愛しい人へ。
気づけば、宙を見上げていた。
そこにはいつもあなたがいて、それに追いつくために何度も何度も努力した。
時間がたち、あなたの隣に立てるようになった時。見える世界が変わった。
この世界はこれほどまでに危険にあふれていて、私が見ていた平和は誰かの犠牲。隣にいるあなたたちの犠牲によって成り立っているということに。
あなたの隣に立つこと。そしてその背に乗せられた重りを、肩代わりすること。
平和な世界で育って、なんの力も持たない私にできることなんか限られていた。
『覚悟』を、すること。
すべてを、捨てる覚悟を。
あなたのためになるのなら、なんだってやる。
そう、なんだって。すべての障害を、取り除く。
私はそうやって、ここまで来れた。
……もし、もし。私の命が必要になった時。
それがつぐみのためになるなら。
私は、よろこんで差し出すよ。
許さない、許せるわけがない。
脳が、感情が、心臓が。異常といえるほどに煮えたぎる。怒りだ、私は奴をどんな手を使っても殺したい。
視界が赤で染まりそうになる。自分が、今どうなっているのかが理解できない。ただ、怒りでどうにかなりそうなことはわかる。奴がユキの体を使い、動き、喋っている。ユキはまだ生きている、生きているが操られている。気が狂いそうなほどの激情に全身が支配される、だが動けない。奴がユキの体の中にいる限り私は奴を殺せない。
あぁ、頭が回らない。歯を食いしばり過ぎたのか口から異様な音が聞こえる。全身からも軋むような音が響く。
何故私は彼女を置いて行った? 何故? 何故?
私が最後まであの場にいればユキをこんな状況にすることはなかったはず、こんなことは起きなかったはず。もっと早く奴のことを把握していれば、あの時奴を殺し切れていれば、魂まで破壊していればこんなことにはならなかったはずだ。私が憎い、ユキが苦しんでいるのに何もできない自身が憎い。それ以上に奴を殺したい、殺したい。でも何もできない、私に奴は殺せない。ユキを攻撃するなんかできない。
自分の中の何かが壊れる、目の前にいる人は私が愛した大事な人。その声も彼女の、ユキのものだ。だけどそれを動かしているのはどうしようもなく殺したい奴だ。愛する人の体を、どうしようもなく殺したい奴が動かしている。しかも、しかもだ、お前は何って言った? 捨てる? 消費する? お前がか? どれだけ私たちを馬鹿にすれば気が済む!
「おや? どうしたのですかドロッセル。もう楽しいゲームは始まっていますよ?」
冷静になれるわけがない、何かしなければならないのに何もできない。
「ふむ……、ならこう言ってあげましょうか。『私を殺してみてよ、つぐみ?』」
「ッ!!!」
思わず、足が動いてしまう。だが、二歩目は踏み出せない、踏み出せるわけがない。
落ち着け、私がやることはなんだ。
ここで怒りに任せてすべてを終わらせることか? このスーツのメインエンジンであるブラックホールエンジンを暴発させて全部終わらせることか? ユキも助けられず、世界も救えず、何もできないがゆえに逃避のため全部終わらせることか?
違う、絶対に違う。
私は、逃げられない、諦められない。できるはずがない。
ツラヤバ、お前だけを殺してユキを助ける。やってやる、やらないといけない。
「イヴ。」
『……マスター、お任せください。』
◇◆◇◆◇
「ッぐ!」
「……ふ~む、やはり出力不足は否めませんか。これでもかなり改善した方なんですがねぇ?」
「化け、物が……!」
腕輪と指輪、その力がぶつかり合い……。腕輪が弾かれる。いくら至高の魔術師たちの支援があれども相手はいくつ世界を喰ったのかわからないほど強大な相手だ。その力を十全に扱えていない現状何とか戦えているが限界が近づいている。
「はは、そう怒らないで下さいよタイフォイド君。君の出番はまだ後ですし、この方々の相手も面倒でしょう? でしたら黙っておくことです。」
「大丈夫ですかウェンウー!」
「何、とかな。」
彼が吹き飛ばされた直後に他の世界からやって来た戦士たちがその穴を埋める、未だ我々の世界はニンジャの侵攻が続いている故救援に期待はできないがほかの世界は別。私たちの世界でも著名な者たちが時間稼ぎのためだけに挑み……、消えてゆく。彼の腕輪のおかげで指輪の力はある程度相殺できるとは言え敵の力は非常に大きい、あれだけいた魔術師たちも数が減りインカージョンを抑えるのに必要な人数が足りなくなってきた。
……世界の数が想定よりも多い。そしてツラヤバとの戦闘が始まったのちにマルチバースが増加したことも理由に挙げられるだろう。彼女が、何かIFを考えてしまうような状況に陥っている。世界の中心、マルチバースの中心として運命づけられた彼女は可能性を考えただけでも世界を広げてしまう可能性を秘めている。
かといってこちらから救援を送れるほど余裕がない、今も負傷したウェンウーの治療を行いながら無差別に放たれる奴の攻撃をよけ、相殺し、反撃。それに追加してインカージョンの遅延を行っている。
「世界が増えることは単純にこちら側の戦力が増えるのですが、その分スペースが足りなくなる。インカージョンの阻止に必要な人員が徐々に増加していくのは何たる皮肉か。」
つい、口が緩んでしまう。敵は一人だが強大。いくら攻撃を当てようともその有り余るエネルギーで無力化されてしまう、一度にすべてを消し飛ばすようなエネルギーの放出は我々ができるだけ固まらずに行動しているためできないようだが、一発でも食らってしまえば私でもなすすべもなく殺されてしまう。ウェンウーがかなり消耗しながら戦えているのも、腕輪の力によってある程度の相殺が可能なこと、そして彼の経験と戦闘センスによって何とか生きながらえているに過ぎない。肉体的な傷、精神的な疲労は魔術で癒す、もしくはごまかすことができるがいづれ限界が来る。
そのタイミングまで何とか準備を終わらせなくては。
「……ふ、そういえばこうやって誰かと肩を並べて戦うのは久しぶりだな。だからこそ……、勝たねばならん。」
「ウェンウー、すでに限界が近いでしょう。ほかの世界の者も出ているのです、もう少し休息を。」
「大丈夫だ、支援を頼む。」
そう言いながら飛び出してしまう彼。……もう少し利己的かと考えていたのですがね、もしかすると私に人を見る才はないのかもしれません。彼がテンリングスの力を使い、空に飛翔する。私は距離を詰めれるようにゲートを設置し、行き先は敵の背後に。同時に自身の可能性を引き出し手数を増やす。ゲートウェイとエルドリッチ・ウィップの多重同時使用によって奴の動きを固定する。
「面倒ですねぇ……。」
が、すぐに黒煙によって焼き切られる。指輪の力を介さない純粋な呪術と奴の体の持ち主であるタイフォイド・マリーの発火能力だ。今はまだ発火能力しか使っていないが、そも彼女の保有するミュータント能力は多岐にわたる。呪術との融合やツラヤバの入れ知恵によってさらに強化されていてもおかしくない。こちらが残す札は少なく使えそうなものは未だ準備が整わない鬼札、対して相手は未だ多くの手札を残しそのすべてが鬼札と言ってもいい。
「少し飽きてきましたしあちらもそろそろ大詰め、大事な大事なお嬢様を呼ぶためにも……、掃除を始めましょうか。」
「まずっ!」
鞭を焼き切られ、次の補助に回ろうとしたとき。目の前に奴が現れる。目は黒く濁り、だからこそその目に映る自身の姿がよく見えてしまう。振り上げられたその手には何度も見せられた黒炎が。食らえば、死ぬ。
「では、ご退場ぅ。」
タイム・ストーン、間に合わない。回避、間に合わない。迎撃、不可能。し……
「さすがに、二度も師を目の前で失う趣味はなくてね。」
セラフィムの盾、盾の魔術が目の前に。
自身の世界では未だ魔術の道を歩み始めていないドクター・ストレンジがそこにいた。
「ッ!」
急いで広範囲に広がる攻撃に転じ、無理やり距離をとる。別の世界の彼と言えどこれ以上失態を見せるわけにはいかない。師としては師の見せるべき姿がある、例え彼が自身と同じレベルに至っていようとしても、だ。
「久しぶりですか? ストレンジ。」
「……あぁ、とても。な。」
こちらの危機を察知してくれたのだろう、他の者たちがツラヤバに対し攻撃を仕掛け時間を作ってくれる。この間に体制を整えないといけない。
自身の状態を確認し、もう一度魔力を練り直す。
「そっちの私はまだ医者をやっているのか?」
「えぇ、今日も元気にメスを振るっていると思いますよ。何せ急患がたくさんですから、腎臓でも余計に切り取って懐に入れてるのでは?」
つい、口を滑らせてしまう。気が抜けない状況が続いたせいで普段は言わないような冗談が出てしまった。彼の知る私がどんな人物だったのかはわからないが、冗談を言うような人間ではなかったらしい。すごいものを見る目で私のことを見ている。……そのことが少し、面白く。頬が緩んでしまう。
「……なるほど、さすがマルチバースということだな。それで? 私は何をすればいい。」
「簡単ですよ、目の前にいる奴の足止めです。……あぁそれと、石の用意だけはしておいてください。あとで使いますので。」
◇◆◇◆◇
奴の洗脳、いや憑依だろうか。それに対抗する手段として考えられるのは二つ、私が知識でしか知らず使用できる人物が近くにいない魔術と私が手に入れることができないソウル・ストーン。奴の肉体はこの手で破壊した、そして奴がタイフォイドの体を使い行動している現状魂のような精神的存在で生きながらえていることになる。
となるとこの世界における詳細な能力は知らないがソウル・ストーンがやはり奴にとっての特攻になる道具だ。……あぁ、本当に嫌になる。使えるわけがない、手に入れられるわけがない。
……だからこそ、成功する可能性が低い方法をとるしかない。
マインド・ストーン
これでユキの精神を揺り動かす。もしくはツラヤバの精神を無理やり外に吐き出させる、こういった精神に作用させる使い方はしたことがない。単純なエネルギーとしか使用したことがなかった。人間の脳の構造すらそのすべてを理解しきっていないんだ、並行世界を無理に増やしたくなかった私が正規の人体実験なんかできるわけがない。
これをユキに試すことが怖い、怖いがそれ以上に彼女を失うことの方が怖い。私が彼女に攻撃できる、そのように見せつけないとツラヤバが何をしてくるのかわからない。依然としてその大事な体を動かせるのは奴、ユキの命は他人の掌の上にある。早く取り返さないといけない。
「……ッ!」
「ようやくやる気になりましたか……。ふふ、楽しくなってきましたねぇ!」
ユキの声で、奴も動き始める。一気に大量のニンジャたちが私に向かって動き始める。覚悟を決めるまでに時間をかけ過ぎてしまった、数える気が失せるほどに多くの敵が視界を埋め尽くす。……明らかにユキの許容範囲を超えた数を奴は動かしている。ドローンを動かすのとニンジャを動かすのは違うかもしれないが、ユキの脳にかかる負担は考えたくもない。スーツの反応から三賢者がすでに動いていないこともわかる、サポートも期待できない。早く、早く助けないと。
精神操作は遠距離からは不可能、ユキの体がツラヤバの呪術の鎧とスーツで覆われている現状近距離でもレジストされる可能性がある。つまり、0距離。ユキの頭部にインフィニティ・ストーンたちが嵌められた左手をあてる必要がある。
『マスター、石の力を使うためには接触後数秒の時間が必要です。そのためには敵戦力の消滅が必要。』
「解ってる。」
『また肉体への深刻な影響も考えられるため攻撃手段としてはお使いにならないでください。ユキ様がお戻りになられてもマスターが死んでしまえば……、ご理解を。』
答えを返す代わりに接近してきた雑魚の頭部を殴り飛ばす、すでにこの肉体は非力ではない。身体能力とスーツによるブーストによって敵の頭部は崩壊し、勢いを殺し切れなかった体はそのまま後方に吹き飛ばされる。徒手空拳だけじゃ時間が掛かり過ぎる。出し惜しみはしない。
吹き飛ばされた敵の体によって少しだけ空間が空く、何もしなければ一秒もかからずに埋まってしまう空間。だけどもうそれだけで十分だ。二つあるTailの片方、右側の一つを腕にスライドさせもう片方を背面に。
「これで、こじ開ける。」
『起動!』
Tailの機構を組み換え貫くように、もう片方のTailで加速を。地面を滑るように奴らをひき殺していく。横から邪魔をしてくる奴もいるが、それはイヴに任せる。私は前に、ユキの元へ近づく。盾代わりに使う右房からクラスターが吐き出され、後ろに流れながら敵を散らしていく。
『弾薬、使い切ります。重力波にシフト!』
右腕を前に伸ばしリパルサーを放射する、光球を一度掌に生み出しそこから放射する。高熱が敵を溶かしユキの眼前まで光柱を届かせる。案の定黒い膜のようなもので弾かれてしまうがそれでいい。私に彼女を傷つける意思はない。……防御されなくともユキの装甲は貫けなかった。『防御する』奴にその選択肢があることが分かった、それでいい。
この一帯の重力を反転させる。私が重力を操れることは奴も知っている、だがこれまでは広範囲に影響を及ぼすには段階が必要だった。ノータイムで出来るのはユキも知らない。それが、隙になる。
普段ならすぐに対応されたであろうが今は鈍い、あの時と同じように。両腕のレーザーを使い雑兵たちの上半身と下半身を切断する。すべてを消し飛ばさない限り動き続けることは解っている。だが動き始めるまでにラグが存在するのは確か。
(ここ。)
カートリッジを吐き出しそれらが地面に落ちるよりも早く動き出す。直線、未だ重力は反転している。態勢を整えようとしているが……、いける。
(……一番負担が重いけど、確実性を上げる。)
「『
時間を止め、誰も動けない静かな世界を無理やり進む。距離は短い、動けば動くほど時間が動き出したときに降りかかるフィードバックは大きい。超人血清がなければ死んでいた。だが使うならここ、ぎりぎり私がフィードバックに耐えれる距離で、さっきの砲撃にから考えて奴が防御を始めるタイミング。このラインが限界だ。
時の流れない世界において聞くはずのないスーツが軋む音、耳がそれを拾いながら前へと進む。左手を、伸ばす。装甲をスライドさせ、白い腕から石が嵌められた腕へ。
この掌を、ユキの頭に……。
動くはずのない彼女の両腕が、動く。
「時間対策、しないわけがないですよねぇ?」
私の左腕、それが細い彼女の指に捕まれる。動かせない。
「イヴ!!!」
止めていた時間停止を解除する。その瞬間に止まっていた間に動いた衝撃、そのすべてが体に圧し掛かるが気にしている場合じゃない。歯を食いしばり、無理やり左手を押し込む。
「『