ハイストリート通りにその人物が着いた時は雨も風も強くなっていた。いつもなら人でごった返すはずのこの道は数年前からずっと静かだったし、
髪も髭も真っ白なところから見てかなりの高齢だ。淡いブルーの目が、半月形のメガネの奥でキラキラと輝き、高い鼻は途中で二回折れ曲がっている。その名前はアルバス・ダンブルドア。
ダンブルドアは傘もさしていなかったが、雨風はダンブルドアを避けるようにして降っていた。ダンブルドアは雨風を全く気にせず、紫色のマントを風にたなびかせて早足でひょいひょいと歩き、やがて一軒の古臭い建物の前で止まった。廃墟と見間違えそうなその建物だが、ぼんやりと灯る光と「ホッグズ・ヘッド」と書かれた風に吹き飛ばされそうな薄汚い看板と、ちょん切られたイノシシの首が周囲の白い布を血で染めている悪趣味な絵が、辛うじてその場所が店だということを指し示していた。
ダンブルドアはポケットを探って銀のライターを取り出すと、ふたをパチンと開けて、カチッと鳴らした。近くにあった街灯がポッと小さな音を立てて消えた。ダンブルドアは続けてカチカチと「灯消しライター」を七回鳴らすと、周囲の街灯は完全に消えた。もう一度ダンブルドアは注意深く周囲を見渡すと、ダンブルドアはホッグズ・ヘッドの扉をゆっくりと開けた。ヤギのようなきつい匂いがむわっとするし、ぼんやりとパブを照らすちびた蝋燭はダンブルドアが戸を開けたせいで風が吹き込み今にも消えそうだ。ダンブルドアは立て付けの悪い戸を慎重に閉めると、店を見渡した。天気が悪いせいで一層薄暗い土間のようなこの店は前を進むのも困難なくらいに暗かったし、床は積み重なった埃の上に泥の着いた足跡のせいで直視したくないくらいには汚かった。おまけにテーブルに座っている客は、真っ赤な飲み物を手にした牙が見え隠れする吸血鬼と、どろどろと膿を垂れ流しにする男(さすがにこの男とは他の客も距離を取っていた)、さらにフードで顔を覆い隠し、一心不乱に壁に囁きかける魔女や、ニタニタと笑う山姥のような客まで揃っていた。ダンブルドアはとんがり帽子を取ると、濡れてもいないのにとんとんと軽く叩いた。
バーテンダーはちらりとダンブルドアの方を見ると、ふんと鼻を鳴らして汚い布でグラスを拭く作業に戻った。ダンブルドアはバーテンダーの方にちらりと視線をやって会釈すると、足元をじっと見ながらカウンターの奥にある階段を上っていき、階段の上にあった部屋に入っていった。
「待たせたかの」
ダンブルドアはすでに席についている人物に声をかけた。ひょろりとやせてはいるが、不釣り合いなほどの大きなメガネが異様に目を大きく見せている。そのうえ、ごってりと身につけたビーズやチェーン、腕輪などが派手にじゃらじゃらと音を立てている。机の上にはシェリー酒の瓶が散乱し、焦げたチーズのようなものが直に置かれていた。
「いえ、ダンブルドア先生。あたくしの心眼はこのような事態を見通していましたわ」
シビル・トレローニーは物憂げな表情で呟いた。
「あたくしは外れたらいいと思っていましたわ──この空を覆い尽くすような雷雨から占えば、自ずと凶兆は……」
「雨は明日には止むようじゃが」
ダンブルドアは軽い口調で言った。トレローニーは発言を遮られてさっと顔を赤らめたが、すぐに澄ました表情になって机の上に置いてあったシェリー酒に口をつけた。ダンブルドアは杖を振ると、座り心地の良さそうなチンツ張りの肘掛椅子が現れた。続けて杖を振ると、弱々しく燃えていた暖炉が一気に燃え盛った。
「占い学を教えたいとのことじゃな」
ダンブルドアは口を開いた。トレローニーは勢いよく頷き、そのせいで黒いイヤリングが落ちそうになったが気に留めなかった。
「そうですわ──不幸にもホグワーツには『占い学』を設置していないとのことで……」
「しかし、我々はそれを不幸と思っていないのじゃよ。シビル」
ダンブルドアはトレローニーを遮るように静かな声で言った。
「ホグワーツ校は残念ながらあなたを迎えることができないのじゃ」
シェリー酒を置いてある机が隙間風でかたかたと揺れる音が聞こえるような沈黙が走った。階下からはおどろおどろしい叫び声が聞こえたが、ダンブルドアはそれを気に留めなかった。
トレローニーは震える手でグラスを手に取った。
「『占い学』はとても高貴な技術ですわ」
トレローニーは小さな声で囁いた。
「ダンブルドア先生。あなたはとても優れた魔法使いに見えますが、失礼ながら『眼力』が備わっていないと思いますの──あぁ、悲しいことですわ──あなたが『予言者』なら、先に待ち受ける恐ろしく苦難に満ちた人生を恐れなかったはずがないでしょうに」
トレローニーは甲高い声で告げたが、節々にはかすかに苛立ちが宿っていた。
「わしの人生は少々刺激的じゃがの」
ダンブルドアの声は相変わらず穏やかだった。
「確かにわしの眼は我々の行動の因果という複雑なものを見通せるようなものではないじゃろう。君のお祖父さんのように、あれこれと起こることを言い当てられるわけではない」
ここでダンブルドアは躊躇うように言葉を切った。
「しかし、わしはその方が健全と考えておる。少なくとも、予言に頼るよりは」
「あぁぁぁー」
トレローニーの声は掠れて、耳をすまさなければいけないくらいに高くなっていた。トレローニーは両手で顔を覆うと下を向いた。
「するとダンブルドア先生は、まさか占いが人の未来を照らす道標であると信じてなさらないの?」
「断じて」
ダンブルドアは短く答えた。
「予言という不正確なものに、わしは重きをおけないのじゃ」
「わかりましたわ、ダンブルドア先生」
トレローニーは立ち上がり、激しく震える体を抑えながら、指輪がいくつもついているせいで、ほとんど地肌が見えない指でダンブルドアを指差した。
「知っておりますわ──あの、ホヘッジ・スティンプソンがわたくしの悪口を言っていることは──あの男は、予言の重要性を知らずにあたくしのことを散々バカにしてアジルバード校長に雇わないように告げたに違いありませんわ!」
トレローニーは金切り声でヒステリックに言うと、ぐいっとシェリー酒を飲み干した。ダンブルドアは相変わらずゆったりと椅子に腰掛けていた。
「わしはホヘッジとは話しておらんよ。それに、アジルバードは優れた魔法使いじゃ。誰を信用するべきかよくわかっておる……おまけに、フロスティングケーキを作るのがすこぶる上手い……」
「ええ、とっても素敵な校長ですわ。あたくしがせっかく立てた「星の動きと12時に聞こえてくるラッパ占い」をインチキというくらいに。あの者には一ヶ月以内にとんでもない不幸が訪れる──寝室は南にしろという助言とイースター休暇は家から出ない方がいいという予知をあの男は聞き流したのですわ」
トレローニーは儚げな声をかなぐり捨ててダンブルドアに噛み付いた。だが、ダンブルドアは急に自分の爪に興味が出てきたのか、しげしげと眺めていた。
「その点ではわしはアジルバードと見解を共にするの。わしは、あー、占いというもので人間という複雑怪奇なものを窺い知れるとは思っておらぬ。予言というのは──こう言っては君に失礼かもしれんが──それに誑かされる者の末路なぞ、予言の力がないわしでも見据えることができるのじゃ」
しばらくは暖炉の火が爆ぜるパチパチという音と、窓を叩きつけるような雨の音だけがした。トレローニーはダンブルドアをしばらく見つめていたが、やがて急に悲鳴を上げて怯えたように後ずさった。
「ダンブルドア先生──今あなたの向こうで何かが揺らめくのが見えましたの──水難の相が出ておりますわ──月末には決して湖に近づかぬよう……ああ、それでも」
「結構」
ダンブルドアは短く言ったが、目の奥が失望したかのように光った。
「残念じゃ……幸運を祈るぞ、シビル」
ダンブルドアは立ち上がって杖を軽く振ると、ダンブルドアが座っていた椅子はひゅっと消えていく。そして、ダンブルドアはまだ両手で顔を覆っているトレローニーに一礼して帰りかけた。すると、ダンブルドアの背後から太い荒々しい声が聞こえた。
「闇の帝王を打ち破る力を持った者が近づいている」
ダンブルドアは弾かれたようにくるりと振り返った。トレローニーの目はぎょろぎょろと蛙のように動き、口はだらしなく開いている。右手はピクピクと痙攣しているし、中途半端に立ち上がったせいか膝は不自然に折り曲げられている。だが、トレローニーはその姿勢を改めようともせずに太く荒々しい声で続ける。
「七つ目の月が死ぬとき、帝王に三度抗ったものたちに生まれる……そして帝王はその者を自分に比肩する者として印すであろう。しかし彼は、闇の帝王が知らぬ力を持つであろう……一方が他方の手にかかって死なねばならぬ。なんとなれば、一方が生きるかぎり、他方は生きられぬ……闇の帝王を打ち破る力を持った者が、七つ目の月が死ぬときに生まれるであろう……」
そこまで言うと、トレローニーはがくんと首を落としてその場に倒れこむ。じゃらじゃらとショールについていたビーズ玉が音を鳴らした。
「なんと」
ダンブルドアは小さな声で呟き、杖を振った。トレローニーの体と床の間に柔らかくて清潔なクッションが現れ、その体を優しく受け止めた。そしてダンブルドアは素早く銀の道具をポケットから取り出す。ダンブルドアはその銀の道具を杖先で軽く叩くと、煙がぽっぽと音を立てながら出てくる。だが、ダンブルドアもその煙をずっと見ることはできなかった。扉の外からやおら叫び声と呪文の音がしたのだ。
ダンブルドアは杖を構えると、部屋の隅にあった「剣を右肘に刺した間抜けなゴブリン像」をトレローニーの前に滑らせる。そして、勢いよく扉を開けた。いたのは錆びてほとんど銅と見分けがつかない銀の皿を持っているバーテンダー、そしてもう一人。ねっとりとした黒髪と同化するかのような黒いロープを着ている。そのうえ鉤鼻、病気かと思うくらいに土気色の顔をしているが、油断なく杖を握っている。だが、バーテンダーに杖を突きつけられているせいで構えることができていない。
「こんばんは、セブルス」
ダンブルドアはまるでお茶会にセブルス・スネイプがやって来たかのように気楽な声で挨拶した。
「さてはて。わしに何の用だね?」
「私は間違って階段を上がっただけだ」
「上がっただけだって?」
抗議するスネイプに向かってバーテンダーは唸った。
「わざわざ俺が注文を取りに行ったすきにカウンターを横切って鍵穴の前で這いつくばることがか? 階段を駆け上がってきた俺に「失神呪文」をぶちかましたのが、
「先客がいたので引き返そうとしたところ、きみに首根っこを掴まれたのですぞ、アバーフォース。多少は正当防衛の言い訳ができましょうな。きみもヤギに対する扱いをヒトにやるべきではないと習わなかったのですかな」
スネイプはにべもなくアバーフォースをはねつけ、唇に薄ら笑いを浮かべて言った。なおも何か言おうとしたアバーフォースをダンブルドアが杖腕を上げて遮った。
「もうよい、アバーフォース」
ダンブルドアは静かに言った。
「きみがヴォルデモート卿に魅入られたことはとても残念というほかない……」
ダンブルドアが全て言い終える前にスネイプが杖を振った。だが、ダンブルドアの方が速かった。スネイプは白銀の鞭のようなものに叩きつけられて階段から落ちていく。だが、直前に「クッション呪文」をつかったのか、柔らかく着地するとアバーフォースの放った「全身金縛り呪文」をかがんでかわした。
「この──薄汚い──コソ泥野郎!」
バーン。
アバーフォースの吠え声と赤い閃光が迸った。スネイプは敏速に「盾の呪文」で受け止めると、身をかがめて走り始めた。そのせいで、ダンブルドアが放った白銀の閃光はスネイプの頭上五センチくらいをあわや通過した。そして、バチンという大きな音を残すと、スネイプの姿は跡形もなく消えた。
「アルバス!」
アバーフォースはダンブルドアにむかってぜいぜいと肩で息をしながら怒鳴りつけた。頰には何かに引っ掻かれたかのように深い傷がついていた。
「何があったんじゃ」
「セブルス・スネイプが盗聴していた。奴さん、階段を上ろうとする俺に気がついて呪いをかけてきやがった」
アバーフォースと呼ばれた男はしかめっ面で戸口をにらんだ。いくつもの呪文が飛びかったせいか、埃は煙のようにもうもうと舞い上がり、悪趣味な蛇の形をした階段の手すりは半分取れかかっていた。
「俺は気をつけろといったぞ、アルバス」
アバーフォースは唸るように言った。
「大事な話をするときには護衛を用意しろ。誰がどこで耳を立てているかわかったものじゃねえ」
「そうすればわしは部屋に閉じこもってフォークスと話し続けるか、自分の見張りを信じられるか否かを確かめるために、またもその人物を試さねばならない」
「そっちの方がいくらかマシじゃないか? え?」
アバーフォースは噛み付いたが、ダンブルドアは黙って首を振った。
「セブルスか」
ダンブルドアは悲しそうに杖を指で撫でた。
「悲しいかな──秀でた魔法使いじゃった。あれだけの才能を持った魔法使いはなかなかいない──」
「俺から言わせりゃ、闇の魔法が耳から飛び出ているようなやつの行き先はどのみち『あの人』のところかアズカバンだ。さっさと捕まえた方がいい」
アバーフォースは唸るように言った。だが、ダンブルドアは言い返した。
「それは違うの」
「どうその力を使うかが大事なのじゃよ」
アバーフォースはダンブルドアをまた睨んだ。
「教育だな、アルバス」
アバーフォースが噛みつくように言った。
「できればこのパブで学んでほしくないもんだな! ふん!」
そう言い残すと、アバーフォースは肩を怒らせて部屋を出ていった。ダンブルドアはその背中をじっと見ていたが、手元は杖を折りたがっているかのようにしならせていた。そのとき、ううっという呻き声とともにトレローニーがゆっくりと体を起こした。
「ごめんあそばせ──あたくし……あン……ちょっとうたた寝をしてしまったみたいですわ」
トレローニーはずり落ちたメガネを取ろうと床に手を伸ばしたが、二、三度空を切った。ダンブルドアは屈むとトレローニーにメガネを渡した。
「あら、ありがとう──ダンブルドア先生。でも、あたくし、どうしてこんな……」
トレローニーは落ち着きなくぎょろぎょろと周囲を見渡していたし、立ち上がろうとした拍子に「剣を右肘に刺した間抜けなゴブリン像」を蹴飛ばした。
「さて、シビル。教室ときみの住居についてじゃが」
ダンブルドアはまるで面接の続きをするかのように話しだした。
「北塔に住むが良い。箒星の観察のためにシニストラ先生が使ってはいるが、頼めば荷物を動かしてもらえるだろう。教室に使えるはずじゃ……。住居の方じゃが、これも北塔にある。過去に「うっちゃり屋スチュービル」が住んでいたせいで、窓が半分ピンク色になっているのと、玄関ホールからだいぶ遠いのが難点じゃが、なかなかいい場所じゃ。わしも疲れたときはあそこでハム・サンドを食べながら湖に住んでおるヒッポカンポスを観察するのが楽しみでの。風変わりなボウトラックルが部屋の隅に生えているブナに遊びにくるのじゃ」
「ええ──しかし、ダンブルドア先生。あたくし、聞き間違いでなければ、『占い学』の授業を持たせてもらえないとのことでしたの。冥王星がこんなにはっきり見えるというのは、不幸と屈辱、虐げられた者と愚者の交わりですわ──」
トレローニーは調子を取り戻したのか、儚げな微笑を浮かべて言った。だが、メガネが床に落ちた拍子にひしゃげたのか、何度もずり落ちそうになっては慌てて掛け直していた。
「ならば予言が外れたことを喜びましょうぞ」
ダンブルドアは朗らかな口調で言った。
「シビル。きみにホグワーツで教える資格がないと言っていたのはこの老いぼれの過ちじゃよ……歳を取ると、愚かさに反して自分があまりに多くを知っていると思うてしまう……全く嘆かわしことよ。のう?」
トレローニーは言葉を失ったのか、「泡頭の呪文」を使ったかのように口をぱくぱくとしている。ダンブルドアは気にせず杖を振ると、散乱していたシェリー酒の瓶や水晶玉、ワシの刺繍が施されている布が綺麗に畳まれて、無造作に開けられていたトランクに収納されると、滑るようにしてトレローニーの手元に飛び込んできた。
「では共に参ろうぞ」
ダンブルドアは雷に打たれたかのように呆然と立ちつくしているトレローニーの手を握って引き連れて行く。そして、階段を降りてバチンという音とともにハイストリート通りの闇に消えていった。