まあ、その、瀬田さん書いてみたかったもあります。はい。
昼休みを迎えた羽丘学園3-Aにおいて、氷川洸夜は惰眠を貪っていた。そんな彼の元に、紫の艶やかな髪をポニーテールに結った少女が訪ねてきた。
「やあ洸夜、机に伏せてどうしたんだい?」
「あぁ……? 薫か……」
洸夜の元に現れたのは、彼の幼馴染である少女、瀬田薫。そんな彼女の周りには、ファンであろう者達の姿も見受けられる。
「何の用だ……?」
気怠げな様子で顔を上げた洸夜は、他クラスである薫がわざわざ訪ねてきた理由を問うた。
「なに、ただ近くを通ったから寄ったまでさ」
「同じ学校内に居るやつに対して使う台詞じゃないと思うぞ」
「フフッ……相変わらず鋭いツッコミだね。それで、洸夜は一体何をしていたんだい?」
まるで詩を詠むかの様に洸夜の言葉を流した薫が問い返す。そんな彼女を一瞥した洸夜は、視線を逸らすと口を開いた。
「寝てたんだよ……最近寝不足だったから」
「ああ、そうだったのかい。それはすまないことをしたね」
「分かったら寝かせてくれ。後、周りからの熱烈な歓声にもしっかり応えてやれ」
短く告げた後、再度机に向かって突っ伏せる洸夜。対する薫は、再び眠りの淵へと赴いていった彼をしばし眺めた後、溜息混じりに笑みを溢した。
「ハハッ、邪険にあしらわれてしまったね。どれ、私は子猫ちゃんたちと戯れて来ようかな」
高らかな笑い声を残し、彼のそばを離れていく薫。そうして訪れた静寂に洸夜が浸っていると、不意に彼の携帯が振動する。ぼやける視界で『薫』と記されたトークの中身を確かめた洸夜は、大きくため息を漏らす。
「さっきの分の埋め合わせまでするか……」
誰にとなく呟いた彼は、そのまま意識を手放し夢の中へと旅立つのであった——
その日の放課後、人気の無くなった教室内にて、洸夜は書き物に徹していた。するとそこへ、薫が訪ねてくる。
「おや、今度は作業かい?」
「そ。広報委員会の仕事。締め切り近いって言うから手伝い」
机の上に広げられた原稿用紙に目を通したまま返答した洸夜は、素早く赤ペンで修正箇所へとチェックを入れていく。その作業の最中、徐に洸夜が視線を上げるといつの間にやら目の前の座席に腰を下ろし、こちらに正対する薫の姿があった。
「……十数分で終わるから、もう少し待っててくれ」
ただ一言を告げた後、洸夜は視線を原稿用紙へと戻す。互いに会話は無く、筆を走らせる音のみが教室内に響く。
「……よし。終わり」
沈黙を突き破るかのように言葉をこぼした洸夜は、手にしていたペンをケースへしまうと立ち上がる。
「お疲れ様」
「ん。ちょっと出してくるよ」
その言葉と共に洸夜が背を向けると、不意に彼の腕が掴まれる。微かに驚きながら振り向いてみると、どこか気恥ずかしそうな表情を見せる薫の姿があった。
「わ、私も……着いて行って良いかい?」
「……いいよ」
僅かな間の後、微笑した洸夜は首を縦に振る。それを見た薫は安堵したように息を吐くと、洸夜の隣に並んで教室を出る。
放課後ということもあり、人気のない廊下を黙々と歩いていく2人。そうして生徒会室を訪れたのだが、中は無人であった。
「……いないんかよ」
困ったように額を抑えた洸夜は、原稿を裏返しで卓上へと置く。そして携帯を取り出したかと思えば素早く操作し即座に懐へとしまう。
「終わり。ヨシ」
奇妙なポーズで指差し確認をした洸夜は、何事もなかったかのようなそのまま室外へと出ていく。
「もう終わったのかい」
「うん。だから、薫のしたいこと聞くよ。大分待たせちゃったからさ」
申し訳なさそうに述べた洸夜は、自身の右手をそっと薫の前へと差し出す。対する薫は間を置かずに彼の手を取りながら返答する。
「なら、少し一緒にいたい」
「仰せのままに」
そう言って薫の手を握った洸夜は、彼女を連れ学校の屋上へと赴いていた。傾き始めたことにより特有の眩さを見せる陽光を浴びながら、2人は無人の屋上へと繰り出す。
「今日、ごめんな」
金網フェンスに手を掛けどこか遠くを見据えながら謝罪の言葉をこぼす洸夜。そんな彼の瞳は悲しげであった。
「洸夜……?」
「人前だと、素直になれない自分が正直嫌だ。それに、そのせいで薫に嫌な思いさせてるんじゃないかなって……」
振り返ることなく、自身の内心を吐露していく洸夜。すると突然、背面から薫が洸夜の体へと腕を回し抱きつく。
「そんなことで、嫌いになったりしないよ。それに私は、いつでも洸夜の事を好きでいる」
首を横に振りながらどこか切なげに返答した薫は、より一層強く洸夜のことを抱きしめる。暫しの間沈黙しそのままを保っていた両者であったが、それを突き破るように洸夜が問いかける。
「少し……わがまま言っても良い?」
「何だい?」
洸夜に問われた薫は首を傾げつつ彼から離れると、間髪入れずに洸夜が彼女の方へと振り向く。そうして向かい合った後、小さく息づいた洸夜が先の続きを紡ぐ。
「偶には、『瀬田薫』って衣装を脱いだ姿を見せてよ——
落ち着いた茶の髪には不釣り合いな翡翠に輝く双眸を細め、柔らかく微笑んだ洸夜。そんな彼を前にした薫は、記憶の片隅にあった彼の顔を眼前にあるそれと重ね合わせた後、洸夜から視線を逸らす。頬をほんのりと赤らめながら。
「コウ君は……そういうところズルいと思う」
「かもね」
茜日を背にした洸夜は無邪気な笑みを浮かべる。過去の彼自身がその場に現れたのではないのか、と薫が錯覚する程に幼げな笑みを。
「コウ君は相変わらず、だね」
「そうかな? 自分で言うのも気が引けるけど、結構変わった方だと思ってるよ?」
そう返した洸夜は、薫の元へと歩み寄ると左手でそっと彼女の髪を撫ぜつつ内心を言の葉に変える。
「昔の俺なら——こんなことは、しないでしょ?」
先程とは一転し、落ち着いた笑みを浮かべた洸夜は薫の髪に触れていた左手を彼女の右頬へと移す。それに伴い、薫の頬は眩い茜色の中でも認識出来る程に紅潮していった。
「コウ君……」
羞恥心に押しつぶされてしまったが故か、普段の彼女からは想像もできない程に顔を赤く染めた薫は未だに己の右頬に触れたままの洸夜の手にそっと己の右手を重ねる。
「意地悪だね……」
「かおちゃんの反応が可愛いのが悪い」
「もう……」
洸夜の返しに頬を膨らませた薫。そんな彼女を彼は、徐に自身の方へと抱き寄せた。薫もまた洸夜のことを抱き返す。
「ふふっ……こんな姿見せられるの、コウ君だけだよ」
「そっか。かおちゃんのこんな姿を見れるのは俺だけか」
「そうだよ。だから、今だけでも良いから……」
そこまで言ったところで、薫の言葉は遮られた。洸夜の右手の人差し指が唇に触れたことにより。
「そんな心配しなくても大丈夫。俺もいつだって、かおちゃんのこと想ってるからさ。そんな顔しないで」
優しく諭すように告げた洸夜は、左手を彼女の後頭部へと回し彼女の艶やかな髪を撫ぜる。
「ちょっとごめんよ」
突然の謝罪を前に若干ながら戸惑いを見せる薫。すると洸夜が、彼女の髪ゴムを取り外し結われていた髪が自然な姿へと変わる。
「コウ君……?」
「うん、やっぱしかおちゃんは髪下ろしてる方が似合うね」
洸夜の放った一言により、薫はその頬をより一層赤く染める。それにより顕になったのはステージに立つ『瀬田薫』の中にある、幼馴染に好意を寄せる、ただ1人の少女の姿であった。
「そ、そうかな……」
「うん。俺が、保証するよ」
屈託のない笑みを浮かべながら答えた洸夜は、髪を撫ぜていた手を頭頂へと持っていき彼女の頭を優しく撫で始める。
撫でられた薫はというと、先程までの不安気な表情は鳴りを潜め、嬉しそうに頬を綻ばせていた。すると突然、彼の内心が表へと現れる。
「薫……その、ありがとう」
「コウ君?」
「うまく言えないけど……薫に会えて良かったと思ってる」
不器用に述べられた想い。そこに秘められた洸夜の気持ちを、薫はしっかりと汲み取りそれに応じる。
「私もだよ。今コウ君とこうしていられることが、とても幸せだから」
互いにの気持ちを伝えたところで、幾度目かの静寂が流れる。その間2人はただ互いの鼓動を、互いの温もりを感じ同じように笑みを浮かべていた。
「——そろそろ練習行かないと」
名残惜しそうに呟いた洸夜は、薫から一歩離れる。そしていつの間にやら、茜色に染まっている空の下小さく不器用な笑みを浮かべ彼女に背を向ける。
「待って」
すると不意に薫が洸夜の袖を掴み引き止める。対する洸夜は不思議そうに彼女の方へと振り返る。
「どうした——」
彼の口から飛び出した言の葉は遮られる。薫の唇が、彼の口を塞ぐかの様に触れ合ったため。数瞬の後、離れた薫は頬を今日一番と言っても過言ではない程に赤らめながら笑みを向ける。
「頑張ってね」
「……うん」
突然の状況に硬直していた洸夜であったが、大きく頷くと彼もまた応じるかの様に笑みを向ける。
「行ってくる」
ただ一言告げ屋上を離れる洸夜。そして荷物を取り昇降口へ赴いたところで、顔を赤らめ口元を抑える。
「……あんなの反則だろ」
未だ微かに残る感触と、自身に向けられた笑みを思い浮かべながら本音を漏らした洸夜は、未だグチャグチャな感情を整理しながら『CiRCLE』へと向かっていくのだった。
余談だが、このあと数日に渡って洸夜と薫が対面した時、人前であろうと互いが互いを意識して頬を赤らめる事態に見舞われるのだが、それはまた別のお話——