よわよわ狂姫伝 カブラヤオー!   作:ギルドパクト

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怪走

 カブラヤオーのトレセン学園での第一走は酷く不恰好な形で始まった。

 直前のウマ娘からの言葉に気を取られて一歩出遅れた上に、空砲の瞬間、更に一つ威嚇を入れられたのだ。

 

「ぴっ!?」

 

本能的に、横っ飛びになって逃げ出した体に対し、僅かに意識が踏ん張ってしまった結果、視線だけが真っ直ぐに前を向いている。

 

―ああっと! 一人出遅れたぁ! ゼッケン23、カブラヤオーだぁ!!―

 

次いで聞こえた実況の声に、はっと我に帰ったカブラヤオーは慌てて小さくなる他のウマ娘達の背中を追いかけ始めた。

 

(ど、どうしよう!?)

 

既に他バから五バ身は離された状況に、半ばパニックになりかけるも、

 

(と、兎に角、コースに戻らないと)

 

と何とかライン取りをコースの内へと向ける。が、

 

「ぴっ!?」

 

カブラヤオーは再び悲鳴と共に、トラック外角へと飛び退る。コースへと戻ろうとした瞬間、前の集団の最後尾についていた、件の西戸スクールのウマ娘から向けられた恨みの籠った視線に、再び恐怖が顔を出したのだった。

 実際のところは焦燥からくる八つ当たりに近い感情だったのかもしれない。

 ここは日本レースの最高峰、トゥインクル・シリーズを目指す全国各地のウマ娘達の登竜門。自分達が英才教育を受けたウマ娘ならば、相手も日本全土で鳴らした、脚に(・・)覚えのあるウマ娘達。その戦いは、いくら同年代のウマ娘達のリーダー格とはいえ、一地方の私塾エリートでしかないウマ娘が圧倒出来る程、生易しい訳もない。当然、その程度は心していただろうが、想定以上の苦戦を強いられたのだろうか、はたまた直前に地元の落ちこぼれ(カブラヤオー)を見たために気がほんの僅かに緩んだためだろうか、本人の胸の内以下の戦況への苛立ちがその視線には多分に込められていたのだった。

 と、冷静に見れば、そういった感情も読み取れるのだろうが、カブラヤオーはカブラヤオーで、そういった余裕があるわけもない。コースの内に戻ろう戻ろうとラインの切り替えを行う度に、それに気付いた西戸スクールのウマ娘から向けられる憂さ晴らしに、直ぐ様外縁へ逃げては、またよろよろと内角へ戻るという異様な行為を繰り返してしまう。

 

「おい、なんだあれ」

 

レース集団の外側でグネグネと蛇行しながらついていくカブラヤオーを見て、観客やトレーナー席の方でも俄に困惑の声が上がる。

 極めて単純な話として、レースはなるべく短い距離を走る方がタイムは良くなる。無論、コースの状態や他バとの駆け引きの過程で、その原則に多少の変動は生まれるが、少なくともあのウマ娘(カブラヤオー)の様に、わざわざ自身の貴重なスタミナを棄てるような走りは、試合放棄と取られても仕方のないそれだった。

 

(く、苦し……)

 

勿論、カブラヤオー本人にはそんなつもりはなかった。前集団の最後尾、自分のすぐ目の前に居る西戸スクールのウマ娘からの度々の威嚇に振り回されながらも、レース直前に決めた、自分の全力を尽くすという決心は少しも変わらずにいた。しかし、

 

「ぴっ!?」

 

次第に血の味を帯び始める呼気と、何とか内に入ろうとする意識とは裏腹に、胸の内に深く根付いた恐怖心だけが、自分の言うことを聞いてくれないでいる。

 

(う、内側……)

 

「っ!! しつっこいわよっ!!」

 

それでもと再びカブラヤオーが集団に接近するも、西戸スクールのウマ娘がとうとう視線のみで止まらず、ヒステリックな声を上げる。

 

「ぴっ!?」

 

その恫喝にカブラヤオーが悲鳴を上げた時、レースは既に残り半分を切っていたのだった。

 

 

 

―やっぱりダメだよ……―

 

 再び遠ざかる先頭集団を、何処か余所事の様に思いながら、胸中にある自分ではない自分が、諦念したように、そう漏らした。

 

―私なんかがトレセン学園なんて、無理だったんだよ―

 

その、もう一人の自分がそう続ける。

 

「……」

 

その言葉に、カブラヤオーは押し黙る。既に熱く血の味のする呼気が湯だたせた脳が、それでもその言葉を理解する。

 胸の内の、もう一人の自分の言葉は正論だ。前を行くウマ娘の集団が19名。その、18番目のウマ娘にはね除けられて、自分はバ群からも離れた一番最後のビリッケツ。

 理性的に考えれば、何処までもその言葉は正しかった。

 

(だって怖いよぉ……)

 

その状況に、今度は胸中が我知らずのうちに言い訳を吐いた。

 カブラヤオーの今の状況はすべからく、過去のトラウマに端を発した、その一点に集約されてしまう。

 地元の有名スクールに入れなかったのも、入学レースでこんな走りをしているのも。だから、

 

(無「オッ子! がんばれぇ!」

 

カブラヤオー自信がとうとうその言葉を発しそうになった瞬間、絶えずざわめく群衆の中から、必死に絞り出された、一条の言葉が耳に届いた。

 

「!?」

 

くたりと(しお)れていた、カブラヤオーの両耳がピンと立ち上がった。

 

(紀伊先生!?)

 

そのかすれ気味の、けれどとても耳に馴染んだ声に、血色になっていたカブラヤオーの視界が不意に彩を帯びた。

 

「オッ子! がんばれぇ!」

 

もう一度、同じ言葉が。数多の歓声に押し包まれながら、それでも自分を勇気づけようと、そんな想いと共に絞り出された言葉が。

 

(あ……)

 

その瞬間、カブラヤオーの脳裏に、これまでの記憶が走マ灯のように駆け巡っていく。

 

―信じてるぞ―

 

―オーちゃんならやれるわよ―

 

(お父さん、お母さん……)

 

―お姉ちゃんが負ける訳ないでしょ―

 

(ミーちゃん……)

 

―大丈夫だぁ、オッ子―

 

(先生……)

 

今だ鮮明なその記憶。皆との大切な思い出。その思い出に、

 

(私は……)

 

知らず知らずの内に、ギュッと下唇を噛んでいた。

 

「……やだ」

 

ぽつりと漏れた、言葉。込められた力に小さな両手の指が白くなる。

 

「このままじゃ……嫌だよ」

 

何時も周囲の環境に翻弄されてばかりのカブラヤオーが、初めて口にした自分の意志からの拒絶だった。

 

「私、まだお父さんにもお母さんにも、先生にもミーちゃんにも……何も応えられていない」

 

(じゃあ、どうするの?)

 

胸の内の自分が、そう問うてくる。

 

「……」

 

怖い。ただでさえウマ娘が怖いのに、威嚇までされている。怖い。先の視線を思い起こせば、それだけで疲労とは別の汗がどっと噴き出してくる。今のままでは、絶対に前には行けない。

 

(じゃあ、どうするの?)

 

重ねて、もう一人の自分が呟く。

 カブラヤオーには前に行くことは出来ない。記憶どころか魂の奥底にまで刻み込まれた、ウマ娘に対する恐怖心は表情どころか両足をも強張らせ、凍て付かせてしまう。前に出るには、例え無理でも不可能でも、これ(・・)をどうにかしなければならない。

 

「……」

 

胸の動悸が一段と強まり、ぜひゅーぜひゅーという呼吸音がテンポを上げる。それは、身体が限界を迎えている……訳ではなかった。そうではなく、カブラヤオーの脳裏に一つだけ、たった一つだけ、解決策が過ったのだ。しかし、

 

(怖い……)

 

幾分マシではあっても、それでもなお対ウマ娘恐怖症のカブラヤオーにとっては絶望的な決断にはかわりなかった。しかし、

 

―さあ来ました、初々しいウマ娘達の一団。残りゴールまでは目算でおよそ400m!―

 

実況席から聞こえる、興奮した声音が残り猶予がほんの僅かでしかないことを告げてくる。

 

(怖い……)

 

それでも行かなければならない。

 

(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い)

 

決断の時は既に来ており、

 

(怖いけど、怖いけどっ……)

 

カブラヤオーは意を決して瞑目する。

 

(行かなきゃ!!)

 

賽は投げられた。

 

 

 

 

「ほぅ……」

 

 先の歓声とは全く別質の、困惑とも唖然ともとれない怒号に満たされた観客席の前で、一人腕組みをして自身のライバル達を睥睨していた長身のウマ娘が、常日頃から超然とした彼女には珍しく、少しだけ驚いた様子で眉尻を持上げた。視線の先にあるのは、現在最後のデッドヒートを繰り広げるウマ娘達の一団……の最後尾から、コースの外ラチ沿いを轟音と共に斬り裂く、小柄な体躯のウマ娘の姿だった。

 正直、初めて(まみ)えた時の第一印象は少々トレセン学園受験生とは考えにくい、有り体に言ってしまえば野暮ったい外見のウマ娘というものだった。

 加えて、何故か道端で踞るという奇行をやめて立ち上がってみれば、自身よりも体格的にも優れて見えるところは一片もなく、希に居ると言われる記念受験組かとも錯覚するほどだった。もっとも、そんな愚かしい自身の思い込みは、その後の彼女の走りで雲散霧消してしまったが。

 あの小さなウマ娘は声を掛けられると、激しく動揺しながら視線をさ迷わせ、そして、一瞬の内に目の前から消え去ってしまったのだった。その一瞬の光景により、小さなウマ娘が単なる凡百のそれではなく、危険な上にも危険なライバルに成り得るウマ娘だと思い知らされた。

 

「見事だ」

 

そんな、小さなウマ娘への称賛の言葉を呟くと共に、自身の目利きが欠片も誤っていなかった事に彼女は満足そうに頷いた。

 そして、内心の逸る気持ちを抑えながら、あの小さなウマ娘について、顔馴染みの周囲の二三のウマ娘達に聞いて回る。あれほどの走りをする者であれば、何かしら知っている者も居るかもしれない。が、そんな彼女の期待とは裏腹に、周囲の―幼少期から全国レベルでしのぎを削り合った―ウマ娘達に訪ねれども、あの暴走を見せるウマ娘に見覚えのある者は一名たりとも居なかった。

 黒髪の彼女はその事実を確かめると、心底愉快そうに哄笑した。そのあまりの大喝に、周囲が驚いてどうしたのだと尋ねると、得体の彼女は「なに」と牙を剥いて獰猛な笑みを浮かべる。

 

「全国は広いと思っただけだ」

 

その視線の先には17のウマ娘をごぼう抜きにする、小さなウマ娘。

 

「やはり、来て良かった」

 

彼女は続ける。

 

「トレセン学園……愉しい毎日になりそうだ」

 

その言葉が聞こえたのだろうか、トラック中の小さなウマ娘がとうとう先頭を逃げる一名の尾へと喰らい付いたのだった。

 しかし、と不意に彼女の取り巻きのウマ娘が首をかしげる。

 

「あのウマ娘、目を瞑ってません?」

 

その言葉に、黒髪のウマ娘含むその群れがきょとんとした様子で三々五々顔を見合せあう。中には明確に困惑や顔を青くするウマ娘も居た。

 当然と言えば当然だろう。レース時のウマ娘の疾走は最高時速60~70km/hにものぼる。加えて、その間に身体を支えるのはウマ娘らしいすらりとした二本の足の内の一に過ぎない。いくらコースが整備されているとはいえ、そんな中で余所見などしようものなら忽ちの内に両足はスリップし、事故になる。まして、そんな中で独り外ラチ沿いに居るとはいえ、目を瞑るなど、幼い頃から徹底してエリート教育を受けた大多数の受験生からしたら、勇気を通り越して暴挙にしか映らなかった。

 

「……そういう走法もあるのかもしれん」

 

やがて、周囲と同じく絶句していた彼女の漏らした言葉に、取り巻きのウマ娘達は揃って「それはないでしょう」と胸の内で呟いたのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 一方のカブラヤオーはただ独り暗い闇の中を進んでいた。

 ウマ娘達への恐怖と、それでもなお勝利を望む感情の末に思い付いた、瞑目しての全力疾走という、自棄(やけ)ともつかない戦術に、カブラヤオーは自身の命運を託した。本来であれば、ウマ娘を追い越すことよりも遥かに勇気の要る筈のその走法は、しかし、カブラヤオーにとっては他バへの恐怖に比べれば大したことには思われなかった。それよりも大事なのはコースの遥か内側から時折聞こえる、「えっ!?」「なっ!?」「うそ!?」といった、散発的な声だった。

 どの程度遠くからかは分からないものの、少なくとも自分を認識するウマ娘が居るという恐怖に、思わずブレーキを掛けそうになりながらも、カブラヤオーは努めて直進に邁進した。

 

(もっと。……もっと!)

 

全力を。もっともっと全力を。

 外の風景が見えないが故に、今の自分の位置が分からず、際限なく全力を出すしかないカブラヤオーはただただ過熱する四肢に闇雲に力を送った。

 ぜひゅーぜひゅーとなる喉、ドクドクと鳴る胸。限界に近い肉体の中で、クラクラする頭だけがそれでも「もっともっと」と気炎を上げている。

 

(く、苦し……)

 

しかし、そんな無茶な走りでは当然ながらいずれ限界が訪れる。

 心臓の早鐘と、四肢の動脈の脈動がシンクロし、とうとうカブラヤオーという一個の生命そのものが、騒音撒き散らす心臓そのものへと成り果てたかとすら錯覚する。が、

 

(ま、まだ……)

 

それでも、カブラヤオーは加速を選んだ。

 レースに勝つためにはそれしかないのもあった。現在の自分の位置が不確かなのもあった。そして何より、今のカブラヤオーは既に他バの前に出てしまっている。

 絶対ではないが、それでも恐らく何人かは抜かしてしまっている。

 

(……やだぁ)

 

つまり、少しでも歩を緩めれば、後ろから追い縋る他のウマ娘達に急接近されかねないのだ。

 結局、此れまで自分を邪魔していた恐怖心が最後のブレーキを破壊してしまう。

 

「!!」

 

ばくばくと鳴る心臓で、とうに限界を迎えてしまった両足に血を送る。当然のごとく限界を超えて回転する四肢に鮮血を取られて、視界が黒から白へと塗り替えられていく様な錯覚を覚えた瞬間、

 

―一着ダイヤモンドアイ! そして、二着はなんとカブラヤオー!! 4番のカブラヤオーです!!―

 

突如響いた自身の名前に、その意識を強引に元の世界へと引き戻されたのだった。

 

―ゴール前の直線まで最外角を独り蛇行していたカブラヤオーが、ほんの一瞬で他バの群れを引きちぎり、あわや一着の大健闘!! 追撃を振り切れたのは一着のダイヤモンドアイただ一人! しかし! しかし!! 外ラチ沿いへのライン変更に度重なる蛇行! 他バよりも十バ身は長い道程を駆けてなお、僅かハナ差に詰め寄る爆発力!! これは今後が楽しみで仕方のないウマ娘が現れました!!!―

 

興奮した様子の実況席からの声に、ぜひゅーぜひゅーと鳴り続ける呼気の中で、今だレースの余韻に包まれたままのカブラヤオーは朧気ながらに、自分が二番目にゴールテープを切ったことを理解する。

 

「な、何なのよあんた……」

 

へたりこんで、荒く息を吐いていたカブラヤオーの耳に、自分と同じくぜーぜーというノイズにまみれた声が届いた。

 のそりと顔を上げたカブラヤオーの前に居たのは、一人だけ自分よりも先にゴールラインを割ったウマ娘だった。そのウマ娘は自分を振り返り、そして何故か顔色を青くしながら絶句している。

 

「えっと……」

 

今だ全身の狂騒から抜け出せないカブラヤオーは、ふわふわとした思考のまま雲一つない晴天を見上げた。

 体温もあって少し暑い。けれど、そんな空の下を涼やかな風がさらりと流れた。

 

「……」

 

ミントの清涼感に触れたように、不意に鮮明になった意識。ふと我に帰ったカブラヤオーの耳に真っ先に飛び込んできたのは、

 

「「「「「わああああああああああ!!!!」」」」」

 

蒼天を衝かんばかりの大歓声だった。

 

「えっと……」

 

反射的にぺたりと耳を伏せたカブラヤオーは、その歓声が自分に向けられている事にコテンと首をかしげる。

 そして、若干戸惑いがちに辺りを見回した瞬間、

 

「ぴっ!?」

 

ゴールラインの内で、爛々とした両目で自分を包囲するウマ娘達の視線。一人残らず芝生の上に倒れ伏した異様な光景を前に、カブラヤオーの恐怖心と生存本能が即座に警戒レベルを最高位に引き上げる。

 

「あ、い、い……」

 

その状況に色を失うカブラヤオー。歯の根のカチカチという震えが一瞬で全身に飛び火し、体中がガタガタと震え出す。そして、

 

「いやあああああああああああああああああ!?!?」

 

とうとう堪えきれなくなり、その場から逃げ出すカブラヤオー。

 敏捷に立ち上がり、1200mを走り終えた直後とは思えないスピードで試験会場から消え去ったカブラヤオーに、その場にいた者の多くがあんぐりと口を開ける。

 

―モノが違う―

 

一同の胸に、そんな認識を深く深く刻み込んだカブラヤオーは、

 

「みぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?!?」

 

試験会場の外にも多く歩いていた、トレセン学園の在校生の姿にパニックを起こし、一陣の風となって学園からも逃げ出したのだった。

 

 

 

 

「見たかしら?」

 

 そんなカブラヤオーを見詰める観衆の中に、二つの毛色の違う視線があった。

 問い掛けたのは黒い髪に銀縁メガネの妙齢の女性。

 

「はい」

 

頷いたのは鹿毛に流星のウマ娘。こちらは白と青の制服を身に纏っており、一目でトレセン学園の生徒であることが分かる。

 

「信じられない爆発力でしたね。それに1200とはいえ、あんな蛇行を繰り返せば、普通は使わない筋肉にも負荷を掛けますから、そこからとなると……」

 

「そうね」

 

 恐らく、トレセン学園のトレーナーだろうか? 立ち振舞いがやけに様になっているウマ娘の言葉に、こくりと頷き返したその女性は何事かを思案する様子で自分の顎を撫でた。

 

「トレーナー?」

 

小首を傾げた隣のウマ娘に、トレーナーの女性は「決めたわ」と顔を上げた。

 

「今年の新入生勧誘は二名。内一名は前に話していた通りの彼女。そして、もう一名は」

 

「あのウマ娘……ですか」

 

ウマ娘の確認にトレーナーは首肯する。

 チームのキャプテンを務める彼女としても、先の走破力を見る限り、例え二位であったとしても、あの小さなウマ娘への勧誘に否はなかった。

 チームのトレーナーとリーダーの意志が統一されたところで、トレーナーの方が「けど」とおもむろに呟く。

 

「カブラヤオーなんてウマ娘、居たかしら?」

 

「ジュニアでは聞いたことがないですね」

 

それに応えて首を横に振る教え子に、トレーナーは再び「ふむ」と呟いた。

 

(やっぱり、最近実力を付けてきた娘かしら?)

 

そして、そんな感想を思い浮かべながら、次のレースに目をやったのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 あの試験から数日過ぎた。

 

「で、どうだったの?」

 

「んむ?」

 

モソモソと朝食を頬張っていたカブラヤオーに、妹のミスカブラヤが問い掛けた。

 

「んむ? じゃないでしょ」

 

きょとんとした様子で首を傾げるカブラヤオーに、ミスカブラヤは眉をひそめる。

 

「今日、合格発表でしょ」

 

「あ。あー……」

 

妹の言葉にようやく合点がいった様子のカブラヤオーに、ミスカブラヤは深く深く溜め息を吐く。このウマ娘嫌いの姉(カブラヤオー)は、普段はウマ娘に萎縮しっぱなしなのだが、それ以外のことに関しては豪胆というか、むしろかなり図太い性格をしている。

 

「で、何時からなの?」

 

「えっと、確か9時」

 

「もう始まってるじゃない!?」

 

カブラヤオーの答えにミスカブラヤが悲鳴を上げる。居間に掛けられた柱時計は既に十時半を指している。

 

「あーもう、お姉ちゃんは!」

 

ぷりぷりと怒った様子で(かぶり)を振ったミスカブラヤは居間に置いてあった家族共用のパソコンのスイッチを入れる。

 

「受験番号覚えてる?」

 

「へぅっと……」

 

ギラッと僅かに殺気の籠った視線を向けてくる妹に、カブラヤオーはピョンッと跳び跳ねてキッチンの冷蔵庫に向かう。そして、取ってきたのはずんぐりとした緑色の鏑矢を模したメモ。その中には1975-7と書かれている。

 

「いちきゅーななごの……ななっと」

 

妹のミスカブラヤがカブラヤオーの受験番号を打ち込んでいると、それに気付いたらしい両親がいつの間にか居間に集まっていた。

 開かれたのは簡素な合格通知のページ。白地に無味乾燥な活字体で四桁と一つの数字が羅列されている。

 

「「「……」」」

 

両親とミスカブラヤが誰とも知れず、こくりと唾を飲んだ音がした。ちなみに、当のカブラヤオーは特に緊張した様子もなく、妹の隣で受験番号の羅列を追っている。

 

「いちきゅうななごのなな」

 

父がそう言った。

 

「いちきゅうななごのなな……」

 

つられて、母もそう言った。

 

「いちきゅうななごのなな!」

 

ミスカブラヤが祈るようにマウスに力を込めた。

 

「あ、あった」

 

真っ先に気付いたカブラヤオーが一番左上の文字を指差した。

 

 

 

1975-7

 

 

 

確かに、そう刻まれていた。

 

「「「……」」」

 

その事実に一人暢気に「わーい」と喜ぶカブラヤオー。一方の家族の方はと言えば、一瞬絶句した様に顔を見合せていた。

 

「へう?」

 

不意に、小さな身体にドスッと響いた衝撃にカブラヤオーが首を傾げる。果たして、そこに居たのは自分に寄りかかり、ぎゅっと腰に手を回してくる(ミスカブラヤ)だった。

 

「ミ、ミーちゃん?」

 

突然の妹の行動に、僅かに困惑の表情を浮かべるカブラヤオー。

 

「……」

 

一方の妹の方はカブラヤオーに抱きついたまま一向に顔を上げる様子がない。

 

「え、えっと……」

 

助けを求めるようにキョロキョロと辺りを見回すカブラヤオー。流石に妹に対して一心不乱の当否をすることはないが、それでも怖いは怖いのだ。

 

「「……」」

 

一方の両親の方はと言えば、そんな娘二人のことを実に珍しいものを見る目で眺めている。

 

「ミ、ミー「良かった……」

 

カブラヤオーが兎に角何か話さないとと口を開いたのとほぼ同時に、カブラヤオーの薄い胸に頭を当てていたミスカブラヤがポツリと漏らした。

 

「へう?」

 

キョトンとするカブラヤオー。そのカブラヤオーの耳に、小さな嗚咽の音が届いたのだった。

 

「……」

 

少し戸惑いつつも、カブラヤオーがおずおずとその背中を撫でると、ぐしゅっと鼻をすする音がする。普段はツンとしている妹の姿に、カブラヤオーは静かにそれを続けたのだった。

 

 

 

 

 数分後。カブラヤオーの家のダイニングには和やかな安堵の空気と祝福の声があった。

 

「……」

 

なお、一点、ミスカブラヤのみが先程から不機嫌そうに腕を組んでそっぽを向いているが、その頬が赤く染まっているあたり、どうやら照れているだけらしい。

 

「……不覚よ」

 

むすっとしながら、ミスカブラヤはそう言うものの、先の姿と今の表情、そして、照れくさそうに頬を掻くカブラヤオーを見比べて、両親の方はほほえましいものを見る目になるだけだった。

 やがて、抵抗を諦めた様にふぅと溜息を吐いて顔を戻したミスカブラヤだったが、不意に何かを思い出した様にぴたりとその動きを止めた。

 

「ミーちゃん?」

 

目ざとくそれに気付いたカブラヤオーが首を傾げるのと同時に、妹のミスカブラヤは「そういえば」と訝る様な表情になる。

 

「今まで一度も気にしなかったっていうか、気にする余裕が無かったんだけどさ」

 

「うん」

 

「お姉ちゃん、寮生活って大丈夫なの?」

 

「…………………………え?」

 

その言葉に、カブラヤオーは一瞬理解が追い付かなかったのかピシリと硬直したまま暫く言葉が出なかった。

 やがて出た疑問符と共に、ギギギッとミスカブラヤの方を振り返る。

 

「もしかして、忘れてたの?」

 

トレセン学園は全寮制だ。というか、カブラヤオーの家から通うのは普通に無理がある。

 どうやら、両親含めて、受験への不安と合格への安堵で、今の今まですっかり忘れていたらしい。

 呆れるミスカブラヤの前で、先の落ち着きは何処へやら、急にあわあわと慌てだすカブラヤオー。やがて、

 

「……きゅぅ」

 

「「「あ」」」

 

逃げられない未来(ウマ娘との寮生活)に恐怖心が限界へと達したのか、カブラヤオーはその場でぽてっと突っ伏してしまうのだった。

 

「本当に大丈夫かなぁ……」

 

慌ただしく席を立ち、カブラヤオーを介抱する両親と、ぐるぐると眼を回す姉を見比べて、ミスカブラヤは思わず天を仰いだのだった。

 

 

 

 

 




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