた、だろうね……〉

 

「なら、何でっ!?」

 

〈重ねてしまったから、かな。“魔女になる未来を受け止めた魔法少女”と。ワルプルギスの夜もまた同じように希望を抱いて、絶望に染まった魔法少女だったなら、その終わりは少しでも報われてほしいって思ってしまったんだ〉

 

 それを聞いて、俺は泣けてきてしまった。

 ああ……本当に。本当にこいつはどこまでも優しくて、どこまでも気高い奴なのだと。

 自分の時間を捨ててまで、街を無残に破壊して笑っていた巨大な魔女の幸福を願うなんて、どこまでお人好しなのか。

 高潔を通り越して、聖人君子。

 大馬鹿野郎だ……。

 そのせいで、今()()()()()()()()()()()()()()

 顔も名前も分からない、忘れられた存在になってしまった。

 何より、その事実をこいつ自身が後悔していないということが一番辛かった。

 

「お前、本当にいいのかよ……」

 

〈何がだい?〉

 

 神浜市で聞いた魔法少女たちの言葉を思い浮かべる。

 誰に向けられたのか分からないいくつもの台詞。あれはきっと、こいつに向けられていたものだったはずだ。

 

「ほら、言われてただろ? 弁当屋の看板娘やってるって小さな魔法少女の子に寄ってくれって、言われてたじゃないかよ!」

 

『■■お兄さん! 今度、また神浜に遊びに来ることがあったら、その時は『千秋屋』ってお弁当屋さんに来てみてください。わたし、そこで看板娘やってますからっ』

 

〈中沢が僕の代わりに行ってくれないかい? きっと喜ぶと思うよ。選ぶお弁当はそうだね……唐揚げ弁当とかがいいかもね〉

 

 何でだよ、本気で言ってるのかよ、それ……。

 喚きたくなる感情を抑えて、俺は続けた。

 

「他にも花屋を手伝ってるって魔法少女の子とも約束してただろ?」

 

『私は「フラワーショップ・ブロッサム」ってお花屋さんでアルバイトをさせてもらってるの。もし立ち寄る機会があったら■■君にとびっきりのお花をプレゼントしてあげる』

 

〈……中沢が僕の代わりに行ってくれないかい? 少し花言葉を調べてから行くと会話が弾むと思うよ〉

 

 冗談だろ。いい加減としないと俺だって怒るぞ。

 苛立つ想いを呑み込んで、それでも俺は言葉を(つむ)ぐ。

 

「チアガールの魔法少女の子だってお前に声援を送りたいって、言ってたじゃないかよ……」

 

『参京院教育学園でチアガールしてるから、会いに来てくれたら熱烈なエールを送るよ! ゴー! ゴー! ■■! ウィン!』

 

〈それも中沢が代わりに行って……〉

 

「いい加減にしろよっ! 馬鹿野郎!」

 

 代わり代わりって、俺がなれる訳ないだろうがっ!

 自覚しろよ、大馬鹿野郎。

 もう我慢の限界だった。一体どれだけ自分の価値に無頓着なら気が済むのか。

 

「お前の代わりなんて、誰も居ないんだよ! どこの誰にも務まらないんだよ! ……分かれよ、モテ男! お前のことを大切に思って、また会いたいって考えてる奴は山ほど居るんだよ! その人たちはどうすればいいんだよ! お前が消えたら、どうすりゃいいんだよ!」

 

〈僕が存在は記憶からも記録からも消える。誰も僕を覚えていられない。だから、大丈夫だよ。彼女たちの成長や選び取った想いは変わらない。ただ、そこから僕の存在だけが抜き取られるだけだ〉

 

 そうじゃない。

 そういうことじゃ、ないだろ……?

 理屈とか仕組みとか、そんな“どっちだっていい”ようなこと聞いてんじゃないんだよ。

 

「俺は……俺は、嫌だぞ? お前が居なくなることも、お前がやったことを皆が忘れることも、俺は絶対認めない! 譲らない! 否定してやる!」

 

 溢れ出した涙が止まらない。

 畜生。何で、何でだよ……。こいつ、これだけ頑張ってたじゃないかよ。

 本気で魔法少女の幸せを願って、それを自分の力で実現しようとして、その結果がこれなのか。

 

〈中沢…………どうしてくれるんだよ〉

 

「……何だよ?」

 

 世界から伝わる声は僅かに震えていた。

 超然とした雰囲気は崩れ、懐かしさを覚えるような声に戻る。

 

〈納得して、割り切って、終わらせようとしたのに……お前のせいで、怖くなったよ。忘れられることも、僕が僕でなくなることも、怖くて怖くて堪らなくなってきたよ……〉

 

「それが『普通』なんだよ! 格好付けるなよ! 怖いに決まってんだろ? 嫌で嫌で仕方ないだろ? 俺だったら怖くて喚き散らしてるよ! ションベンちびってるよ!」

 

 だから、お前だって格好付けずに、我慢せずに喚いたって良いんだよ。

 物分かりのいい聖人君子を最後まで演じてなくていいんだよ。

 

〈『普通』って、お前……僕のこと、どこ見て言ってるんだよ。もう、概念に成り果てる僕に、お前、『普通』を()くのか?〉

 

「それこそ関係ないって言ってんだろ! 概念だろうと神様だろうと知ったことじゃない!」

 

 そんな訳の分からない凄い物になる前に──。

 

「お前は俺の友達だろうが!」

 

〈…………!〉

 

 そうだ。そうだよ。関係ないんだ、そんなもの。

 俺の知ったことじゃないだろ。

 俺は、俺の友達を助けたい。救いたい。報われほしいだけんだよ。

 黄金の輝きの中心へ右手を伸ばす。

 白い手袋が粒子状に分解され、光に還っていく。

 それでも、構わずに俺は手を伸ばし続ける。

 熱いのか、冷たいのか。それすらも分からない変化が俺の肌を(むしば)む。

 

〈やめろ。中沢……それ以上はお前がっ……〉

 

「だ、れが……やめるかよ。これは俺が選んだ、俺の道……俺にとっての“ちょうどいい”選択なんだ!」

 

 魔力の流れに意識を集中させ、読み取る。

 広がり続けているあいつの意識の最奥。そこに魔力の根源があるはずだ。

 激しい嵐の中を突き進んでいる。あるいは渦巻く水流の中を潜っている。

 気を抜けば、瞬く間に身体がバラバラになりそうな感覚を味わいながら、俺は進み続けた。

 全身に押し寄せる力の流れが、俺の形を壊そうと圧迫していた。

 苦しい。

 呼吸ができない。

 辛い。

 皮膚が焼ける。

 首元に繋がっている否定の魔法が凄まじい速さで消耗している。

 ただ、この力がなければ、俺の身体など一瞬で蒸発していただろう。

 混濁していく意識で俺は、ヌルオさんの残してくれた力がどれだけ俺を守ってくれていたのか感じる。

 ……見ててくれよ。ヌルオさん。

 これが。

 これが俺の選ぶ本当の中庸。

 進んだ先で、渦の根源を感じ取る。

 指先に溜めたすべての魔力を一枚のコインへと変え──。

 

「……『拒絶(リジェクト)』!」

 

 ──俺はこの結末を否定する。

 黄金の世界に、金色のコインが回転して進む。

 表と裏を何度も交互に見せながら、コインは進む。

 進み続ける。

 キィン、と金属音が鳴り響いた。

 それは、卵状の宝石とコインが衝突した音だった。

 黄金の空間の中央から波紋に似た円陣が広がる。

 そして、俺は……。

 

 水の上に立っていた。

 

 透明過ぎて、白い雲と青い空を鏡のように反射させる水面。

 その上に沈むことなく、直立している。

 振り返ると、俺のすぐ近くに誰かが立っていた。

 

「……かみじょう……?」

 

「中沢……僕が分かるのかい?」

 

「上条ー!」

 

 呆然と立ち竦む上条に俺は、すぐ駆け寄って。

 グーで殴ろうとした。

 拳を握り締め、助走を付けて放つ本気パンチが上条の左頬を掠める。

 紙一重でそれを避けた上条は、間髪入れずに俺へ足払いをかけた。

 次の瞬間、身体が宙を舞ったかと思えば、俺は仰向けに寝転ばされていた。

 

「いきなり、何をする気なんだ。中沢」

 

「上条……お前、そこは普通殴られとけよ」

 

「ごめん。向かって来る相手に対して無力化する癖が付いてたみたいで」

 

 謝りながら手を差し伸べてくる上条。

 俺はその手をしっかり掴んで、立ち上がる。

 質感がある。体温も感じる。

 名前も顔もしっかりと観測できている。

 元に戻ったのかとひとまず安心しかけたが、上条の肩越しに人影を見つけ、緊張感を取り戻す。

 

「上条! 後ろっ」

 

 言うが早いか、後ろへ振り向いた上条は臨戦態勢を取って、すぐにそれを解いた。

 

「君は……あの時の」

 

 視線の先に居たのは、黒羽根のローブを纏った少女。

 顔は目深(まぶか)に被ったフードで隠れて見えないが、上条にはそれが誰なのか判別できているようだった。

 

「私のことがお分かりになりますか?」

 

「一度だって忘れたことはないよ。君は神浜市でできた最初の僕のファンだからね」

 

「嬉しいです。上条様にそう言って頂けるなんて夢みたい……」

 

 優しい声で答えた上条に、彼女は嬉しそうに天を仰いだ。

 まるで零れ落ちそうな涙を流さないようにする仕草に、俺もまた警戒心を解いて見つめる。

 

「ごめん。僕は……君を救えなかった」

 

「いいえ。ずっと前から救われていましたよ。私のような弱い魔法少女が世界に絶望しないように、上条様は戦い続けてくださいました。一番傍で見てきたから、それだけは分かります」

 

 俺はそこで彼女が誰なのか察した。

 この黒羽根は上条が命を奪うしかなかった黒羽根の少女なのだ。

 

「私は、上条様の魔法に融けて、ずっと見てきました。誰よりも弱くてどうしようもない私たちを見捨てることなく、救おうとしてくれた。それだけでもう充分報われました」

 

「僕は……君を殺したんだよ?」

 

 悲し気に諭すような声で上条は言う。

 しかし、黒羽根の少女は首を横へ振った。

 

「私が誰かを傷付けないようにしてくれたんでしょう?」

 

「それでも……君を救えなかったことには変わりない」

 

 自責の念から、自分の行いを許せないと俯いた。

 本当に呆れてしまうくらいに誠実な態度だ。

 だからこそ、きっと彼女はこの場に現れたのだろう。

 黒羽根の少女はゆっくり近付くと、上条の左手に触れる。

 

「ご自分を許してあげてください。あなたはいつだって魔法少女(わたしたち)の味方でした」

 

「それでも僕、は……」

 

「ありがとうございました。上条様」

 

 上条の瞳から涙が零れ落ちる。

 俺は声を上げて泣き叫ぶ上条を黙って眺めていた。

 その涙に籠められた想いは俺にも分からない。

 ただ、分かるのはずっと苦しんでいた上条が、今ようやく報われたということだけだ。

 膝を突いて、しゃくり上げる上条を慈しむように彼女はそっと抱き留める。

 上条が落ち着きを取り戻してきた時、黒羽根の少女は左手を両手で包み込んだ。

 

「上条様。もう、この力は必要ありません」

 

「だけど、もうどうしようもないことなんだ。僕は……この宇宙から切り離される」

 

「大丈夫です。あの方が亀裂を入れてくれた」

 

 黒羽根の少女が俺の方を向いて、口元を緩めた。

 目線は分からないが、それでも俺のことを見つめていることは感じ取れた。

 

「この力は私が引き受けます」

 

「そんなことができるのか?」

 

 俺が尋ねると、少女は大きく頷いた。

 だが、すぐに上条が否定する。

 

「無理だよ。この奇跡は君じゃ制御できない。僕という核を失った力は君ごと消滅する」

 

「はい。私では耐えられません。でも、上条様は助けられます」

 

 にっこりと微笑んで彼女はそう満足そうに答えた。

 

「君は僕のためにもう一度死ぬつもりなのか!?」

 

 上条は悲鳴に似た叫びを上げる。

 黒羽根の少女は、その言葉を訂正するように言った。

 

「いいえ、上条様。私はもう一度、願い事を叶えるんです」

 

 言葉を失う上条に、少女は笑顔で答えてみせた。

 

「私を誰かの幸せを願う魔法少女として、終わらせてください」

 

 それ以上、掛ける言葉はなかった。

 俺にも上条にも、彼女の決意を否定する権利などありはしなかった。

 左手の手首から黄金の魔力の結晶が剥がれ落ち、黒羽根の少女の手のひらの間に包まれる。

 ふわりと羽毛のように空へと浮かぶ彼女に、上条が手を伸ばす。

 

「待って。名前を……! 今度こそ、名前を聞かせてよ!」

 

 青空へと舞い上がる彼女は、自分の名前を上条へと教えた。

 

「私の名前は   、です」

 

 フードがずれて二つ結びの白い髪が、大気へと触れる。

 それは、彼女の名前と同じく、“小さな羽”のように見えた。

 青空へ金色が融ける様子は、砂金を大空にばら撒くかのようだった。

 やがて、青空も透明な透き通る水面も消えた時、俺と上条は瓦礫の大地の上に立っていた。

 制服姿なっていた上条の左手には、光る物は何もない。

 手首の間に乾いた(くぼ)みのような傷跡が残っているだけだ。

 俺もまたローブコートから私服へと戻っていた。

 魔法の痕跡が消えたお互いを見つめ合ってから、俺たちはどちらともなく、小さく笑った。

 それは、あまりにも大きな出来事が唐突に終わってしまったことに対する笑みだった。

 

「おーい。男二人で何笑い合ってんの、あんたたち」

 

 美樹さんの声が近くから聞こえた。

 声の方へ振り返ると、そこには美樹さんたちが走ってくる様子が見える。

 

「さやか……」

 

 上条が美樹さんの名前を呼んだ。

 呼ばれた彼女は、それに対して自然な態度で答える。

 

「おかえり、恭介。っていうか、髪めっちゃ伸びたね。まあ、それも似合うけどさ」

 

 その言葉に上条は口を開きかけ、それから少し経ってから穏やかに微笑んだ。

 

「うん。ただいま、さやか」

 

 上条がずっと口にすることさえも諦めていた帰還の挨拶。

 それを聞いて、俺はやっと自分の役目をまっとうできた気がした。

 雨雲の消えた空で月の光が差し込む。

 明かりのない残骸の街には、星々の光さえ眩しく思えた。

 

「中沢。ありがとう……」

 

 お礼の言葉を述べた上条に、俺は首を横に振った。

 

「お礼はいいよ。だって俺たち、友達だろ?」

 

「それでも言わせてよ」

 

 またお互いにおかしさが込み上げて、肩を震わせて笑った。

 美樹さんたちは訳が分からないというように、眉を寄せていたが、それがなおのこと、おかしかった。

 

「それで、中沢はどうするつもりなんだい?」

 

「神浜市に帰るよ。親も心配すると思うし」

 

 俺がそう答えると、上条や他の皆は複雑な表情を浮かべて、顔を見合わせる。

 どうしたんだろうか。俺、別に変なことは言ってないよな?

 周囲の反応に戸惑っていた俺に、上条が視線を逸らしながら、申し訳なさそうに聞いてくる。

 

「あのさ、中沢」

 

「ん? どうしたんだよ」

 

「この街の交通手段、全部死んでるんだけど……どうやって帰るつもりなんだい?」

 

「…………」

 

 そう言われて、俺は改めて、見滝原市を眺めた。

 見渡す限り、瓦礫の山。道路は砕け散り、陸橋は落ちている。

 挙句の果てには、辺り一面水浸しで、場所によって水没している箇所もある。

 電車はもちろん、バスだって当分は運行できないのは一目瞭然だった。

 

「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっ!」

 

 頭を抱えて、その場で絶叫する以外、俺には(ほとばし)る感情を発散させる方法が思い浮かばなかった。




次回、最終回。
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