体験入信者・宮木伊織の邪推   作:ドラ麦茶

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1・ワンティーティ

「――ところで、ここの教祖様って、なんで()()()に咬まれても平気なんだろうね?」

 

 

 

 教団信者たちが思い思いに過ごす午後の談話室で、周囲に遠慮するように隅のテーブル席に着いていた宮木(みやぎ)伊織(いおり)は、信者たちに聞こえないようわずかに声をひそめ、向かいに座る室田(むろた)シンジに話の水を向けた。突然の話にシンジは一瞬目を丸くしたが、すぐに伊織同様声をひそめて訊き返す。

 

「教祖様って、ワンティーティ様のこと?」

 

「そう。この教団の人たちは『神のご加護』とか言ってるけど、なにか仕掛けがあると思うんだよね」

 

 未知のウィルスが蔓延し、死者がよみがえって人を襲うという映画かドラマのような世界になって約一年。伊織は故あって『光の紋章』という宗教団体に身を寄せていた。そこの教祖、信者たちがワンティーティ様と呼ぶ男は、不死身の肉体を持つと言われている。それを証明するためか、教祖は伊織たちの目の前で、動く死体の化物、シンジたちが『ゴーレム』と呼ぶものに咬まれて見せた。通常、ゴーレムに咬まれた人間は、早ければ即時、遅くとも一日以内にはゴーレムと化し、人を襲うようになる。だが教祖は、咬まれた直後、肌にわずかなゴーレム化の兆候が見られたもののすぐに治まり、数日経った現在もゴーレム化していない。教祖がゴーレムに咬まれる行為は『死者との対話の儀式』と呼ばれ、半月に一度のペースで信者たちの前で行われているそうだ。つまり、教祖は何度もゴーレムに咬まれているが無事なのである。ゴーレムにより文明が崩壊しつつある現在、神のご加護などと崇められるのも当然と言えた。だが、はたしてそれを素直に信じて良いものか、と、伊織は思っている。先日、伊織たちは教団が出したちょっとヤバめな入信テストを無事クリアし、信者となることを認められたのだが、伊織自身はここでずっとお世話になるかを決めかねていた。場合によっては出て行くことも考えているので、体験入信中といったところだ。

 

「あたしも、あの教祖は怪しいと思う」と、伊織の隣に座る少女・三原(みはら)結月(ゆづき)も同意した。「本当にこの世界に神様がいたとしたら、こんな絶望的な世界になんてならない」

 

 つぶらな瞳に子供には似つかわしくない強い決意をみなぎらせて主張する結月。その姿を見て、伊織はなんとも言えない微笑ましい気持ちになる。なんて純粋でかわいらしいことを言う()なのだろう。実際は結月の言うことは間違いで、世界中の神話において人類を滅ぼそうとするのは大体神様側だ。神様が本気で介入すればこの程度の絶望ではすまないと伊織は思うのだが、幼い少女の夢を壊すのもためらわれるので、それは言わないでおく。

 

「結月ちゃんの言う通りだよ」伊織は結月の肩に手を添えた後、あらためてシンジを見た。「あたし思うんだけど、本当に神様なんてものがいたとしても、人間をどうこうしようとか思わないんじゃないかな? 神様ともあろうヒトが、人間なんかにそこまで興味は無いと思うんだけど。だって神様だよ? この世界、っていうか宇宙全体をつくったヒトだよ? めちゃくちゃスゴイヒトなんだよ? あたしたちなんてミジンコやゾウリムシみたいなものだよ? みんなミジンコやゾウリムシに興味ある? 無いでしょ?」

 

「僕は興味ないけど、興味がある人もいるんじゃないかな」

 

「そうかもしれないけど、神様が人間だけを特別扱いするのは、やっぱりおかしいよ。たまにはイヌやネコやゾウやワニやミミズやオケラやアメンボを優遇してもいいじゃない?」

 

 この地球上には、約八七〇万種の生物がいるとされている。総数にすると人類が占める割合は0・01パーセント程度に過ぎない。それほど多くの生物がいる中で、神様の存在を感じているのは恐らく人間だけだ。地球状の生物全体で多数決をとれば、確実に神様の存在は否決される。

 

「ちょっとなに言ってるのか判らないけど、まあ、僕も全面的に神様の存在を信じてるわけじゃないよ」そう言った後、シンジは椅子の背もたれにもたれかかって腕を組み、渋い顔になった。「でも、今まで僕が見てきた中で()()()()に咬まれて無事だった人はいなかった。君たちは、どう?」

 

 そう訊かれ、結月は顔を伏せた。「あたしも見たことない。ゴーレムに咬まれた人は、みんなゴーレムになった」

 

 シンジの視線が伊織に向いたので、伊織も仕方なく答える。「あたしも、教祖様以外で()()()に咬まれてゾンビ化しなかった人は見たことないけど……」

 

「だろう? ()()()()に咬まれてもゴーレムにならないのは奇跡なんだ。誰にでも起こることじゃない。教祖様がそれを神のご加護というのなら、僕はそれを信じてもいいと思う」

 

 どうしてみんなゾンビって言わないんだ、というツッコミは心の奥にしまい、伊織はそれでも食い下がる。「だからって、それが神様のご加護だなんていうのは飛躍しすぎでしょ? もうちょっと疑った方がいいと思うけど?」

 

 伊織がシンジたちと出会ったとき、彼らは神様など信じてはいなかった。この教団施設に来たのは怪我の治療ととりあえずの安全を確保するためで、決して入信するためではない。しかし、この数日の間、教祖が行う儀式を見たり、彼の話を聞いたりするうちに、どんどん教団の教えに傾倒されているように思う。厄介なことに、それは結月の連れであり現在は伊織たちのリーダー的存在でもある間宮(まみや)(ひびき)も同様なのだ。洗脳されつつある、と言っていい。今も間宮は別室で教祖と話をしている。絶望的な世界でようやく見つけた頼りになりそうな人たちだ(彼らと出会う以前、伊織が行動を共にしていた男は口ばっかりでなんの役にも立たなかった)。それが、こんな怪しげな宗教の信者となるのは避けたいところだ。

 

 神様の存在を否定しても教祖に疑念を持たないシンジに対し、伊織は別の方向から攻めてみることにした。「シンジ君って、ウィルスとかの研究所で働いてた学者さんなんだよね? 」

 

「学者ってほどでもないよ。確かに僕が働いてた研究所は、ウィルス研究では有名だったけど、僕は末端の研究員で、実績も何も無いよ」

 

 そう言いながらも、学者と呼ばれてまんざらでもなさそうな顔になっている。

 

 伊織はさらに続けた。「その研究所で、ゾンビウィルスのワクチンや治療薬が開発されていて、教団はそれを手に入れた、ってことはない?」

 

 間宮響の話によると、彼らがゴーレムと呼ぶ動く死体は『ゴーレムウィルス』というものによる感染症の一種なのだそうだ。感染者に咬まれることで体内にウィルスが侵入し、咬まれた者も発症する。それが次々と繰り返され、感染が広がっているのだ。アウトブレイクとかパンデミックとかいうものである。ならば、そのウィルスに対するワクチンや治療薬があれば、感染を防いだり治療することが可能だ。それらの薬を教祖が密かに使っていたとしたら、ゴーレム化しないことにも説明がつくのではないだろうか。

 

 だがシンジは「それは、たぶんないと思う」と、即座に否定した。「治療薬が開発されたって噂もあったけど、実際に調べてみたら、デマだったよ」

 

 数ヶ月前、隣県にある整命大学付属病院で間宮と出会ったシンジは、ゴーレムに咬まれた人を救うため、治療薬があると噂されていた研究所を捜索した。そこで治療薬らしきものを入手し、ウィルスに感染した男に投与してみたが効果は表れず、結局その男はゴーレムと化したそうだ。

 

「ワクチンについても、同じだと思う」と、シンジは続ける。「間宮さんの話によると、ゴーレムウィルスは横須賀の自衛隊駐屯地にあった感染症対策の研究所が密かに開発したもので、その研究所ではワクチン開発に成功したと称していたそうだけど、実際は完成していなかったらしい」

 

「それに――」と結月も話す。「あたしたち、ここに来るまでにいろんなところでワクチンや治療薬の話を聞いて、そのたびに、響はひとつひとつ調べに行ったけど、結局全部デタラメだった」

 

「うーん、そっか……」

 

 二人からそう言われ、伊織はこの仮説をひっこめざるをえなかった。しかし、ワクチンや治療薬という考え方は間違っていないように思う。伊織はその方向で考えを進めた。

 

「……もしかして、この教団が独自にワクチンを開発してるってことはない? ほら、こういうカルト教団って、地下とかに秘密の研究所をもってるじゃない? あたし、前にテレビで見たもん」

 

 いまから三十年近く前、とある宗教団体が、都市部の地下鉄に毒ガスを散布するという未曽有のテロ事件があった。その宗教団体は、最盛期には一万人以上の信者を抱えており、中には弁護士や学者などもいたらしい。教祖は信者の中から優秀な化学者を何人も集め、教団施設内の研究所で密かに毒ガスを生成していたそうだ。事件自体は伊織が生まれる前の話だが、世界的に見ても他に類を見ない凶悪事件であったため、アウトブレイク前はたびたびテレビや雑誌などで特集されていたのだ。いま伊織たちがいる『光の紋章』なる教団がその宗教団体と同規模のものだとすれば、ワクチンや治療薬を開発していることもあるかもしれない。

 

 だが、シンジは「うーん」と唸った後、この考えも否定する。「その可能性は、まず無いんじゃないかな。確かに、大きな宗教団体だと独自に研究施設を設けていたりするけど、だからといって、専門の研究機関を差し置いて、ワクチンや治療薬などの新薬を完成させるのは、正直あり得ないと思う。ワクチンの生成というのは、本当に難しいことなんだ。例えば、インフルエンザのウィルスで例えると――」

 

 シンジの説明によると。

 

 インフルエンザは、それまでの治療薬が効かない新種が現れるのではないかと、常に警戒されていた。もし、新種のインフルエンザ現れたとして、その治療薬やワクチンが開発されるまで、早くても一年から二年と言われている。ありふれたインフルエンザの新種に対するワクチンでさえ、それほどの時間がかかるのだ。

 

「――これが、ゴーレムウィルスなんて未知のウィルスになると、さらに困難になる。整命大学研究所のような、専門の設備を備え優秀な研究員がたくさんいるような施設でも、何十年とかかる可能性だってあるんだ。ここの教団がどんなに大きくても、整命大学以上の設備や研究員がいるとは思えないし、そもそも電気やガスといったインフラでさえまともに機能しない今、アウトブレイクから一年ほどで新薬を開発できるとは思えないよ」

 

「そうなんだ……」

 

 伊織は肩を落とした。ウィルスや感染症に関して、伊織はほとんど知識がない。末端でペーペーで平社員のザコとはいえ、一応その道の専門家の端くれであるシンジにそう言われると、認めるしかなかった。とは言え、せっかく考えたことを即座に否定されるのはおもしろくない。

 

 伊織は、下から覗き込むように視線を向けた。「じゃあ、シンジ君も、教祖様の力は神のご加護だと思うの? ウィルス学の権威である大学研究所に勤め、将来を期待された有望な研究員の室田シンジ様が、ワクチンや治療薬より神のご加護を信じるの?」

 

「そういう訳じゃないけど……そうだな……」シンジは困ったように頭を掻いた後、考えを捻り出すような口調で続ける。「まあ、新薬を開発するには時間がかかるけど、既存のワクチンや治療薬で効果があった、ということも、あるにはある」

 

「どういうこと?」

 

「さっきのインフルエンザで例えるけど、新しいインフルエンザのウィルスが発生した場合、新薬を開発するよりも前に、既存の薬で効果がないかが試されるものなんだ。そこで効果が表れれば、わざわざ手間と費用を掛けて新薬を開発する必要は無いからね。実際、今から十年くらい前に新型のインフルエンザが発生して、一時世界が騒然となったけど、その時はたまたま既存の治療薬が効いたから、すぐに騒ぎは治まったんだ」

 

「ということは、教団が、ゾンビの治療や予防に効く薬がないかいろいろ試しているうちに、偶然効果があるものを見つけた、という可能性があるのね?」

 

「うん。可能性はあると思う」

 

 と、言ってはいるものの、シンジの表情は冴えない。自分で言っててあまりピンと来ていないようだ。

 

「……でも、正直これもあまり考えられないかな」案の定、シンジは意見を覆した。「ゴーレムウィルスって、死んだ人間を強制的に動かすことができる、今までのウィルスの常識では考えられない、まさに未知のウィルスなんだ。そんな未知のウィルスに既存の薬が効く可能性は、本当に低いと思う」

 

 それを聞いて、伊織は大袈裟にため息をついた。「なーんだ。期待してガッカリしちゃった。その程度の考えしか浮かばないなんて、ナントカ大学研究所の研究員っていうのも、大したことないのね」

 

 伊織はテーブルに肘をつき、目を細めて挑発気味に言う。すると、シンジはムッとした表情になり、さらに考えを絞り出した。

 

「――最も可能性が高いのは、教祖が先天的にゴーレムウィルスに対する免疫を持っていた、ということかな」

 

「そんなことがあるの?」肘をつくのをやめ、伊織は身を乗り出す。

 

 その姿に満足したのか、シンジは得意げな顔になった。「もちろんありうるよ。遺伝的な問題とか、生まれてからの生活環境とか、原因は様々だけど、新種のウィルスに対する免疫を持ってる人っていうのは、結構いるんだ。間宮さんの話によると、彼の恋人である来美(くるみ)さんが、そういう免疫を持っている人だったらしい。横須賀の研究機関が調べた結果では、ゴーレムウィルスに対抗する特殊な抵抗遺伝子があるみたいで、その遺伝子を持っている人の割合は百万人に一人だそうだよ」

 

 百万人に一人なら、人口約四千二百万の関東地区には四十人以上いる計算になる。その一人がたまたまこの教団の教祖だったというのはできすぎた話ではあるがあり得なくはないだろう。あるいは、元は信者の一人にすぎなかったが、ゴーレムに咬まれてもゴーレム化しないということが神聖視され教祖になった、ということも考えられる。

 

「教祖がゴーレム化しない理由は他にもいろいろ考えられるけど、僕が持ってる知識の中では、これが一番可能性が高いかな」

 

 伊織としてはその『他にもいろいろ』というのも聞いてみたかったが、恐らくこれ以上信憑性がある話を聞くことはできないだろうと判断し、それ以上の追及はやめておいた。今の説は、なかなか説得力があるように思う。

 

「――シンジさんって、やっぱり頭いいんだね」

 

 話が難しくなったせいかしばらく黙っていた結月がそう言い、感心した目をシンジに向けた。

 

「いやあ、それほどでもないけど」

 

 シンジは照れたように笑った。この男は、どうやらおだてに弱いようだ。挑発にも乗りやすい。伊織的にはなんとも扱いやすいタイプである。

 

 結月はテーブルに両手で頬杖をつき、小さくため息をついた。「あたしなんて子供だから、教祖を咬んだゴーレムが、実は本物のゴーレムじゃない、ってくらいしか、思い浮かばなかったよ」

 

 その、何気ない感じで言った結月の言葉に。

 

「…………」

 

「…………」

 

 伊織とシンジは、思わず言葉を失う。

 

 結月は二人の顔を交互に見て、気まずそうに目を伏せた。「……ゴメン、子供が口出ししちゃダメな話だよね」

 

「あ、いや、そんなことはないけど」シンジが顔の前で手を振った。

 

「……てか、結月ちゃん、それ、意外と核心衝いてるかもよ?」

 

「そうかな? 単なる思い付きだよ?」

 

 その思い付きが、考えが凝り固まった大人からは出ない発想なのだ、と、伊織は素直に感心する。教祖を咬んだゴーレムがゴーレムではない――実に単純なトリックだが、単純だからこそ実行はたやすい。信者の一人に特殊メイクを施すなりマスクをかぶせるなりすればいいだけだ。アウトブレイク前の世界には、映画やドラマ・ハロウィンなどのコスプレイベント用にゾンビのメイクや演技を指導する人がいたから、そういう人が信者の中にいた可能性もある。元役者とか俳優もいればなお有効だろう。新薬の開発や抵抗遺伝子よりもさらに説得力がある。

 

 まあ、なんにしても。

 

 新薬の入手、独自開発、既存の薬の使用、先天的な免疫、そして、ゴーレムに変装――教祖がゴーレム化しない理由について少し話し合っただけで、いくつもの可能性が浮かんできた。信憑性に欠けたり極めて可能性が低いものもあるが、少なくとも神のご加護などと考えるよりははるかに現実的だろう。それに、伊織にしてみれば、教祖がどんな手段を用いていようが別にどうでもいいのだ。伊織の目的は教祖の真実を暴くことではない。教祖に洗脳されつつある間宮響に疑念を抱かせることだ。これらの話をすれば、間宮も冷静になり、教祖を疑うかもしれない。

 

 不意に、シンジが何かに気付いたような顔をした。周囲を見回し、こほんと咳払いをする。伊織も周囲を見ると、隣のテーブルの信者、さらに隣のテーブルの信者、さらにその隣の信者、と、部屋中の信者が、伊織たちを鋭い目で睨んでいた。話の内容を聞かれたのかもしれない。

 

 伊織もコホンと咳払いをすると、大げさに笑みを浮かべた。「いやあ、今日もごはんはおいしかったですねぇ。こんな恵みを与えてくれるワンワンティティ様には、感謝してもしきれませんね」

 

「……伊織ちゃん、ワンがひとつ多いよ」と、結月。

 

「そうそう、ワンティーティ様。ありがたやありがたや」

 

 伊織は必要以上に大きな声でそう言って、手をすりすりと合わせて頭を下げた。信者たちは疑惑の眼差しを向けながらも、特に何も言わず、それぞれの会話に戻った。

 

 ふう、と、安堵の息をつく伊織。疑念は持たれたかもしれないが、すぐにどうこうされることはないだろう。これでいい。この教団は怪しい限りだが、とりあえず施設内の安全は確保されているし、一応食事もある(食欲が湧くものではないが)。いま、教祖を悪く言ってここを追い出されるのは得策ではないだろう。今はおとなしくしているのが賢明だ。無論、油断はせず、生き残るためにあらゆる手を尽くすつもりだ。

 

 伊織はテーブルの下で右拳を左の手のひらに打ち付け、あらためて気を引き締めた。

 

 

 

 

 

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