フクロウ幸運水のウワサが倒され、俺は安心してまたあんまりツイてない毎日を送り始めていた。
ところが最近、少し困ったことが続いていた。
「まただ……昨日と合わせて何件目だ?」
「どうしたの?」
俺の部屋で新聞を読んでいる黒ウサギ形態のヌルオさんが聞いてくる。
椅子に座っていた俺は持っていたスマートフォンの画面を見ながら答えた。
「差出人不明なメールが何件も届くんだ。ほら、見て。今日だけでもう十七件も」
「えっちなサイトばかり見てるから、そうなるんだよ。大方、悪質なマルウェアでも入れられてメールアドレスが流出したたんだろう」
こちらの方を見る気も起きないとばかりに前脚でぺらりとページをめくり、記事を眺めている。
「み、見てないし……で、でも、仮に! 仮にそうだったとしたら、このメールはどうすればいいと思う?」
「絶対に返信せずにゴミ箱に入れて、サポートセンターに連絡することだね。そして、これから年齢制限があるようなサイトには踏み込まないこと」
「だから、見てないって!」
……そこまで過激な奴は。
とにかく返信せずに無視するのが一番いいなら放っておこう。そして、これからは興味本位でのネットサーフィンは控えよう。
話題を変えるために俺はヌルオさんの呼んでいる新聞について聞いてみた。
「さっきから何をそんな熱心に読んでるんだ? ウワサに関する記事、とか?」
「神浜市のローカル紙だよ。今読んでいたのは社会面の記事。まあ、ウワサに関係していると言えば、言えるけど。読む?」
「どれどれ?」
床に広げている新聞の記事に目を通す。
見出しの文はこう書かれていた。
『行方不明者十二名、水名神社でようやく見つかる』。これは……。
内容を読み進めていくと、それが口寄せ神社の一件であることが分かった。
そっか。俺たちが頑張ったこと無駄じゃなかったんだ。
少しだけ気分が良くなり、得意げに読み進めていくと俺の目は途中で止まる。
『未だ見つからない行方不明者についても関連が……』。
ウワサに連れ去られ、まだ見つかっていない人たち。
その人たちは今もなお家族の元には戻らない。まだ無事で居るのかも分からない。
口寄せ神社では運よく助けられたが、ウワサによって連れ去られた人は十二名程度では足りないはずだ。
他にもまだウワサはある。そこに囚われている人も居るはずだ。
「……ヌルオさん」
俺が名前を呼ぶと彼はそっと視線を向けてくれた。
「どう? えっちなサイトより見応えがあった?」
「うん……。一刻も早くウワサを撲滅しよう。えっちなサイトは見ていないけど」
「言われなくてもそのつもりだよ。ちょうど“ひとりぼっちの最果てのウワサ”を消そうと思っていたところだよ」
やっぱりヌルオさんは既に新たなウワサの情報を仕入れていたらしい。
さっきの新聞の下りは改めてウワサと戦う気概を確かめたかったのかという辺りだろうか。
まったく、どこまでも抜け目のない人だよ。そこが心強いところなんだけどな。
だからこそ、俺はヌルオさんの言葉なら信じられるんだ。
「俺はどこで何をすればいいんだ? 何でもやるよ」
「中央区の電波塔から飛び降りて」
「うん、任せて…………ええぇっ!?」
何でもすると意気込んで聞いた俺は、突如自殺するよう指示された。
定まっていた俺のヌルオさんへの信頼と尊敬が一瞬本気で揺らぎそうになった。
***
次の日の学校が終わった後、中央区にバスで向かう。
昨日は親に向けて遺書を書くべきか半泣きで悩んでいた俺だったが、よくよく聞くとそれが“ひとりぼっちの最果て”へ行くための条件らしい。
当然、ヌルオさんが俺の身体を使って入る訳だが、それでも自分の身体がかなりの高さから落下するのは抵抗がないといえば噓になる。
しかし、ヌルオさんは少しでも俺が拒否を示せば、その時点でこの方法を中止する。
彼は俺が望まないことは絶対にやらせない。
あくまでもその覚悟ないなら、別の侵入方法を考えるとさえ言ってくれた。
それが彼の矜持だということは理解しているが、裏を返せば、俺とヌルオさんは一蓮托生ではないことを意味する。
俺は庇護者で、彼は保護者だ。
それが少しだけもどかしく感じる。
そんな気持ちを伝えることもできない俺は、黒ウサギの姿のヌルオさんの隣を歩いている。
『とりあえず、今回は下見だけでいいよ。無理強いするつもりはないからね』
『……うん。どれくらい高いか見るだけでも覚悟の決め具合が分かるからな』
人通りの多い時間なので今回は
電波塔までの道のりでちょうど警察署の前を通りかかる。
別に悪いことをした覚えはないが、小心者の俺はついビクビクとして猫背になってしまう。
それは身に覚えのないことで大人に怒られることが多かったからかもしれない。
見たくもないのに、無視することもできず、透明な自動ドアから中の様子が目に入る。
「えっ……」
『どうしたの?』
知り合いの顔がガラスの向こうで不機嫌そうに俯いていた。赤いキャップ帽を被っているが見間違いじゃない。
ごめん、と念話でヌルオさんに一言謝って、俺は警察署の中に入った。
不本意そうにソファに座られていた見覚えのある顔に声を掛ける。
「深月ちゃん? どうしたんだ、こんなところで」
「お前……中沢! 大丈夫だったのか!? 心配したんだぞ!」
ソファから立ち上がった彼女は俺の腰辺りにタックルするように抱き着いてくる。
うぐっ、と声が漏れそうなくらいに力が強い。将来、ラグビー選手になれそうなくらいだ。
「何? あなたがこの子のお兄さん?」
「えっ? いや、俺は……」
違いますけど、と言いかけて抱き着いている深月ちゃんの表情が何かを堪えるような顔をしていることに気付く。
「こ、広義で……大枠で見れば、そうと言えなくもない、です……」
嘘を吐くのが苦手なので、ふわっとした答えで濁した。
婦警さんはその答えに疲労感を隠さずに額を押さえて、話し出す。
「じゃあ、もうあなたでいいわ。この子、路上で喧嘩したみたいでね。
「はあ……。そうなのか? 深月ちゃん」
俺が尋ねると、少し驚いたように目を開き、彼女はこくりと無言で頷いた。
どうやら、その事実に間違いはないようだ。
「えっと、その……ご迷惑をおかけしました」
「その子の親御さんにもちゃんと伝えておいてね」
「はい……」
頭の後ろを掻きながら、申し訳なさそうにそういうと、婦警さんは別の業務に戻っていく。
何か反省文などを書かされずに済んでよかった。
「じゃあ、深月ちゃん。ここ出ようか」
「うん……」
自然と伸ばされた手を繋いで、俺は彼女を連れて警察署から出た。
外にはヌルオさんの姿はなかった。先に電波塔に向かってしまったのかもしれない。
「家までの交通費ある? バス代くらいなら俺が……」
「中沢……なんであの時、わざわざオレに聞いたんだ? あの警官が言ってただろ、喧嘩したって」
少しだけ語気を強めて、聞いてくる。
「え、だって。本当にやったのか、深月ちゃんに聞かないと分からないだろ?」
まあ、今回は実際に喧嘩してしまったみたいだけど。
「オレは、こんなんだし……前にお前だって殴ろうとしたことあっただろ? 聞かなくたって、分かるだろ」
納得できないといったように聞いてくる彼女に俺は少し悩みながら答える。
「うーん。俺が小学校の時、無実の罪で怒られたことがあったから、かな?」
「無実の罪の罪って……お前」
「ああ、別にそこまで
昼休みにクラスメイトの男子たちが教室のすぐ傍の場所で石蹴りして遊んでいた時、その内の人が不注意で窓のガラスを割ってしまった。
遊んでいた男子たちはすぐに逃げ出したけど、割れた音を聞いてそこへ行ってしまった俺は現れた担任教師に見つかり、
おろおろする俺に担任教師も、呼び出された両親も誰も俺が本当にやったのか聞いてくれなかった。
怒られたことよりも、信じてもらえなかったのが辛かった。
謝れと大声で言われて、俺は泣きながら謝ったのを今でも覚えている。
「信じてもらえないって本当に辛いからさ。俺は本当かどうか聞いてから判断したいんだ」
そう言うと深月ちゃんは喧嘩の経緯を話し始めた。
「前につるんでた奴らに、ムカつくこと言われたんだ。やちよのこと得体が知れないだとか……いろはのこともよそ者だとか。聞いてたらカッとなって、気が付いたら殴ってた」
「あの七海さんたちの悪口言われて、怒っちゃったって訳か。殴ったことは良くないけど、友達の悪口、目の前で言われるのは辛いよな」
俺だったらどうするだろう。
多分、ヌルオさんに会う前の俺なら確実に、庇うことも怒ることもできずに、どっち付かずで苦笑いして、話題が終わるのを待っていた気がする。
今なら……どうしてそういうのか聞く勇気ぐらいは、ある……かなぁ?
「うん……今、やちよのとこで世話になってんだ。いろはも下宿しに来てて。それでちょっと仲良くなって」
「そんな仲のいい相手なら悪口、聞きたくなかったよな。昔の友達の口から尚更」
「うん……うん……いろはたちがそう言われるのも。それを
深月ちゃんの大きな瞳からは涙が溢れそうになっていた。
どうしようかと慌ててふためきそうになるが、小学校の俺がしてほしかったことを思い出す。
彼女の頭を恐る恐る撫でてみる。
「よ、よしよし……?」
目を擦って涙を拭っていた深月ちゃんは、俺の情けない態度を見て、吹き出す。
「何だよ、それ……慰める時ぐらい、もっとしっかりしろよ……」
「ご、ごめん。俺、女の子の涙慣れてなくて」
「だろうな。中沢みたいな奴、モテねーもん」
「うぐぅ……」
年下の女の子からモテない男認定され、傷付く。
まあ、言われてもしょうがない。
ヌルオさんなら、さっと頭を撫でて格好いい台詞で慰めるんだろうけど、俺にはこれで精一杯だ。
「は、ははっ……。ちょっとだけ元気出てきた。ありがとな」
「そっか。笑いのネタくらいになれるなら頑張った甲斐あったかな……ん?」
こちらに近付いてくる足音に気付き、振り向くとそこには息を切らせて走ってくる環さんの姿が見えた。
深月ちゃんと同じ場所に住んでいるみたいだし、迎えに来てくれたのだろう。
「ごめっ、はあはあ、フェリシアちゃ、はあはあ、学校っ、はあはあ、連絡……」
「お、落ち着いて。環さん。何言ってるか、全然分からないし」
膝を押さえてゼイゼイと荒い呼吸を繰り返し、しばらく息を整えた後、俺が居ることに改めて驚いてみせた。
「何で中沢君がここに居るの? それよりフェリシアちゃん、本当にごめんね。色々長引いちゃって……」
「いいよ、別に。こいつが代わりに引き取ってくれたし。それより、腹減ったよ」
仲良く話す二人を見て、俺は安心する。
マギウスの翼と邂逅があった後、すぐにその場から帰ったせいで、残された魔法少女たちの様子はまったく把握できていなかった。
もちろん、連戦に続く連戦でヌルオさんが消耗していることもあったが、俺も俺で殴られたり蹴られたりして、余裕がなかった。
彼女たちの関係がもしも俺の残っていた幸運のおかげなのだとしたら、ちょっとだけ報われた気持ちになれる。
「それじゃあね。環さん、深月ちゃん」
「うん、じゃあね」
「おう。あ、今度、万々歳に来いよ。水をついでやるから」
バイトを始めたらしいことを告げて、環さんと並んで帰っていく深月ちゃん。
それにしても料理をサービスしてくれるとかではない辺り、彼女らしい。
「あ、そうだ。ヌルオさんの元に早く行かないと」
「その必要は、ないよ」
声のした方を向くと、近くにあった柵の上にヌルオさんの姿があった。
ぴょんとそこから軽やかに飛び降りた彼は俺のすぐ前に来る。
「ヌルオさん……もしかしてずっと見てたのか?」
「君がどう子供を慰めるのか見てみたくてね」
「人が悪い」
「今の僕は愛らしいウサギちゃんさ」
文句を言うと都合よくウサギの免罪符を出してくる。
こっちは知ってるんだぞ、ニンジンよりもハンバーグが好きなことを。
不満を込めて
「よくできたんじゃない? 君のいう“ちょうど良い”こと」
「ちょうど良い。ちゃんとできてたかな……自信ないや」
面と向かって褒められた経験など皆無の俺は、ヌルオさんの言葉に照れてしまい、素直に受け入れることができない。
それを彼は優しく笑った。
「自信がないなら付けていけばいいさ。君はまだ成長途中なんだから」
「成長途中か……。うん! 頑張って成長していく。自分に自信が持てるようになるまで」
「その意気だよ。あ、ちょうどあそこに見えるのが例の電波塔だよ」
夕陽に照らされる中央区の街並みの中に、一際大きく
ちょうど逆光を受けて、夕焼けの美しいオレンジ色の中心で長い影に覆われていた。
それを眺め、俺はこう思った。
……想像してたより高ぇ、と。
本編で口に出さないので前回出たヌルオの魔法攻撃名をここでご紹介します。
『ダンシング・ケーン』:空中に黒い布を散布し、更にそこからステッキを生み出す波状攻撃。撃ち出したステッキは更に黒い布に戻り、攻撃範囲を凄まじい速さで増やしていく。
『アストロボール』:黒い布で相手を覆い隠し、球状に丸めコントロールする攻撃。本来なら、そのまま圧縮して敵を握り潰すが前回はやらなかった。
いずれも手品の名前から由来する技名です。