よわよわ狂姫伝 カブラヤオー!   作:ギルドパクト

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入学式

 春麗かな朝陽の中、日本トレセン学園はその一年で最も爽やかかつ華やかで、そして何よりも瑞々しい一日、今年度の入学式を迎えようとしていた。

 校門に向かうのは、多くの期待と僅かな緊張を胸に携えた数多のウマ娘達。その、常よりも引き締まった美貌と、真新しく、まだ少しだけ着慣れていない様子の空模様の制服が、何処か初々しさを感じさせる。

 そんな、遠巻きにその光景を眺める幼子には憧憬を、成人にはある種の寂寥を覚えさせる景色の中で、

 

「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理っ!!!」

 

全くもって、爽やかではない一団の姿があった。

 周囲の唖然とした視線に晒されるその一団の、更にその中心、カブラヤオーはトレセン学園校門前の最後の電柱にガッシリとしがみつき、魂の「無理っ!!!」を連呼する。

 元々、大のウマ娘恐怖症のカブラヤオー。先の受験日には受験のこともあって、やや気が紛れていたこと、在校生の方が殆ど登校しておらず、今日よりもウマ娘が少なかったこと、そして何より、最後の最後は殆ど事故みたいな形で校門を潜ったという、多分に運と偶然の力によってトレセン学園に入ることが出来たのだが、今日はそうはいかなかった。

 まず、単純にウマ娘の数が多い。受験日にも多いと思ったが、それでも現在往来に満ちているウマ娘の半分も居なかった。第二にそんなウマ娘の多くが闘志をみなぎらせている。先の受験日も殺気はあったのだが、今のウマ娘達は皆、これから来るトゥインクル・シリーズへの期待に胸を膨らませているからだろうか、闘志だけでなく気力にも満ち溢れており、存在感という意味では過日の比ではなかった。

 そして、そんな多くのウマ娘の姿に、始めは恐々、次第にカタカタと震えだし、そして校門を目の前にして、とうとうカブラヤオーの心はポッキリと折れてしまったのだった。

 

「いやだああああああ! 帰るううううううう!!」

 

「だぁ、重っ!! っていうか、固っ!? どんなバ(りき)してるのよっ!?

 

泣き叫ぶカブラヤオーを何とか電柱からひっぺがそうとするミスカブラヤが姉の火事場の馬鹿力に悲鳴を上げる。

 

「オッ子! 大丈夫ださげっ! オッ子!」

 

もしものためと言って、入学式についてきてくれた紀伊先生も、絶叫するカブラヤオーを宥めるように声を上げる。

 

「うーん、まさかここまでとは……」

 

父親の方は半ば関心とも呆れともつかない溜め息を漏らしながら、(カブラヤオー)の袖を引っ張っている。そして、そんな四人の様子を見て、

 

「擽りなさい!!」

 

後ろに立って見守っていた母親が、不意に決然とした表情で喝を入れる。

 

「!!」

 

その言葉にいち早く反応したミスカブラヤが電柱にしがみつくカブラヤオーの脇の下に手を入れる。

 

「へぅ? ぴ、みううううううう!?!?」

 

そして、すらりとした指をわちゃわちゃとかき混ぜると、その感触に、常ならくたりと萎れている両耳をピンッと立たせて、顔を真っ赤にしたカブラヤオーがパッと両手を離してしまう。

 

「あうっ」

 

そのまま重力に引かれて、ぽすりとお尻から墜落するカブラヤオー。

 

「離したわね」

 

そんな彼女の背後から、地の底から響くような声が鳴る。

 

「ふぇ?」

 

ひょいっと振り返ったカブラヤオーの目の前にあったのは、

 

「まったく、この子はこんな日まで手こずらせて……」

 

笑顔を浮かべながら、ゴゴゴと地鳴りが起こりそな程の憤怒のオーラを背負った()の姿だった。

 

「ぴっ!?」

 

普段であれば、ウマ娘以外にはむしろ豪胆なカブラヤオーが珍しく悲鳴を上げる。一方の母親の方は腕組みをしたまま「あなた! ミー!」と叫び、

 

「やっておしまいなさい!!」

 

「「……はい」」

 

顔を見合わせた父親とミスカブラヤは「何を?」とは聞かない。聞かなくても大体何を言っているのかを察せる程度には家族仲も良いし、それ以上にここで「何を?」などと聞けば、忽ち自分達が血祭だ。

 

「ひうっ!? えっ!? あ!? えっ!?」

 

混乱するカブラヤオーににじり寄った二人は、その小柄な体を持ち上げると、そのまま右の肩に担ぎ上げる。

 

「「……」」

 

そして、唖然とする観衆を前に、何処か死んだような目で、えっほえっほとトレセンの敷地内へと走り去ったのだった。

 

「さあ、行きましょう、紀伊先生」

 

「!!」

 

残された紀伊先生も、教え子(カブラヤオー)の母親の限りなく澄んだ微笑に、何故か根源的な恐怖を刺激されてガクガクと首を縦に振る。そして、何処か貫禄のある所作で優雅に歩き出すカブラヤオーの母親の後をわたわたと追いかけるのだった。なお、

 

「おー!!」

 

そんな、珍妙極まりない光景に絶句する観衆の中で、一人だけ目を輝かせる、長身の栗毛ウマ娘の姿があったとか。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 そんな、紆余曲折を経て栄光ある日本トレセン学園入学式に臨んだカブラヤオーは、

 

「……」

 

今にも気絶しそうなほどの恐怖に襲われていた。

 早朝の校門で、既に限界に達していたのが、母親の力技で有無を言わさず放り込まれ、あれよあれよという間に指定された席に着席させられたカブラヤオーは気付いた時には既に四方八方を多くのウマ娘に包囲されてしまっていた。

 

(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!!)

 

普段であれば脱兎のごとく逃げ出しているが、こうも周囲を押し包まれては逃げる事も難しい。それ以前に、ウマ娘への恐怖心が無ければ、基本穏やかで真面目な彼女には流石にこの場を台無しにしてしまう様な行為は無理だった。

 結局、カブラヤオーに取れる選択肢は、周囲への恐怖を押し殺して、何とか入学式が早く終わる事を祈る事だけだった。が、それもそろそろ限界である。

 

(見られてる? 見られてる!?)

 

数多のウマ娘に囲まれるのみならず、その視線が自分に向いている事への恐怖により、カブラヤオーの精神は一杯一杯であった。

 因みに、カブラヤオーの認識は自意識過剰でもなく、単なる事実だった。入学式の最中、青い顔でがたがた震えるカブラヤオーの姿は非常に目立つ。しかも、

 

―ねえ、あの子……―

 

―ええ、確か……―

 

そのうちの何名かは入学試験でのカブラヤオーの狂走を未だ克明に記憶していたのだから。

 もっとも、そんな事実はカブラヤオーにとっては恐怖心のスパイスそのものでしかなく、

 

(あ、蝶々……)

 

その積み重なった恐怖心がふつと臨界点を迎え、すーっと気が遠くなるのを感じていたのだった。

 

 

 

―新入生答辞。新入生代表テスコガビー―

 

「はい」

 

 

 

そんな、現実逃避と共に昇天しかけているカブラヤオーを、不意に届いた聞き覚えのある声が現実へと引き戻した。

 

「?」

 

音は若く、されど毛色は大人びた、総じて活力に満ち満ちたその声に引っ張られる様にして、現実に戻されたカブラヤオーはふっと思わず俯いた姿から顔を上げていた。

 

「あ……」

 

(あの子だ……)

 

果たして、ひしめき合う新入ウマ娘達の前で、一人壇上に上がっていたのは、あの日カブラヤオーに声を掛けた、漆黒のウマ娘だった。

 

「テスコガビー……さん」

 

思わずといった素振りで、壇上の彼女の名前を口ずさむカブラヤオー。

 

(綺麗……)

 

その名と共に胸中に訪れたのは、何のてらいもない感想だった。

 カブラヤオーも今までに少なくないウマ娘を見てきた。しかし、その記憶の何処を探っても、壇上の彼女程、威風堂々としたウマ娘は出てこなかった。

 新入生代表ということは、彼女が自分達の学年の首席だったのだろう。一分の隙もないその立ち振舞いに、「自分とは正反対だな」などと、埒もないことを考えながら、カブラヤオーはぽけーっと壇上の彼女を見上げていた。

 

―おほん、新入生挨拶。新入生代表テスコガビー―

 

マイクの高さを整えた彼女が軽い咳払いと共に、徐に口を開く。そして、

 

 

 

―我、勝利せりっ!!!―

 

 

 

会場に轟雷のごとき大喝が響き渡った。

 壇上の彼女の腹の底を震源とした地響きに、一瞬会場が響き渡った。皆誰しもが新入生の初々しくもやる気に満ちた爽やかなそれを想像していた。カブラヤオーもまたそうだった。しかし、彼女の口から出たのはただの一言。

 

―何だ?―

 

―何を言った?―

 

―あいつは私達を前に何を口にした?―

 

「「「「「「「「「「っ!!!!」」」」」」」」」」

 

勝利宣言。その事実をようやく理解した会場のウマ娘達が一斉に立ち上がる。新入生だけではない。在校生の殆どもまた、一様に怒りに顔を染めて自身の椅子を蹴倒していた。

 

会場が怒号に満ちた。

 

小娘のキャンキャンとしたそれではない。皆一流のプライドを携えたそれは、声以上の質量をもって、壇上のテスコガビーに押し迫る。しかし、そんな怒声を受けた彼女は怯むどころか、むしろ心地よさそうな微笑すら浮かべてふんっと鼻を鳴らす。

 

―違うと言うのならば証明してみせろ―

 

そして、引き寄せたマイクを通して、観衆のウマ娘へと啖呵を切る。

 

―私は誰の挑戦でも受けて立つっ!! 以上!!!―

 

この期に及んで尚、自身を衆の上とする自負心。その不適な笑みと共に、ノッシノッシと下段する彼女の姿に、会場のボルテージは最高潮に達し、何時までも何時までも、その波は止むことがなかった。

 一方のカブラヤオーはといえば、

 

「……」

 

そんな怒号に当てられて、今度こそ、その意識を手放したのだった。

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 

 そして、そんなこんなで、

 

「もう、お姉ちゃんは! また、みんなに迷惑かけて!」

 

陽が傾きかけたトレセン学園の学生寮の廊下で、妹のミスカブラヤがプリプリと頬を膨らませた。

 入学式会場で気絶したカブラヤオーが復活するのに時間が掛かり、彼女の荷物を割り当てられた部屋に運び込む頃には、すっかり他のウマ娘達は作業を終えており、既に一時帰宅を済ませていた。

 

「うぅ……。ごめんなさい……」

 

そんな妹にへにゃっと耳を落とし、申し訳なさそうにするカブラヤオーだが、逆に他のウマ娘が居た場合、彼女は作業どころではない事を考えると、この状況は却って都合が良かったのかもしれない。

 

「まあまあ、ミーもそんなに怒らずに」

 

少なくとも、大人三人はそう思っていたのだろう。ムスッと不機嫌そうな顔を作るミスカブラヤを父親が宥める様に、そう言った。

 

「これで最後かしらね?」

 

最後の段ボールを開封し終えた母親が、中身を出しながら確認する。カブラヤオーの私物や寝具などが整えられた一室は始めの簡素なそれから二時間で、生活感のあるそれに姿を改めていた。

 

「うん、これで最後」

 

「そ、やっと終わったわね」

 

おずおずと頷くカブラヤオーの返事に、ミスカブラヤがんーと軽くノビをする。それを合図に、部屋全体にどことなくリラックスした雰囲気が漂った。

 

「そういえばさ」

 

と、そこでミスカブラヤが思い出した様に口を開いた。

 

「ここって、二人部屋だけど、同室の子は居ないの?」

 

その言葉に、全員が部屋のもう半分、カブラヤオーのベッド周りとは対照的に、一切の調度品だけでなく掛け布団も置かれていないベッドだけの一角に目をやる。

 

「もしかしたら、寮生が奇数で、一人部屋なのかも……」

 

そして、全員が顔を見合わせる中、カブラヤオーが何処か期待した口振りで、ぽつりと呟く。が、

 

「済まない、遅くなった」

 

その淡い願望は、直ぐ後ろから聞こえた声で、あっさりと打ち砕かれた。希望は二秒しか持たなかった。

 

「少々、学園のトレーナーの方に呼び止められてしまってな……」

 

 ガーンという音が聞こえてきそうな表情で涙目になるカブラヤオーを他所に、声の主は快活な声音と共に部屋に足を踏み入れてくる。

 

「へっ? あっ、えっ!?」

 

「あら」

 

「へぇ……」

 

果たして、その姿に、カブラヤオーが目を白黒させる。両親やミスカブラヤだけでなく、紀伊先生も少なからず驚いた様子で、入室して来た彼女、新入生総代の挨拶をした黒い長身のウマ娘、テスコガビーの威容を認めた。

 

「っと、お前は確か……」

 

一方のテスコガビーの方も、カブラヤオーの姿に僅かに驚いた様に凛とした両目を僅かに見開く。

 

「ふむ……」

 

そして、何かを確かめる様に、テスコガビーはカブラヤオーの姿を耳の先から爪先までを、その両目で追った。カブラヤオーの方はそんな彼女の視線に晒され、ぶわっと噴き出した冷や汗と共に、恐怖で全身を縮み込まらせていた。

 長身得体のウマ娘が、小柄貧相なウマ娘を真剣に、ともすれば闘気を帯びた視線で品定めする姿は中々に異様な光景だった。

 

「と、失礼した」

 

ひーんと泣き出しそうになるカブラヤオーの姿に、平静に戻ったらしいテスコガビーが姿勢を正して、こほんと咳払いをする。

 

「知っているかもしれないが、同室になるテスコガビーだ。よろしく頼む」

 

そう言って、やけに堂に入った所作で握手を求めてくるテスコガビー。

 

「えぅぅぅぅぅぅ……」

 

その、圧巻の存在感に、カブラヤオーの腰は既に砕け気味だ。

 

「……」

 

「ぴうっ!?」

 

そんな姉と新入生総代を見比べていたミスカブラヤがパンッと姉のお尻をひっぱたく。突然の感触に悲鳴を上げてピョンッと飛び上がったカブラヤオー。涙目になりながら後ろを振り返るが、妹のミスカブラヤは明後日の方を向いて、素知らぬ顔をしている。

 

「?」

 

そんな、カブラヤオー達を見比べて、テスコガビーは少し不思議そうに首を傾げる。

 一方のカブラヤオーはといえば、普段ならば既にプレッシャーに負けて脱兎となっているところなのだが、範囲に限度がある寮の一室ではそうもいかない。しかも、範囲の限界に加えて、今は目の前に同室のテスコガビーが、背後には少しずつ不機嫌そうになる妹のミスカブラヤがと、完全に包囲をされていた。

 

「「……」」

 

「あ……」

 

「「……」」

 

「へう……」

 

「「……」」

 

「うぅ……」

 

そんな、前後のプレッシャーに包まれたカブラヤオーは、暫しの間逃れる術を探す様に視線を周囲にさ迷わせていたのだが、やがてそんなものは存在しないという分かりきった現実に負け、絶望の籠った呻き声と共に、そろりそろりと小さな手を伸ばしたのだった。

 そして、そんな亀よりも遅いカブラヤオーの右の掌をテスコガビーの血色の良い、やや肉厚な右手が掴み取る。

 

「ぴっ!?」

 

再びの突然の感触に、またもカブラヤオーが悲鳴を上げる。そんなカブラヤオーを見て、テスコガビーの方は機嫌良さそうに、「はっはっは!」と、爽快そうに笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

「失礼する。少し良いだろう……か?」

 

 そんなこんなで、カブラヤオーがまさかのルームメイト(テスコガビー)との顔合わせを遂げ、ようやく彼女が少しだけ落ち着きを取り戻した頃、見計らったかのようなタイミングで、部屋の入り口から、そんな声が入ってきた。

 

「ん?」

 

その声に、「おや?」といった様子でテスコガビーの手が一瞬だけ動きを止めると、限界を迎えたカブラヤオーは「はひっ!」という悲鳴と共に小さな右手を抜き取った。そして、そのままぴゅんっとベッドに逃げ込むカブラヤオーを見て、不意に現れたグレースーツの女性が不思議そうに、深い知性を湛えた両目を、眼鏡越しにパチパチと(またた)かせたのだった。

 

「取り込み中だったか?」

 

そう言って小首を傾げるその女性を、布団からもぞりと鼻先だけを出したカブラヤオーは恐る恐ると観察する。

 

―頭の上に耳がない……助かった―

 

たったそれだけの事実に安堵の溜め息を漏らしたカブラヤオーは、この安息を逃がすまいと首を横にブンブンと振る。

 

「そうか……」

 

掛け布団をバッサバッサと揺らすカブラヤオーの仕草に、女性の声が若干困惑した色を帯びる。

 一方のカブラヤオーはといえば、漸く取り戻した束の間の平静の中で、「はて?」と首を傾げていた。

 

「あの、すみません」

 

その疑問を解決するために、おずおずと口を開いたカブラヤオーに、その女性は「どうした?」と返す。

 

「その……何処かでお会いしましたでしょうか?」

 

「「「……」」」

 

空気が……固まった。

 正確には、外野の両親と紀伊先生はカブラヤオー達を見比べているのだが、その中心に居る女性とテスコガビー、そしてミスカブラヤの空気だけがはっきりと凍り付いていた。

 

「こんのおバカあああああああああ!!!」

 

真っ先に硬直から覚めたのはミスカブラヤだった。(カブラヤオー)愛用の黄色地に井桁模様の布団ごと彼女にのし掛かると、クタッとしたカブラヤオーの両耳をぐにっと鷲掴みにする。

 

「ぴううううううううううううううっ!?」

 

そんな妹ごと、ビョンッと跳ねて悲鳴を上げるカブラヤオーだったが、そんな事は知ったことかと言わんばかりに、ミスカブラヤが姉の両耳をぐにぐにと弄り倒す。

 

「何で知らないのよお姉ちゃんは!!! 今日も挨拶されてたでしょ!!!!」

 

「だ、だって、怖くてずっと下向いてたんだもん!!」

 

「は、離して〜」とじたばたするカブラヤオーにウマ乗りになりながら、ミスカブラヤは「こ、この姉はぁ」と青筋を浮かべる。

 

「いい、お姉ちゃん! そのへにゃった耳を立てて聞きなさい!!」

 

「み゛っ!?」

 

そして、くてんとしたカブラヤオーの両耳端を摘まむと、ピンッと無理矢理に立てさせ、その奥底に刻み込むようにミスカブラヤは声を上げる。

 

「この人は現トレセン学園最強のチームにして、史上最高とも名高いチームリギルの総帥、東条ハナトレーナーよ!!!」

 

ミスカブラヤの絶叫に、両親と紀伊先生が「えっ!?」と目を丸くする。対する東条ハナはといえば、割りとこういう騒がれ方は慣れているのか、特に動揺した様子もなく、カブラヤオーの家族の視線を受け止めている。そして、

 

「って、何で布団にまた潜るのよ!?」

 

当のカブラヤオーはといえば、ミスカブラヤの言葉を聞くと、もぞもぞと布団の奥底に潜り込み、ダンゴムシならぬダンゴカブラヤオーに変身するのだった。

 

「だ、だって邪魔しちゃ悪いし」

 

 ミスカブラヤの怒声に、丸まったカブラヤオーが所在なさげに答える。

 トレセン学園やトゥインクルシリーズの知識に乏しいカブラヤオーだったが、それでも妹の言う最強のチームという言葉の意味は直ぐに理解できた。そういうチームのトレーナーがスカウトするなら、新入生総代(テスコガビー)程相応しいウマ娘も他に居ないだろうと。

 だから、自分の出る幕ではないと、布団に潜り込んだ訳だった。

 

「まあ、スカウトという意味では正しいな。お前達をスカウトに来たわけだから」

 

が、そんなカブラヤオーの予想に対し、東条トレーナーの口から出たのは、正とも誤ともとれない言葉だった。

 

「……? ()?」

 

妙に引っ掛かる東条トレーナーの言葉に、へにゃりとした両耳を布団から恐る恐る出すカブラヤオー。そんなカブラヤオーを囲むように立っていたミスカブラヤとテスコガビーも、その言葉の意味を察したのか、方や「なっ!?」と驚愕した様に、方や「ほぅ……」と心底愉しげに小さく声を漏らす。

 

「え、それってどういう……」

 

「つまり、おハナさんは欲張りにも君達二人をスカウトしたいって事さ」

 

怖々と顔を上げたカブラヤオー。そのカブラヤオーの前に立つ東条ハナの後ろから、ひょこっとまた一人顔を出した。

 

「ぴっ!?」

 

その、新しい人影の頭頂部に見える二つの耳に、カブラヤオーは再び悲鳴をあげてダンゴカブラヤオーに変身する。そんなカブラヤオーの姿に、その鹿毛のウマ娘は「はっはっは!」と楽しげに肩を揺らした。快活で、品があり、不思議と嫌みを感じさせないカラッとした笑みだった。

 

「いやはや、一応知ってはいたはずなんだけど、実際に見てみると、想像以上に恐がりな子猫ちゃんだ」

 

 そう言って進み出たウマ娘の気配に、カブラヤオーは益々身を強張らせた。

 

「そんなに怯えないでくれ、子猫ちゃん。僕は君とお話をしたいだけなんだ。君の事を色々と教えてもらいたいし、僕の事も沢山知ってもらいたいと思ってる。どうだろう、もし良かったら、君から僕に聞きたいことを口にしてもらえないかな?」

 

そんなカブラヤオーを解きほぐすように、そのウマ娘はお団子になったカブラヤオーを責めることもなく、優しげに語り掛けたのだった。

 

「「「「「……」」」」」

 

その、温かくも慈しみを感じさせる声音に、室内の誰かが息を飲んだ音が聞こえた。たった一言で、場の空気を一変させる声。伝承のセイレーンとは、こんな歌声だったのだろうかと思わせるそれは、超然とした空気のテスコガビーにすら瞠目という行為を取らせていた。

 

「……」

 

果たして、その声を手渡されたカブラヤオーは、目の前に居るのがウマ娘だと分かっているにも関わらず、もぞりと少しだけ布団の岩戸を押し上げたのだった。

 常であれば決して顔を出さないであろう姉の姿に、後ろで見ていたミスカブラヤが「うそ……」と呟いていた。

 ひょこりと、布団の端を持ち上げたカブラヤオーは、しかし、それ以上は顔を出さない。警戒する様に辺りをきょろきょろと伺うと、微笑を浮かべた一人のウマ娘の姿に「ぴっ」と漏らして布団を閉じてしまった。思わず「ほ、本当に申し訳ございません!」とミスカブラヤが頭を下げるのを、そのウマ娘は何でもない様に手を振って「なに、慣れてるよ」と温かみのある微笑を浮かべた。それでもと言い募るミスカブラヤに、そのウマ娘は手を取ると「じゃあ、代わりに君の名前を教えてくれないかな?」とウィンクをする。実に小洒落たその仕草に、ミスカブラヤは「はうっ!?」と思わず赤面したのだった。

 

「……ミ、ミーちゃん?」

 

 何処か百合色に染まった空気を醸し出す二人に、何時の間にやら顔を出したカブラヤオーが、戸惑ったようすで声を漏らすと、我に帰ったミスカブラヤがバッと音を立てて、そのウマ娘から離れた。

 

「……」

 

「あ、えっと……」

 

「……」

 

「その……」

 

「し、仕方ないでしょっ!!」

 

丸くなったカブラヤオーの視線に耐えかねたのか、真っ赤になったミスカブラヤはキーッ!と吠えた。

 

「だって、このヒトに会ったら、普通そうなるでしょ!? お姉ちゃんだってそうでしょ!?」

 

「え? えっと……」

 

キャンキャンと言い募るミスカブラヤの言葉に、

 

「その……誰?」

 

カブラヤオーは困惑と共に小首を傾げた。

 

「「「「「……」」」」」

 

その瞬間、部屋の空気が凍った、いや、凍ったどころではなく、完全に停止していた。

 ハナの時以上にあんぐりするミスカブラヤ。物珍しいものを見る目で見降ろしてくるテスコガビーと東条トレーナー。両親や紀伊先生ですら目を丸くしていて、唯一気にしていないのは「はっはっは」と快活に笑う、当の本人だけだった。

 

「え、いや、噓でしょ?」

 

「あんたって娘は……」

 

宇宙人か何かを見る様な反応をするミスカブラヤと、その隣で母親が頭を抑えている。

 

「ほら、テレビとかで、よく見るだろ?」

 

そう言って、カブラヤオーに思い出させようとする父親の後ろでは、紀伊先生がうんうんと頷いている。

 

「私の前に、挨拶をしていただろう?」

 

とテスコガビーまでもが言うが、「怖くてずっと床を見てたから」というカブラヤオーの答えに「ううむ」と難しい顔をして天を仰いでいた。

 

「なに、気にすることは無いさ」

 

若干いたたまれない気持ちになるカブラヤオーに、しかし、当のそのウマ娘は優しく微笑みを絶やさない。

 

「僕の名はハイセイコー。今、このトレセン学園では生徒会長の席と、おハナさんのチームのキャプテンを預からせてもらっている。もし君がこの学園から逃げ出したいのなら、君の勇気の一片になりたい。もし君がこの学園を不気味と思うなら、君の道標にならせてほしい。もし君がこの学園を怖がるなら、君の心を護らせてもらいたい……ダメかな?」

 

そう言って、はにかむウマ娘、ハイセイコーの心に染み渡るような微笑。

 

「え、えひゃい……」

 

その深い笑みに、思わず変な声を漏らすカブラヤオー。ちなみに、

 

「うっ……」

 

その後ろでは、ハイセイコーの纏う空気に、色々と限界に達したらしいミスカブラヤが、胸を抑えてぶるぶると痙攣していたのだった。

 

「よがったな……」

 

 そんな、カブラヤオーとハイセイコーの姿を見ながら、ぽつりと漏らしたのは一番遠巻きに、その光景を眺める紀伊先生だった。

 

(オッ子さ、学園でやっでいげっかが心配だったさげ……)

 

今も恐々とではあるが、ミスカブラヤ以外のウマ娘の手を握り返すカブラヤオーと、そんなカブラヤオーを優しく受け止める生徒会長の姿。

 

(おらの役目も、これで終わったがな……)

 

内心で頷いた紀伊先生だったが、ふと一入の感情が過ぎると、その空白に僅かな寂寥の色が落ちた。

 カブラヤオーが地元のスクールから、けんもほろろに入塾を断られて以降、走りに関しては殆ど二人三脚でやってきた。それは、憐憫もあれば、義憤もあり、何よりも子供を導く教師として、あんな手酷い仕打ちをするスクールを見返させてやらなければ、彼女が一生辛い思いをするという責任感があった。

 大人とはいえ、初めての事も多く、特に教師としての指導とトレーナーとしての指導の隔たりにも悪戦苦闘した。至らない先生(・・)であった自分に、しかし、カブラヤオーは文句一つ言う事無く、すくすくと成長してくれた。そして今や、彼女はこの年地元から出た唯一のトレセン学園生となった。スクールの塾長も生徒も、もうカブラヤオーの事を馬鹿にすることは出来ない。そして、ここ(入学)から先はカブラヤオー本人が頑張るしかない。その事が唯一心配だったが、こうして目の前で初めて会ったウマ娘と手を取り合う姿を見れば、それも杞憂、否、過保護でしかないと思い知らされた。

 その事実を実感した瞬間、紀伊先生の胸に、本当の意味で自分が出来る事、しなければいけない事が全て終わったという実感が流れ込んできたのだった。

 

「……」

 

表には出さないが、不意にツンッと鼻の奥に刺さった痛みに、人知れず紀伊先生は唇を噛んでいた。

 

「失礼」

 

そんな、紀伊先生を前に、ふっと進み出た人がいた。

 

「貴方が、彼女をご指導された方でしょうか?」

 

そう、問うてきたのは、妙齢の怜悧な視線の女性、東条トレーナーだった。

 

「あ、ああ。んだ」

 

自分が声を掛けられると思っていなかった紀伊先生は、思わず上擦った声で頷いた。

 

「彼女の走り、見させていただきました」

 

そのグレーのスーツのトレーナーは、そう切り出す。

 

「不格好で、泥臭く、率直に言って、現代の走りとしては非効率的な走りでした」

 

「……」

 

ハナの言葉に、紀伊先生は少々バツが悪そうに頭を掻く。

 

「ですが」

 

しかし、そんな仕草を遮る様に、東条トレーナーは顔を上げる。

 

「ですが、それ以上に日々のトレーニングと、何より心を尽くした丹念なケアを感じさせる、そんな走りでした」

 

そう言って、東条トレーナーがツッとカブラヤオーとハイセイコーの方に視線を向ける。

 

「正直に言えば、今日のスカウトは半ば賭けでした。彼女が他のウマ娘を苦手としているのは一目瞭然でしたから。……もし、ハイセイコーでも心を開かせるのが難しい様でしたら、自分に彼女(カブラヤオー)を指導する資格は無いと、そう思っていました」

 

「……」

 

東条トレーナーの言葉に、紀伊先生はじっと耳を傾ける。

 彼女の言葉通り、ハイセイコーの前で、手を握られたカブラヤオーは常の彼女とは思えないほど、たどたどしくもウマ娘を相手に少しだけ楽しそうに言葉を紡いでいた。

 

「紀伊先生……でしたでしょうか?」

 

「あ、ええ……」

 

「私に、彼女を指導するバトンを頂けないでしょうか? ……お願い致します」

 

そう言って、深々と頭を下げるハナに、紀伊先生は一瞬言葉に詰まった様子で、細い目を見開いた。

 

「「「……」」」

 

 何処か楽し気に話すカブラヤオーとハイセイコー。そして、その輪にいつの間にか加わったテスコガビー。そんな三人の輪を壊さない様に、少しだけ距離を置いて話す中で、じっとカブラヤオーの両親と妹の視線が紀伊先生に向けられた。

 

「あ、あ……」

 

何かを言わなければ、そんな思いが先走り、紀伊先生の皺の深い口から、小さく音が漏れた。

 

「オッ子は、食べるのが苦手でした……」

 

やがて紡がれたのは、カブラヤオーの事だった。

 

「あど、綺麗に走るのも割と苦手で、そいがら、家族は追い込みが得意で長距離バばがりなのに、オッ子は信じられないぐれ速ぐ、スッとんでってしまう娘でしだ……。あどは、あどは……」

 

「……」

 

そして、詰まった言葉に、「あどは、あどは……」という躊躇う様な音が付いて来た。

 そんな、たどたどしい言葉に、東条トレーナーはじっと耳を傾けていた。

 

「あどは……」

 

何かを探す様に、何か言い忘れていないかと思う様に、彷徨った紀伊先生の視線が、ふとカブラヤオーの奥手な笑顔に注がれた。

 

「あどは」

 

その瞬間、紀伊先生の言葉が固まった。

 たった、数年。人生の中で、ほんの僅かな時間でしかないその期間。繰り返される放課後の一時が、その頭の中を奔流の様に駆け巡っていた。その奔流に晒され終わった時、紀伊先生の心はピタリと軸を持って、肚に定まっていた。

 

「あの子には楽しぐ走っでもらいでど思って教えました」

 

そう言って、紀伊先生はスッと被っていた農作業用のキャップを脱いだ。そこから出てきた白い髪が、先生の過ごした年月を物語っている様だった。

 

「おらさ、体育の教師で、オッ子さ走る楽しさを教えでど思ってたんだども、そいだけは教えられながった気がしでます……それだけが、おいの心残りです」

 

そう言って、東条トレーナーの目を見詰め返した紀伊先生が深々と礼を返した。

 

「あの子の事、どうか宜しくお願い致します……」

 

そう言って、紡がれた言葉。それを噛み締める様に、東条トレーナーは頷いた。

 

「必ず」

 

そのバトンを受け取る様に、東条トレーナーが手を差し出す。紀伊先生は託すように、その手を握り返したのだった。

 

 

 

 

 




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