よわよわ狂姫伝 カブラヤオー!   作:ギルドパクト

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原点

 暗い瞼の内で不意に光が宿った。眩しいくらいの陽光と、それによって輝く新緑の草原。晴れ渡った空の下、ふわりと揺れた濃厚な薫風がカブラヤオーの白い鼻梁を擽った。

 

―くちゅん―

 

誘われる様に漏れた小さなくしゃみ。それを手で押さえると、今の自分では有り得ない程の幼い(・・)掌が二つ顔を出す。

 

―あ、夢……―

 

その光景と、小さな刺激で明瞭になった思考が、手の中にある光景が明晰夢である事を認識する。

 きょろきょろと辺りを見回せば、曇り一つない草原の景色が自分の記憶の中にある十年も前の北海道の一片とぴたりと符合する。

 

―♪~―

 

何処か懐かしさと共に思い出の光景を堪能するカブラヤオー。普段は垂れ気味の彼女の耳が心なしか嬉しそうにピコピコと弾んでいた。

 

―う?―

 

と、そんな自身の耳に僅かな違和感を覚えて夢の中のカブラヤオーは歩みを止めた。恐る恐る頭に手をやると、黒鹿毛の髪の上でかさかさと触れる何かがあった。

 

―……―

 

そっと手に取ってみると、それは濃い桃色の花で編み込まれたお手製の冠だった。

 

―……―

 

何の変哲もないその見た目に、しかし、夢中のカブラヤオーは何故か目が離せなかった。

 特に違和感もない普通の花の冠。しかし、そのありふれた見た目が不思議とカブラヤオーの胸中に強く訴えかけてくるものがあった。

 

―……あ―

 

こてんと首を傾げた幼いカブラヤオーがふと思い出した様に小さく声を漏らす。

 

―これ、誕生日の時の……―

 

思いがけず再会したそれは、記憶の彼方にあった筈の小さな断片。六月という遅生まれからか年齢以上に小柄だった彼女の誕生日に、母親が喜んで編んでくれたものだった。

 当時のカブラヤオーは母からの贈り物を母以上に喜んで、誕生日が過ぎてもずっとその花冠を大切にしていた。

 

―……―

 

今はドライフラワーとなって部屋の片隅に彩を与えてくれている冠の現役(・・)の姿をじっと見詰めたカブラヤオーはふとその輪を頭に戻し、再びてくてくと歩き出すのだった。

 

―良い風……―

 

再び頬を撫でたそれに、カブラヤオーは丸い目を細める。

 幸せな思い出と共に、ひょっこりと顔を出した懐かしい記憶。明瞭な明晰夢をカブラヤオーは思い描くままに楽しんでいた。もう一度ピコピコと動いた柔らかい両耳と合わせて、十年も前に通り過ぎた小さな両足がぴょんと弾んだ。

 

 

 

―え?―

 

 

 

不意に飛び込んで来た光景に、カブラヤオーの足が止まった。

 視線の先にあるのは、いつの間にか現れた数人の群れをつくるウマ娘達。

 

―!?―

 

なぜかはっきりと見えない彼女達の(かんばせ)。しかし、その一枚絵にカブラヤオーの胸がずくんと音を立てて鳴った。同時にドッと全身から噴き出す冷や汗、ドクッドクッと早鐘を打ち始める心臓。頭の天辺から顎の先までさーっと血の気が引いて視界がゆらりとぼやける。カラカラになった喉の奥で、擦り切れた息がひゅーひゅーと鳴った。

 血流が途絶え、初夏の景色の中で真冬の様に両手の指をかじかませながら、たった一瞬でおびただしい汗をかくという異常な姿。カチカチと鳴る奥歯の中で、カブラヤオーは―こ、この、光景……―と呟いた。

 

―に、逃げなきゃ―

 

フラッシュバックするあの日の記憶(・・・・・・)に、咄嗟に身を翻そうとするカブラヤオー。

 

―!?―

 

しかし、全身の自由が利かない。それどころか、

 

―な、何で!?―

 

この場から一刻も早く離れたいと願うカブラヤオーの思いに逆らう様に、小さな彼女の身体は一歩、また一歩と目の前の顔の無い群れへと歩みを進めていた。その歩は次第に速くなり、同時に胸の内の早鐘がドクッドクッからドッドッドッドッとテンポを二段階も引き上げる。

 

―と、止まってよぉ!?―

 

既に両目に涙を浮かべながら悲鳴を上げるカブラヤオー。しかし、小ぶりな両足は既に歩み処かカブラヤオーの意とは正反対にスキップすら踏み始めていた。

 

―なーにしてるの♪―

 

そして、あの日の様にならない様に(・・・・・・)せめて何事もなく過ぎ去ってくれと祈るカブラヤオーの願いも空しく、幼いカブラヤオーの口は無邪気に絶望の言葉を紡いだ。

 そこからの光景は先のテンポが嘘のようなスローモーションだった。一瞬振り返った顔の無いウマ娘。その表情にカブラヤオーが―あっ……―と漏らすも、同時に飛んできたのは朗らかな返事でもなければ不機嫌なそれでもなく、

 

 

 

眼前に迫った大きなブーツだった。

 

 

 

 

そして、靴底に付いた大きな蹄鉄を最後に、幼き日のカブラヤオーの記憶はふつりと途切れたのだった。

 

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 

「ぴいいいいいいいいいいいいいいいい!?!?」

 

 明け方の長閑な住宅地で、カブラヤオーは絶叫と共に飛び起きた。家中どころか、町一つに響き渡る程の絶叫がカーテンの降りた自室で反響し、目覚めたばかりの彼女の両耳を強く打つ。

 

「うぅ……」

 

ベッドの上でカブラヤオーが思わず蹲ると、ゆったりとしたパジャマ全体が絶叫の元となった先の悪夢を追想するようにぐっしょりと汗で湿っていた。

 

「ゆ、夢かぁ……」

 

それでも、恐る恐る辺りを見回せば、井桁模様の黄色いカーテンの隙間から僅かに差し込む木漏れ日に、漸く落ち着きを取り戻したカブラヤオーはほぅっと安堵のため息を吐く。枕元に置かれた目覚まし時計は普段の起床よりも少し早い6時半を指していて、端っこに映る簡素な液晶には丁度今日の日付がちかちかと点滅していた。

 

「……あ」

 

その日付を見て、カブラヤオーはふと声を漏らす。見上げた端、部屋の隅に掛けられた猫が描かれたカレンダーの中で、今日の日付を大きな花丸が囲んでいた。

 

「うぅ……」

 

その日付を見て、一度弛緩したはずのカブラヤオーの胸が再びキュッと締め付けられた。

 

(来ちゃった……)

 

不安と恐怖心に満ちたカブラヤオーの精神状態を表す様に、か細くなった声を胸中に漏らすも、その現実は変わることは無い。

 普通のウマ娘達であれば、毎年来る今日という日を一種のお祭りの様に捉えるだろう。或いは、一部の極めて優秀とされるウマ娘達からすればこれまでの人生の集大成とでも言うべき日だろうか。しかし、カブラヤオーにとっては、日付が重要であることは分かっているものの、かと言って素直に喜べない、いや、むしろ一刻も早く通り過ぎることを願わずにはいられないそれなのだった。

 大きな耳をくてっと倒しながら、とはいえいつまでもそうしてはいられないと、もそもそとベッドから這い出たカブラヤオーは今日の試験(・・)に着ていく、白縁緑地のジャージに袖を通す。鏡を見ると、何時も以上に落ち込んだ自分の顔がカブラヤオーの目に入った。

 

(うぅ……)

 

その自分の姿に更に萎みそうになる気分を何とか奮い立たせて、カブラヤオーは自分の部屋から顔を出した。少し涼しい朝の空気の中で廊下の先からふんわりと良い匂いが漂ってきた。

 

(あ……)

 

鼻孔を擽る好物(・・)の薫りに、ほっと気持ちが解きほぐされる。少し現金かもしれないと思いながらも、カブラヤオーはトテトテと足早にキッチンへと向かうのだった。

 

「おはよう」

 

「ああ、おはよう」

 

「おはよう、オーちゃん」

 

カブラヤオーがキッチンに入ると、新聞を読んでいた父親と朝食の野菜を切っていた母親が顔を上げる。カブラヤオーに似て小柄な両親は今日も何時も通りにのんびりとした様子で朝の時間を過ごしている。

 

「お姉ちゃん早くー」

 

そして、そんな両親と向かい合って座っていた妹のミスカブラヤが食卓の真ん中でくつくつと音を立てる豆乳鍋を前にパタパタと両足を振ってカブラヤオーを催促する。

 

「あ、ご、こめんね、ミーちゃん」

 

ピコピコとはためく妹の両耳に、カブラヤオーは慌てて席につく。ふわりと浮き上がった鍋の薫りを胸一杯に満たすと、ほぅっという小さな溜め息と共に自然と笑みが零れていた。

 

「「「「いただきます」」」」

 

全員で手を合わせ、鍋へと箸を伸ばす。

 

「はふっ!?」

 

いの一番にニンジンを口に放り込んだカブラヤオーが、その熱さに尻尾をピンッと立てる。

 

「もー、慌てて食べるから」

 

そんな、(カブラヤオー)の姿を見て、ミスカブラヤが呆れたように自分のニンジンをモゴモゴと咀嚼する。

 

「いよいよだなあ」

 

「そうねぇ……」

 

そんな、娘二人を見比べながら、両親が何処か染々とした様子で呟いている。

 

「調子はどうかしら?」

 

視線の合った母の視線に、カブラヤオーはしょぼんと俯く。

 

「自信ないよぉ……」

 

そんな、(カブラヤオー)の姿に両親は何となく視線を交差させる。

 

「そうか……父さんはオーなら行けると思うんだがな……」

 

「やっぱり中央のトレセン学園はレベルが違うって聞きますし、テレビで見るのと実際とでは違うのかもしれませんよ?」

 

ポリポリと頭をかいて、カブラヤオーを励ますともなく父親の方が呟くと、相槌を打つように母親がそう言ってほぅと溜め息を漏らした。

 

「お姉ちゃんにそう言われると、レースで負けっぱなしの私の立場がないんだけど」

 

そんなカブラヤオーの様子に、隣でシャクシャクと白菜を咀嚼していたミスカブラヤが半眼で呟く。

 

「へう、ご、ごめん。ミーちゃん」

 

昔から、日本トレセン学園のトリプルティアラを夢と語る妹の言葉に、カブラヤオーは申し訳なさそうに身を縮み込ませる。

 

「お姉ちゃんなら大丈夫だよ。将来のトリプルティアラウマ娘の私に勝ったんだから」

 

そう言って、ふんっと鼻を鳴らすミスカブラヤの言葉に両親もまた「父さんも信じてるぞ」「お母さんもよ」と続く。そんな家族の言葉に勇気をもらったからか、カブラヤオーの口からは知らず知らずの内に「がんばる……」という一言が漏れていた。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 そんな、受験日の朝、出陣前の勝負飯を食べ終えたカブラヤオーの家に、不意にピンポーンとチャイムの音が響いた。

 

「はー「オッ子! 準備さ出来たか!?」

 

次いで、カブラヤオーの母が玄関に向かうか向かわないかのタイミングで、家中に大きなしゃがれ声が響き渡る。やや掠れたそれはそれ相応の渋味を感じさせながら、それ以上の快活さと活力を感じさせる。

 

「まあまあ、紀伊先生、今日はホント態々ありがとうございます!」

 

「ああ、えでばえでば(・・・・・・)

 

玄関を開けたカブラヤオーの母が、何時もの調子で頭を下げる。その先から顔を出した、白髪頭の紀伊先生が太い眉を落としてにこにこと両手を振った。

 

「そいより、オッ子(・・・)はどしたぁ?」

 

「オーちゃんは……」

 

「おはようございます先生」

 

振り返った母の後ろから、身繕いを終えたカブラヤオーがひょっこりと顔を出す。

 

「おお、オッ子! 準備さ出来たか!?」

 

そのカブラヤオーの姿に、カブラヤオーとミスカブラヤが通う公立学校のおじいちゃん先生がにこにこと喜色を浮かべる。

 

「はい、大丈夫です」

 

その先生の確認に、学校指定の緑のジャージに身を包んだカブラヤオーがピョコンと頷く。愛用の井桁模様の黄色い帽子と背中に背負った大きなリュックがそれに合わせて揺れたのを見て、おじいちゃん先生は「んだかんだか」としきりに頷いた。

 

「んだば行ぐかの?」

 

訛りの強い口調でそう言った先生に、カブラヤオーの両親が「宜しくお願い致します」と頭を下げた。それに紀伊先生がん、ん、と頷いたのを見ながら、カブラヤオーは先生の軽トラの荷台に大荷物を置いて助手席に座り込む。

 

「行ってきまーす!」

 

手回しのガラス戸を引き下ろし、カブラヤオーが手を振ると、両親と、そして後ろからむすっと顔を出したミスカブラヤが手を振り返してくれる。その光景に少し心細さが出たのか、カブラヤオーは紀伊先生の「行くでゃ」という言葉を聞いても、しばらく家族へと手を振り続けたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園。通称トレセン学園とも呼ばれるその学校はこの日、日本全土津々浦々から参集した綺羅星のごときウマ娘達に満ち充ちていた。

 それもその筈。今日はこの日本でも最高峰の競技であるトゥインクル・シリーズへの出場、そして勝利、果ては三冠やトリプルティアラといった神話の中の活躍を夢見る全国各地のエリートウマ娘達が、その登竜門である日本トレセン学園への入学を目指し、鍛えに鍛え上げた肉体を並み居るライバル達にぶつけんとしているのだから。

 元々、日本に限らず富みに人気のウマ娘によるレースではあったが、ここ最近は社会現象すら巻き起こしたと言われる国民的アイドルウマ娘のハイセイコーの存在により、一段とその注目度を上げていた。そんな、世界全体の注目を体現するかのように、道行くウマ娘達は両目に希望を、全身に気合いをみなぎらせていた。で、そんな希望とエネルギーに満ち溢れた学校の前で、

 

「ぴうぅ……」

 

カブラヤオーは道の端に蹲り、大きな両耳を掴んで、ぷるぷると震えて居たのだった。

 

「オッ子、大丈夫だか?」

 

そんなカブラヤオーを心配するように、作業着姿の紀伊先生が大きなリュックサック越しにカブラヤオーの小さな背中を撫でさする。

 最早、隠すまでもないが、カブラヤオーはウマ娘が大の苦手だ。いや、苦手という言葉では生温い。苦手どころか、完全な恐怖症と言ってもよかった。

 その性格の端は幼少期に年嵩のウマ娘から顔面を蹴り飛ばされたことに発しているのだが、その時のトラウマはカブラヤオーの脳裏を越えて魂に未だ色濃く焼き付いており、今日の朝ですら夢にも見たほどだった。そんなカブラヤオーがこんなウマ娘密度の高い場所にやって来たらどうなるか?

 

「みぃぃ……」

 

答えは火を見るより明らかだった。

 

(こ、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いぃっ!!!)

 

元より、六月という極めて遅生まれな上に、他のウマ娘と違い四肢にすらスラリとした風采の見当たらないカブラヤオーが武者震いではなく純粋な恐怖心で震える姿は奇異さどころではなく、いっそ周囲のウマ娘の憐れみすら誘った。しかも、そのウマ娘の表情は青を通り越して白くなり、喉から漏れるひゅーひゅーという息と共におびただしい量の冷や汗を噴き出しているのだ。

 どう見ても、受験生ではないという余裕もあったのだろう。

 

(記念受験にそこまで無理をしなくてもいいんじゃないか)

 

それ故にか、周囲の心情はこの勝負の日にしながら、割りとすんなりとカブラヤオーを慮る方向に傾いた。そして、

 

「そこの。大丈夫か?」

 

そんな周囲の視線にも気付かず、ただただ震え続けているカブラヤオーの背に、不意にそんな言葉が投げ掛けられた。

 それは、ざわつく周囲の喧騒の中で、不思議と耳の真芯にスッと真っ直ぐに入ってくる声だった。

 音は澄んでいる。しかし、楽器のような線の細さは感じさせない。代わりに何処までもどっしりと落ち着いていて、声だけでも主の強い胆力を感じさせるものだった。しかし、それでいて粗野な様子はなく、女性的な艶やかさを感じさせた。

 数多のウマ娘の中にあって、ポンと耳を引くその声に、震えていたカブラヤオーも、その背をさすっていた紀伊先生も、我知らずのうちに動きを止めて顔を上げていた。

 

「え?」

 

果たして、顔を上げた先に顕れた姿に、カブラヤオーは思わずそんな声を漏らしていた。

 

(綺麗……)

 

その瞬間カブラヤオーの胸中に去来したのは、一切の雑じり気のない、純粋なその二文字だった。

 時が止まった。そう、思えるほどの純白の美貌には僅かの染みもなく、真反対のぬばたまの姫そぎが吹き抜けた一陣の風に巻き上げられて、同じく漆黒の尾と共にしなやかに棚引いた。

 一見、日本人形の様にも思える風貌ながら、凛とした眉と大きなアーモンド型の両(まなこ)には力強い意志が渦巻いている。朱の差された唇はきゅっと引き結ばれ、それでいて血色の良い頬は見るからに活力を感じさせる。

 そして、そんな息を呑むほどに美しい相貌をしてなお、人の目を引いたのがその体躯だった。

 まず、女性にしても見るからに長身だ。膂力において人間とは隔絶しているウマ娘だが、耳尾を除いては、その外観は人間とも変わらない。しかし、その前提にありながら、彼女の身長は一般的な女性のそれよりも一回り、小柄なカブラヤオーからすれば二回りも高かった。しかし、その肉体にはひょろりという形容は当てはまらない。いや、四肢は共にウマ娘らしくすらりと長いのだが、がっしりとした肩幅に加えて、何よりも雄弁に日々の鍛練を物語る鍛え上げられた両手足が、見る者にギリシャの彫像の様な印象を抱かせた。

 

―戦士―

 

そんな形容詞が正しいだろうか? だが、その女戦士然とした彼女の身体は、一分の隙もない鍛造とは裏腹に、たっぷりと女性的な肉感に満たされている。

 そんな、彼女の風貌と言わず、体躯と言わす、その全身に魅入ったカブラヤオーは先の二文字を除いて頭の中が真っ白になってしまった。

 

「なあ?」

 

その空白は、そう言って彼女(戦士)が訝しげに首を傾げるまで続いた。

 

「あ、す、すみません! だ、大丈夫でふっ!?」

 

 平々凡々な日常の続き、カブラヤオー本人にとって最大の困難を目の前に、突如姿を現した戦女神を前に、カブラヤオーはどもりながら、そう答えるだけで精一杯だった。

 わたわたと両手を振り、そして逃げ出すように、否、事実その場から逃げ出すためにカブラヤオーは走り出す。

 カブラヤオーからすれば、まず圧倒的な彼女の存在感に気圧されたのがあった。次いで、目の前の美女の頭の上に乗った大きな三角の両耳が、彼女が大の苦手とするウマ娘であることに今更ながらに気が付いたのがあった。そして最後に、我にかえってみれば、目の前のモデル然とした、美少女が多いとされるウマ娘の中にあってなお、中心に立てる一輪花のごとき美人に引き寄せられた数多のウマ娘達の視線に堪えきれなくなったのだった。

 

「オッ子!?」

 

そして、そんな事情の結末として、一瞬でその場から消え去ったカブラヤオーの背に、紀伊先生が声を上げる。しかし、幸か不幸か目の前の美女の登場により、カブラヤオーの思考は一瞬麻痺してしまっていた。そのため、トレセン学園を前に気後れし、近付くにつれて密度を増すウマ娘への恐怖から道端に蹲っていたはずのカブラヤオーは本来とは逆の方、即ち日本ウマ娘トレーニングセンター学園の校内へと走り去ってしまったのだった。

 その光景に、はたと止まったおじいちゃん先生ではあったが、状況的にはむしろ都合が良いことに気が付き、一先ずカブラヤオーを掣肘せずに、その後を追いかける事にしたのだった。

 

「ほぅ……」

 

一方、カブラヤオーに声をかけた長身のウマ娘の方は、一時虚を突かれた様子を見せたが、走り去ったカブラヤオーの奇行を前に、何処か感心した様な表情を浮かべていた。

 

(流石、音に聞くトレセン学園。どうやら、退屈はしなさそうだな)

 

そして、ふっと表情を緩めると、代わりに戦意に満ち満ちた、一種獰猛で、美女がするにはあまりにも凄絶な笑みをつくり、(こら)えかねた過分の戦意に、ぶるりと鍛え上げられた身を震わせたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

(き、来ちゃった……)

 

 そんなこんなで、なし崩し的に会場に飛び込んでしまったカブラヤオーは筆記試験が終わり、実技試験へと会場を移したところで、漸く今の自分の状況を理解してさーっと青くなっていた。

 右を見ても、左を見ても、大量のウマ、ウマ、ウマ、ウマ娘。ただでさえ、大のウマ娘恐怖症のカブラヤオーは薄い胸の内に酸っぱいものが込み上げてくるのを感じずにはいられなかった。

 そして、そんなカブラヤオーの胸中に、周りのウマ娘達への恐怖心と同等に存在したのが、自身への信頼の喪失だった。今この瞬間、実技試験のためのコースに入ってなお、カブラヤオーの中にあった僅かばかりの自信が完全に萎んでしまっていたのだった。

 この日の試験に向けて、カブラヤオーもカブラヤオーなりに努力はしていた。学校の体育の先生だった紀伊先生に付きっきりで見てもらい、毎日勉強も走ることも、この日のために一生懸命頑張っていた。

 実際、元来の真面目な性格もあって、筆記試験に関しては半ばパニックの中にあっても普通に点数は取れていたと手応えも感じている。しかし、これが実技となると小さな小さな自信が霞のように消えてしまう。

 原因は他でもない、先の校門の美しいウマ娘だった。

 元々、自分に自信があるタチ(・・)ではなかったカブラヤオーだったが、それでも日々のトレーニングで積み上げた大切な成果への信頼が、先の超ウマ娘的な彼女の肉体を前に一瞬で掻き消えてしまっていた。

 

(やっぱり、無理だよぉ……)

 

元よりウマ娘が苦手なカブラヤオーは、背も低く、四肢も並みの自分と、端からでも解る彼女の天性の体躯とを比べて、今にもこの場から逃げ出したくなっていた。

 

(多分、ああいうヒトが合格するんだ……)

 

そんな、思いも気泡のように浮かび上がった。

 理も非もなく、一目で解る、最強のウマ娘の理想像とも言うべきウマ娘。であるならば、その正反対な自分は絶対に合格など無理だろう。

 

―ねえ、あれ―

 

―やだ、なんで居るのよ―

 

そんな思いに、ますます顔を俯かせるカブラヤオーのショボンとした耳に、不意に聞き覚えのある話し声が聞こえていた。思わず振り返ったカブラヤオーの視線の先に居たのは、数人でかたまり、カブラヤオーに明らかな嘲笑向けてくるウマ娘の一団だった。

 

(西戸スクールの子達だ……)

 

カブラヤオーは直感した。

 西戸スクールはカブラヤオーの地元にある、一番大きなウマ娘の私塾で、地方のトレセン学園だけでなく、ここ府中へも幾度となくウマ娘を入学させた実績のある走学兼道の学習塾だった。

 カブラヤオーは過去に一度、この私塾に入学するという話があった。

 妹のミスカブラヤがトゥインクル・シリーズのトリプルティアラを目指したいと言い出した頃の事、併せウマに付き合わされたカブラヤオーは、妹のミスカブラヤとのそれに全戦全勝していた。やや年が離れていたとはいえ、見るからに小柄なカブラヤオーの強さに驚いた両親がものの試しにレースの練習をさせてみようと考えたのだった。或いは、このウマ娘が苦手な長女がレースを通してウマ娘達への恐怖症を解消出来ないかとも思ったのかもしれない。

 幸いなことに、カブラヤオーの母がこの私塾の設立に携わった事もあり、この話はすんなりと決まると思われていた。しかし、事はそうはいかなかった。

 その日、ウマ娘の塾と聞いて恐がるカブラヤオーが母に手を引かれて西戸スクールを訪れると、塾長はすぐに会ってくれたものの、塾の入り口で塾内のウマ娘を前にカタカタと震えるカブラヤオーを見るなり、

 

―嗚呼、すみません、そういえば現在当塾の席は一杯でした―

 

と、けんもほろろにカブラヤオーの入塾を却下したのだった。恐らく、カブラヤオーの様子に加えて、体格的にも目を引くところが無いことが決め手だったのだろうが、それにしてもにべもなかった。

 その塾長の言葉にカブラヤオーの母が色をなしたものの、塾長は首を横に振るばかり。その内、塾長と何事か言い争うカブラヤオー達を不思議に思ったのか、塾生のウマ娘が教室からひょっこりと顔を出した。

 

―ぴいいいいいいいいいいい!!―

 

その時、既に一杯一杯だったカブラヤオーは突如顔を出したウマ娘の姿に、とうとう堪えきれなくなり、その場から脱兎のごとく逃げ出してしまったのだった。背中からドッと響いた笑い声は、今でもカブラヤオーの記憶の中にこびりついていた。

 結局、そんな経緯で入塾が取り止めになった矢先、流石に自分の意気地の無さに落ち込むカブラヤオーを見て、心配した担任の紀伊先生が家庭訪問にやってきて、カブラヤオーの母から事のあらましを聞くに至り、憤慨した様子で「オッ子の事さ、おらが育てっでば」と鼻を鳴らしてくれたのだった。

 なお、紀伊先生も体育の先生とはいえ、ウマ娘のトレーニングに関しては全くの素人で、カブラヤオーの体を見て、

 

―丈夫そうな足しでっさげ、大丈夫だぁ―

 

という有り様だった。

 しかし、そんな環境だったのが、カブラヤオーにはかえって良かったのかもしれない。

 学校が終わった後、グラウンドの端で紀伊先生からマンツーマンで指導を受けたカブラヤオーは他のウマ娘の姿に恐がらせられる事なく、のびのびと練習に打ち込むことが出来たのだった。

 早くから、きちんとした塾や予備校に通うウマ娘達に比べれば、あまり上手く走れるようにはなれなかったが、それでも先生は最後の最後まで、根気強くカブラヤオーの練習に付き合ってくれていた。

 

「……」

 

そこまで思い起こしたところで、カブラヤオーはきゅっと小さな唇を引き結んだ。

 

(怖いけど、怖いけど……)

 

我知らずのうちに握り締めた両手が、僅かに白くなる。

 

(出来ることは……やらないと)

 

周りのウマ娘の波には、変わらず恐怖しか浮かばず、仮に合格できたとしても、その後の学園生活には不安しかない。それでも、

 

(お父さんにもお母さんにも先生にも……ミーちゃんにも)

 

申し訳が立たないよ……。そんな思いがカブラヤオーの胸中には小さな渦を巻いていた。

 ウマ娘は怖い。夢に見るだけでなく、今この瞬間も周囲を掻き分けて逃げ出したいほどに。

 そんな、ウマ娘への恐怖心の中心で、小さなカブラヤオーは両親や妹、先生の顔を思い浮かべ、もう一度精一杯の勇気を奮い立たせるのだった。

 

「次! 20番から38番!!」

 

試験官の先生の声が響き、両隣のウマ娘の視線が俄に熱を帯びる。その中の四番目がカブラヤオーの番号だった。

 先に位置につく他のウマ娘の姿に、カブラヤオーは頭がくらくらしそうになりながら、それでもソロリソロリと前に進み出た。先程から強く鳴る鼓動はいよいよもってその威を増して、今にもカブラヤオーの薄い胸元を突き破らんばかりに高鳴った。カラカラになった喉で固い唾を飲み込んだ瞬間、ドッと肩に衝撃を感じた。

 

「えっ?」

 

咄嗟に振り返ったカブラヤオーの前に居たのは、自分の次の番号のゼッケンを着けた、先の一団の中心に居た西戸スクールのウマ娘で、

 

「記念受験のつもりなんでしょうけど、地元が一緒だからって、あんたみたいな落ちこぼれと同列視されるの、すっごい迷惑なのよ」

 

その彼女が威嚇する様に、半ば小馬鹿にした流し目と共に、そう吐き捨てた。

 

「記念受験なら記念受験らしく、立場を弁えて引っ込んでなさい」

 

そして、彼女のその言葉にカブラヤオーの気がすーっと遠くなった瞬間、

 

―パンッ―

 

軽い空砲が、意図も簡単に戦端を切り開いてしまったのだった。

 

 

 

 

 




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