俺は知っている。
日夜、人知れず、魔女と魔法で戦う少女たちの存在を。
俺は知っている。
その少女たちがいずれ、自分たちの倒すべき魔女へとなることを。
俺は知っている。
彼女たちが掲げる希望は酷く儚くて、容易く絶望へと反転する不安定なものだということを。
だけど、俺は知っている。
彼女たちが決して不幸な存在ではないことを。
破滅の運命を諦めて受け入れるような、可哀そうな存在ではないことを。
魔法少女は向き合っているのだ。
運命と。
絶望と。
その胸に抱いた願いと共に、戦い続けている。
そして、そんな俺は──未だ神浜市へ帰れずにいる。
「うう……コンビニのおにぎり、おいしいよぉ……」
涙と鼻水を流しながら、おにぎりに
いつも味気ないと思っていた昆布のおにぎりが泣くほど美味しく感じられた。
キレーションランドでの強襲作戦、銀の街での激闘、そして、見滝原市での大決戦から二日間の時が過ぎていた。
ワルプルギスの夜が起こした大災害のおかげであの後、そのまま帰宅することは叶わず、俺は上条たちと一緒に避難所で一晩明かすことになった。
だが、そのおかげで再会を果たす上条親子を見ることができたのは良かった点かもしれない。
特に上条のお父さんは、何度も上条の存在を確かめるように抱きしめて涙を流していた。その姿は見ているこっちまでもらい泣きしそうだった。
当の本人は恥ずかしそうな表情を浮かべて、傍に居た俺を気にしていたが、今生の別れになりかけたのだから素直に甘えても許されると思った。
行方不明になっていた期間についても聞かれたが、疲れと戦いの緊張から解放された俺は頭がうまく回らず、上条が話す内容にひたすら便乗することで、その場を
次の朝、配給されたおにぎりを食べた後、支援物資を届けに来てくれたトラックに頼み込んで荷台へ乗せてもらい、交通機関が稼働している場所まで運んでもらった。
しかし、俺はそこで絶望的な事実に気付く。
神浜市まで帰るための電車賃がないのだ。
そのことを理解したのは駅で切符を買おうとした瞬間だった。
当然ながら送ってくれたトラック運転手のおじさんとは別れた後。スマートフォンもいつの間にか充電が切れていて使用不可能。
よく知らない土地で無一文になった俺に残されてたのは、運転手の親切なおじさんが去り際にくれたおにぎり二つとペットボトルのお茶だけだった。
残っていたお茶を喉へ流し込み、本当に何もなくなった俺は絶望に打ちひしがれる。
どうして、見滝原市に居た時に交通費のことを考えなかったのか。
トラック運転手のおじさんに「ちゃんと帰れそう?」と聞かれた時に「大丈夫です! 問題ありません!」とどや顔で返事をしてしまったのか。
……多分、調子乗ってたんだろうなぁ。
自分の意志で一つの大きな事件を乗り越えて、俺は成長したとか強くなったとか思い上がっていたのだ。
結局、俺は一人で家に帰ることもままならない、単なる中学生だと痛感させられる。
もし、できることなら、あの時の俺の顔を引っ叩いて説教してやりたい気分だ。
「こうなったら警察に頼るしかないか……」
ただ、なぜお金もなく、こんな遠出をしたのかと聞かれたら上手く説明できる気がしない。
魔法のことを省くなら、どうしても嘘を吐くことになるだろう。その嘘を
それでも親に連絡は届くかもしれないが、ただでさえも無断外泊をしている以上は更に怒られるような要素は極力避けたい。
俺がうじうじと悩んでいると、腰掛けている公園のベンチから、道路の脇を走り去る乗用車が目に入る。
その瞬間、パッと自分の頭上に電球マークが浮かんだ気がした。
「あっ! ……いや、まだ希望はある!」
料金が発生する公共交通機関が使えないなら、ここまで来た時のように人の善意に頼ればいい。
つまりはヒッチハイク。
神浜市まで向かう予定の車に同乗させてもらうのだ。
考え付いた時、これは名案だと思った。
その思考が寝不足と空腹から来る、何とも残念な考えであると悟ったのはそれから大体一時間くらい経過した後だった。
スマートフォンの電源が入らないので時刻を確認する方法はないが、体感でそのくらいの時間が経ったと思う。
親指を立てて道路側へ突き出すヒッチハイクサインを三桁近く無視され続けると、なけなしのポジティブ思考も限界に達する。
自分の格好を改めて見下ろす。
二日間被災地をうろついていた衣服は薄汚れている。髪型も整えている余裕はなかったので寝癖で酷いことになっているだろう。
日も落ちて薄暗くなってきた今、一人手ぶらでヒッチハイクなんてしている浮浪者風の男子中学生。
こんな訳アリ感満載の人間、関わり合いたくないと思うのが当然だ。
「うう……。もうおしまいだぁ……俺はもう神浜市に二度と帰れないんだぁ……」
泣きべそを掻き、半ば
トラックとバスの中間のような大きな車両は、キャンピングカーだろうか。
道路脇に停まったそのキャンピングカーから一人の女性が降りて来る。
「何や、随分若いヒッチハイカーさんやなぁ。こんなところでどないしたん?」
こてこての関西弁で話しかけてきたのは、褐色肌に紫髪の眼鏡を掛けた綺麗な女性。
一見するとミステリアスな異国の美女に見えるのに、ゆったりとした
「えっと……俺、中沢っていう者なんですけど。ちょっと色々あって、神浜市の家に帰るまでのお金がなくて……。その、もし、よかったらなんですけどぉ……お姉さん、神浜市まで連れて行ってくださったり……なんて、してくれないですかねぇ……?」
話している内に、見ず知らずの人に頼む内容じゃないなと感じ、しどろもどろになってしまう。
褐色のお姉さんは少し、考えた素振りをした後、俺に言った。
「そやなぁ。私らもこれから神浜に用があって向かうつもりやけど」
「え! じゃ、じゃあ……」
「でも、
下から上まで眺めて彼女はわざとらしく腕組みをした後、考え込むように視線を斜め上に向けた。
「うっ……。お、お金は持ってないです……」
俺がそう答えると、予想通りというようににんまりと悪戯っぽく笑って返す。
「そやったら、何か神浜市にまつわるおもろい話の一つでも聞かせてくれたら考えてもええよ」
うわっ。いきなり面白い話しろって、一番俺の苦手な話題の振られ方だ。
これがお笑い文化が根強い関西のノリなのか。
ええい、気後れしてても始まらない。ここは一つ、期待通りに面白い話をするしかない!
俺だって、神浜市でこの数日間貴重な体験をしてきたんだ。このくらいで
「あ……」
「どないしたん? 何かおもろい話、思い出したんか?」
「面白い、か……はどうか分からないですけど、俺が体験した『ウワサ』の話ならできますよ」
口に出してから若干、後悔する。
流石に人を攫う化け物だの、それと魔法で戦うだの聞かされてもただの痛々しいほら話にしか聞こえないだろう。
下手をすれば、馬鹿にしているとも取られかねない。
やっぱり、面白い話なんてできませんと謝った方がいいだろうかと頭を悩ませ始めた時。
「“体験した”“噂話”、ね。何やおもろそうやんか。ほな、隣でゆっくり聞かせてもらおか。助手席乗りぃ」
言い回しが気に入ったのか、彼女は俺を手招きして車に乗るよう促した。
引くに引けなくなってしまい、神妙な面持ちで褐色のお姉さんの誘導に従う。
怒られないだろうか。期待させた分、落胆させてしまわないだろうか。
助手席に乗り込んで、シートベルトを締めてから冷や冷やしながらも、俺は意を決して語り始めた。
「これは俺が語るある短い記録の物語です。それから、これは俺の知るある僅かな魔法の物語でもあります」
「お、何や雰囲気ある語り出しやんなぁ」
褐色のお姉さんがハンドルを握りながら、楽し気に笑みを浮かべた。
緊張を解きほぐすように一息吐いてから、俺は話を続ける。
まず、初めに話すとしたら、出だしはきっとこれしかない。
――『顔無し手品師のうわさ』。
すべてはこの噂話を知った時に始まったのだ。
………………………………………………………………。
………………………………………………………………………。
………………………………………………………………………………。
それから俺はヌルオさんと共に戦ったこと。彼と決別して自分の意志で上条を救おうと決めたこと。
そして、その結果、俺が今ここに居ることを話し終えた。
最後まで話し切ってから、考えていたよりもずっと長くなってしまったと感じた。
喉の
「これ……」
「飲んどき。話し通しで喉渇いたやろ?」
「あ、ありがとうございます」
素直に嬉しかったのでキャップを外して、口を付ける。
温くなったレモンティーだったが、話し疲れたせいもあり、美味しく思えた。
「私と関節キッスやな」
「ふぐッ……」
唐突に放たれたとんでもない発言を受け、飲んでいたレモンティーが逆流して、鼻から噴き出る。
それでも車内を汚してはいけないと両手で押さえ込んだので、被害は俺の手の中で
言われてみれば、キャップの閉まり方が緩く、中身もやや減っていた気がする。
「けほっ……お、お姉さん!」
「
前方を見ながらククッと人を食ったような笑みを浮かべる褐色のお姉さん。
こういう掴みどころのない態度の年上の女性には既視感があった。
八雲さんだ。この人、性格がちょっと八雲さんに似ている。
まだ飲み足りない気分だったが、間接キスがどうこう言われた後、もう一度飲み口を
「思ったよりもおもろい話やったで。中沢君の話」
「喜んでもらえて何よりです」
「特にヌルオ、言うんやったっけ? その顔の無い手品師には私も会ってみたかったかもなぁ」
褐色のお姉さんの返事に俺は苦笑した。
あの人がここに居たら何て言うだろうか。多分、俺をからかって遊ぶお姉さんを皮肉たっぷりで
だが、それ以上に意外だと思った。
「俺の話、信じてくれるんですか? 普通に聞いたら、これ妄想話でしかないですよ」
「まあ、職業柄そういう類の話には事欠かないんやわぁ」
そう言われ、俺はこのお姉さんがどんな仕事をしているのか気になった。
そもそもまだ名前さえも教えてもらっていない。
「あの、お姉さんは……」
「お。そろそろ、神浜に着くで。確か、新西区やったなぁ? すぐに降りられる準備しとき」
「あ、はい」
意図的ではないにしろ、一旦遮られてしまい、会話は途切れる。
少しの間、車内を沈黙が支配した。
褐色のお姉さんの言った通り、それから程なくして、新西区の中心地にある新西中央駅前に到着した。
俺はレモンティーの入ったペットボトルを褐色のお姉さんに返し、シートベルトを外してから頭を下げる。
「神浜まで連れて来てくださって、本当にありがとうございました」
「ええよ、ええよ。こっちもおもろい話ぎょーさん聞かせてもらったしなぁ。むしろ、私の方がもらいすぎやわ」
朗らかな笑みと一緒に彼女は俺の手の上に、自分の手を重ねる。
「え……えっ!?」
年上の美人なお姉さんに突然そんなことをされた俺は、動揺を隠せず、慌てふためく。
褐色のお姉さんは、それを面白そうに眺めて、耳元で
「……そやからこれは、
ふわりと男からは発生しない女性特有の甘い香りが
「はわわ……」
心臓の鼓動が激しく高鳴り、顔面に血が昇って熱くなった。
えっ。おつり? おつりって何? 何なのぉぉぉ!?
混乱半分期待半分でおつりの内容が開示される瞬間を待ちわびていると、すぐに褐色のお姉さんの顔は離れていった。
「ほな。また、縁があったら会おうなぁ。中沢君」
「えっ……え」
再び、人を食ったような笑みを浮かべた顔で別れを告げられ、俺はからかわれたのだと察する。
残念なような、俺には早過ぎたような、何とも言えない気持ちを残して、俺を降ろしたキャンピングカーは去って行った。
「何だかなぁ……ん?」
何気なく、褐色のお姉さんに重ねられた手を眺めた瞬間、俺はそれを初めて認識した。
右手の中指に嵌った見たこともない指輪。
しかし、その指輪に付いた黒い宝石には見覚えがあった。
別の何かへと変わりかけていた上条を人間へ戻した時に使い果たしたはずの
否定の魔法の根源である、それを彼は何と呼んでいただろうか。
そう、確か──。
──……『ナノカレコード』。
それは偽りでも、紛い物でもない。
その
ラストはどう締めるか悩みましたが、あえてレギュラーで登場していた魔法少女は出さない方針にしました。
これにて、ナノカレコード完結です。