「ここが奴の家か……、ハッ! えらくいい家に住んでんじゃねぇか。これは壊しがいありそうだ。……っと、木偶の坊くんには見つからないようにしとかないとなぁ?」
何の因果か、別世界からやって来た彼は物陰に隠れながらそうつぶやく。こそこそ隠れて何かを進めるようなガラじゃないが、全く何も知らない世界で情報を集めるぐらいの分別は彼にもあった。
金ぴかのおニューなスーツを纏いながら外を眺める。ようやくここが元居た世界とは別世界であることは理解できた。マルチバース理論ってやつに関しては眉唾物かと思っていたが案外捨てたもんじゃないらしい。ま、この世界にも奴がいるってことを知った時には全部まとめて吹き飛ばしてやろうかと思っちまったが。
「にしてもあの銀ピカのフード男のこともあるし、手早く金を稼いでどっかに高跳びしねぇと。他のヒーローどもはちょうど別件で外してるようだし、奴をぶっ飛ばした後はさっさとトンズラさせてもらおうか。」
別世界から来た彼でも、少し調べればこの町に残るヒーローはスパイダーマンぐらいであることは解ったらしい。まぁ実際は『留守にしていても対処可能』であるからこそ手薄なだけなのだが。
この世界では本来のタイムラインで起きた事件の多くがスキップされている、だが決してヒーローたちが経験不足ということではない。この世界で息を潜めるヴィランたちなら理解していることを、彼は今後知ることはないだろう。なにせ常識からすべてひっくり返せる存在が、彼の隠れる物陰のもっと深くから覗いているのだから。
そも、何故君がここに呼ばれたのだろうね。
何も知らない彼は、ピーターたちがいるビルに向かって突撃を仕掛けるライノを眺めている。その情報がどこから漏れたのか、誰が漏らしたのか。キミはただ力を振るい、スパイダーマンに復讐しようとするライノを笑いながら見ているけど……。
ま、知らない方が幸せかもね。
おそらくこちらに向かって全速力で車を走らせているハッピー、彼がこの場所からの避難を叫んだ瞬間。彼のスパイダーセンスが危険を知らせる、感じたことがないレベルの、とてつもなく大きな危険を。
瞬間、視界全体が揺れる。
彼らは知らぬことだが、ビル全体を破壊しようとしたライノがこのビルの支柱を破壊してしまったのだ。日本の建物、過剰に地震を警戒した建築を行う地域ならまだしも、この地域では地震など滅多に起きない、高層ビルということでその基礎はしっかりとした構造を取っていたのだが、柱が消えてしまえば意味がない。
傾く視界、それは今いるビルの終わりが近づいていることを意味していた。
そして。
「……ぅう。」
急な揺れにより体制を崩してしまったノーマンが強く頭を打ち付けてしまっている。そしてこの場にいることに利点を感じなくなってしまったのか、サンドマンの砂の体は徐々に溶け始め、エレクトロからは不穏な雰囲気が感じられる。
スパイダーセンスは危機察知能力であるが、それは強い悪意や自身を害そうとする敵意によって反応する。この場にいるピーターが感じ取ったのは二つ、頭を打ち付けたノーマンから感じられる底知れぬ悪意と、エレクトロが発するもの。
「博士! 叔母さんを!」
叔母さんを一番近くにいた博士に任せ、完全に覚醒してしまったグリーンゴブリンとエレクトロに向かって糸を発射する。彼らの腕に吸い込まれるように投射されたそれは確かに役目を果たしたが、クモ糸よりも電気の方が早い。エレクトロが伸ばした手の先はファブリケーターの主電源であるアークリアクター。無限に限りなく近づいたそれは、電気で体が構成された彼にとっては何よりも欲するもの。
エレクトロがアークリアクターに接続された瞬間爆発的にその火力が上がる。
彼の体から放射された電撃を体をそらすことで避けるピーターであったが、それが隙となってしまった。人格がグリーン・ゴブリンへと変化したことで無意識に制御していた超人としての力が解放。クモ糸での拘束を腕力だけで解いてしまった彼がスパイダーマンの隙を狙わないはずがなかった。
吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる彼。
「早く逃げて!」
「夫人! この場から離れるぞ! 掴まれ!」
アームを操りメイ叔母さんを確保した博士が窓ガラスを割り、外へ。倒壊しそうな建物に長時間居続けるわけにはいかない。そう判断したオクタヴィアスは後ろ髪を引かれながらも逃走を選ぶ。
「こいつが、アークリアクター。……すごい力だ。こんな全能感に浸ったのは久しぶりだよ。」
それを追いかけるように、新たに手に入れた能力を体になじませながらエレクトロも逃走、外にはサンドマンの体である砂が竜巻のように回転しており、彼も逃走の手はずを進めていたようだ。残るのはグリーンゴブリンとスパイダーマン。
「想定外の出来事だったが……、ピーターァ? 楽しもうじゃないか。」
徐々にその傾きを大きくしていく部屋の中で、グリーンゴブリンの拳がピーターの顎を捕らえる。足場が不安定なこともあり、まともな格闘戦は不可能、故に彼の猛攻もそう長くは続かない。そう思っていたが……。
背後から、強い殺気。
天井に糸を発射し全力で引くことで何とかその攻撃を避ける、天井から確認してみれば彼がこの世界にやって来た時と同じような浮遊する兵器。グライダーだ。
「あの小娘に破壊されなくてよかったよ、単なる電子機器の不調程度。片手間に直せる。」
それに飛び乗ることで足場を確保する彼、倒壊が始まっている以上この場で戦うのは不可能。それにまだこのマンションに取り残されている人は必ずいる、すぐにこの場から離れたいけど……。
ピーターの考えを遮るのはグライダーによる攻撃、備え付けられたマシンガンがさっきまで彼がいた場所をハチの巣にする。そして天井、床ごと破壊しようと投げられるのはカボチャ型の手榴弾。爆発までの時間を調整していたのか、投げられた直後に爆発したそれは確実にピーターの足場を減らしていく。糸を出そうにもグライダーの羽で切断され、下や上の階に飛び移ろうとも爆弾で破壊される。ビルの外に飛びだそうとしても、グリーンゴブリンの腕で弾き飛ばされてしまう。
さっきまでうまく行っていたものすべてが崩壊、想定外の事態に本来の能力を発揮できないままダメージが蓄積していく。
決して反撃ができていない訳ではない、彼に掴みかかり超人としての力で幾度となく殴りつけている。しかし、どれだけ攻撃を加えようともその顔から笑みが消えることはない。“狂っている”、そうとしか表現できないような深い笑みが、ずっと張り付いている。
「ハハ! ハハハハ! 私を治療するだと! 笑わせてくれる!」
◇◆◇◆◇
「メイ夫人、ここで……。」
「おっとぉ? お前、もしかしてオクトパスか? あぁやっぱりな。その顔は知らねぇがその腕はよく知ってる。」
高層マンションから飛び降りた博士は向かい側にあるビルの柱にアームを喰い込ませることで安全にメイ・パーカーを地面まで降ろすことができたが、場所が悪かった。たまたま着地した地点にはこの世界にやって来た金ぴかの男が潜んでいた。
「この場から離れて。」
「おいおい、もしかして異世界ってやつはお前さんまでヒーローにしちまうのかい? せっかくようやく話が通じそうな相手だと思ったのによぉ?」
「……ここで何をしている。」
ピーターから任された彼の叔母にこの場所から離れることを頼む、すぐに頷いて表の方へ走って行ってくれた。ようやく、このものと対面することができる。場所はビルとビルの間で閉所、十全にアームを動かすことはできないが、彼女が逃げた反対側にこの者を押し出すことができれば無力化、もしくは振り切れることができるはずだ。
変わってしまったノーマンの凶悪さというものは元の世界のニュースでしか知らない、だが彼が正気を失っていた時の様子を思い浮かべ、オズボーン社の兵器開発能力を考えれば決して簡単な相手ではないだろう。逃げ遅れた人もいるはず、すぐに向かわなければ。
「何? あぁ実はこっちに来てから右も左もわからない時に、とある奴から面白いことを聞いてよ。スパイダーマンがこのマンションに住んでるって聞いたんだ。まぁ俺の知ってるクモ野郎とは違うみたいだが……、どうせ今後邪魔になるんだ。先に潰しておいて悪いことはないだろう?」
「なるほど、私と君が相容れないことは解っ、たッ!」
言い終わる瞬間に彼の腹部目掛けてアームを高速で叩きつける。この目の前にいる金と黄色のスーツに身を纏った男。この者のスーツの装甲が腕に集中していることや、腕部の機構が肥大化していることからおそらく腕に何かの仕掛けがある。その能力が解らない以上下手に攻撃を集中させるのは下策、ならば胴体や頭部にダメージを与え気絶させるほかない。
そう考えて行動したオクタヴィアス博士だったが……。
「おいおい、手も早いのかよ……。だがまぁ、嫌いじゃねぇな。」
彼の人工アームにに向かって、両腕を前に出す男。
瞬間、空気が爆発する。
その腕部から発生した強烈な衝撃波は確実に博士の胴体を補足し、吹き飛ばす。
「お前さんのタコ足よりイケてるだろ? これこそ俺の代名詞、人呼んで“ショッカー”、ってな?」
「……クッ。」
人工アームで何とか後方へ吹き飛ばされることを避けたが、博士の体自体は生身。たかが衝撃波と言えども銀行の金庫をぶち破るために開発され、その後スパイダーマンを撃破するために改良されたショッカーの装備はその体に無視できないダメージを与えた。
(アームで離れた場所から攻撃が可能だとしても、それは相手も同じ。あの腕から発せられる衝撃波はおそらく距離が開けるほどに減衰するがそれでもこれ以上喰らってしまうのはマズいだろう。かといってこちらが最大限力を振るえる近距離は彼にとっても有利な距離。)
心の中ですぐにピーターへの救援にいけないことを謝りながら、彼は異世界からのヴィランと対峙する。
「カハッ!」
視点は変わり、彼の元へ。
瓦礫をクモ糸で固定し、スイングでグリーンゴブリンの腹部に当てることを成功した彼は重い体を引きずりながらなんとか外に出ることができた。
このビルの支柱を壊したヴィランがまだ下で暴れているのだろう。地上からはまだ破壊音が聞こえる。スターク社に努めるハッピーはトニーの相棒……、かなり近しい仲だ。そのせいかこのビル自体もかなり丈夫で、何かあった時のために少しだけナノマシンが使われていたみたい。残された時間は少ないがこのマンションの一階から上全てが地面に叩きつけられるようなことはないだろう。
近くに建つビルへとクモ糸を伸ばし、痛みを叫ぶ体に鞭を打ってビルの倒壊を防いでいく。倒れようとする全身をクモ糸で他のビルと固定することで支えさせる。かなり厚めに補強したけど長時間そのままにできるわけじゃない。クモ糸をほぼ全部使い切り、補強を終わらせた彼は壁に張り付くことで呼吸を整える。
グリーンゴブリンとの戦いを抜け出してすぐにこの作業を行ったのだ、ビル全体を支えるにはクモ糸を覆うように巻きつけなければならない。壁を走り、スイングをし続けた彼の体力はほとんど残っていなかった。
スパイダーセンスが反応しないほどに。
その見た目からトラックの中で残っているはずだったリザードはいつの間にかその腕でトラックの荷台を破壊し、彼の背後まで迫っていた。元の世界ではカート・コナーズという科学者だった彼は不完全な薬によって全身が緑色のうろこに覆われたトカゲ人間と化している。追いかけてくるであろうスパイダーマンから確実に逃れるため、彼はピーターの体をつかみ地面に向かって投げつけた。
「……っう。」
大きな音と共に叩きつけられた彼の肺からすべての空気が吐き出される、一瞬飛びそうになった意識を無理やりつなぎ止め。起き上がる。視界の端には別のビルに飛び移りながらニューヨークの闇に消えていくリザード。この体、しかも糸なしでは追いかけることは難しい。
せめてまだビルの中に残っている避難者たちを助けないと、そう思い立ち上がる彼だったが……。
「久しぶりだなあぁ、スパイダーマン。」
彼の前に現れるのは、灰色のパワードスーツを身に纏った大男。
ビルの倒壊の元凶にして、ショッカーと同じ別世界からの来訪者。本来そこにいるべきはずのない人物。
「……あ~? サイさん?」
「ライノだァ、二度と忘れないようにそのちっぽけな脳みそに叩き込んでやるッ!」
有無を言わさず突撃してくる巨体。アメイジング、の世界にいたような各種銃器やミサイルで武装した彼ではなく全身の身体能力を強化し、頭部に巨大な角が装備されたタイプ。言葉にすれば聊か戦闘能力が下がったように思えるが、その体から放たれる必殺の突進は容易く命を刈り取ってしまうだろう。単純な肉弾戦でも今の疲労困憊の彼には荷が重い。
何とか横に飛ぶことで突撃を回避することができたが、奴には腕がある。瓦礫を大量に投げられたりすれば糸のない彼にはもう打つ手がない。
そんな絶体絶命の状況の彼、そんな彼の後ろから。
「ピーター!」
「……叔母さん!? 早く逃げて!」
「これを!」
避難したはずの彼女からピーターに投げ渡されるのは自身のクモ糸液が充填されたカセット。しかもちゃんと両手分。投げられたそれを何とか受け取り、彼女の方を見れば自身のことを心配。いや応援してくれている。……そうだ、僕はスパイダーマンだ。
僕が叔母さんに向かって頷いたことを確認した彼女はビルの歪んで動かなくなった非常口に向かう。そこからは向こう側から何とか扉をこじ開けようとする人たちの声、上から何とか降りてきたのだろう。叔母さんはその人たちを助けに行った。……僕もやらないと。気合を入れ直し、クモ糸のカセットを入れ替える。逃げ遅れた人がちゃんと避難するまで。このライノとかいうヴィランを押しとどめないと。
「こっちだライノ! 追いかけっこだ!」
「ちょこまかと! 捻りつぶしてやる!」
糸を上に伸ばすことで体を空へ、ライノの巨体を飛び越えると同時に空いたもう片方の手で顔に向かって糸を発射する。こういった敵相手には視界を奪うのが結構大事って教わった。それにこのライノっていう奴が来ているスーツ、見た感じ口以外全部スーツで覆われているタイプだ。聴覚の補強が入っているかわからないけど明らかにヘイトは僕に向いている。うまく誘導できれば叔母さんたちが避難できる十分な時間を稼げるはずだ。
「オニさんこちら!」
敢えてこちらの居場所を教えるように、彼の頭部を踏み台にして背後へ回る。そしてその大きな背中にクモ糸弾を。今の体じゃ明らかにパワータイプの彼と殴り合うのはかなり難しい。となると回避を優先しながら時間を稼いで、救援がくるまで頑張るか何とかしてライノをクモ糸でぐるぐる巻きにするしかなさそうだ。
それにしても、今の僕はマスクを被ってないのにこのライノっていう明らかに違う世界から来たヴィランは、僕のことをスパイダーマンって呼んでる。彼の世界の僕がこの僕に顔が似ているのか、それともここが異世界だと把握しているのか。……っと、そんなこと考えてる場合じゃなかった。
顔に張り付いたクモ糸を腕力だけで引きはがした彼は、姿勢を低く落とし全速力でこちらに向かって突撃してくる。確かにスピードは速いけど動きは単調、糸さえあればまだ何とかなる。
かなり余裕をもって糸を飛ばし、上方向に逃げることで彼の攻撃を回避する。彼が遠ざかった場所の方を見れば叔母さんが動かなくなっていたドアをこじ開けて逃げ遅れた人の避難誘導をしている。しかももう少しで終わりそう。
「ガァああああ! これでも食らえ!」
避けられたことに対して怒っているのか、それとも彼の世界の僕も同じ戦法を使ったせいで負けたことを思い出し怒っているのかはわからないけど、今度はライノが瓦礫を飛ばしてくる。一つ一つのサイズが大きいし、かなりの速度だ。避けることは簡単だけど背後には叔母さんたちがいる。
飛ばされてきた複数の瓦礫に糸を伸ばし、大きな一つの塊に。さっきからずっと悲鳴を上げている体を押し付け、力のままにその瓦礫の進む方向を変える。
直進から、回転。そして元の場所へ。
遠心力を使いさらなる加速が施されたソレはライノの体を吹き飛ばす。それに追い打ちをかけるように両手を彼の方へ。吹き飛ばされていくライノと瓦礫を一緒に包み込むように蜘蛛の巣を発射、クモ糸液を結構使ってしまったがサイ君は瓦礫と一緒に白いクモ糸ボールになった。これで当分動けないはず。
早く叔母さんたちを避難させな……
「ほう? 十分痛めつけたと思っていたが……、まだ元気のようだな。」
彼の声、聴いただけで気分が悪くなるような悪意に満ちた。そんな声。
「叔母さんッ!」
グライダーに乗ったグリーンゴブリンは、彼女の首を片手でつかみ、空を浮かんでいる。避難しようとしたところを、やられたんだ。
「哀れなものだァ? メイ・パーカー。お前が守るべき子供はこんなにもボロボロで。」
「外にはようやく役立たずの警察どもがやって来ているが……、皆スパイダーマンがこんな事件を引き起こしたのだ、全てはスパイダーマンが悪いのだと叫ぶだろう。」
「彼は何もしていないのに、もしそのままノコノコと前に出てしまえば銃を向けられ犯罪者のように扱われるだろう! そして次の日には皆高らかに叫ぶのだ、『やっぱりスパイダーマンは悪党だった、思った通りだった!』……と。」
「何ともまぁ……、可哀そうなことじゃないか。」
「ミステリオだったか? 金魚鉢の悪党一人殺しただけで世界中からワルモノ扱いされる。誰かのために動き、助けたとしても返されるのは罵倒だけだ……、なんとまぁ報われないことだ。」
「俺たちを助ける? あぁ、本当に素晴らしいことだと思うよ。その結果がこれだ! 救うどころか新たな犠牲を生み出した! 本当に素晴らしい教育をしているよ、メイ・パーカー! おかげでこんなにもお前の子供は傷ついている……。」
「本当に立派な教えだとも、お前の施したものは確実にこの青年に根付いている。おかげで彼は裏切られ、責められ、罵倒され、本当に立派な犯罪者へと育った! なぁ~にも悪いことはしていないのに! お前たちだけが損をする!」
「これほど滑稽なことはない!」
「だが、安心するといい。“ピーター・パーカー”。」
「これで、終わりだ。」
手が、放された。
大いなる力には、大いなる責任が伴う。
……ただ、大きすぎる責任は決して一人で背負うものじゃない。
キミは一人ではないのだから。