「……ん、ん~。あー、ちょこっとだけ寝たわー。我まともな睡眠取ったのいつぶりよ。戦争時は封印まで出ずっぱだったもんなー」
魔帝はゆっくりと瞼を開き、寝転んだまま宙に浮かび上がり全身を伸ばす。浮遊しているのをいい事に、仰向けになったまま背から爪先まで弓なりに大きく反らし、それからバネの様に上体を起こす。
しかし、魔帝が今いる場所は見覚えの無い場所だった。模様付きの絨毯が隅まで敷かれた広々とした部屋、魔王のローブに付いていた紋章が描かれた大きな壁掛け、年季の入った調度品の数々。
自分が起きた封印の間、直上の魔王の玉座、そして勇者達と顔を合わせた断崖。そのどれとも違う、謎の部屋。なんじゃこりゃ、そう魔帝が思っていると部屋の外から慌ただしく近寄る足音が聞こえた。
「な、何事ですか! 魔帝様、一体何が!」
「え、何がって、むしろ我が聞きたいんだけど。どしたん公爵くん、顔色悪いよ? あ、不死の神に比べりゃウルトラ健康体だから安心してね」
「いやそうではなくて! 今、とんでもない魔力を感じたのですが……!」
「あ、我が背伸びしたせいでちょっと漏れたんかな。え、これダメ? 背伸びする事も許されない我? ヤバ」
「…………あ、ハイ、そうなんですね、ハイ」
部屋の扉が開け放たれ、慌てた様子の竜公爵が姿を見せる。どうも魔帝が起きた事で、睡眠によって抑えられていた魔力が発せられ、それだけで危機と感じた竜公爵が大急ぎで部屋に駆け付けてきたらしい。
自身が緊急事態と思った事が、ただの魔帝スケールによる背伸びだった。竜公爵はあんまりなオチに死んだ顔となり、言葉の全てを即座に諦めた。
「まーいいや、ところでここどこ? 我、勇者ちゃん達と顔合わせた後に昼寝かましてた筈なのに、なんか
「いやそんな魔法は誰も使えませんが。というかそういう協定で禁止されてるんですね、瞬間移動。何故でしょうか?」
「星だけ転移させて生物を宇宙に放り出したり、星と星を重ねる様に転移させて二枚抜きとか、散々戦争中に悪用されたんよ。まぁ我がやったんだけど」
「活用手段がダイナミックに凶悪すぎませんか?」
「まぁ我魔帝だし」
何もかもが違う、違いすぎる。改めて生きてきた次元と歴史の違いを、竜公爵は言葉のやりとり一つ一つで思い知らされる。
もう細かい事考えてても無駄だ。竜公爵はひとまず、魔帝からの問いに答えることにした。
「ここは玉座の間のさらに奥、魔王様の寝室です。失礼ながら、どれだけ声をかけても起床されなかった為、あの断崖からここまで運び込ませてもらいました」
「え、魔王ちゃんの部屋なんココ。えー、なんか女っ気ねー部屋だなー。っつか肝心の魔王ちゃんはどこおるん?」
「少し離れた執務室で書類仕事中です。魔帝様が三日も目を覚まさなかった為、そのまま寝具を持ち込んで寝泊まりしております」
「ワーカホリックすぎるあの子。すっごい世知辛いね現世」
勇者との邂逅から丸三日、魔帝は昼寝をかましていた。魔帝からすれば、それは仮眠にも等しい時間だった。
何せ、生きていた時間と封印されていた時間、そのどちらの長さで比較しても日単位の休息などは瞬きに等しい物だ。故に魔帝にとっては、『三日も』ではなく『三日しか』という感想しか浮かばなかった。
とはいえ、そのせいでかわいい子孫が割を食うのも少しだけ申し訳ない。
「意外と渋い趣味なんだな魔王のお嬢ちゃん、威厳とか出す為なんか?」
「いえ、この寝室の内装は魔王様の父上――先代の頃からの物で、魔王様の部屋となっても何一つ変えられていないのです」
「お、あれか、お父さんの遺した物は思い出と一緒に残したいとかそういう?」
「いえ、『元の私の部屋の方が執務室に近いし、わざわざ家具を移す時間も惜しい』と」
「なんて哀しい理由なんだ、全魔族が滂沱の涙の海に沈んじゃうぜ。あ、海全部を使った津波で陸地を破壊する魔法の使い方思い出したわ」
「おやめくださいしんでしまいます」
当代魔王が自分のせいで部屋を奪われたのではないか。そんな魔帝のささやかな申し訳無い思いを竜公爵が正す過程で、両者は互いについて変な方向の理解を深める。
魔帝は魔王の人柄――生真面目がすぎる仕事人気質を。竜公爵はやっぱこの目の前の存在危険すぎるわ、と。
「ふあー……で、結局『考え』はなんとかなったん? 少なくとも、我は言われた通りに完璧にサボってきたで」
「魔王様は『九割上手くいったので、残り一割をなんとかしなきゃ』と、ここ三日間ほど缶詰に……」
「えー。九割上手くいってもダメなん? 魔王ちゃん厳しいなー」
「いえ、魔帝様の働きは完璧だったとも言ってました」
「ふえー。よーわからんし、お嬢ちゃんに直接聞くか」
そう言い、ふよふよと魔帝が浮かんだまま寝室の出口へ行こうと動き始める。が、そこに立ちはだかる様に竜公爵は魔帝の前へ出た。
「お待ちを、魔帝様。城内の配置もわからずに行くつもりですか」
「へ? 端から片っ端まで行けばアタリ引くでしょ。
「魔王様の命で『魔帝様の行く所は必ず案内せよ、あと魔帝様を誰にも見つからないようにしろ』と承っております」
「ふーん、魔王ちゃん、なんか考えてんな? しゃーない、かわいい孫マイナス万年のかわいいワガママだ、聞いとくかー」
「……正直、今の魔王様に余裕は無いので、魔帝様のご厚意に心から感謝します」
「かたっくるしーなー公爵くん。襟元もっと開いていこうぜー? そうして開いたクビを斬りに来たヤツをカウンターで殺すのが一時期流行したモンよ」
太古の小話にまた一つ嘆息を零し、竜公爵は魔帝と自分に対して魔法陣を展開、一つの魔法を行使する。
なんやこれ。一瞬魔帝はその魔法に対し、何もしないまま抵抗しようとした――大抵の魔法は基本的な格の違いで勝手に無効化してしまう――が、竜公爵から害意を感じられない事や攻撃される理由が無い事もあり、頑張って自分の生態に逆らい魔法を甘受した。
「格下の魔法をそのまま受け入れちゃうとか、戦争以前ぶりだなー。で、今の何?」
「隠密用の魔法です。完全ではありませんが、姿と音を短い時間だけ抑えます」
「はーん、勇者ちゃんの取り巻きのちっこい子がやってた奴か。いやはや、我が魔法を初見で見破れんとは、ほとほと衰えたもんよの」
音と姿を限り無く希薄にさせた二人が先代魔王の部屋を、玉座の間を出る。竜公爵はしきりに周囲を見渡し、廊下に誰もいない事を確かめてから魔帝を先導していく。
魔帝アイから見て、竜公爵のその振る舞いには明確に恐れを、より正確には怯えに近いものが透けて見えていた。本人の表情は極めて平静ではあるが、どうにも違和感しか感じない。
何せ、竜公爵の恐怖は魔帝本人へ向けられていないのだから。
「なんかそんなビビる事あるん? 我より怖い事あるん、君ら? 我が目の前にいる以上の恐怖とか、神界探してもそう無いと思うんけど」
「自分でおっしゃるんですかそういう事。……その辺りも含めて、魔王様から伺って下さい」
「お、魔王ちゃんココかー」
不審な竜公爵のナビゲートの果てには、一つの扉が待っていた。
竜公爵が二度ノックすれば、『公爵ですね、どうぞ』と声が返ってくる。それに合わせて、扉が内側へと独りでに開いていった。
二人が部屋の中へ足を踏み入れる。そこには、大机の上に築かれた書類の山脈と、その隙間から顔を覗かせる魔王がいた。
「公爵、結界」
「はっ」
二言、それだけで竜公爵は魔王の意図に沿い、執務室全体を覆う結界を構築する。
魔帝はその結界に見覚えがあった。魔帝が魔王と共に玉座の間へと上がってきた直後、竜公爵が魔王に命じられて使用した、やけに周到な密閉用の結界だった。
「ふむん、色々聞きたい事あるけど……まず一番気になるトコからいこか。どうだったん、『考え』」
「魔帝様のお陰で、上手く
「それよそれ。なんでそんなちょっとだけ歯切れ悪いん? ってか、結局魔王ちゃんの作戦の細かい所知らんまんまなんやけど我」
魔帝が一番の疑問――魔王が実行した作戦の成否について聞く。それに対し魔王は手に持つ書類を一度置き、達成感一つ感じられない真顔で魔帝と向き合った。
訝しむ魔帝に対し、魔王は前に顔を合わせた時の様な焦りに満ちた物とは異なる、極めて真面目な表情を保っていた。
「まず、感謝を。魔帝様が勇者達の注意を引いてくれたおかげで、私達は前線基地を攻撃出来ました」
「我マジでなんもやってないけどね。まぁでも、
魔帝が魔王に指示されて行った仕事は主に二つ。勇者達の前に現れて時間を稼ぐ事、そして時が来たら軽く魔力を解放する事で魔王達へ攻撃の合図を出す事だった。
不老・不死・不滅。魔帝の持つ完全無敵セットは、当時の神皇すら破れずに封印する事でしか対処出来ない程の強固さを持っている。
神が破れなかった物が、人間達が持つ不死殺しの道具で破れる筈も無い。魔王は再三『大丈夫ですよね? うっかり破られたりしませんよね?』と入念に確認を取った上で、魔帝を勇者の前へと送り出した。
「しっかし、魔王ちゃんも中々やるやん。三百程度であんだけ大規模な魔法撃てるんだから、やはり天才か……」
「そういえば魔王様、魔帝様の解放で魔力を使い果たしたと言っていませんでしたか?」
「心配ありません。民達から接収した禁薬をばっちりキメたので」
「何をされてるんですか魔王様!? あれは寿命を縮めるという事で禁制だと法で定めたではありませんか!」
「私が法であり、民にバレなきゃ違法でなく、即死でなければ寿命などただ即物的に支払えるコストです。そもそも魔帝様の解放を決めた時点で私の寿命など有って無い様な物ですし」
そして魔王がやった事は、竜化した竜公爵を自分達ごと透明にして上空に飛び、勇者の前へ魔帝を降下させた後、そのまま人間達の前線基地へと向かい上空から奇襲する事だった。
魔王軍の優位性の一つとして、竜族などの有翼種族による制空権がある。竜公爵の様に雲の上まで飛行出来る程の力を持つ者はそう居ないが、そこに魔王の魔法を加えれば察知・防御不能の空襲が可能だった。
また、竜公爵は嵐竜の血族であり、雲と雷を部分的に操作する事が出来る。それによって魔帝の目から届く様に基地上空に大規模な雷雲を生成し、魔帝はそれを見たら攻撃の合図を出す様に言われていた。
魔帝の魔力解放の直後に合わせて魔王が雲の上から魔法を降らせれば、勇者達の目の前にいる魔帝が攻撃をしたと錯覚させられる。それが今回魔王が書いた筋書きだった。
「ところで、なんで勇者ちゃん達逃がしたん? あのまま攻撃し続ければ、基地滅ぼせたんじゃね?」
「全滅させては意味が無いんです。あそこの人間達は勇者達の足止め役になってもらわねば困りますからね」
「てーと?」
「死んだ人間は蘇りません、なので死んでしまえば割り切って無視出来ます。ですが瀕死ギリギリで生きている人間はそうはいかない。なので生かさず殺さず、苦しみの中で復興と治療に時間がかかるよう建物をメインに攻撃しました」
「うわー魔王ちゃんかわいい顔してエグーい。魔帝ポイントを三十点進呈しよう」
その上で魔王は、攻撃の後に勇者達を見逃すように魔帝へ指示していた。それは善意ではなく、悪意に限りなく等しい妨害行為だった。
人間達の前線基地は選りすぐりの軍人達が多く駐在しており、また補給の為に多くの物資が保管されている。それらが重大なダメージを受け、しかし立て直す事が出来るとなれば、人間達は兵士の治療を優先する。そしてそれは、勇者達にしても同じだ。
勇者一行は根本的に善人であり、万能だ。基地の人間だけでは対応出来ない重傷者であっても、生きてさえいれば快復させる魔法を行使出来る。故に基地が攻撃され、かつ魔帝と戦うメリットが無いとわかればすぐにでも撤退するだろう。その魔王の見込みは果たして的中していた。
「あと、『自分については魔王とも魔帝とも断言せず、適度にぼかしておいて欲しい』ってのはなんだったん? 魔王って勘違いモノさせるだけなら、我普通に名乗ってたよ?」
「勇者は無駄に勘が良く、また嘘を見破る魔法もあります。なので嘘も本当も言わないのがベストなんです」
「弱者ってのは色々想定せにゃならんのなー。絶対強者たる我には無縁の心配だわー」
「ええ、私は弱いです。……強ければ、ここまで魔族が追い込まれる事も無かった」
「待って魔王ちゃん、そんなガチ凹みしないで。我が嫌なヤツみたいじゃん」
「魔帝様、僭越ながら真面目に今のは嫌味だと思われます」
その上で、魔帝には自分の正体を断言させないまま勇者達が勘違いするように仕向ける。
魔王は自分の姿を隠したまま基地を強襲し、”魔王”という存在とイメージを魔帝へ擦り付け、なおかつ今の勇者では魔王の相手にならないという威圧をかける。
ここまでが魔王の『考え』であり、その目論見は全て成功していた。
「『九割上手くいった』ってのは? あと一割どこいっちゃったん?」
「切りたくもない札を切らされた、というのが一割です。今回の上空強襲は、せいぜいあと一回しか使えませんからね」
「え、なんで?」
「……いくらか、面倒な内情がありまして」
しかし、魔王の顔色は優れない。魔帝がそれを質問すれば、魔王は気まずそうに目を逸らした。
「まず一つ目に、攻撃の前兆がわかりやす過ぎます。竜化した公爵を隠す程の大雲から魔法が降ってくる、そう割れてしまえば人間は上空からの攻撃を警戒し防ぐようになるでしょう。これによって間接的に、魔族のアドバンテージである空の優位性は大きく制限されます」
難しい顔を浮かべ、魔王は溜息をつく。超高所からの魔法爆撃は、人間達にとっては反撃不能の攻撃である事に間違いは無い。事実魔王は遥か昔にこのアイデアを思いついた時、ちょっとアイツらの王都ぶっ壊そっかなーと思ったぐらいだった。
だが、都一つに打撃を与えただけで終わる程今の人間勢力は弱くない。加えて空中から大規模攻撃があるとわかれば、対空意識が強まり魔族からの攻撃の戦術が制限されてしまう。
さらに言えば、この技は大雑把過ぎた。雲を挟んで攻撃するという性質上、魔王は細かい狙いを定められず、攻撃範囲を広げざるを得ない。的確な位置に攻撃出来ない以上、威力は大幅に下がる。
故に与えられる損害は広く薄く、そして警戒さえすれば凌ぐ事は人間側にも可能となってしまう。それこそが今まで魔王がこの戦法を取らなかった最大の理由だった。
「二つ目に、私と竜公爵は今の魔王城の要です。私達二人が城を短い間でも空けてしまうのは危険が生じます」
「勇者ちゃん達が人間側の最前線なんでしょ? 別に城攻められる心配とかないじゃん」
「いえ、現体制に不満を抱く魔族によるクーデターがありえます」
「マジで面倒な内情だった。そんな事気にしながら戦争せにゃならんのキミら? 一致団結出来ん?」
「そもそも私自身が戦争に消極的な姿勢を取っていますからね。魔族の多くは『死ぬまで殺す』という闘争第一主義を掲げています」
「うわー我の遺伝子を感じるぅー」
それ以上に魔王の頭を悩ませているのは、魔族達の反逆の可能性だ。正直な所、勇者を相手取るよりも遥かに面倒な事態と言える。
先代魔王や軍の幹部を始め、多くの魔族が犠牲となっている現状、元々好戦的な種族である魔族達の反人感情は限界まで高まっている。軍に関係の無い一般魔族すら、勇者や人間軍へと特攻してあえなく散る事すらある。
魔王は竜公爵以外に人間達との和平を目論んでいる事は明かしていないが、それでも魔王城近くまで軍を撤退させて軍事行動を消極的にしているという現実はストレスの元だ。それがいかに戦略的に正しかろうが、感情とはコントロール出来るものではないのだから。
「三つ目、これが最大の問題点です。魔帝様が七日に一日しか働いてくれません」
「え、我関係あんの?」
「大アリです。何せ勇者達は魔帝様があの攻撃をした、という認識を抱いているのですから。いざアレをやりたい時、魔帝様が眠っていてはハッタリが利きません」
そして根本的な問題点として、この攻撃は魔帝が姿を見せている時に撃たなければならないという制限がかかっている。
今回行った攻撃は人間軍へ大きな打撃を与えるものではあったが、主目的は進軍の抑制だ。『離れていようが攻撃出来る』、そう思わせる事で人間側は迂闊に魔王城へ近寄り辛くなる。
しかし、最大の利点は”勇者達を強制的に撤退に追い込む”という所だ。が、それには”勇者達の前に魔帝が姿を見せ、その間に魔王が遠くを攻撃する”という二つを同時に満たす必要がある。
単に空襲をするだけでは人間側に学習され、防備に徹して凌がれる。凌がれてしまえば、勇者という戦力が強引に軍を突破するというこれまでの状況に戻るだけだ。
「しかし勇者達も馬鹿ではありません。『自分達が
「なんだ、ならええやん。我に勝てないんならもう戦争終わりやろ」
「いえ、いつかは必ず魔帝様を打倒する為の別の手段を模索し、それを試す為にやってくる事でしょう。まずは軍を後退させ、それから様々な文献の情報を調査してからとなるでしょうが」
「めっちゃ時間かかりそー。大変だね人間」
「時間をかけさせる為に虎の子の策を切ったんです。存分に
とはいえ、魔帝によって勇者達が魔王城まで辿り着くという最大の危機は脱する事が出来た。束の間の猶予ではあるが、体勢を立て直す時間としては十分だ。
あとは
「……つーか、お嬢ちゃん結構やるモンだねぇ。人間との和平がうんぬんって言ってる割には、エグい事しとるやん」
「戦争なのですから、互いに奪い合い殺し合うのは当然の事です。正直な所、個人的心情としてはあそこの前線基地の人間は全滅させたい所でした」
「おっとソフトに物騒。その心は?」
「魔帝様。魔王様は父上――先代魔王と、幹部だった義兄・義姉など、親族を多く失っておいでなのです」
竜公爵が悲壮な表情を浮かべて魔王の立場を説明する。その間も、魔王は感情を失ったかの様に眉一つ動かさなかった。
「戦争なのでそこは仕方ありません、こちらも敵から多くのものを奪っています。一度戦うと決めたならば、得る事よりも失う事こそを覚悟するべきなのです」
「魔王様……」
「征服か和平か、どちらも戦いの果てに掴み取る物です。だから私は、より損害と期間の少ない方を選ぶと決めました。その過程に感情は不要なのです」
「うわぁ我と全く戦争に対する温度が違う。我とか『アレ壊したいから壊すかー』ぐらいのノリで戦争してたのに」
「神魔戦争の頭目としてどうなんですかそれ?」
明らかな戦争に対する認識の温度差に、魔王はここに来て初めて表情を崩して魔帝を睨む。
と言っても、その顔に嫌悪は無く呆れのみがある。現戦争で絶賛頭をぐるぐる回している身としては、何一つ学べない前身に対して思う所はあるが、古代と現代を比べる事その物が無駄だと既に身に沁みていた。ツッコミの過程で心の底まで刻み込まれていた。
はぁ。溜息を一つ零し、魔王は頭を手で小突いた。
「あ、そーだ。魔王城の中だってのに我の姿をめっちゃ隠したがっとるみたいだけど、なんで?」
「端的に言って、魔帝様の事を”魔帝様”と知られる訳にはいかない、という事情があります」
「んん? まるで意味がわからんぜ魔王ちゃん」
魔王の策とその裏にある思考はわかった、しかしここに至るまで魔帝の姿を魔法で何度も隠そうとしてきた理由はそのままだ。
思えば魔王は、玉座の間で竜公爵と対面した時にも嫌な声を上げ、すぐさま結界でその場を密閉させていた。『魔帝を魔帝と知られてはいけない』、その意図が魔帝には掴めなかった。
「再確認となりますが、魔族の現状は全滅一歩手前です。魔帝様という最終手段が無ければ、私はとっくに人間側へ降伏し、自らの命と尊厳を明け渡してでも魔族の存続を訴えかける所でした」
「うわぁ、精神的にも崖っぷちすぎるやん。ってか魔王ちゃんはそれでいいんか?」
「損害の最も少ない選択肢があればそちらを取ります。そういう訳で、最後の逆転の目として魔帝様の復活にワンチャン賭けたワケですが……」
そう言ってから、魔王は魔帝から真横に目を逸らす。
「私が魔帝様に縋らざるを得なかったように、魔族もまた絶対的な力を求めています。が、その絶対的な力である魔帝様は戦えません、というか絶対戦っちゃいけません」
「はっはっは、メンゴメンゴ」
「……そして大多数の魔族は、かの伝説の魔帝が復活したと知ればこう思うでしょう。『魔帝様の力を得た以上人間など敵ではない』、そう意気揚々と反撃に転じようとするのが目に見えます。実際には、魔帝様の力は世界に広げきれない程の誇大広告なのに」
魔王の懸念点は、魔族達が魔帝の力をアテにして戦争を進めようとする事だった。だが、味方の持つ手ごと潰してしまう様な巨大な
故に魔帝が戦えない事を聞いた瞬間から、魔王は魔帝ごとその事実をなるべく秘匿しようとしていた。口に戸が立てられない以上、いかに信用出来る側近と言えど竜公爵にすら明かしたくなかった程だ。
「という事で、魔帝様が復活した事実と存在そのものは最高機密です。明かしたらダメですからね? 絶対ダメですからね? 言いふらしたりとかしたら、私はその時点で責任取って自害しますからね?」
「うーん、魔王ちゃんがそこまで覚悟ガンギマリならしゃーない。かわいい子にそこまでさせるのは我的にダサいし、素直に黙ってしんぜよー」
魔王による心の底からの嘆願に、渋々といった感じで魔帝は応じる。
竜公爵も必死が過ぎる魔王の姿が不憫でならないという表情を浮かべており、墓場から地獄の底まで魔帝の存在を秘する事と決めた。
「……で、これからどーすん? 我はあと三日はダラけたいし、魔王ちゃんも我の扱い困っとるんやろ?」
「いえ、魔帝様のこれからについてはある程度は考えてあります。従って頂けますか?」
「『もっと働け』以外なら我は大体受け付ける構えやよ。『一回死ね』とか言われても、大道芸として首落とすぐらい我は寛容だからの」
「いえ、そんなドン引きするレベルの考えはありません。いや、やんないでくださいね? 普通に怖いので」
魔帝からの冗談なのか本気なのかわからない提案に冷や汗を流しつつ、魔王は机の引き出しから一枚の書類を取り出す。
魔帝の方へと差し出される形で机の上に置かれた書類の一番上には、大きくこう書かれていた。
「一般魔族として、ふっつーに生活して下さい」
”転入届”と。
Tipsその4
嵐竜:
その名の通り風を操る竜族。攻撃的には雷雲操作をメインとする。
飛行速度・高度に長け、その為竜公爵はタクシー感覚であちこち飛ばされている。
空襲:
飛行可能な魔族が、手の届かない空中から攻撃する一般的な戦法。
個々人の能力による飛行高度・攻撃射程の限界と、人間側の遠隔攻撃手段の発達によってトップメタから転落した。
魔王の書類仕事:
魔王城へとやってきた避難民絡みのトラブル、人間達への対応に対するクレーム、一般兵士の違反行動などなどが積み重なった山。
『生きることは地獄』と魔王に言わしめる世知辛さの数々。
目下一番大きな問題を解決させただけで安心してはいけない。
それで仕事が終わるなら誰も苦労しないのだ。