幻想々話 - 種は、受難に耐えて   作:荒木田久仁緒

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決意の足音


 

  その客がやってくるのは、決まって月のない夜だった。

 

  通りの一角にある、一軒の惣菜屋。

  人影も少なくなった店先の、日暮れに降った雨でしっとりと黒い地面から、行灯の明かりの中へとにじみ出るように、静かに入ってきた客を見て、店のおかみは愛想笑いと共に、いらっしゃい、と声をかけた。

 

  その若い女は、白を基調に鮮やかな赤と黒で彩られた、見慣れぬ意匠の小奇麗な洋服を着ていた。

  美女と呼ぶのは過分ながらも、整った愛らしい顔立ちと、(つや)やかに長く美しい黒髪、そして光の加減でふと紅く光って見える瞳が印象的で、けれどそんな容姿をなかば隠すかのように、いつも頭巾を被っていた。

 

山女(やまめ)の天ぷらと、鶏のから揚げ、あります?」

「ええ、三つずつでよかった?」

「はい。あとおにぎりも」

 

  この客が店に現れるようになったのは、この半年ばかりのことだ。それも月に一度の闇夜だけだから、いつも、とは言っても、まだほんの数回の来店なのだが、それでもすぐに憶えてしまったのは、その特徴的な外見のほかに、毎回どこか思いつめたような、陰のあるけわしさを顔ににじませているからだった。

 

  代金を渡し、品物の包みを手提げ袋に入れた女は、ふと売り物の列の端に並んでいるものに目を留め、あ、と小さく声を上げた。

 

「豆腐……と、油揚げ……」

 

「ああ、それ? 普段は作ってないんだけど時々、少しだけね。

 ……いい大豆が入ったからとか言って、お父っつぁんがねぇ。

 もうトシなのに、昔の客がいるうちは、なんて張り切っちゃって」

 

  あの人とかね、と嗅ぎつけたようにやってくる別の奇妙な客を思い浮かべながら、心の中で独りごちたおかみは、視線を戻した先の女の顔が、ひどく張り詰めた表情で、その品をじっと見つめ続けていることに気がついた。

 

「あの、お客さん?」

「……えっ? あ、ああ、ごめんなさい」

 

  は、と顔を上げた女は、珍しくぱちりと大きく開いた目でおかみを見、けれどまたすぐ油揚げに目をやって、ややしばらく押し黙ったあと、つぶやくように弱々しく、細い声で口を開いた。

 

「あの、おかみさんは……。その、たとえばなんだけど……踏みこんだらもう戻れない、もしかしたら断崖絶壁に続いてるかもしれない道があって……それでも、どうしてもその先にあるものを、手に入れたい、手に入れなきゃいけない、そんな道の前に立ったこと……そして、そこに踏みこんだことって……ある?」

 

  そんな女の言葉に、ああ、と何やら腑に落ちたふうの顔で、おかみは優しげな笑みを返した。

 

「ええ、一度だけね。私なんかには釣り合わない人だってわかってたし、何も言わなければ、もっと長く見ていられたかもしれないけど……。やっぱり、あっさりふられちゃって……何日も泣いたなぁ。

 ……でも大丈夫! どん底まで落ちた気になっても、きっと誰かがそばにいて、助けて支えてくれるし、新しい出会いも必ずあるから! それにあなた、十分可愛いんだから、自信もって! ねっ!?」

 

  おかみの話と励ましの声を聞いた女は、はい、とほのかに笑って返事をしつつも、どこか当てが外れたような表情を浮かべたが、真剣な光を宿した瞳をおもむろに閉じると、胸元にぎゅっと手を当てて、きっと誰かが、と口の中で小さく呟いた。

 

「……あの、油揚げも、ください。全部」

「全部!? まあ、そこまで残ってもないけど……」

 

  ほの暗く行灯が照らす店の中、上げられた顔に光る瞳の、何かを決意した澄んだまなざしと、いっとき見つめ合ったおかみの脳裏にまた、とある特別な客の姿と、いつか子供のころの遠い思い出が浮かんだが、まさかね、という思いにそれはすぐに流されて、意識の彼方に消えていった。

 

「好きなの? 油揚げ。あ、それとも、そのお相手さんの好物だったり?」

「ええと……まあ、はい。……私には、あれは作れないけど」

「え?」

「いえ、なんでもないです。これで足りますか?」

「そうね、そろそろ売り切らなきゃだし、少しおまけしてあげる。頑張ってね」

 

  もう時刻は夜を四半は過ぎた。この先は、屋台の蕎麦屋が天ぷらの買い足しに来るくらい。あとは売れ残りを宵っぱりの夜食や酒のあてに安売りして、今日は仕舞いだ。

 

  ありがとう、と言って女は追加の硬貨を支払い、油揚げの包みを受け取ると、ふわりと長いスカートを揺らしながら、入ってきた時と同様に、静かに戸口へと足を向けた。

 

  ちょうど入れ替わりに入ってこようとした、短い赤髪の娘が女の姿を見、あれっという表情を浮かべて小さく片手を上げた。

  出てゆく女も、無言ですいと手を上げ返し、そのまま夜の暗がりへ沈んで見えなくなった。

 

「こんばんはー。とりあえずエビのかき揚げ二つね」

 

  敷居をまたぐなり注文をする顔なじみの娘に、いらっしゃい、と挨拶してから、おかみはふと気になったことを口にした。

 

「おセキちゃん、今の人と知り合いなの? このあたりじゃ見かけない人だけど」

 

「え? ああ、うん、ちょっとね……どこに住んでるかは知らないけど」

 

  セキ、と呼ばれた娘は、ぼやかすようにそう返事をし、最後に少し小さな声で、いい子だよ、と付け加えつつ、いそいそと前に出て品の並びを見渡した。

 

「焼き鳥、芋天、それと……お、久々に親父さんの豆腐あるじゃん。それも貰おっかな」

「はぁい、毎度どうもー」

 

  代金を受け取り、手渡す品を用意していたおかみは、突然なにかが店の中の空気を揺らして出ていった気配を感じ、えっ、と思わず声を漏らして顔を振り上げた。

 

  上げた目の前には相変わらず、なじみの娘が立っている。

 

「どうしたの? おかみさん」

 

「え、ええ……いえ、なんでもないの。……なんだか今、おセキちゃんが店から出ていっちゃった……ような気が、したものだから」

 

  娘の顔と、顔の向こうの戸口とを交互に見つめて、おかみは二、三度、見開いた目をぱちぱちさせた。

 

「やだなあ、私はここにいるよ?」

 

  かくん、と高い筒襟の上に乗った頭をかしげて、娘は笑う。

 

「そうねえ、ちょっと疲れてるのかな」

 

  おかみも軽く首をかしげて、頭を振りながら笑い返し、再び品物を包む手を動かしはじめる。

 

 

  そんな店の外、戸口の脇の、建物の隙間のような人気(ひとけ)のない狭い路地へ、するりと飛びこんだ赤髪の生首は、すぐに高く昇って夜空に溶けこみ、誰にも見られることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

  ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

  人里の門を出た、少し先。星明りだけが照らす、小さな草原。

  少し遠くに黒々と、竹林の影を望むその一角で、がつがつ、むしゃむしゃと、何かをむさぼり食う音がする。

 

  ときおり流れるそよ風に、かさりと草の揺れる中、地面に座りこんだ人影が、合間に熱く吐息を漏らして、ただひたすらに獰猛な食事の音を立てている。

 

  やがてそう間もなく、ごくんと大きく喉を鳴らす音がして、それを最後に咀嚼音(そしゃくおん)は途絶えた。

 

 

 

  完全な静けさに包まれたかに思えた闇の中で、しかし替わってかすかに、別の音が響きはじめていた。

 

  それは、荒く、ひきつるようにかすれた呼吸の音と。

  かちかち、かちかち、と硬いものが震えてぶつかり、鳴る音と。

 

「……ょうぶ……大丈夫……。大丈夫だ……やれる……。

 大丈夫、やれるはず……。私はやれる……絶対やれるっ……!

 いける……行くんだ……行けっ……! 今夜こそっ……!

 逃げるなっ……! やるんだっ……今夜っ!」

 

  低く漏れ出る女の声、それが高まり、小さな叫びとなって夜を揺らすと同時に。

 

  ぴたりと、全ての音が止まった。

 

 

 

  やがて。

 

「……やって、やるっ……!!」

 

  その言葉と、ぎりりと歯を噛みしめる音、そして小さな足音が、草原の上を竹林に向かって駆けた。

 

 

 

「……大丈夫。やれるさ、あんたなら……」

 

  そんな呟きと、足音を見送る生首だけを、はるか後ろの闇に残して。

 


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