極悪少女と普通の悪竜 作:すれ違い
最初に竜の嗅覚に届いたのは、まだ乾ききっていない鮮血の匂い。鉄が多分に含まれたそれの匂いは、容易く竜の鼻腔に辿り着いた。
洞窟の中、悠然と座り込んでいた竜はゆっくりと顔を傾ける。そして、ジッと鬱蒼と木々が茂るそちらを見詰め停止した。その表情に映るのは警戒と言うよりも、興味や他の感情が入り交じった物。
それもそうだろう。何故なら、竜が警戒する必要のある生物などほとんどいないからだ。生まれ故に強者足る事が確約された彼ら彼女らには、そのようなことをする相手は皆無と言って良い。
やがて、木々を駆け抜けながら姿を見せたのは一人の痩せ細った少女であった。
「はっ、はっ、はっ──」
黒い髪を靡かせながら、金色の瞳は時折後ろを見遣る。そして、木々の隙間から飛び出すと、彼女は軽く息を荒げながら視線を戻し──目の前の存在に気が付いた。
のっぺりとしたその瞳に仄かに感情が灯り、大きく見開かれる。
「…………ぇ」
そして、思わずと言ったように漏れた少女の驚愕。それを認めた竜は、荘厳な様相を欠片も崩さず、ゆったりと呟くように言った。
『──如何用だ。未だ幼き、人の少女よ』
◆◇
(クソっ!なんでっ!なんでこんなについてないのよ!)
少女、リアスカ・デリエンは激昂を押し隠そうと顔を俯かせる。だが、それすらも意味がないだろうと理解していた。
何せ、目の前の存在は『竜』である。いくらリアスカが人として飛び抜けた存在と言え、届くはずもない。
なにより、目の前にいるのは恐らく『赤竜』と呼ばれる存在とだ。
その竜は有名であった。特に厳格な規律に則り、己の力を容易く振るわないとされるその竜は、リアスカですら一度は耳にしたことのある名である。
『かの赤竜は、己の領地に入った者を許さない』
それは知られている伝承として酷く有名な物の一つであった。故に、どうにか口八丁でこの場を凌がなければならない。
頭を回す。この場に、己の物でない血に濡れて立っている理由。
何かないか、何かないか──そして、数秒後、リアスカは『それらしい』理由を思い付いた。
『見せしめに仲間を殺された奴隷が恐怖で逃げ出した』。これが、一番分かり易い理由だろう。
涙を浮かべ、震えながら口を開く。
「……わ、私は……やっと、やっとあそこから逃げ出せたんです…………だ、だから、だから──」
どうにか説得出来ないか、そう考えるその最中も、リアスカは心の中で怒りをぶつける。
(折角楽しいところだったのに!)
そう。今リアスカは『鬼ごっこ』をしている最中だった。
ただ、一つ普通の鬼ごっこと違う点をあげるとすれば、それはリアスカを夜までに捕まえられなければ人が死ぬ、と言うことだ。勿論、リアスカの手によって。
リアスカが好きなのは刺激のある他人の『死』である。いつからかは知らない。いつの間にかこうだったのだ。
そして、幸運なことにリアスカには才能があった。人を、生き物を殺すことが出来る才能が。時と場所と、そして人格が違えばその才能は『英雄』へと持ち手を昇華させたであろう。
だが、リアスカは違った。食事の代わりに血と戯れ、呼吸の代わりに悲鳴を聞き、遊び代わりに首をもぐ。
それがリアスカの楽しみである。故に、リアスカはどうにかここを乗り越えようと思考を尽くす。
「──助けてっ、下さい!」
言葉を吐ききった後、残ったのは静寂であった。ばくばくと心臓が高鳴り、緊張が世界を包む。
『ふむ……』
その響きは、本来単なる人間が聞けば余りの威圧感に倒れ伏してしまうであろう程の物。だが、リアスカは普通ではない。
(なにしてんのよ!可憐な奴隷が助けて下さいっていってのよ?!さっさと助けなさいよ!このクソ竜!!)
この状況で絶望ではなく怒りを抱くのも、最早尊敬ものである。
と言うかリアスカはそもそも奴隷ではない。どちらかと言えば奴隷商人側である。己の嘘を信じ切ってしまえるのも、よく言えば才能であろうか。
『よかろう』
そして、数分。ゆっくりと放たれたその一言は、リアスカに歓喜をもたらし──、
『しばらくは我がお前を護ろう。それまではここで過ごすが良い、人間の少女よ』
──そして、絶望へと突き落とした。