鈍行列車 作:ンゴォ
私が男に出会ったのは、鈍行列車で心を落ち着けていた時である。電車の鳴き声を聞きながら、そろそろ昼が沈み、夜が顔を出してくる時間帯で、電車の心地よい揺れを感じ、座席に体を投げ出していた。電車は混んでいなかった。鈍行であるから、利用する人間がそこまでいないのだろう。しかし、私は疑問を抱いた。なぜ、人は鈍行列車を利用しないのか。毎日を急いでいるのだろうか。鈍行列車を、いや、電車全体をただの移動手段としか考えていないのだろうか。私は、それに悪い、とは言わないけれど、どこか物寂しく感じた。
人は毎日を時間に支配されているのではないか、人は毎日を幸福に過ごしているだろうか、などと考えても分からないけれど。くだらないとはおもうが、考えは止まらなかった。
夕陽は、私の眼を焼こうとはしなかった。思えば、沈みゆく太陽はいつだって人を傷つけることはなかったのだろう。人は、あの夕陽と同じように、沈みゆく瞬間に人に優しくなれるのだろうか。逆説的に考えると、沈むことがなければ、人は人に優しくなれないのだろうか。
「人は、人に優しく出来ないのだろうか」
驚くほどに陳腐な言葉が、開いた口の奥からこぼれた。私は、こんなにも空っぽな言葉を言う人間であっただろうか。ただ、流れる風景と夕陽に心を落ち着けていたはずなのに。
「善意にまみれた優しさなんてないでしょう」
男はそう言った。わたしは、突然知らない男から返答がきたことに、そこまで驚いてはいなかった。
どうでもよさげに、私は素っ気なく返した。
「そうですか。そんなことを言われてしまうと、どんどんと厭世的になっていってしまいそうになる」
「そう悲観的になるものでもありませんよ。善意にまみれていなくとも、人に優しくすることはできるでしょう。別に、優しさと善意は同じものではありませんからね」
そうなのだろうか。私には、男の言っていることが、理解はできても、納得ができなかった。私は、優しさと善意というのは一体であると考えていた。善意により優しさが生まれる。そうではないのか。善意の伴うことのない優しさとは、いったいどんなものか、想像もつかなかった。男の言葉に惑わされたが、なんとか疑問を呈すことが出来た。
「いったいそれはどういうことですか。優しさというのは、善意により生まれるものではないのですか。善意のない優しさなど、ただの酔狂や打算ではないのか。私にとって優しさは善意に裏付けられたものです。」
「初対面で言うのもなんだが、貴方はすこしひねくれた考え方をしているようだ。優しさに対して、そこまで深く考える必要はないと私は考えている」
私は、少々癇癪を起こしやすい質ではあるが、この男の言葉をかけられても、不快にはならなかった。むしろ、もっとこの男と論を深めたいという気持ちが湧いた。しかし、男はどうやら次の駅で降りるようだった。惜しいと感じたが、また逢えるような気がした。