ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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特別編『中沢君とウワサの亡霊』⑤

 墾田永年私財法。

 それは奈良時代に発布された、自分で新しく開墾した耕地の永年私財化を認める法令。

 だが、それはあくまで一般的な知識での話だ。

 ……いや。それ以外の墾田永年私財法ってなんだよって話ではあるんだが。

 俺の前に現れた見覚えのあるシュールな人型の異形。

 全身に“墾田永年私財法”の文字が刻まれた紫色のそいつは、かつて俺が『口寄せ神社のウワサ』で出会った存在だった。

 あの時は絵馬に名前を書く会いたい人が思い浮かばず、俺は適当に頭に思い浮かんだ単語を書いた。その結果、訳の分からないモノが呼び寄せられてしまった。

 

「だからって、ここでまたお前が出るのかよ! 完全にヌルオさんが出て来る流れだっただろ、今ぁ!」

 

『墾……田、永年、私財法……墾田、永年、私財法……』

 

 肩透かしを食らった(いきどお)りをぶつけるものの、以前変わらず、“墾田永年私財法”は同じ文言を垂れ流し続けるだけで会話は成り立たない。

 こんな奴、さっさと倒して──。

 魔力でコインを生成して指で弾こうとしたその時。

 空から濁った銀色の一滴の(しずく)が“墾田永年私財法”の真上へポタリと落ちる。

 

『永、年……!!』

 

 銀の雫が触れた途端、紫だった体表は小波(さざなみ)立ち、濁った銀色に染まっていく。

 その様子はまるで水槽に色の濃い絵の具を垂らしたかのようだった。

 鍍金(めっき)加工されたみたいに濁った銀へ覆われた“墾田永年私財法”は一瞬で俺との距離を縮める。

 

「っ……!?」

 

 激しい動揺が俺を襲ったが、それでも指先から弾かれたコインは金色の軌跡(きせき)を描いて飛んだ。

 金の弾道は濁った銀の人型に直撃する──……はずだった。

 コインが身体を撃ち抜くよりも早く。

 ()()()()()()

 

「なぁっ……!」

 

 ドーナツ状に変形した“墾田永年私財法”はコインを通過させると何事もなかったかのように形状を戻し、俺へと接敵。

 

『──死罪──!』

 

 ゴムのように伸びた腕を振り下ろしての殴打。

 視界が白く弾け、衝撃と激痛が顔面に広がる。

 吹き飛んだ身体が背中から地面に落下した時、ようやく自分が殴り飛ばされたという事実を理解する。

 内出血した皮膚が内側から頬を焼き、背中を叩き付けてむせ返る。

 痛みと苦しさを脳が理解した瞬間。

 更なる追撃が俺を襲った。

 

「げはぁっ……!」

 

 咳き込んでもがいていた俺の腹に蹴りが撃ち込まれる。

 肺の中から空気がすべて吐き出され、内臓に受けた衝撃が吐き気と苦痛を引き起こす。

 

『死罪──!』

 

 俺は思い知らされた。

 自分がどれだけ脆弱な存在かを。

 自分がどれだけ調子に乗っていたのかを。

 そして何より、純然たる暴力がどれだけ恐ろしいものなのかを。

 視界の端で火花がちらつき、意識が飛びかけるものの、激痛と恐怖心が俺の精神を現実に繋ぎ止める。

 

「ひぐぅ、ひっ……!」

 

 呼吸をする度、全身が引きつった。

 逃げないと……殺される!?

 思考がまとまらない。酸っぱい胃液が喉から逆流する。こぼれたそれが服や手へこびり付いても気に留める暇すらなかった。

 濁った銀色が迫り来る。なぶり殺しにされる……。

 俺は転がり回って、背を向けて、なりふり構わず逃げ出した。

 戦おうという思考は完全に俺の中から消え失せていた。

 無慈悲な暴力から一歩でも遠ざかりたい。

 不条理な苦痛から少しでも離れたい。

 それだけが脳内を()めていた。

 

「ひっ、あぅああっ……!」

 

 自惚(うぬぼ)れていた。逆上(のぼ)せ上がっていた。

 否定の魔法が使えるようになったからといって、俺自身が劇的に変わった訳じゃなかった。

 “戦う”ということは傷を負う覚悟をすること。痛みや苦しみを味わう気概を持つことだった。

 距離を取って、一方的に安全地帯から攻撃していた俺はヌルオさんに守られていた頃と何も変わっていなかった。

 打撃の嵐に全身に浴びてなお、俺には情けない後悔と泣き言で一杯だった。

 地べたを這い(つくば)って逃げようと足掻く。

 だが、それを嘲笑うかのように濁った拳は放たれる。

 

『死罪! 死罪! 死罪──!!』

 

 横()ぎに振るわれた殴打は俺をバレーボールのように跳ね上げた。

 

「ごぼっ……」

 

 (さび)臭い味が胃液の味を上回った。

 俺は無重力を感じた。

 とても長い感覚。意識が飛ぶかどうかの瀬戸際。

 目蓋(まぶた)の重くなる世界で。

 

 ぼんやりとした思考が流れる。

 

 俺は負ける。

 

 俺は殺される。

 

 仕方のないことだ。

 

 何の覚悟も信念も持たない俺は。

 

 戦ってさえいなかったのだから。

 

 仕方ないよな……。

 

 うん。

 

 仕方な────。

 

 諦め一色で塗り潰された俺の頭は、一つの映像を拾う。

 視界から入ったその映像は、空中に浮かんだ黒いシルクハット。

 殴り飛ばされた拍子に俺の頭から飛んだそのシルクハットがゆっくりと宙で回る。

 否定の、手品師のトレードマーク。

 そう……否定の手品師の。

 なら、否定の魔法が。

 ヌルオさんから託された力が。

 ……………………………………負ける?

 

「ざ、け……」

 

 あの人が、誰よりも強くて、格好いいあの人の魔法(チカラ)が──。

 

「……ふっざけんなよぉぉ!」

 

 負けていい訳、ないだろうがっ。

 途切れかけた意識を手繰(たぐ)り寄せる。

 感覚を研ぎ澄ませた身体から悲鳴のような激痛を受けて、俺は身体を捻り、手を伸ばす。

 それは。それだけは譲れないことだから。

 濁った銀の追撃が俺にトドメを刺そうと迫る。

 

『死罪──!!』

 

 地面に叩き付けられるその前に掴んだ俺の手は、しっかりとシルクハットへと届いていた。

 澱んだ銀の鉄拳は、止まってた。

 いや、より正しく表現するのなら。

 

『──呆っ!?』

 

 ()()()()()()()

 俺の、武器によって。

 それはいつものステッキではなかった。

 握り手の部分から外側に折れて、くの字に曲がった、武器(それ)はどこか今の俺の心を表しているようにも思えた。

 接触時の衝撃は打ち消されたかのように皆無だった。

 不格好ながら、転がるようにして受け身を取って着地した俺は握ったその武器を見つめる。

 

「折れた棒、いや、トンファーか……?」

 

 取っ手の付いた棒状のそれはトンファー。

 カンフー映画の中でしか見たことのない武器は今、俺の手に握られている。

 シルクハットから変化したそのトンファーを握り締め、俺はもう片方の手の中にも同じものを生成した。

 ステッキよりも、コインよりも、なぜだかしっくりと手に馴染(なじ)む。

 一瞬だけ警戒したように動きを止めていた“墾田永年私財法”は再び、接近を始める。

 

「……悪かったよ。舐めててさ」

 

 額や口の端から垂れる血を無視して、俺は自分から奴の方へと踏み出した。

 

『死罪! 死罪!』

 

 ゴムのように伸びる濁った拳が俺を叩き潰そうと迫る。

 

「でも、もう負けない」

 

 俺は弱くて、情けなくて、逃げてばかりの雑魚だけど。

 砲弾じみた拳がトンファーにぶつかる。

 

否定の魔法(このチカラ)は、誰にだって負けやしない!」

 

 “墾田永年私財法”の拳を消し飛ばす。

 

『しざっ──!?』

 

 距離を詰め、両腕を失った奴に俺は渾身の一撃を振り抜いた。

 形状を変えて、接触を避けようとするが、俺は更に一歩前へ踏み込む。

 

「俺はあんたを否定する!」

 

 俺は知った。

 戦うことの怖さを。

 戦うことの意味を。

 否定するということは傷付く覚悟を負うものだと。

 

『ホ、ゥ……────』

 

 殴り付けた感触を確かに感じながら俺は本当の意味での戦いに勝利した。

 さようなら。“墾田永年私財法”。

 

「……歴史のテストでまた会おう」

 

 俺は否定の魔法で消えゆく強敵に背を向けて、そう呟いた。

 しんみりとしていると、少し離れていた場所で見ていた桜子さんが近付いてくる。

 俺はくたびれたように息を吐いて、彼女へ言った。

 

「桜子さん、終わったよ」

 

「|ううん。終わっていない|」

 

「……え?」

 

「|口寄せ神社の噂の本体は“マチビト馬のウワサ”。今倒したのはただの会いたい相手の幻影|」

 

 真顔でそう語る桜子さんの前で、俺はがっくりと膝を突く。

 そうでした。すっかり強敵を倒して終わった気になっていたが、今倒したのはウワサですらなかったんだ。

 いや、でも別にあんなの会いたい人でも何でもないじゃん……。

 あれは、俺が会いたい相手が思いつかなかったから、書いた適当な名前な訳で……。

 

「……あれ?」

 

「|どうかしたの|」

 

 小首を傾げる桜子さんに俺は疑問を口にする。

 

「いや、だってここ、元黒羽根たちの願望が反映されて作られた場所な訳だろ?」

 

「|それが?|」

 

 だとしたら、おかしい。

 湧いた疑問を深く考える前に桜子さんが手を引いた。

 

「|それより早くマチビト馬のウワサを倒して次の階層に移動しよう|」

 

「え、あ……うん。そうだな」

 

 “どうして俺やヌルオさんしか知らない記憶が反映しているのか”、なんて後で考えればいいか。

 俺は彼女に急かされるまま、脚を動かした。

 




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