ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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【第一部】特別章
外伝 鍍金色の残滓


 どこまでも広がり続ける暗黒の宇宙。

 かつて、創り上げた結界内で似た景色を維持していたが、それとはまた異なる空間。

 浮かんでいる僕自身に浮遊感はない。

 不可視の床に足を踏み締めている感覚もない。

 見覚えがあるのとは違う、不思議な既視感。僕は以前、この場所を()()したことがある。

 ……ここが“外側”か。

 僕はそこでようやく確信を持つに至る。

 自分が置かれている状況を正しく把握した。

 

「ここは『切り離された宇宙(そら)』……」

 

『やっぱりあなたには分かるんだね。一度ここを訪れかけたことがあるからかな?』

 

 後ろを向くと、空中に流れる魔力が淡く発光して人型に寄り集まる。

 桃色と黒の二色の魔力が太極図のように混ざることなく、円を描いて形を構築していた。

 やがてそれは緩やかに長い髪を広げた女性のような姿を取る。

 彼女はたった今、ここに現れた訳ではない。

 僕が来る前からずっとこの場所に存在していた。

 目に見えないほど細かく広がっていたものが、僕に認識させるためだけに分かり易く密度を変化させ、輪郭を作ったに過ぎない。

 無言で僕が眺めていると、人間でいうところの“微笑み”を表現してみせた。

 

『私が憎い? それとも私が憎い?』

 

「……どうだろうね。あなたにどんな感情を向けることが正しいのか分からない。でも、少し安心してる」

 

『何を?』

 

「あなたのような存在にならなくて済んだことを、僕は心底安堵してる」

 

 僕の言葉を受け、女神はしばし黙り込む。

 その内側に流れる感情は欠片も読み取れない。

 彼女に比べれば、ワルプルギスの夜など“人間的だった”と評していいだろう。

 少なくとも今、目の前で人型を構築しているエネルギーの塊はそれこそ人知を超越した高次の存在だ。

 

『……意外だね』

 

「憎まれている自覚があったのに、悪態を吐かれるとは思っていなかった、と? それとも力を失った僕は恐怖で君に平伏すると思っていたのかい?」

 

『いや、そうじゃなくて……てっきりあなたは私のようになることを望んでいると思ってたから』

 

 困惑とも取れる女神の発言に、僕は問い返した。

 

「それは、どういう意味だい?」

 

『あなたなら、魔法少女を救うために神様になることを選ぶんだろうなって思ってたんだけど。違ったみたいだね』

 

 他愛もないことを話すような親し気な口調。

 しかし、その実、僕の内心を手に取って覗き込むような、実験動物の観察じみた眼差しが不快だった。

 あたかも慈愛に満ちた聖女の素振りをしていても、底冷えする冷徹な思考が(にじ)み出している。

 そして、それをわざと僕に伝わるようにしていることも(しゃく)(さわ)った。

 これは決して対話などではないのだと。

 上位の存在が下位に位置するものに行う検分なのだと案に告げていた。

 

「一時は」

 

『ん?』

 

「一時は僕もそう考えたよ。それが最善だって、それ以外にないんだって自分に言い聞かせて。でも、中沢が……僕の友達が言ってくれたんだ」

 

 怖くていいのだと言ってくれた。

 それが『普通』なのだと教えてくれた。

 何度も何度も僕に、一人で全部背負う必要はないのだと説いてくれた。

 

「僕も『普通』でいいんだって、気付かせてくれた。だから、僕はそちら側には行かなかった」

 

 追及するかのように、彼女は問いかける。

 

『本当に良かったの? もう、あなたは概念へと昇華するチャンスはない。自分の手ですべてを救う機会をあなたはみすみす逃しちゃったんだよ?』

 

「くどいよ。僕に後悔はない。神様なんて居なくても、彼女たちは自分たちの在り方に誇りを持って生きていける」

 

 そうだ。必要ない。

 彼女たちにも。僕自身にも。

 突き放すように僕は宣言した。

 

「都合のいいだけの神様は要らないんだ。必要だったのは……」

 

 魔法少女たちに必要だったものは──。

 

「自分たちの運命に向き合う意志と覚悟。それだけ充分だったんだよ」

 

 それを聞いた女神は桃色と黒に分かれた異なる色の二つの瞳に酷薄な光を灯した。

 

『確かにそれは必要なものだね。でも、あの街にはそれだけで足りるのかな?』

 

 試すような視線を向けられた僕の脳裏を()ぎったのは、概念化の予兆を感じてから知覚したある一つの懸念事項。

 

「『ミラーズ』のことを言ってるのかい?」

 

 神浜市南凪区にある鏡屋敷に巣食う、鏡の魔女。

 まだ灰羽根だった時、魔女の捕獲を試みたが、最深部まで辿り着くこともできなかった。

 時間の無駄と判断して、出てきた偽物を倒してからすぐに撤退したが、今思えばあの時に排除しておけばよかったと感じる。

 だが、女神は自分の顎に指を当て、視線を上にあげて思案する素振りを見せた。

 

『それもあるけれど……他にもあるよね? あなたが銀羽根として睨みを利かせていた外圧、とか』

 

「神浜が魔女を集めたせいで不利益を被った別地域の魔法少女か……」

 

 特に二木市の魔法少女は血気盛んで、紛争じみたことも起きていたと聞いている。

 以前、マギウスの翼に接触して、探りを入れてきた二木市の魔法少女に()()()()()()あげたことはあったが、あれ以来、彼女を神浜市内で見かけることはなかった。

 うまくメッセンジャーの仕事を果たしてくれたと思っていたが、逆説的に神浜市から『銀羽根』が消え、マギウスの翼が事実上壊滅した現在は……。

 

『あなたの言う通り、神浜市内での魔法少女たちは運命に向き合う意志と覚悟を得た。でも、それは純粋な暴力の前ではどのくらい効果を持つものなんだろうね?』

 

 柔和な笑顔を形作る女神の問いに、すぐ答えることはできなかった。

 認めるしかない。

 少なくとも目の前に居る彼女は、僕よりもずっと冷徹な観点から今の神浜市を分析している。

 

『上条恭介君。あなたが希望を与えられたのは、結局、神浜市に集められた魔法少女たちと見滝原市に居た五人の魔法少女だけなんだよ。もっと大局的な視点で見れば、ごく僅かな一握り。……ねえ、これでもまだ安心できるの? 後悔はない? 捨ててしまったものを拾い直したいとは思わない?』

 

 優し気に聞こえる耳障りの言い声音には、言い知れぬ怖さが練り込まれていた。

 女神と言う名の悪魔は尋ねる。

 本当に選んだ選択はそれでよかったのかと、揺さぶりをかけてくる。

 その問いに対し、僕は少しだけ悩み、少しだけ考え……。

 

「心配はしてないよ。後悔もない。拾い直そうとも思わない」

 

 きっぱりと答えた。

 彼女の瞳がほんの少しだけ見開かれた。

 予想だにしていない言葉を引き当てたというように驚きを見せた後、彼女は聞いてくる。

 

『それはどうして?』

 

「あの街には、中沢が居るからだよ」

 

 僕は知っている。

 あいつがどれだけ凄い奴なのかを、身を持って経験している。

 本人からすれば、凡人や一般人だと定義しているようだが、僕の目から見れば、それは勘違いも(はなは)だしい。

 たった一人で、何の力も持たず、中沢は僕を止めにやって来た。

 何度も何度も命を奪おうとした僕を信じて、手を伸ばしてくれた。

 今回の一件だって、あいつがもし居なかったら僕は人間ではなくなっていただろう。

 

「あいつには運命を変えるくらい強い意志がある。僕はそれを信じてる」

 

『……中沢君に? 残念だけど彼にはそんな力はないよ』

 

「いいや。あるよ。だって、中沢が居たから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 初めて。

 初めて、そこで女神の微笑みが明確に崩れる。

 

「分からないと思ったのかい? あなたは僕を概念に……神に仕立て上げようと企んでいた。そうだろう?」

 

 当初からそうだったのか、それとも状況を鑑みた結果、それが最善だと考えたのかまでは知らない。

 だが、先ほどの話の内容は明らかに僕を再び、そちらの方向へ誘導しようという意図を感じた。

 だとするなら、僕が概念化を果たさなかった今の状況は、彼女にとっては想定外の事態だということ。

 最終的な目論見までは読み切れないが、それでも分かることはある。

 

「まだ、あるんだろう。僕を神へ至らせる方法が。もっとも、僕はその道を選ぶつもりはないけどね」

 

 余裕ある笑みから一転して、彼女は真顔に変わる。

 それでも険しさを感じないのは顔立ちそのものが、柔和だからだろう。

 

『そこまで頭の良いあなたが、何の変哲もない彼に信頼を置いているのかよく分からないよ。でも、確かに彼の行動が私の予想を覆してきたのは本当のことなんだよね』

 

 ──まあ、それなら仕方ないか、と彼女は少し残念そうに呟いた。

 

『無理強いをするつもりはないからね。それだけはしないってあの子と約束しちゃったし』

 

「……あの子?」

 

 新たに出された第三者の情報に関心を向けたが、彼女はそれ以上話すつもりはないらしく、話題を打ち切った。

 

『それじゃあ、あなた以外に期待して待つことにするよ。それじゃあね』

 

 別れの言葉を述べて、女神は輪郭を崩して空気へと融けるように広がっていく。

 

「待って。“期待して待つ”っていうのはまさか……」

 

 手を伸ばして、抑え留めようとするが霧散する彼女は形を失くして消えてしまう。

 同時に今まで感じなかった浮遊感が僕の全身を包み込み──次の瞬間、意識が覚醒する。

 

「うわっ」

 

 見開いた目に青い髪と見慣れた顔が映り込んだ。

 僕は彼女の名前を呼ぶ。

 

「さやか……」

 

「え……あ、あたしは別に変なことしてないよ? 起こそうか迷ったけど、気持ちよさそうに寝てるからもうちょっと寝顔を見てようとかしてないよ?」

 

 言い訳なのか、罪の自白なのか判断できないことを口走るさやかを見て、僕は自分が寝ていたことを再認識する。

 避難所で支給された厚めのマットから上半身を起こし、左手の手首へ視線を投げた。

 そこには窪みのように抉れた傷跡が変わらずに残されている。

 

「あー……手首の傷、まだ痛かったりする? あたしの魔法でもそこだけは治せなかったんだ。ごめん」

 

 謝るさやかに首を横へ振って答えた。

 

「いいや。大丈夫だよ。この傷は治らなくていいんだ。僕が救ってもらった証でもあるから」

 

 そっと傷跡に指を添える。

 乾いてざらついた傷跡は僕が人間のままで居られた、何よりの証拠だった。

 

「何かあったの? 恭介」

 

 心配そうに顔を覗き込む親友に僕は笑顔で答える。

 

「何でもないよ。ちょっと変な夢を見ただけ」

 

「変な夢って、どんなの?」

 

「うーん……忘れちゃったよ」

 

 そう言うとさやかは不満そうな目で見てくる。

 

「何なの、それー」

 

「まあ、夢なんて覚えてるようなものじゃないからね」

 

 今は、それでいい。

 ただ、僕は忘れない。

 僕が選んだ選択を。

 僕が決めた希望を。

 決して、僕は忘れない。

 それが、人であり続けることを選んだ僕にできることだから。

 




ちなみに上条君が力を取り戻す選択をした場合は、上条君が魔法少女の存在が世界にとって重要度の高かった時代へ連れて行かれ、ピュエラ・ヒストリアみたいなことをすることになっていました。
その場合、ナビゲーターとしてなぎさが上条君をサポートしながらその時代で最も因果の強い魔法少女と出会っていく形式の話になるでしょう。


タイトルは『ナノカレコード・アナザー∼旅する銀の羽根∼』。
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