高校何年かの春の終わり───だった、と思う。
『東風谷早苗』が居なくなったのは。
だった、と言うのには訳がある。
『東風谷早苗』の事を覚えている人は、誰も居ないからだ。
昔の人と言うわけではない。
極々最近の人。同級生だった。
ただ、普通と違うのは。
まるで、初めから『東風谷早苗』なんて人物は存在しなかった様にみんなみんな振る舞っていることだけ。
写真も、記録も、実家だった神社も。近くにあった湖も。
全ての痕跡は初めから無くて、亡くなっている。
彼女の事を覚えているのは、どうやらこの世に自分だけらしいと悟るのに、そんな時間はかからなかった。
───時は過ぎて高校を卒業し、大学で今は民俗学を専攻している。
ある日突然、人間が一切の痕跡も遺さずに消失する、なんて馬鹿げた現象は未だ科学の埒外。
拉致誘拐すら疑ったが、今の科学で集団の記憶を綺麗さっぱり消しとばす事なんて聞いた事がない。
この国の年間の行方不明者は一万人を越える。
当然、痴呆だったり夜逃げといった様な単純な理由もあったが、中には『確かに彼/彼女はいた』と主張する、同類が少なからずいる事が判明した。
この事を知った時は手がかりを掴んだと言う確信に狂喜したが、そこから話が動く事は何もなかった。
当然だった。
その程度で動く話なら、こんなに探す必要はないし、他の似た様間に合っている仲間だって苦労はしない。
だってそうだろう。
自分だけしか記憶していない人間なんて、幻覚か何かと疑う他ないからだ。
結局、ただの思い込み。
思春期特有のものとして片付けられるかもしれなかったけど。
───そんな筈はない。
消えた彼女──『東風谷早苗』は昔からこの地域に住んでる■■■の家系で、幼馴染だった。
常に元気で、少し抜けているけど明るく、自分の実家──神社を護ろうと熱心だった。
『■■■さまと■■■さまが消えてしまわない様に』
そんな事を言っていて、布教──(神社じゃ教化と言うらしい)に勤しんでいた。
そんな『東風谷早苗』は、『■■■さまと■■■さま』と言う神様達が視えているという。
この『■■■さま』、もとい『■■■■■』と言うのは本人の言以外全く聞いたことないが、『■■■さま』、すなわち『■■■■■』という神は、少なからず地元の信仰を集めていた神だった。
かつて近隣の古老が語っていた事には、大和から遠く来て、この地に根ざした神だという。
そんな神々が──常人には見えないものが視えると言う事を同年代に信じる人はまず居ない。
幼少も幼少なら兎も角、少し歳を重ねれば、そうなるが、彼女も年齢も重ねる頃には人前でその事を口にする事は無くなっていた。
そんな彼女との出会いは小さい頃にいきなり言われた『神社へおまいりにきてください!』だったのは、今でも覚えている。
彼女に手を引かれて訪ねた社は、子供ながらに口に出来ない何かを感じ取れた。
その感覚は、歳を重ねる事に薄れてしまっていたけれど、当時の自分からしたら『東風谷早苗』の言うカミサマ達を信じるには十分だったのだろう。
だから、彼女が大きくなった後も、度々彼女の言う『■■■さまと■■■さま』の話を嘘と片付けてはいなかった。
そんな彼女は人に嫌われていた訳ではない。
むしろ好かれていた、と思う。
容姿端麗、勉学も得意。
まあ、文系は壊滅的だったが。
運動神経も悪くなく、それでいて地域一帯の氏族の頂点に君臨する、名家。
妬み嫉みもあったが───人には囲まれていた。
一時期の神様の件も、容姿も相まって単なる思春期か、不思議ちゃんとして、あるいは特殊な家系から来る事情として片付けられていた。
けれど、彼女にはそれは満足する事ではなかったのだろう。
なにせ『■■■さまと■■■さま』について語る彼女は、まるで家族の事を語るようだったのだから。
『このままだと、消えてしまう』
いつか零していたこの言葉は、文字以上の意味を持っていたのだろう。
歳を重ねる事に突きつけられるのは、若い人達は特筆すべき信仰を持たず、一方的に忘れられていく神々への焦燥は、如何ばかりだったのか、想像に難くない。
《神は人の敬いに依って威を増し、人は神の徳に依って運を添う》と言う言葉があるくらいだ。
信仰がなくなれば、神は死ぬ。
現代、神々の手を必要としない位に自立した人間達の間で揺れ動く彼女の立場。
■■、だったか。
この地に根差す現御神の血族と、ただの学生。
『是非来てくださいね!』
そんな毎年変わらない言葉に引かれて訪れた例大祭。
個人的には、例大祭の日だけはあまり行きたくなかった。
社の拝殿で舞う彼女を纏う空気は、地域に住む老人達が手を合わせ、頭を下げるに足るもの。
首を垂れよ。
頭が高い。
我はこの地の神なるぞ───
そう彼女が、彼女の背後に座す何かが睨みつけている様で、酷く居心地が悪かったからだというのを覚えている。
しかし、未だ信仰を遺す世代と、そうでない世代との差は歴然だった。
同級生が『東風谷早苗』にかける言葉は、可愛いだの、綺麗だ、とか。現御神たる彼女を貶める様な言葉ばかりだった。
眉を顰める人もいたが───結局、そこに横たわる壁は、厚かった。
現代社会、あらゆる闇を科学の叡智でもって照らす社会は、そう言った幻想の介在を許さない。
級友に囲まれる彼女の顔が、酷く悲しそうで、例大祭の前後は、彼女に声をかけられない日々が続いていた。
『やっぱり、わたしじゃダメなのかな』
そんな事ない、ともお世辞にも言えず。
ただ黙り込むだけ。
彼女の心境は、理解できない。
彼女の眼には、何が映っていたのだろう。
彼女は夏に春風と共に消えてしまった今、何もわからない。
だれも彼女を覚えていない。
何も彼女を記していない。
だからこそ思うのだ。
『東風谷早苗』を探す事は、お門違いなのではないのだろうか、と。
無論、確証も根拠も何もない、ただの妄想と片付けられる事だし、彼女の実在を裏付けるものは何もない。
現人神たる■■と、人との間で揺れ動いていた彼女は、前者を取ったのかもしれない。
春風と共に居なくなった彼女。
それでも『東風谷早苗』は間違いなく実在していたのだと、そう世界に叫ぶ。
風は何も応えないが。
いつか結んだ約束がそう叫んでいる。
春風の様に消えた彼女は、確かにいたのだと。
そう、信じている。
『やくそくしてください────』
そう言って、笑いながら泣いていた彼女を。
『わたしの事は、忘れてくださいね』
そんな約束、認められないと。
あの日言えなかった答えを返す為に。
『東風谷早苗』を探している。