9月第1週の土曜日、札幌レース場には早くも夏のメイクデビューを勝ち上がり、まだ見ぬ舞台を目指す14人のウマ娘が出走する。
今日はジュニア級の数少ない重賞レース、札幌ジュニアステークスが開催日だ。ここに来た理由は一つ。私、ヴァイスミーティアは、このレースで重賞に初挑戦するからだ。
「初めての重賞....緊張する....」
ドキドキしながら私は控室で待っていた。
「緊張しなくていい....っていうのは無理か。大丈夫。いつものパフォーマンスを出せれば勝てるよ。」
「う~ん....そう言われてもな~....相棒、注意した方がいいポイントとかってある?」
「そうだな...最も注意するべきはおそらくこの子、ブリックストーンかな。」
私は出走表を確認した。確かに名前が書いてある。そのブリックストーンというウマ娘は6枠6番からスタートする予定になっていた。
この出走表には出走するウマ娘の戦績、過去のデータなど様々なことが書かれている。しかしその子の戦績は特に目立つわけでもない。メイクデビューは4着、続く未勝利戦を1着で勝利し、ここに臨んできたのだろう。
「この6枠の子がどうかしたの?」
「ブリックストーンの脚質はミーティアと同じ逃げなんだ。スタートしたらおそらくこの子とハナの取り合いになると思う。」
「もし仮にそうなって、ミーティアがなんとかハナを取れたとしても、前半のペースが早くなりすぎて後半の脚が鈍るし、ハナを譲っても番手の逃げは難しいし、ミーティアに無理をかけさせたくない。」
「だから、今回の作戦はスタートに全てをかける。」
思わず唾を飲む。
「一体どうするの?」
「スタートしてから最初の1ハロンは全力で走るんだ。トレーニングで出した11.4秒を上回るくらいが目安かな。」
8月の終わり頃に出したトレーニングの自己ベストタイムよりも速く走る...か。トレーニングとはいえ、あれでも全力で走ったんだけどなぁ...
「それでもブリックストーンはハナを奪おうとしてくるはずだから、ミーティアは内の最短距離を周ってマイペースで逃げる。最内だから距離的にはミーティアの方が有利に回れるし、スタートから600メートルあたりでブリックストーンは諦めて後ろにつけると思う。これが俺の作戦。でも....」
「何か不安な点があるの?」
「多分、ミーティアの横か真後ろにブリックストーンが位置取る形になると思う。だから....」
恐らく相棒が気にしているのは私が近くにウマ娘がいてまともに走れるのかということだろう。私は過去に2回、これが理由で負けたことがある。あの時は並走や模擬レースだったから良かったものの、今回は本物の重賞レース。プレッシャーや雰囲気、周りの子の闘争心なども比にならないほど高いだろう。
「...ごめん。俺が未熟なばっかりに、ミーティアに負担がかかる作戦しか思いつかなくて。」
相棒は申し訳なさそうにして、私に謝罪の言葉を伝えた。
「ううん!相棒がいるからここまで来れたんだよ!大丈夫、相棒の為に私がんばるから!」
私はすぐさま否定し、相棒に感謝の言葉を述べた。相棒は少しだけ表情が柔らかくなった。
....さて、どうしたものか。言葉ではそう言ったものの、自分がうまくできるビジョンが浮かばない。
だとしても、私ができることはとにかくベストを尽くすことだけ。相棒のために、私は誰よりも早くゴールを駆け抜けて、勝利を掴む。
頬を2度強く叩き、気合を入れる。
「よし!そろそろ行かなきゃ!頑張ってくるね!」
「...ああ、いっぱい楽しんでこい。」
控え室を出る前に見た相棒は笑っていたが、その表情の奥で何かを恐れているように見えた。
「夏の残響がまだ続いている札幌レース場、14人のジュニア級ウマ娘たちが未来の活躍を目指し熱い火花を散らす!札幌ジュニアステークスのパドックです!」
いよいよパドックが始まる。今回の私の枠は1枠1番。最内だ。逃げるにはスタートから最短距離を行ける絶好の枠。
大丈夫。相棒は私のことを信じてくれてる。そんな相棒のために、私ができることは、
このレースを、1着で勝つこと。
「メイクデビューを6バ身差の圧勝で逃げ切り勝ち!!今日もこの流星の逃げ足が炸裂するか!?1枠1番、ヴァイスミーティアです!」
私は静かにパドックに出てきて、前より少しだけ上手くなった作り笑顔を披露し、観客に向けて手を振った。
「ミーティアちゃーん!がんばれー!!」
「応援してるぞー!!」
色々な人が私の応援をしてくれている。私はちょっと、いやかなり嬉しくなって尻尾をぶんぶんと振ってしまった。
「わあっ...!ありがとうございます!!」
私は応援してくれた人たちに大きな声でそう言って、深々とお辞儀をした。
やっぱり自分を応援してくれてる人がいると嬉しい!この人たちのためにも、今日は頑張らなくちゃ!
「前走はとても強い内容でしたね。ここでも圧倒的な1番人気。いいレースが期待できそうです。」
本当に、色々な人から期待されてるんだな....
正直ここまでだとは思っていなかったので、少し背筋に力が入る。
私はそのまま観客にお辞儀をして、パドックを去った。
私はターフへ向かうために地下バ道をゆっくりと歩いていると、
「おい、オマエ!」
と、乱暴な口調で声をかけられた。
「はっ、はい!!」
私は少し怯えながら返事をして、声がした方向へ体を向ける。
そこには、6番という文字と、ブリックストーンと書かれたゼッケンを装着しているウマ娘の姿があった。
(この人が....相棒の言ってた最も注意するべき子...)
容姿は褐色の焼けた肌に、大きな体格の持ち主であった。耳にピアスが何個かついており、オラオラ系というか....とても威圧感がある。
「オマエだろ、1番人気のウマ娘は。」
「そ、そうです.....」
「走法は確か逃げだよな。」
「そうですけど....」
「だったら忠告しといてやる。アタシの前に立つな。」
衝撃的な言葉がブリックストーンの口から吐き捨てられた。
「えっ...それってどういう....」
「そのまんまの意味だ。もしオマエがアタシより前に出たら...オマエをぶっつぶす!!....いいか?」
私は言葉に押され唖然としてしまった。
何も言葉が浮かんでこない。言い返すこともできない。
「言いたいことはそれだけだ。...じゃあな。」
そう言ってブリックストーンは地下バ道を通り過ぎていった。
私はようやく思考を取り戻したが、その思考もさっきの言葉に囚われていた。
"ぶっつぶす"という言葉の意味が本当なら、ブリックストーンは何をしてくる気だ....?
走っている最中にタックルなんてされたら私はひとたまりもない。命の危険性だってある。ましてやあの巨体で弾かれようものなら....考えたくもない。
地下バ道を歩く中で、私の中の不安は大きくなるばかりだった。
「さあ!早くもデビューを勝ち抜き、次の舞台へと想いを馳せる若駒が、大きく火花を散らします!!いよいよ札幌ジュニアステークスの発走です!!」
札幌の重賞ファンファーレが高らかに鳴り響く。札幌の空は雲行きが怪しくなってきており、少し濁った雲が青空を隠していた。
「このレースの1番人気はデビュー戦を圧勝で飾ったヴァイスミーティア!圧倒的な1番人気に支持されています!」
私は1番ゲートに入り、他の子が入るのを集中しながら待っていた。
このレース、スタートで全てが決まると言っても過言ではない。だから絶対に失敗するわけにはいかないのだ。
他の子が怖いからなんだ。それで相棒を裏切るわけにはいかないだろ。そう何度も自分に言い聞かせた。
「2番人気の12番ロングウィルラン、ゲートに収まりました。続くようにして5番人気、6番のブリックストーンも...入りました。」
少し気になり、ブリックストーンの方を見てみると、キッと睨みつけられた。私は少しそれに怖気付いてしまったが、すぐに冷静さを取り戻し、ふぅ短く息を吐いた。
「最後に14番のメンバーオブラヴがゲートに入って.....体制が完了しました!」
集中しろ.....前を向け!!
相棒のために、みんなのために勝利を!!
「札幌ジュニアステークス...スタートしました!!」
ゲートが開きみんなが一斉に飛び出す。私のスタートはまずまずと言ったところだったが、私は相棒の作戦に従い、ぐんぐんと加速していった。
「先行争いです!やはりヴァイスミーティアが出ていきました!しかし6番のブリックストーンもそれについて行って...並んでいます!」
ドッ、ドッ、ドッ、と横から地面を蹴る音が近づいてきた。それと同時に私の背中を突き刺すような気配も。ブリックストーンだ。
(くっ....!)
怖がるな!!横を見るな!!
私は自分に言い聞かせて、ひたすら前を向いて走った。
しかし、
(そこを...どけ!!)
「っ....!?」
そう言わんばかりにブリックストーンが私にぶつかってきた。一瞬何が起きたかわからなくて混乱したが、すぐにわかった。ブリックストーンストーンは早めに私を競り落とすためにラフプレー気味にプレッシャーをかけてきているのだ。幸いぶつかってきたとはいえ体制を崩すほどではなかったが、
私の戦意を喪失させるには、十分だった。
「ひっ.....」
私は位置取りを1つ落とし、2番手になる。
ダメだ....怖い.....音が、気迫が、私の心をどんどんと押し潰していく...
「ブリックストーンが先頭に変わり、ヴァイスミーティアは2番手追走の形になりました!!」
「はぁっ....はあっ......」
足が重い...いつもの走りができない.....息が....苦しい.....
2番手を必死に追走しているが、私はもう息が上がり始めていた。まだゴールじゃないのか...?
私はまるで何も見えない真っ暗な場所を走っているように感じた。
「第3コーナーを回って、先頭はブリックストーン!リードはおよそ2バ身ほど!単独2番手にヴァイスミーティア!3番手は....」
ようやく第3コーナーに回ってきた。私の息はもう絶え絶えで、このままだと1着はおろか、掲示板に入るかも怪しくなってきている。
このままだとまた相棒を......また......
ダメだ....ダメだ!この位置じゃ何もできずに負ける!まだだ...まだついていける.....!
(舐めるなよ....!)
「はぁぁつ.....!」
無理やり脚の回転を上げて、ブリックストーンとの差を縮めていった。それと同時に、私は大きく外に進路をずらした。
音が怖いなら、音が聞こえない外側まで離れて抜かせばいい。走る距離が伸びる?余計にしんどくなるだけ?そんなの知るか!!
余計な考えを振り切るように、私はさらに脚の回転を加速させた。
「おっとここで早くもヴァイスミーティアスパートか!?大きく外に膨れながらブリックストーンとの差を1バ身、半バ身、と縮めてきている!!」
(負けてたまるかっ.....!!)
「第4コーナーに差し掛かって今先頭が再びヴァイスミーティアに変わりました!!」
「少し掛かり気味ですね。終いの脚が残っているか心配です。」
「はぁ.....はぁ....」
よし、先頭を取り戻した...!このまま逃げ切ってやる...!
私は完全に息が上がり、うまく回ってない頭でそう考えていた。
「4コーナーを回って直線に入りました!!先頭はヴァイスミーティア!ヴァイスミーティアが先頭です!!」
よし...ここでスパートを...
「....あぇ.....?」
私はようやく気づいた。上手く走れていない状態で、無理やり順位を上げて直線に向いた。この意味を。
(脚が....残ってない....)
「先頭はヴァイスミーティア!!だが、後続勢が殺到してきている!!」
加速するための脚が全く残ってない。脚の回転数を上げようとしても上がるどころか下がっていく。
私の横を、ブリックストーンが風のように一瞬で駆け抜けていく。
「先頭がブリックストーンに変わる!さらに3番ワイストーラーが外から脚を伸ばしてきている!!」
さらに1人、2人と私の前を走っている子が増える。
(そん....な....)
私はどんどんと走る速度が遅くなり、もうろくに前すら見えていないような状態でゴールした。
「1着は粘ったブリックストーン!!2着は惜しくも差し脚が届かなかったワイストーラー!!3着は....」
「...はぁっ....はぁっ.....」
「1番人気ヴァイスミーティアはまさかの10着に敗れました!!」
「..あ.....ぁ....はは....」
私は悔しさと申し訳なさで上手く物事を考えることができなくなっていた。
ぽつ、ぽつ、と、大きな水滴が上から降ってきた。雨だ。敗者を笑うようにして大粒の雨が私に降り注いだ。
「...ごめん。相棒.....また...私...」
下を向きながらそう言った私の声は、雨音に気かき消され、誰にも届くことはなかった。
「....」
私は相棒がいる控え室の前で、ドアを開けることができなくなっていた。私の体はさっきの雨で濡れており、ぽたぽたと雨が滴り落ちている。
もういっそこのままドアを開けずに帰ってしまおうかと思っていた。しかし、
がちゃ、と静かにドアが空いた。そこには見覚えのある整った顔立ちの男の人が立っていた。
「やっぱりいた。とりあえずおいで。」
「あっ....」
相棒は私の濡れた手を嫌がることなくぎゅっと握り締め、部屋に連れていかれた。
「いや〜、ごめんね相棒?私、なんだか走る気なくなっちゃってさ!もうこのままやめちゃってもいいかなーって感じ!だから今のうちにこんなウマ娘から手を引いたほうがいいよ?」
私はわざと相棒に嫌われるように言って、契約を解除するような言葉をちらつかせた。
「私なんかに時間をかけないで!もっと....もっと強い子は他にもいるし、私みたいにヘマする子なんか....」
その言葉の続きを言おうとした瞬間、私は相棒に抱きしめられた。
「!...やめてよ相棒.....相棒まで濡れちゃう...」
「言わないで。」
「えっ?」
「その言葉の先は、絶対に言わないで。」
相棒は今まで聞いたことのない声色で淡々と語った。怒っているような、優しく慰めような...そんな声だった。
「うん....ごめん。」
「1人で抱え込むんじゃなくて、俺にも何かミーティアが背負っているものを肩代わりさせてくれ。すぐじゃなくていい。少しずつでいいからさ。」
「まだウイニングライブまで時間がある。暖かいお茶でも飲んで、ゆっくり話そう。」
「うん....ありがとう....」
私は涙を堪えながら相棒の体を強く抱き返した。
「ありがとう相棒。少し落ち着いた。」
相棒が私にタオルと暖かいお茶を渡してくれたおかげで私の体温は普段と変わらないくらいにまで戻り、さらに相棒が優しく背中を撫でてくれている。
「大丈夫だよ。俺にできることはこれくらいしかないんだから。」
相棒の優しさが心に染みた。
「....ごめんね。あんなに言われてたのに。ブリックストーンが近づいてきて、私に少しぶつかってきたの。まるで"殺してやる"みたいな雰囲気で....怖かった。」
「なんとか私なりに考えて、足音とか気迫とかが気にならないくらい外からなら行けると思ったんだけど、そんなに甘くなかったよ...はは...」
私は自嘲気味に笑った。
「でも、最後まで諦めなかった。そうだろ?」
相棒は私のことをとにかく褒めてくれる。違う。違うんだよ相棒。
「でも....私は...自分の心に勝てなかった...楽な方に逃げちゃったんだよ....」
「...じゃあ、第4コーナーで加速したのは俺の見間違い?しかも、大きく外側から抜いていったのは周りにいる子に怖がらないためだろ?」
「それはっ.....」
「ミーティア、君は自分が思ってるよりすごい子なんだ。自分を過小評価するんじゃなくて、もっと自信を持って。」
自信を....持つ....自分に....
「うん...」
背中を撫でてくれていた相棒の手は私の頭に移動した。
「...ごめん、ミーティアに負担のかかる作戦だった。もう少し、俺に知識があれば...」
「ううん、相棒はトレーニングでも私のこと良くしてくれたし、私は相棒の作戦が悪いとも思ってないよ。相棒こそもっと自分に自信を持って。」
私は相棒の方を見て、ふにゃりと笑いかけた。少し驚いたような顔をしてから、相棒もふっと笑った。
「だとしても10着だけどね〜....流石に自分に自信無くしそう...」
私は平気そうなテンションでそう呟いた。
「今度のレースで取り返せばいい。ライブが終わったら今日はそのまま帰って、ゆっくり休もう。これからのことは、また明日から一緒に考えればいいよ。」
「それもそうだね....よし!ウイニングライブだけちゃちゃっとこなしてきますか!」
「うん。楽しんでおいで。」
私は控え室を出て、少しだけ考えた。
私はこのままでいいのだろうか。この世界で生き残るためには、何か他にはないことをしなければいけないのかもしれない....
もっと考える必要がある。私の弱点であるレース中に他の子を怖がるのも、直せるなら今すぐにでも治すべきだ。現に、今日のレースはそれが邪魔をして10着にまで沈んだ。とにかく、今のままじゃいけない。変われるなら変わるべきだ。
ゆっくり確実にやっていくのが一番いいと思いつつも、私の心は少しずつ、確実に焦り始めていた。
雲行きは良くなることを知らず、悪くなっていく一方である。