切り離された
そこから一度、私は離れて、青葉が茂る小さな庭園へと舞い戻る。
中心に置かれた白い
カタンと小さな音が響き、私の後ろに人影が立った。
「……どういうつもりだったのか、話してくれるんだよね。
首筋に添えられた剥き身の刀身が今の彼女の、私に対する心情をつぶさに表しているようだった。
丸いガーデンテーブルに乗せられていたティーポットからカップに紅茶を注いでから、穏やかに答える。
「少しお話をしてきただけだよ。それより、さやかちゃんもこっちに座ってお茶でも飲まない?」
「ふざけてるの?」
「ふざけてなんかないよ。私はいつだって真面目だよ」
すっかり頭に血の昇ったさやかちゃんは、ちっとも落ち着いて話を聞いてくれそうにない。
困ったなぁと思いながら、カップの中身に口を付ける。
一口分だけ
「私が上条君に会いに行ったこと、そんなに許せない?」
「……それ以前の問題よ! どうして恭介だったの!? 魔法少女でもないあいつをどうして……」
「『どうして“
押し黙ったさやかちゃんの気配からは肯定の意思が伝わって来る。
こんなにも簡単に感情は流れてくるのに、わざわざ言葉にしないと理解してくれないのは悲しく思えた。
「別にね、最初から上条君をカミサマにしようと思ってた訳じゃないよ。それは本当だよ」
私自身、この世界を観察し始めた頃は新しい可能性の芽が出ればいいくらいの気持ちだった。
障害として『彼』を投げ入れたのも、普通の人たちのことを考えない魔法少女たちへ困難な状況を作り上げて、それを乗り越えられる意思や覚悟があるのか試しただけ。
彼女たちがワルプルギスの夜の脅威を低く見積もっている以上、エンブリオ・イブによる被膜は成立しないと確信していた。けれど、それでも彼女たちの努力が奇跡を起こす可能性も見てみようと思った。
全てを知ってなお希望を捨てないのなら、その想いが奇跡の可能性に繋がると感じたから。
「それどころか、私は上条君みたいな普通の人たちをウワサから守るために『彼』を送り出したんだよ?」
『彼』……私の優しい敵対者の
自分自身に“
でも、そうはならなかった。
ヌルオくんが先に中沢君と接触したせいで、上条君と出会う運命の歯車が狂ってしまった。
順当に進むなら、魔女の結界に取り込まれた上条君はヌルオくんの力を使って、ドッペル移植実験を試みていたマギウスのアリナ・グレイさんを撃退。
その後、マギウスの翼やウワサが起こしている事件を知り、それを二人三脚で解決に当たる……想定だった。
「だけど、少し手違いがあって、上条君はその身にドッペルの一部を植え付けられてしまった。そこで呪いに蝕まれて命を落とすはずだった彼の身にある反応が起きたの」
「……ある反応?」
さやかちゃんの言葉に私は頷いて続けた。
「そのきっかけになったのはさやかちゃんが起こした“奇跡”だよ」
魔女の一部を限定的に発現させたドッペル──『ドッペルウィッチ』はその魔法少女にしか扱えない。
普通の人間である上条君もまた通常だったら耐えられなかっただろう。
だけど、上条君にはさやかちゃんが願った“奇跡”によって治された左手があった。
魔法少女の祈りによって起きた奇跡の治癒。
それもほむらちゃんの複数回に及ぶ時間遡行のおかげで因果律が大幅に増大した上条君の左手は、ドッペルによる呪いを中和し、魔力の結晶体として彼の左手に宿った。
この部分に関しては、それぞれの魔力の相性が良かったおかげだと思う。
病原体に似た性質を持つ、『熱病のドッペル』。癒しの願いによって生み出された、『治癒の奇跡』。
人体を蝕み、命を呑み込む呪いは
「私の、魔法が……?」
「そうだよ。でも、一度きりの奇跡だったらドッペルに呑み込まれてすぐに消えていたと思うよ。だから、そこは繰り返して因果を重ねてくれたほむらちゃんに感謝しないといけないね」
今はもう、居ない私の最高の友達を思い浮かべて、すぐに思考を切り替えた。
柊ねむちゃんは上条君の状態を人工魔法使い……『ファントム』なんて呼んでいたけれど、はっきり言えば様々な偶然が重なって発生した事象だから人為的に生まれたとは言えないだろう。
アリナ・グレイさんのドッペル移植実験だって、上条君だったからこそ、上手くいっただけであって、まったく成功の見込みのない無意味な殺戮だった。
実際、本人もそれを自覚しているから、上条君が成功して以降は実験を取り止めた。
「そうして色んな偶然によって生まれた上条君だったけれど、彼が本当の意味で素質を開花させたのは五度目のヌルオくんとの戦いの後。勝利を掴んだ代わりに魔法少女解放の計画を潰された彼が、明確に魔法少女の救済する手段を自分の意思で定めた
上条君はその時初めて、次代の理へと至る切符を掴んだ。
つまりは──希望よりも熱く、絶望よりも深い
魔法少女に対する
「度重なる
魔法少女に
『流転の理』。
絶えず形を変え、魂の在り方を常に流動させる
私の理想とする完成形に一番近い、
「彼なら私の代わりになれるって……思ってたんだけどね」
一度完成まではしたけれど、それが理として世界に流れ出す前に彼はヒトへと戻されてしまった。
せっかく、生まれた希望はあっさりと消えてなくなっちゃった。
歯車の間に挟まった小さな石が奇跡の可能性へと繋がったのなら、その可能性を潰したのもまた小さな石だった。
「まず、あたしにはそれが分からないよ。まどか」
「うん? 何がかな、さやかちゃん」
さやかちゃんは言う。
声からは戸惑いと僅かな悲しみが含まれているように聞こえた。
「どうして、次代の理なんて創ろうと思ってるの? あんたが自分で魔法少女を救いたいって願ったから、あんたは神様になったんでしょ!?」
ああ、何だ。
そういえば、さやかちゃんにはまだ伝えてなかった気がする。
「それはね……」
「まどかの“終わり”が近いから、なのです……」
向かい側の
首に突き付けられた刃が動揺したように震える。
「終わりが近いって……どういうこと!? なぎさ!」
「そのままの意味なのです。さやかは少しも気付いてなかったのですか?」
なぎさちゃんは極めて落ち着いた様子で、長椅子を引いて腰を下ろした。
「なぎさちゃんは紅茶飲むかな?」
「お願いするのです。お茶請けはチーズで」
「チーズかぁ。それならチーズケーキにしよっか。ベイクドが好きだったよね?」
虚空からカップとチーズケーキをテーブルの上へ出して、お茶会の準備をする私の前に白い手袋の手が叩き付けられる。
ちょうどお茶を注ぎ終えたカップがカチャリと揺れて、中身の紅茶が波打った。
「まどかっ──!」
「落ち着いてよ、さやかちゃん。ちゃんと話すつもりだから」
話をうやむやにして誤魔化すつもりはなかった。
ただ、別に深刻な話題として扱う気がないだけだったのだけれど、それがさやかちゃんには受け入れられなかったようだった。
「私の中にはね。否定の魔法……ううん、“否定の奇跡”があるのは知ってるよね」
「……『あいつ』の残した力のことでしょ。そのくらいのことは知ってるよ」
「この魔法は、魔法や奇跡を否定する性質を持ってる。だからこそ、私は蓄積されていく魂を希望に応じて、消滅させられているんだけどね」
「それがどうしたっていうの?」
さやかちゃんは早く本題に入ってほしいというような眼差しを向ける。
せっかちだね。これは必要な前置きなんだけどなぁ。
でも、そんなところが彼女らしくて、つい微笑みが漏れた。
そこへ、フォークでホールのチーズケーキを切り取っていたなぎさちゃんが呆れてた風に口を挟む。
「さやかは相変わらず鈍いのです」
「はあ? あんた、それどういう意味?」
むっとしたさやかちゃんがなぎさちゃんに睨み付けた。
それでもなぎさちゃんは動じることなく、話を続ける。
「そのままの意味なのです。魔法も奇跡も否定するその力……どうして、それが
「……! それって」
視線がなぎさちゃんから私へ移る。
さやかちゃんの顔は不安げで、驚きが入り混じり、迷子になった子供のように歪んでいた。
「……うん。多分、さやかちゃんが想像してる通りだよ。私という存在は……」
取っ手を摘まんで、カップを持ち上げる。
白い陶器の表面に、薄っすらと入った
「そう遠くない内に限界が来る」
──ガチャンと音が響き、赤茶色の液体がガーデンテーブルの上に
砕けた陶器の破片が広がる紅茶の上で光を反射してキラキラと輝いて見える。
「だから、その前に次の神様を創り出さないといけないの」
希望を抱いた魔法少女を、絶望で終わらせないために。
魔女という存在を否定し続けるために。
大切な人たちの想いを振り払ってまで得たものを無意味にさせないために。
「まど、か……あんたは」
「さやかちゃん……私はね、私が願ったものの責任を取らないといけないんだ」
そのためなら、私はきっと何でもできる。
どれだけ憎まれても、呪われても、構わない。
私よりも魔法少女にとって幸せな結末を
「私は、諦めない。きっと、この世界でなら、私よりも素敵な神様が生まれてくるって信じてる。私を倒してくれる希望の到来を」
「あんたはもう……壊れてるよ」
「そうかもしれないね。でも、それはきっと必要なことだって思うの」
恐怖も悲嘆も神様には必要ない。
必要なのは希望だけ。
繰り返す。繰り返す。繰り返す。
今なら、ほむらちゃんが何度も時間を巻き戻そうとした気持ちが分かる。
「上条君のことは残念だけど、さやかちゃんとの約束だから無理強いはしなかったよ」
彼が私の希望の一つだったけれど、叶わなかったのなら仕方がない。
また新しい可能性に期待するだけだ。
それにおかげで“理”の発生条件は分かった。
下地となる強い因果。魔法少女への深い愛情。不条理な逆境。
絶望から希望へと至る感情の相転移。
「やっぱり魔力を得る前にある程度の因果は必要みたいなんだよね」
「……もう候補の目星は付けてるのです?」
なぎさちゃんに言葉に私は頷いて答えた。
「うん。まだ魔法少女になっていない子なんだけど……ちょっと期待してるんだ」
今度こそ、私の──魔法少女の希望になってくれる可能性の芽を持つ少女について、私は話す。
突き付けられた刃はいつの間にか消えていて、さやかちゃんは膝を突いていた。
私は振り返って、彼女にも言った。
「どうしたの、さやかちゃん。一緒にお話をしよ」
「……その子があんたと同じように苦しむかもって、少しは考えないの……?」
「可哀そうだとは思うけど、それでも必要なことだからね」
青い瞳が私を呆然と見つめている。
私は聞いた。
「さやかちゃんはどうしたいの? 私と戦う? それともいますぐに一抜けしたい? もちろん、このまま私と一緒に居てくれてもいいよ。好きに選んで。今までずっと頑張ってくれたから、どんなものであっても私はその選択を尊重するよ」
微笑んでそう告げると、私の親友は僅かな沈黙の後、彼女の選択を口にした。
私はそれに笑顔で承諾する。
「うん。それがいいと思うよ」
少なくともさやかちゃんは選べる。
私と違って、選択肢があるのだから。
それはとても、幸せなことだと思う。
「……まどか。あんたはそれでいいの?」
「さやかちゃん。その台詞は他に選択肢がある人へかける言葉だよ」
そう言うと彼女はもう何も言わなかった。
「ありがとう、さやかちゃん」
今の私をあの人が見たら何て言うだろうか。
罵倒か、嘲笑か、ひょっとしたら褒めてくれるかもしれない。
そのすべてを想像して、私は小さく微笑んだ。
中沢君の話としては完全に無関係なのですが、一応、書きました。